その5
「あら、来たの?」
そこに居たのは、想像していたよりも遥かに脳天気な表情を浮かべた”園長先生”の姿だった。
「来たの? って。……あのね」
カントクが呆れたように言う。
「俺たち、先生がさらわれたって聞いて、慌ててここまで来たんです」
状況を説明すると、”園長先生”は感心したように言った。
「あら? そんな風になってる感じ?」
「……ん?」
「私、ここには乞われて来たのよ」
「なんですって?」
「その
「ええと。どういう?」
「三日前から、そこいら中に変なキノコが生えてきたんですって。その処理を頼まれたのよ。ずいぶん困っていたようだから、断り切れなくって……」
「つまり、……こういうことですか?」
カントクが、頭を抑えながら、話を整理する。
「人質の件は、狂言だった、と」
「そうなるかしら」
「人の親切を利用して?」
「ええ」
「盗人猛々しいとは、まさにこのことですね」
率直な感想。
「でもね、物資のほとんどは、”中央”から無償でもらったものよ。ここの人に分けてあげるのは当然のことだわ」
それはそうかもしれないが。
なんとなく、腑に落ちないものを感じる。
お陰でこっちは、せっかくの上映会が中止になりかけているのだ。
「そんな顔しないの。ときどきはた迷惑なこともするけど、いいところもあるのよ、ここの人たち」
「とてもそうは思えません」
「まあまあ。困ったときはお互い様だわ」
深い、……とてつもなく深いため息が漏れた。
「ええと。ちなみにその、変なキノコの一件はもう解決済みなんですか?」
「ええ。大した仕事じゃなかったわ」
改めて、煙が上がっているところを見る。
十数メートル四方の空間に、黒焦げの何かが山積みになっていた。
鼻につくガソリンの匂いから判別するに、火が点けられてから間もないらしい。
「……それで、そのキノコ、どう”変”だったの?」
カントクが尋ねると、”園長先生”が、がさりとビニール袋を持ち上げた。
「一応、サンプルは取っておいたわ」
そして、その中から一房のキノコを取り出す。
「……む」「……うわ」
ジョカンとカントクは、揃って同じ表情を浮かべた。
「うふふ。その顔が見たかったの」
それは一見、傘の部分が赤いしいたけのよう見えた。だが、ジョカンたちの知るキノコの一種ではない。全く別の何かだ。それだけははっきりとわかる。
なぜならそれには、にょきりと二本、生々しい足のようなものが生えていたためだ。
キノコは、今も両足をわきわきと動かして、”園長先生”の手のひらから逃れようと足掻いている。
「キモッ!」
カントクが顔をしかめた。
「あら、そう? 可愛くない?」
「可愛くないっ。こんなの、全部燃やした方がいいに決まってるわっ」
カントクは吐き捨てるように言う。こういうのは苦手らしい。
「そういう風に軽々しく言わないこと。生命には敬意を払いなさい」
ジョカンが、深刻な表情で口を挟んだ。
「危険はないんですか?」
「今のところはね。念のため、持ち帰って調べようと思って」
「――その後、三人はキノコ人間となって発見されるのだった……」
カントクが、ナレーション口調で言う。
”園長先生”だけが、からからと気楽に笑っていた。
「だいじょうぶ。私、ヘンテコな生き物を飼うのはこれが始めてじゃないのよ」
「そうかもしれないけど……」
「何か、嫌な予感がする?」
カントクがこくりと頷く。
「映画だったらこれ、厄介ごとが起こるフラグ以外の何者でもないわ」
「まったくだ」
ジョカンも賛同した。
頭の中では、『遊星からの物体X』に登場する、人間に擬態するグチョグチョのエイリアンの姿が浮かんでいる。
「大丈夫。もしそうなっても、優秀な生徒たちがきっと事件を解決してくれる。……私、そう信じているから」
”園長先生”は、指先で”歩くキノコ”をくすぐりながら、ひょいと得物の日本刀を拾い上げた。
「それじゃ、“寺子屋”の子たちも待たせているし、そろそろ帰りましょうか」
ひょっとして、この人。
――単なる気分屋なのでは。
ふと、そういう不遜な考えが浮かぶ。
もちろん、口には出さなかったが。
▼
結論から言うと。
カントクとジョカンの”嫌な予感”は、ほとんど誤りであった。
その後の調べで、”歩くキノコ”が完全に無害であり、しかも食用に適していることが判明したためである。
ただ、一点。
”学園”の生徒にとっても、”園長先生”にとっても、不測の事態が発生する。
原因は、――”歩くキノコ”の繁殖力にあった。
”歩くキノコ”は、ほんの僅かな湿気で仲間を増やしていく性質がある。
数時間放置しただけで倍に増え。
三日も放置すれば、一部屋まるごとキノコまみれになる。
