第四話『新種の知的生命体に対する外交と防衛案』
その1
・未発見の敵性生命体と接触した際の対処法。
その一。可能な限り情報を収集した上で、退却する。
※この際、生命体との戦闘は、極力避けること。
その二。拠点に戻ってから、大人の指示を仰ぐ。
以上
――見たことがない生き物を見かけた時は、なるべく先生に教えて下さいね。
“園長先生”より
▼
意を決して、ジョカンは園長室の扉を叩く。
それもこれも、園内放送で呼び出しがあったためだ。理由はわかっている。
昨日の出来事(いや、事件というべきか)。その顛末を報告するためである。
正直、気は進まなかった。
映画の締め切りが迫っている。
もはや自分にできる作業は少ないが、最善は尽くしたかった。
「失礼します」
早口気味にそう言って、扉を開く。
「ばあっ」
そう言って悪戯っぽく笑ったのは、猫の髪飾りをつけた女の子。
彼女には見覚えがあった。少し前に、カントクが《
「………………?」
どうやら、自分はよっぽど間の抜けた表情をしていたらしい。
少女は声を上げて笑って、
「ようこそ、一条完太郎くん」
そう言った。
そこでようやく、目の前にいる人物の正体に気がつく。
ずいぶんと間をおいた後、ジョカンはようやく応えた。
「……どうも、……その、……”園長先生”」
▼
”終末”以降、それこそ星の数ほどの英雄が生まれていた。
“みらい道具”を手に入れ、多くの人を救った”
“魔法”と称される不思議な力を使う少女。
百発百中の拳銃使い。スコップで戦う女子高生。恐るべき怪力の持ち主。
様々な伝説によって語り継がれる”英雄”たち。
“学園”の最高責任者、――“園長先生”もそんな”英雄”の一人である。
津波のように押し寄せる”ゾンビ”の群れを、たった一振りの日本刀で撃退した、だとか。悪党どもの慰み者にされていた数十人の男女を解放した、だとか。
そんな彼女の個人的な居住スペースでもある園長室には、年代物だが、品のある家具が揃っている。ネコ型の写真立てに飾られているのは、屍山血河の激戦地にいて朗らかな笑みを浮かべた“園長先生”本人の写真であった。
――どう見ても、同い年にしか見えん……。
”英雄”を前にして、ジョカンはどういう表情を作ればいいかわからなくなっていた。
何かの奇術を見せられている気分だ。”学園”案内に記載された情報によると、歳は三十代後半だという。だが、見た目はどう見ても十代のそれだ。
不老不死だとか、そういう噂が流れるのも無理はない。
「ほら、――お茶が入ったわ。お菓子もたくさんあるから、どんどんお食べ」
”園長先生”は、世話焼きの親戚みたいに、甘いものを勧めた。
クッキーに、アップルパイ。マカロンとチョコレートの詰め合わせ。隅の方に、なんかゴキブリを甘く煮たやつ。苦笑交じりに“園長先生”が応えたところによると、“料理研究会”の差し入れ……というか、押し付けられたものらしい。
菓子類は遠慮して、ジョカンは砂糖をたっぷり入れた紅茶を啜った。
疲労していた脳みそが、少しずつ働き始める。
「そういえばさっき、“中央”の学校から連絡があったみたいよ」
「なんです?」
「戻ってくるつもりはないか、ですって」
「…………ううむ」
ジョカンは、小さく唸った。
過去の生活を思い出して、暗澹たる気持ちが忍び寄ってきたのである。
「そのつもりはありません」
ここは、はっきりと断っておくべきところだ。
「あらまあ、もったいない」
言うほどには残念でもなさそうに、“園長先生”は言う。
「向こうじゃあ、勉強、頑張ってきたんでしょう?」
「他にやることがなかったんで。暇つぶしだっただけです」
ジョカンは、自分でも驚くほど率直に、内情を吐き出した。
何故、自分が“学園”に転校してきたのか。
孤独だったから。勉強とゲーム以外、することもなかったから。
あの家は、――亡くなった両親を思い出すから。
理由は、ただ一つに限られない。
それら全てを、単純な一言にまとめる。
「環境を変えたかったんです。……だから、ここにきた。あそこはもう、俺の帰る場所じゃない」
「そう」
”園長先生”は短く応えて、それ以上深くは訊ねなかった。ジョカンにはそれが、何よりもありがたい気遣いに思える。
