その4

 《ドン・キホーテ》が、太平洋上でぴたりと静止した。


「敵は?」


 付近に敵影なし。

 視界いっぱいに広がるUFOの群れを想像していただけに、少し拍子抜けしていた。


「下、です……」

「下?」


 オウム返しに訊ねると、間髪入れず詳細な“敵”の位置データが送られてきた。

 それによると、今いる場所から直下にある海溝、水深8000メートルの位置に、不審なエネルギー反応が見られるらしい。


「連中、あそこから“学園”のモニターをジャックしたってことか」

「そ、そう、みたい」

「てっきりエイリアンの類と思ってたが。まさか深海からの呼び声とはな」


 海に向かって目を凝らす。“ロボット”による解析が自動的に行われ、ぞっとする量の光点が視界に表示された。それら一つ一つが、“敵”らしい。


「えっと。その、……どうします?」

「別段、やることは変わらない。行こう」

「は、はい……。も、潜るんですね」


 同時に、ジョカンの手のひらの下で、絵里の手がびくんと強張った。


「あう、あう、……」

「どうした?」

「わ、わた、わたし……カナヅチだから。……海の中も、苦手なんですぅ~」

「ああ、そうなんだ……」


 高いところもダメ、水中もダメ。


 ――だったらなんで、“ロボット”の搭乗を志願したんだろう。


 不思議に思いつつ、ジョカンは《ドン・キホーテ》を猛烈な勢いで潜行させた。

 “ロボット”のライトが点灯しているせいか、深く潜っていても視界は明瞭。水底は昼間のように明るい。目の前を、何種類もの不可思議な生き物が通りすぎていった。

 両親が生きている頃、“水族館”と呼ばれる娯楽施設に行ったことがある。目の前に広がる光景は、その時のものに似ていた。ロマンチックと表現できないこともない。


「ふ、ふ、わあ……」


 怖いのか、驚いているのか。絵里は、どちらとも受け取れる妙な声を漏らした。

 一分もせずに《ドン・キホーテ》は深海の世界に辿り着く。


「あれか」


 ジョカンが言うと、絵里がぎゅっと手を握りしめた。

 視界に映っているものは、ドーム型の奇妙な建造物である。


「あ、えっと、うう……」

「どうした?」

「今、いろいろと《ドン・キホーテ》から情報が送られてきました。でも、ど、どど、どれから説明したらいいか、わからなくて……」

「落ち着いて、一つずつ順番に説明してもらえればいい」

「え、ええと。どうやら、目の前にあるのが、敵性生物の巣みたい……」

「正体は?」

「わかりません。未知の生命体、としか……。ただ、数は、い、いっぱい……数万匹の“何か”が、うじゃうじゃいるみたい」

「数万匹、か……」


 思わず嘆息が漏れた。


「あ、あと。内部から強力な電気エネルギーの反応があるって」

「へえ。電気か」


 ちなみに、《ドン・キホーテ》は反物質エネルギーで動いているらしい。

 電気エネルギーと反物質エネルギー。

 両者が生み出せる出力の差は、神と人に等しい。


「とりあえず、その“未知の生命体”と通信することはできないか?」

「できるみたいです。……はい、どうぞ」


 ジョカンの視界に、先ほどまでテレビ画面をジャックしていた“何か”の影が大写しになった。

 さて、どう声をかけるか。

 少しだけ悩んでから、口を開く。


「こんにちは、人類です」


 すると、ぐにゃりと影が揺らめいた。どうやら狼狽しているらしい。

 恐らく、こちらから連絡が来るなど、予想もしていなかったのだろう。


『ワレ……ワレワレハ”人類の天敵”デアル』


 返答は、例の一本調子の台詞で行われた。


「どうもよろしく」

『諸君ノ文化・文明ハ、塵一ツ残サズニ消滅サセル』

「その件だけど、話し合いで解決したりできないかな」

『抵抗ハ無意味ダ』


 ダメだ。会話にならない。

 思わず肩をすくめる。自然、同様の動作を《ドン・キホーテ》も行った。

 すると、視界いっぱいに二度、青色の光が満ちた。


「あっ」


 絵里が声を上げる。


「いま、《ドン・キホーテ》が攻撃を受けました。電圧は、――七億ボルト」

「それで?」

「《ドン・キホーテ》のシールド出力に、……えっと、0,0028%ほどのダメージ。損傷はすでに修復済」

「だろうな」


 ジョカンは嘆息する。

 これで、お互いの戦力差を理解してくれると助かるのだが。


「……ところで、君たちのリーダーと話したいんだが」


 もう一度、声をかける。

 しばらく返答はなかった。恐らく、誰かの指示を仰いでいるのだろう。

