その5
「――なるほど」
ジョカンが話している間、“園長先生”は、始終微笑みを浮かべたままだった。
「その後は、ご存じの通りです。“学園”に戻って、……あ、夜は、“映画部”の部室で過ごしました。カントク、……識名さんが、データの一部を誤って消去したとかで、また徹夜する羽目になりまして。その手伝いを」
「あらまあ。それじゃあ、今日は寝てないの?」
「いえ。俺は少し寝ました。三時間くらいですけど」
「若いって良いわね。四十を前にすると、三時間寝ただけじゃとても足りないわ」
“園長先生”が、年齢相応に深いため息を漏らす。
「俺から言えるのは、それくらいです」
長話を終えて、ジョカンは小さく嘆息した。
「そういえば、一条くん。例の勲章の件だけれど」
「ああ……」
思わず、うめき声が出る。
“例の勲章”というのは、昨晩、連絡があった一件だ。
“中央”にあるどこぞの機関が、何とか言う勲章を授けたいらしい。ついでに、立派な授賞式を用意してくれるとも言っているようだ。
返事はその日のうちにした。そんなものは要らない、と。
「誰にでもできることです。大したことはしてません」
「技術が評価されたんじゃないわ。大切なのは、あなたが、彼らとしっかり向き合ったこと。生命を尊重したこと。そして、正しいことに力を使ったことよ」
ジョカンはまた、尻のあたりが猛烈に痒くなるのを感じる。
別に、勇者の称号がほしかったわけではない。
ジョカンはもう一度”勲章”の件を丁重に断ると、”園長先生”はやれやれといった感じで納得した。
「あ、それと”中央”の”外交官”の方からも連絡があったわ。交渉は順調に進んでいるって」
「それは良かったです。……そういえば、一つ聞いていいですか」
「なあに?」
「結局、連中の正体って、何だったんです?」
「電気うなぎですって」
一瞬、ジョカンが固まる。
「でんき、うなぎ……?」
「ええ」
ジョカンの頭に浮かんでいるのは、あの巨大な“龍”の姿。
確かに、あれには発電する力があったが。
「電気うなぎが何らかの変異を起こした結果、ああいう感じの生き物になったみたい。この二十年間、不思議な生き物はたくさん見かけて来たけれど、――彼らの生態は、飛び抜けて変わっているわ。自分たちで作りだした電流に、思念波を紛れ込ませることもできるそうよ」
「しねん、は?」
「彼らが”学園”のテレビを乗っ取れたのも、その力を使ったみたい」
超常の力を操る生命体には、一つ、心当たりがあった。
「つまり、……連中も”ミュータント”の一種ってことですか?」
「そこまではわかっていないわ。ただ、彼らの歴史は、少なくとも百年以上前から始まっている。核の一件とはあまり関係ないのかも」
「そう、ですか……」
「他にも、色々と新しいことがわかってきているわ。あなたが見かけた大きな個体は、今のところ一体だけで、それ以外は、ほんの小さなものばかりなんですって。これくらいよ」
言って、“園長先生”は人さし指と親指で、10センチほどの大きさを示した。
「でも、彼らの知能は、人間……いえ、ひょっとすると、それ以上のものかもしれない。海溝の奥深くには、立派な住処まで存在することがわかっているわ」
――電気うなぎの文明か。
いずれ目にしてみたいものだ。
「それと、彼らの要求だけど」
「はあ」
「ひょっとすると私たち、うな丼が食べられなくなるのかも」
「ああ……なるほど」
連中にしてみれば、人間は同族喰らいの天敵だったということだろう。
「参ったな。俺、うなぎ大好きなんですけど」
「こんなことになるなら、いっそ皆殺しにしてしまった方がよかった?」
「まさか」
頭を振る。
一応、自分の仕事には満足していた。
「まあ、その辺の続報は、新聞を読むしかないわね」
「ですね」
「あっ。そういえば」
”園長先生”が、ぽん、と、手を叩く。
「新聞で思い出したけど。“中央”の新聞記者さんが、あなたにインタビューしたいそうよ。一言二言でいいからって」
「すいません。それも……」
――勘弁して下さい。
すると、さしもの“園長先生”も苦笑いを浮かべた。
「もう。本当に意固地なのね。私、貴方のために、今朝から色んな人の申し出を断っているのよ」
「すいません」
さすがに少し、良心が痛み始めてきた。だが、今更態度を変えるわけにはいかない。
もし今後、自分の人生で誇りに思えるような何かを受け取る時が来るのなら、――カントクやホンと一緒がいい。
何故だか知らないが、そういう確固たる気持ちがあったのだ。
それに、勲章を断ったり、インタビューを受けない理由はそれだけではない。
もっと単純な理由があった。
いちいち“中央”まで行くのが面倒なのである。
”中央”にいる大人たちは、基本的に“外の世界”に出向くのを嫌う傾向にある。
故に、向こうが授賞式をやると言ってきた場合でも、こちらから出向いてやらなければならない。
そして“外の世界”から”中央”に入る場合、多くの検査を受ける必要があるのだ。
恐らく、一度”中央”に行ってしまったら、戻ってこられるようになるまで最低でも一週間はかかるだろう。
――一週間。
今のジョカンには、あまりにももったいない時間だ。
「それにしても困ったわ。あなただけじゃなく、有坂さんまで同じことを言うんだもの。ウチって、どうしてこんなに慎み深い子が多いのかしら?」
