リマインダー
スマートフォンに替えてから携帯メールなどめっきり使わなくなったものだから、たまにフォルダを覗いてみると保存されているメールが何年も昔のもので驚かされる。例えばそう、これは10年も前の今日のように静かな春の夜のもの。
「Re: りょーかい」
送信したメールは恥ずかしくて消してしまたが、どうしてもこの返信だけは捨てられないでいる。題名で全てすましてしまう大雑把さ。返ってくる言葉はいつも「りょーかい」、それだけ。でもどこかで、「了解」では汲みつくせない親しみに心躍っていた僕がいて、そんな若かったころ見てた世界の色、香りがこの一言でふっと現れてくる、そんな気がするのだ。ちょうどマドレーヌに紅茶を浸したときに過去が立ち上ってきたどこかの誰かのように。
僕は久しぶりに新規作成のボタンを押すと、つらつらと長文を書き連ね始めた。昔からものを書くのが下手だったものだから、自分が書いた文字は読みたくもない。校正もせずに勢いで送信し、しばらく蛍光灯の光を見つめていた。しかし待てども待てども返事は来ない。僕はウトウトと船を漕ぎだした。
何時間くらい眠っていたのだろうか。ふと目を覚ますと、目の前に白いビニール袋がぶら下がっている。
「何よ突然、気持ち悪いな」
声の主は怪訝な顔をして、椅子に座って寝ていた僕を見下ろしていた。中にはウォッカとレモンサワー、そしてつまみが少々。お恥ずかしいことに、サワーは酒に弱い僕の方のものだろう。
「貴志、寝た?」
「うん。ぐっすり」
「じゃあ、乾杯」
こつんと缶がぶつかる音がして彼女は静かに口を付けた。この様子では今日が記念日であることなど忘れてしまっているのだろう。でも、それでいい。そんなところが彼女らしい。僕はくいっと飲めない酒を煽った。
僕の手に握られたスマートフォンには新着メールの通知。
件名は「Re: りょーかい」。本文はまだ知らない。
★リマインダー(reminder)
物事を思い出す手がかりとなるもの。ここでは一応、女の昔のメールと男が今送ったメールが「Re:」マインダーとなっています。ダジャレばっかだな、おい。でも個人的に今までで一番上手くオチたかなと思ってます。ちなみにどこかの誰かとは、プルースト『失われた時を求めて』の主人公のことです。
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