 数分後、通信があった。


『ワレワレハ、“人類の天敵”デアル』

「ああ。……それはわかってる。俺たちの目的は、あくまで話し合いだ。リーダーがいるなら、そいつを出してくれ」


 再度、数分の間。

 そして、


『シバシ待テ』


 という、一方的な通信が入る。

 それきり、うんともすんともいわなくなった。


 三十分ほど経過した頃。

 ホンが、パソコンに向かいながら、ぽつりと呟く。


「この手の交渉って、期限を設けないとグダグダになりがちデスよねー」

「……気付いてたなら、言ってくれよ」

「ふはははは。ダセえ」


 口の減らない奴だ。

 やむなく、もう一度連絡を取ろうとすると、


『オ待タセシタ』


 通信が入った。

 これまでと比べると、少し慇懃な口調だ。


「いや、問題ないよ」


 なるべく人当たり良く聞こえるよう、努めて明るく言う。

 だが、次なる言葉は、想定外に剣呑なものだった。


『我々ハコレヨリ、諸君ノ生命活動ヲ停止スベクシテ、攻撃ヲ開始スル』

「それはまた、穏やかじゃないな」

『ソノ際、我々ノ保有スル最強ノ戦力ヲ使用シタイ』

「止めた方が賢明だと思うけど」

『ソレガ諸君ラニ通用シナカッタ場合ニ限ッテ、――我々ハ、全面的ニ降伏スルコトヲ誓オウ』


 ジョカンは唸った。

 いかにも奇妙な申し出である。しかし、気持ちは理解できないこともなかった。


 ――何の抵抗もせずに降伏するのは受け入れられない。力を尽くしてからがいい。


 そういうことだろう。


「わかった。約束だぞ」


 言い終えるとほぼ同時に、絵里が叫んだ。


「ど、ドーム内のエネルギー反応が増大してますっ」

「了解」


 とりあえず、距離をとる。


「何が……?」


 目を見張っていると、半円状の物体に亀裂が走った。

 青い光、そして土埃が深海の世界を舞い、視界が遮られる。


「――うお!」「ひゃあ!」


 悲鳴が上がる。

 視界を覆うのは、何かの巨大な未知の生き物の牙、舌、そして、黒々とした闇が広がるばかりの口腔。

 その画はさながら、昔ながらのモンスター・パニック映画の様相を呈していた。


「シ、シールド損傷。2%。右腕の一部に傷ができたみたい」

「やるじゃないか」


 敵ながら感心する。物理的な攻撃で“ロボット”に傷がつくなどと、“中央”の学者連中が聞いたら卒倒しそうな話である。

 未知の生命体は、すでに猛烈な水流を巻き起こし、上方向へと昇っていった。

 その後ろ姿を見上げて、ようやく敵の全貌が明らかになる。

 そして、


「す……すげえ……」


 思わず、唸った。

 視界を共有している絵里も、


「きれい……」


 似たような感想だ。

 その生き物の正体はわからない。

 だが、名前には心当たりがあった。


 ――龍。


 二人は、呆然としてそれを見つめている。

 深海にいる、何かの生物が変異した姿だろうか。あるいは“怪獣”の一種かもしれない。だが、このような形の生き物は、ジョカンの知る限り一度も報告されていないはずだった。

 何にせよ、その姿はあまりにも。


「ファンタジーだ」


 全身を覆う鱗。立派に蓄えられた髭に、四本の足。鋭い牙に、二本の角。

 どう見ても、中国神話に登場する龍そのものであった。とてもではないが、自然に生まれたものとは思えない。

 蛇のように長い胴体は、《ドン・キホーテ》の体高の倍ほどだろうか。体格に反して、その泳ぎは素早い。


「有坂さん、解析してくれ。は、殺さずに無力化する」

「……え、ええと。あの生き物、エラはあるけど、あくまで補助的な役割で、基本的には空気呼吸で酸素を取り込むらしい、です」

「水上を目指しているのは、息をするためか」

「そ、そ、そ……そう。さっきまであったドーム状の施設も、“龍”に空気を送るためにあったみたい」

「なるほどな」

「……だから、気道を塞いでやれば……、意識を奪うことができる、……と、思う」

「よし」


 スラスター全開。ジョカンは“龍”の後を追う。

 追いつくまで、数秒もかからなかった。

 “龍”と並んだ一瞬、互いの眼が合う。

 そこには、はっきりと知性の光が宿っているように見えた。


 ――傷つけたくない。


 そういう気持ちで、胸の中が一杯になる。

 だが、負けてやる訳にもいかなかった。

 ジョカンはまず、《ドン・キホーテ》の両腕を、“龍”の首回りへ滑り込ませる。


「首を締めて、気道を塞ぐ!」


 ――だが。


 ごぼ、ごぼぼぼぼぼぼぼッ!