ジョカンは微笑みを浮かべて、
「無理もないですよ。みんな、いろいろ忙しいですから」
▼
園長室を出ると、ひょっこり絵里が現れた。
「お、おお、おつかれ、さま……」
言って、少女はジョカンの隣に並ぶ。
「ど、どど、どうだった?」
「別に、普通だったよ」
「…………」
「…………」
沈黙。
そういえば、妙な事件に巻き込まれる前、――二人はずいぶんデリケートな関係について話し合っていた、ような……。
気まずい。
「あの」「ええっ……と」
同時に口を開いた。
「ああ、どうぞ、先に」
「一条くんこそ……」
そして、同時に譲りあう。
――なんだこれ。
なんだか、かつてないほど間が抜けている気がして、ジョカンは苦笑する。絵里も笑っていた。愛想笑いかもしれない。
「じ、じゃあ、わた、わた、私から言います。……その、一条くん」
少女は、真っ直ぐにジョカンを見つめた。
「私と、つ、つつ、……付き合ってください」
ジョカンは、なんとなく周囲を見回す。
長い廊下であった。人影はない。
何事か言いかけると、絵里が遮った。
「ま、ままま、前の時も……私、ほ、本気だったんです、よ?」
少女は、懸命に言う。
「こ、ここ、子供のころからの癖で……私、誰かに”言わされ”ないと、ちゃんと、じ、自信をもって、しゃべること、で、で、できなくて……だから。”演劇部”の後輩に、告白のための台本を書いてもらって。そのとおり、は、は、は、話してたんです」
「そうだったのか……」
ジョカンの心のなかに、深い後悔の念が生まれた。
どうやら、勝手な早とちりで、彼女を傷つけていたらしい。
「でも……や、や、やっぱり。こういうのは、自分の言葉でないと……ごめんなさい」
「いや。悪かったのは俺だ。すまなかった」
ジョカンも頭を下げる。
「しかし、なんで俺なんかを……」
「い、い、一条くんは、……いつも、がんばりやさんで……」
有坂絵里は、そう言って、耳まで真っ赤に顔を染めた。
「と、とと、とっても……素敵な人です……。い、いい、一条くん自身が、それに気がついていないだけ……だと、思う……」
「そ、そうか……」
全身を掻きむしりたくなる衝動をこらえて、ジョカンは笑う。
「そんな風に人から評価されたのは初めてだ。ありがとう」
「で、その……」
絵里が、何かを求めるように、こちらを覗き見る。
ジョカンはと言うと、猛烈に混乱していた。
――この子が? 俺のことを?
そう考えるだけで、いつもより格段に可愛く思えてくるから不思議である。
自然、彼女のおっぱいと目が合った。
――やあ。どうもこんにちは。
ふと、ジョカンの脳裏に、彼女と幸せな家庭を築いている自分の姿が浮かんだ。子供は三人。上二人は女の子で、末っ子は男の子がいい。休日は、子どもたちとキャッチボールとかして過ごそう――。
だが。
気がついた時には、ジョカンは身体をくの字に曲げていた。
「ごめん」
そのまま、頭を上げられない。彼女が泣いている気がしたからだ。
「俺、前の学校じゃ、――友達、いなくってさ」
これは、”学園”に来て始めて口にする事実だ。
立花京平にも、”映画部”の仲間にも、他の誰にも話していない気持ちだ。
「何が悪かった訳じゃないと思う。早くに両親を亡くして、孤独でいるのに慣れすぎたせいかもしれない。俺、そういう自分を変えたくて。だから、”
余計なことを言っていると思う。
何もかも黙したまま、ただ、彼女の申し出を断ればいいだけだとも思う。
だがそれでは、絵里の想いに対して失礼な気がしていた。
「俺、――”映画部”にいて、有坂さんや、他のみんなと、映画を撮って。……生まれて初めて、幸せな気持ちになったんだ。でも、この幸せは、何か、ちょっとしたことで壊れてしまう気がする。例えば、……君と特別な関係になってしまったら……。きっと、これまでみたいに、うまくやれなくなる、気がする。きっと、これまでみたいに、”映画部”で過ごせなくなる、……気がする。だから」
精一杯の言葉だった。日本語もおかしくなっていた。
だが、全て本音であった。
顔を上げる。
「しばらくは、誰かと付き合ったり、そういう関係になったりする余裕、ないと思うんだ。だから、ごめん」
意外なことに、絵里は泣いていなかった。
ただ、
「……うん」
と、小さく頷くだけだ。
「でもそれって、……一条くんが、まだ“学園”に慣れていないからで。きっと、時間が解決してくれること、です、よね」
「ああ」
はっきり首肯する。
「じゃあ、――私、待つことに、します。得意だから、そういうの」
「そうか。ありがとう」
「でも、その間、他の人を好きになっちゃうかも」
「それはそれで、……仕方がないな。その時はきっと、一人で泣くよ」
「ばかです。一条くんは」
有坂絵里は、それだけ言って、背を向けた。
それから一度も振り返らず、彼女は女子居住区へと去っていく。
ジョカンは一人、呆然と立ち尽くしたまま、独り言ちた。
「これからエロいこと考えるたび、……すっげー後悔するんだろうな、……俺」
▼
その後。
「か。かかかか……か、完成、した、わ……。ぐふっ」
カントクがそう言ったのは、次の日の朝。
上映会、当日のことであった。
第四話 了
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