雨の動物園(2)

「おーい、リンダ」


 依吹は亀の名前を呼んだ。


 亀はまったく動かなかった。


 依吹がそれでも呼び続けるとようやく重そうに首をもたげ、蛇のような顔だけを二人に向けた。


「知らない」


 亀は低いしわがれた声で言った。


「わたしは何にも知らないよ」


 そう言うと、のっそり首を引っ込め目を閉じた。


 一凛は少なからず衝撃を受けていた。


 チンパンジーやゴリラなど、霊長類以外の動物が単語ではなく主語述語が伴った文として話をするのを始めて見たからだ。


「凄いだろ」


「うん凄い。でも、何も知らないってどういうこと?」


「さあ、長生きだからみんながいろんな事を訊くんじゃないかな?」


 依吹は早く一凛にピグミーマーモセットの子どもを見せたいのか足を速める。


 猿山の横を通り過ぎようとすると、何匹かのサルが声をあげた。


「依吹」「依吹」と名前を呼びながら走り寄って来る。


「呼ばれてるよ依吹」


「うん」


 依吹は走り寄って来たサルたちに向かって手をひらひらと振ったが立ち止まることはなくそのままずんずん歩いて行く。


「行っちゃうの」「行かないで」


 サルは甘い声を出した。


 きっとあのサルたちはメスザルだ。


 サルが人間に恋することはよくあることで、恋する人間を想うあまり脱走するサルが毎年何匹もいた。


 メスザルが人間の男性を追いかけるのはさほど問題ではないが、その逆はしばし事件になることがあった。


 一度気の荒いオスのオランウータンが脱走したときは警察の機動隊が出動した。


 麻酔銃を打たれ捕獲されたオランウータンを一凛はニュースで見たが、こんなのに追いかけられたらと想像しただけで、怖くなった。


「ここだよ」


 依吹は白い壁の建物の前で傘を閉じた。


 青い鉄製の扉に『関係者以外立ち入り禁止』と書かれている。

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