 気泡が生まれて、ぼろぼろになった龍の鱗が、次々と剥がれ落ちていった。

 ものすごい勢いで、龍の身体に傷が入っているのがわかる。


「……なんだ?」

! シールドっ!」


 叱りつけるように絵里が叫ぶ。目の前の美しいものを傷つけて欲しくない。――そういう気持ちの現れかもしれない。


「シールド?」

「反発しあって、“龍”を傷つけてる!」


 ジョカンの表情が固くなる。このまま首を締め続ければ、“龍”を殺してしまうことにもなりかねなかった。

 《ドン・キホーテ》に、再度距離を取らせる。

 その次の瞬間。ほとんど同タイミングで、“龍”と“ロボット”が水上へ躍り出た。

 水を弾く音。そして、強烈な光を放つ太陽。

 一瞬、ジョカンは上下感覚を見失う。

 三度、青い光が視界を埋めた。


「ま、また、“龍”が雷撃を放ったみたい。シールドの5%が損傷」


 一瞬だけ思考を巡らせた後、――決断する。


「有坂さん、少しの間、シールドを解除することってできないかな」

「で、で、で、……できます」

「それじゃあ、合図したら解除してくれ。その間に、今度こそ奴の意識を奪う」

「……でも、そうなると、こっちもちょっとだけ、危ない、です、けど……」

「連中だって必死なんだ。少しくらいリスクを背負おう」

「は、は、は……はいっ!」


 これまでで、一番元気の良い返答だった。

 ジョカンは、空高く舞い上がっている“龍”を見上げる。

 高さにして、数百メートルほど飛び上がっているその生き物は、空を飛んでいるように見えなくもない。

 龍の着水点に先回りし、《ドン・キホーテ》が両腕を広げた。


「よーし……」


 “龍”は、まっすぐこちらに落ちてきている。角に稲光が走り、鋭い牙が太陽に照らされた。陽のもとにいてなお、その姿は美しい。

 無論、見とれている暇はなかった。


「……今ッ!」


 叫ぶ。一瞬遅れて、ぴかっ、ぴかっ、と、視界が蒼く染まった。シールドは解除されている。つまり、今度の衝撃を防ぐものは、何もない。


「揺れるぞッ!」


 叫ぶと同時に、がくがくと操縦席が揺れた。自然、ジョカンは絵里の手を握ってやっている。

 その時、


「あ、あんぎゃあああああああああああああああああああああッ!」


 “怪獣”のような悲鳴を上げたのは、ジョカンでも、絵里でもなかった。

 カントクである。


「動画ファイル、間違って変なところにやっちゃったぁ!」


 残念ながら、彼女に構ってやる時間はない。

 《ドン・キホーテ》の無骨な腕が、“龍”の首に巻き付いた。

 そして、殺さない程度の力を込める。

 その間も、“龍”は怒濤の勢いで雷撃を放ち続けた。

 高熱のため、”ロボット”の装甲が泡立ち始める。

 みし、みし……、と、《ドン・キホーテ》の全身が悲鳴を上げた。


「そ、……損傷箇所は……ええと、た、たくさん!」


 手のひらに、ぎゅっと汗を握る。

 死ぬことは怖くない。しかし、任された仕事を失敗するわけにはいかない。

 今、わかりあえるかもしれない一つの種族の命運が、自分の手で決められようとしているのだ。


「頼む、止まってくれ……」


 一分。二分。三分。

 “龍”は止まらない。

 人間なら、とっくの昔に気絶していてもおかしくないが。


「まだ、なのか?」

「もう少し。呼気は弱くなってる!」


 “龍”はすでに白目を剥いており、口から泡を吐き始めている。力加減を間違えて首の骨を折ってしまわないか。それだけが不安だった。


「頼む、止まってくれッ!」


 その時。

 ジョカンは、生まれて初めて、神に祈った。

 祈りに応えるように、通信が入る。

 例ののっぺり顔が大写しになって、


『止メロ! 止メテクレ! 死ンデシマウ! ハ、……私ノ子ナンダ!』


 ――良しっ!


 心の中で叫び、大喜びで“龍”の身体を解放する。

 ほとんど意識を失っていた”龍“は、だらりと身体を弛緩させ、そのまま海中へと沈んでいった。


「……勝ちってことで、いいか?」

『ヤムヲ得マイ……』

「しばらくしたら、代表の者が、君らに会いに行く。丁重に接するようにな」

『リョ、了解シタ』


 そして、通信が切れる。

 ジョカンは、ヘッドマントディスプレイ型の装置を外して、大きくため息をついた。


「一件落着だな」

「は、はい……」


 半分上の空で、絵里は呟く。


「あの子たち、これからどうなると思います……?」

「わからない。そこから先は、俺たちの仕事じゃない」


 ジョカンはあっさり言った。


「ただ、――しばらく、“中央”の外交官と話をすることになるだろうな。あとは連中の仕事次第だ」

「そっか……」


 絵里は、握りっぱなしの手を、幸せそうに見た。


「私、これからしばらく、新聞を読むようにします」

「ああ。そうだな……」


 急に気恥ずかしくなってきて、ジョカンは少女の手を離す。


「あっ……」


 絵里は、少しだけ名残惜しそうに、ため息を吐いた。

 ジョカンはもう一度装置を頭に装着し、言う。


「それじゃ、帰ろうか。俺たちの”学園”に」



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