その4
それは、控えめに言っても退廃的な光景であった。
ジョカンの友人であった者たちの肉体は、もはや見る影もない。
埃にまみれた、灰色の何かだ。
――さっさと“供養”してやらんとな。
そう思いつつ、素早く視線を走らせる。
“ミュータント”共の“真似っ子遊び”は、すでに幕が下りていた。
見世物が終わったからか、連中はどこか退屈そうだ。
ジョカンは“
「……ふう……」
気を落ち着けて、深呼吸。
この中身を飲むのには、少しだけ勇気がいるのだ。
その液体は単純に、――《透明薬》と呼ばれている。
その名の通り、周囲から見えなくなる“みらい道具”だ。
もっとも、厳密に“見えなくなる”のではない。
“周囲から認識されなくなる”のだ。
そこには、天と地ほどの差が存在している。
“他人ごと効果”と呼ばれているその現象は、その薬を飲んだ人間が何をしようと、また、どのような行動を起こそうと、それらの行為を観測した者は、全て“自分とは無関係”に思えてしまうという。
殺人、窃盗、強姦。
事実上、薬さえ飲んでいればどのような犯罪行為も無視されてしまう。言ってしまえば悪魔の薬だ。
それ故、この薬の存在は一時期、禁忌とされていた。
だが、妙なところで“永遠人”も抜かりない。
この “みらい道具”は強力だが、その強力さに応じたデメリットも存在するのだ。
一人の人間が“透明薬”を服用できる量には、限界が定められている。
一度に20ミリリットル。およそ、スプーン一杯分。それ以上に薬を摂取した者は、
どうなるかを単純に説明すると、――死ぬ。
自身の死を誰にも顧みられることなく、消滅する。
また、用量を守っていても、継続的な《透明薬》の服用は危険とされている。薬を飲むたびに、じわじわと”他者への影響力”とでも呼ぶべきものが失われていくためだ。
この時代の少年少女は、何よりもそれを恐れていた。
彼らは、死を恐れない。
霊魂を恐れない。
怪物を恐れない。
悪魔を恐れない。
ただ、自分が“透明”になってしまうことだけを、――何よりも恐れている。
“永遠人”と呼ばれる存在が、どのような経緯で人類に干渉してきたかは不明だ。
未来から訪れた人類の末裔でないかという説が一般的だが、決定的な証拠はなにもない。
様々な憶測が飛び交う中、ただ、一点だけ確かなことがある。
彼らに害意はない。
彼らなりの奇妙な手段ではあるものの、”永遠人”は人類の救済を目的としている。
”みらい道具”が子供にしか扱えないという点も、あるいは何か、深い考えがあってのことかもしれない。
そう思われるようになったのは、ごく最近のことだが。
「今から、……薬を飲むぞ」
『オーケイ、デス』
無線機でつながっているホンの声色は、いつもより少しだけ元気がない。
「怖いか?」
気持ちはわかるつもりだ。
自分の肉体には、尋常ではない愛着が湧くものである。
子供の頃から使っていたタオルケットのように。
ずっと連れ添ってきた愛犬のように。
『イエ、別に? ワタシ、久しぶりに大喜びで殺しができそうな気分なんデスから』
強がりか、本音か。応えるホンの真意はわからない。
「……目標を再確認しておこう」
『一つ、“映画部”備品の回収。二つ、敵性“ミュータント”の殲滅。数は、見える範囲で十二匹』
「……ウム。合い言葉を」
『オーソドックスに、「あなたはそこにいますか?」系で』
「……んで、俺が、『ここにいる』と応える。そしてお互いの状況確認、と。よし」
《透明薬》を飲む上で、声かけによる安否の確認は大切だ。これを怠ると、妙なところで足を引っ張り合う羽目にもなりかねない。
そこで、無線機を使う必要が出てくる。《薬》が効いている時、お互いの肉声を聞き取ることはできないが、無線で拾った音声なら認識することが可能なのだ。
確認を終えて、ジョカンは銀の小匙を手に取り、慎重に薬液をすくった。
そして、《薬》を口の中に入れる。いちご味だ。
飲み込んで、もう一度深呼吸。
そして、覚悟を決めた。
これから一方的な虐殺を始めるための、である。
▼
“ミュータント”は、賢い生き物だ。
いずれ、彼らと和解しあえる日が訪れるかもしれない。
だが、――和解の日は、今、この時でないことは間違いなかった。
『ワタシはここにイマス。あなたはドチラに?』
「俺もここにいる。今のところ問題なし。……いくぞ」
息を呑む。
得物は、“学園”から持ってきた日本刀だ。
飛び道具を使う訳にはいかなかった。“透明薬”の効果は、自分と、自分と接触しているものに限られるのだ。
飛び道具を使うと、自分の身体から離れた瞬間、“ミュータント”に認識されてしまう恐れがある。