「嬉しい知らせね。私の“学園”に、一人の英雄を迎えることができるんだから」
「よ、よしてくださいっ」
素っ頓狂な声が出る。まさか”園長先生”からそんな風に呼ばれるなどと、夢にも思わなかったのだ。
「俺は、あたりまえのことをしただけです」
「あら、そうかしら? でも立派だったわ」
「ううむ……」
友人の立花京平ではないが。
率直な賞賛ほど、対応に困る物はない。
「それじゃ、そろそろ、本題に入りましょう」
「ええ」
助け船にすがりつくように、ジョカンは応えた。
「4月30日、……まあ、昨日のことね。その日のことを、最初から順番に説明してもらえるかしら?」
「了解です」
一度、大きく深呼吸をする。
「あの日の俺は、いつも通り“映画部”の部室にいました――」
▼
「――どんなもんだ?」
”映画部”の部室に入って、第一声。
訊ねた言葉に、Tシャツ姿の少女二人が、濁った視線を向ける。
「99%ってとこね~」
実際、すでに編集の大半は終了していた。音も調整し終わっているし、外注していた特殊効果の出来も悪くない。
だが、カントクの言葉を借りるならば、この残った1%が肝心なのだという。
どれだけ良質な冗談でも、ほんの少しタイミングを間違えるだけで場を凍り付かせることがあるのと同様に。
コンマ一秒の判断ミスが、映画全体の評価を変えることもある。
カントクの目は充血していた。昨晩から一睡もしていないのだろう。
「少し休んだ方がいいんじゃないのか」
一応気遣ってみるが、カントクは無言のまま、首を横に振る。
カレンダーを見ると、上映日は明後日にまで迫っていた。
二人は、気を失うまで編集を続けるつもりらしい。
こうなってしまっては、ジョカンに手伝えることは少ない。
嘆息しつつ、部室の隅で乱雑に重ねられている本を手に取る。
映像編集ソフトの使い方が、図入りでわかりやすく書かれた一冊だ。
ここ一週間、ジョカンは映画部員として、ほとんど仕事のない日々を送っている。
これまで、映像制作という分野にさほどの興味を抱いてこなかっただけに、コンピューター関係の作業はちんぷんかんぷんだったためだ。
ぼんやりした昼過ぎ。
「……あの、すいません。失礼します」
そこに、ひょっこりと訪問者が顔を出す。
有坂絵里。たったいま制作中の映画の”ヒロイン役”を務めてくれている娘だ。
「どうかした? 有坂さんのシーンは撮り終わったはずだけど」
「今日は、映画の話じゃないんです……」
絵里は一瞬だけ視線を床に向けて、薄く微笑んだ。
「少し、お話したいことがあって」
「なに?」
「えっと、……ここじゃ、ちょっと」
絵里が、気遣わしげにカントクたちを見る。二人とも、たっぷり塩をふりかけたナメクジのように反応がない。
「ああ。……わかった」
他人に聞かれたくない話題なのだろう。そう納得して、コーヒー入りポッドの残量を確認し、空っぽのそれを手にとってから、部室を出た。
「どこにいく?」
「できれば……、人がいないところで」
「給湯室でいいかな?」
ジョカンが尋ねると、絵里は、少しだけ大仰な仕草で頷く。
「うん。いいと思う」
▼
「よう、ジョカン」
「おっす、調子どう?」
「おつかれです、ジョカンさん」
“春祭”が近づくに比例して、“クラブ区”はさらに活気づいていた。
ジョカンと絵里は、何度か同級生に足を止められながらも給湯室へ向かう。
正気と狂気の境界線上にいるような連中にも、今ではすっかり慣れたものだ。
この当たりに妙な生き物が多く見られるのは、”飼育委員”と呼ばれる連中が幅を利かせているためでもある。”飼育委員”は、”終末”後の生き物に関するデータを”中央”の人々とやりとりしていて、それが、ちょっとした額の取引となっているらしい。
物思いに耽っていると、ふと、絵里が足を止めた。
「ここで……、さいしょ、ジョカンくんに抱きつかれたんですよね……」
しみじみと言いながら、遠い目をする。
「その節はすまない」
軽く頭を下げる。ひょっとして、あの日のお礼参りとか、そういうつもりだろうか。
「いーんですいーんです。……でも私、あれが初めてだった……」
間違いない。