”学園”の給食がしばらくキノコづくしになるのは、それから数カ月ほど先の出来事であった。
▼
「……済んだのか?」
帰り道、長身の男が追い付いてきて、声をかける。
「ええ。一箇所に集めて燃やしておいたわ。また何かあったら連絡して」
「そうか」
男は短く応えた。ねぎらいの言葉のようなものはないらしい。
「車は門の前に戻してある。子どもたちもそこだ」
「はいはい。それじゃあね」
”園長先生”はひらひらと手を降って、長身の男に背を向ける。
――これにて、一件落着。
時計を見ると、まだ一時前だった。なんとか上映会には間に合いそうだ。
内心そう思っていると、
「待て」
長身の男が、鋭い口調で呼び止める。
「まだ、何か?」
カントクが露骨に嫌そうな表情で振り向いた。
「男は残れ」
一拍遅れて、彼の言う“男”が、唯一自分を指していることに気づいて、ジョカンは唇をへの字にする。
「なんだと?」
「貴様には話がある」
男は真っ直ぐにこちらを睨みつけていた。
一瞬、カントクに視線を送る。その表情には当惑の色が浮かんでいた。
「俺に何か用か?」
「向こうで話す」
「急いでいるんだが」
「すぐに済む」
「日を改めて……」
「ダメだ」
どうやら、拒否権はないらしい。
いつの間にか、長身の男の後ろには、五、六人の男が続いていた。当然のように武装している。力技でこられると厄介な数だ。
少しの逡巡の後、ジョカンは絞りだすように応えた。
「……わかった」
そしてカントクに向けて、
「俺のことはいいから、先に帰っていてくれ」
耳打ちする。
これで、少なくとも上映会に影響することはなくなるはずだ。
そう思っていると、カントクが少し強めに言い返した。
「バカ言わないで。だいたい、帰りはどうすんのよ」
「歩いて帰れる距離だ」
「日が暮れちゃうじゃない。あたし、封切りは全員で迎えるつもりよ」
カントクの言い分はもっともだ。だが、ジョカンにしてみれば、自分のせいで上映会に影響が出ることの方が我慢ならない。
「それじゃあ、ギリギリまで待っててくれ。なるべく早く終わらせる。二十分経って戻らなかったら、先に戻っていてくれ。帰りの車は、……そうだな」
長身の男に向いて、
「もちろん、送ってもらえるんだろうな?」
男は、一瞬だけ迷う素振りを見せてから、答えた。
「まあ、いいだろう」
「だそうだ」
カントクはまだ納得していないようだったが、この場合やむを得まい。
「話はついたか。なら、ついてこい」
胸の中が苦いものでいっぱいになる。
――やっぱり、この手のカルトは皆殺しにしてしまったほうが世のため人のためなのではないだろうか?
再度、時計を見る。午後一時ちょうどだ。
セッティングに必要な時間を考えると、もはやほとんど猶予はなかった。
そして、”神の御子”を名乗るここの連中が、そうやすやすと自分を開放してくれるとも思えない。
――くそ。
途中参加とはいえ、この映画には大きな思い入れがある。内心で歯噛みしながら、ジョカンは早足で歩いた。
「……名は、一条完太郎で間違いないな?」
ジョカンは眉間に皺を寄せる。
「なんで知ってる」
すると男は、鼻で笑って、言った。
「知ってるも何も。そこにそう書いてるじゃないか」
「……? むっ」
指摘されて、始めて気がつく。
どうやら、今朝からずっと、「いちじょう かんたろう」と書かれた名札をつけたままでいたらしい。自分の間抜けさ加減に呆れつつ、それを引き剥がす。
「その名前には聞き覚えがある。最近、深海生物と接触した生徒だろう」
「何? どこでそれを」
「我々は、貴様らが思っている以上に、貴様らに詳しい。それだけだ」
男は、にやりと口角を上げて、
「俺は、プリスキンという」
聞いてもいない名を名乗った。
「なんだったら、スネークって呼んでやろうか?」
ささやかな反撃のつもりで、ジョカンは吐き捨てる。有名な映画の台詞だ。
「ふん。貴様、ジョン・カーペンターなんて観るのか」
「白人でもないのに、プリスキンなんて無理があるだろ」
『ニューヨーク1997』という映画がある。
プリスキンという名前は、そこから借りてきたのだろう。
「まあいい。別に偽名でも問題ないだろう? ここの教えでは、貴様らに本名を教えてはならんことになってるからな」
「そうかい」
確かに、別段不都合はなかった。
「それじゃあ、プリスキン。俺は具体的に何分くらい拘束される?」
「どうだろうな。お前次第だ」
思わず、ため息が出る。
――さっきは「すぐ済む」とか言ってたくせに。
嫌な予感がしていた。
――最悪、大暴れしてやる。
心の中でそう決めて、ジョカンはプリスキンの後ろに続く。
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