麻痺毒

23.十月五日

 退院を許されたくらいだ。数日も休めばまた大学に通えるのではないかと楽観的に考えていた。しかし下半期の休学手続〆切が迫れど、とても外に出られない。本当にちょっとした動作で息が詰まってしまう。最低限事務室まで歩けるようになったら、安蘭に送ってもらって、手続きをしよう。

 安蘭は毎日来てくれていた。三食分の惣菜を持ってきて、二食分を冷蔵庫に入れ、一食を共にした。惣菜も僕が行くような格安スーパーやコンビニの物ではなく、百貨店の地下で売っているような綺麗なサラダや煮物だった。他にも足りない物を言えば買ってきてくれる。

「私、ふつうは他人と食事なんかしないのよ」

 何かの折に安蘭が言った。僕は理由を問うた。

「三大欲求の解消は親しい人のまえでのみすべきよ。みんなどうして恥ずかしくないのかしら」

 つまり僕と食事を摂るのは、彼女にとって、共に眠り体を交わすようなものなのだろうか。林檎を咥える唇を見ながら、僕は戯れに問うてみる。

「どうしても他人としなきゃならない時はどうするんです?」

「そういうときはお茶しか飲まないわ。パーティーだろうとなんだろうと」

「お腹すきそうですね……」

「なんどか倒れたわね」

 安蘭の引き締まった身体は食事拒否の賜物なのだろうか。そんな事を考えていると、安蘭は言った。

「食欲だけじゃないわ。睡眠もそう。誰かがいると眠れない。孤児院でも私だけ個室にしてもらっていたの。性欲も、……そう」

 安蘭の目が曇った。林檎の赤が呑まれて消える。

「洸さんは私を求める。けれど私は、そういうことに興味がないの。そういうことにと言うより、そういう『方法に』かしら」

 神が安蘭に与えた知恵の実は、きっと林檎ではなかった。安蘭は一口茶をすすると、僕を上目使いで見た。恥ずかしげに。

「……今日もみせて」

 声が震えていた。僕は慈しみをもって微笑み、頷く。

 僕はカッターを出して腕を切る。安蘭はそれを後ろから見る。安蘭が満足するか僕が果てるまで、鉄の刃が肌を裂く。

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