――殺されるか殴られるかする。
給湯室は、そこから歩いてすぐの場所にあった。
この辺は、あまり人の往来がない。その上、暇つぶし用の小型テレビが備え付けられているから、ジョカンはこの場所を結構気に入っていた。
お湯を暖めながら、とりあえず覚悟を固める。
「それで、話っていうのは?」
「あの……」
絵里は、一瞬だけ躊躇した後、大きく深呼吸して、
「一条くん。……あなたが、好きです」
そう、はっきりと言った。
「誰が?」
首を傾げる。
「えっ。その、私が、です、けど」
よく、その言葉の意味が呑み込めなかった。
「なんで?」
朴念仁な質問だろうか? と、自問する。
――いや。
この疑問はまっとうなものであるはずだ。
これまでジョカンは、彼女とまともなコミュニケーションをとったことがない。
自分が、黙っていても女の子が寄ってくるような器量好しでないことも知っている。
後ろ向きな考え方かも知れないが。
――甘い話には、必ず裏がある。
少なくともジョカンは、そう信じていた。
「なんで、と、言われましても……。好きなものは、好きなので」
それに、さっきから、絵里の様子がおかしいように思える。
――そもそも彼女は、ここまでハキハキとものをしゃべる女の子であったか?
「えっと……その。えっと。……嫌、ですか?」
絵里の表情が、哀しげに曇る。
「まさか、嬉しいよ。……それが君の、本当の気持ちだったら、だけど」
言って、給湯室の中から、さっと外の様子を伺った。
ほんの一瞬。
物陰に隠れた、数人の人影を確認する。
さすがに少し、やるせない気持ちになった。
「えーっと、その。ひょっとして、
「……え?」
「今の君、まるでカメラの前にいるみたいだけど」
「あ……え……と。そ、そそそ、それは、ど、どういう……」
口調が急におぼつかなくなる。素が出たらしい。
「これが何かの罰ゲームなら、はっきりと断るべきだよ」
「そ、そ、そそそ、それは……」
少女の言葉を遮るように、ポットの中の湯が沸騰した。
火を止めて、深く嘆息する。
――これが何かの悪ふざけであるならば。
彼女の、どこか台本を読み上げているかのような口調にも納得がいく。
「そんな……わ、わ、わ、私は……」
絵里は、石を投げられた仔犬のようにうろたえた。
泣かれたら厄介だな、と、思い始めた頃。
ふいに”給湯室”に備え付けられた小型テレビの電源が入った。
「……?」
少しだけ不信に思う。
この小型テレビにはリモコンがない。直接スイッチを手で切り替えない限り、電源が入らないはずなのだ。
故障だろうか? そう思っていると、
ざ、ざざざざざ……ざざっ。
灰色のノイズが走って、何かの影を映し出した。
『……ア、ア、ア、ア…………イイイイイイイ…………オオ、オオオオ、オ』
雑音に紛れて、何者かの声が聞こえてくる。
声は、日本語を話しているように思えた。
『オオ……オオオオオオ……ワワワワワ、ワレ、ワレ、ワレ、ハ、ハハハハハ』
音声と画像が、徐々に安定し始める。
テレビに映っているのは、半円型のシルエットだ。
どことなく、人影に見えないこともない。首から上を映しているようだが、首にあたる部分にくびれがなかった。これが頭部だというなら、ずいぶんのっぺりした顔だ。
画面が安定してから、一拍置いた後。
”それ”は、話し始める。
『ワレワレハ”人類の天敵”デアル』
それは、人類史上、類を見ないほどに明白で、――陳腐な敵対宣言であった。
『諸君ノ文化・文明ハ、塵一ツ残サズ、消滅サセル。一切ノ抵抗ハ無意味ダ。タダチニ投降セヨ』
二人とも、それまで話していたことを一時忘れて、放心したように口を開く。
やがて、ジョカンが言った。
「”人類の天敵”で、――しゃべるやつって、これまでいたっけ?」
絵里は、困惑した表情のまま、首を横に振る。
「私は、……き、き、聞いたこと、ありません。けど……」
テレビの中の影は、もう一度言った。
『ワレワレハ”人類の天敵”デアル。諸君ノ文化・文明ハ、全テ消滅サセル。抵抗ハ無意味ダ。タダチニ投降セヨ……』
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