立ち上がり、瓦礫の影から飛び出して。
ジョカンは走り出した。まず、もっとも手近な“ミュータント”へ。
「おおおおおおおおおッ!」
吶喊。自身を鼓舞するその声は、今、誰の耳にも届いていない。
そして、ずぶりと“ミュータント”の背に刀を突き刺した。
なんとも嫌な感触が手のひらへと伝わる。それきり、“ミュータント”の身体が人形のように動かなくなった。
「まず一匹! ホン、まだそこにいるか!」
『モチロンイマスヨー』
“ミュータント”の骸を、瓦礫の影へ放り捨てる。
ジョカンが触れている間は、その存在を誰にも知覚されることはない。だが、一度でもその身体から離してしまうと、話は別だ。連中がこちらの存在に気付くことはないとはいえ、“ミュータント”を警戒させてしまうのは非常にまずい。
《透明薬》の効果は、およそ十数分。
その間に全ての片を付けなければならなかった。
「次ッ!」
幸い、まだ“ミュータント”には気付かれていないらしい。
ぼんやり座っているか、ふらふらと辺りを歩き回っているだけだ。
ジョカンは、彼らの目の前を大胆に横切って、死角になりそうな場所へ移動する。
孤立している“ミュータント”は三匹。
ジョカンは、大きく息を吐いて、――そのうち一匹の首をはねた。
続けざまに、もう一匹。
さらに、もう一匹。
断末魔の声もない。恐らく連中は、自分が死んだことにすら気付いていないだろう。
そして、次なる獲物に意識を向けた瞬間。
「―――――――――――ひゅー、ひゅー、ひゅー、ひゅー……っ」
気付かないうちに、別の“ミュータント”が、すぐ目の前まで接近していた。
どうやら、何らかの異常を察知した者がいたらしい。
その“ミュータント”は、ジョカンが仕留めた死骸の元へと、よろよろとした足取りで進んでいった。
まずい。異変を察知されると、最悪、無差別に攻撃してくる可能性がある。
命は惜しくないが、カメラが巻き添えされることだけは避けなければならなかった。
すぐさま、コイツを始末すべきか?
――いや、まだだ。
この場所では、他の“ミュータント”に見つかる恐れがある。
迷っていると、ふいにホンから無線が入った。
『ワタシはここにイマス。あなたは?』
「俺は……」
言いながら、息を呑む。
“ミュータント”が異常を察知するのは、ほんの数秒後だろうか。
「俺は、ここにいる」
『ソウデスか。良かった。じゃあ、これで最後の一匹デス』
――なんだって?
次の瞬間。
ジョカンの目の前で、“ミュータント”の頭部が爆裂した。
脳漿が飛び散り、ジョカンの上着を濡らす。
「……なっ」
《透明薬》を飲んでいるため、ジョカンとホンはお互いの姿をはっきりと認識することができない。だが、これが彼女の仕業であることはわかった。
ジョカンの舌の上を、苦いものが転がる。
実際それは、あまりにも危険な賭けに思えたからだ。
こんな風に“ミュータント”を殺してしまっては、他の連中を警戒させてしまうのではないか。
……そう思って、周囲を振り返ると。
そこあったのは、同じように頭部を破壊された“ミュータント”たちであった。
数を数える。八匹。
ジョカンが仕留めたのは四匹だから、これで全ての“ミュータント”を駆逐したことになる。
恐るべき手際であった。とても同い年の女の子の所業とは思えない。
それから、数分ほど経過して。
「お疲れ様デス」
ホンの姿が、うっすらと認識できるようになっていく。彼女の上着もまた、ジョカンと同じく血まみれだ。
「すごいな」
ジョカンは、素直に賞賛する。
「……どうやったんだ?」
訊ねると、ホンは首を傾げた。
「いえ、別に。テキトーにやっただけデスけど」
その手には、工業用の大ハンマーが一本、握られているだけだ。
よほどの早業で敵を仕留めていったのだろう。“ミュータント”は、反撃する機会も与えられず、次々とやられてしまったようだ。
「いやー」
ホンは、にっこりと微笑んで、
「生き物の頭を潰すのは久しぶりダカラ、ちょっとスッキリしマシタ」
うん、うんとうなずく。
ジョカンは苦笑した。
――この娘に逆らうの、なるべくよそう。
そんな風に思いながら。
それから、少し後。
二人は、置き去りにしていた全機材の回収に成功する。
多少傷がついていたものもあったが、幸い、カメラに不調はない。
映画の世界のような、劇的なアクシデントに見舞われることもなく。
作戦は、滞りなく成功したのだった。
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