その3
時刻は早朝。場所は保健室。
保健室といっても、薬品の類は多くない。“学園”生徒であれば、《
この部屋はもっぱら、生徒たちの休憩室として使われていた。
そこに、深刻な表情を浮かべた“学園”生徒が四人。
ジョカン、ホン、立花京平、そして、生徒会長。
「よくあることなんデスかね? コーイウコト」
金髪碧眼の少女が呟く。その言葉には疲れが滲んでいた。
《
「俺様は聞いたことがねーなぁ。……フツー、遅くても二時間で起きるモンだろ?」
と、京平。
「”永遠人”サマの技術なんて、“中央”の学者連中でも頭を抱えるようなシロモノなんや。どだい、ウチらの理解が及ぶようなモンやない」
「デスよねえ」
「案外、ただ疲れて熟睡してるだけかも知れんし」
「ありえマス」
「なんなら、もっぺん殺してまた《
「それは、――最後の手段にしておきましょう」
生徒会長の極論に、ホンが顔をしかめる。
《
その時、こんこん、と、保健室の引き戸がノックされる。
「調子はいかがかしら?」
ひょっこり現れたのは、まだジョカンが見たことのない顔だ。
同い年か、一つ二つ年下くらいの娘である。”年中組”の生徒かもしれない。可愛らしい猫の髪飾りが特徴的だ。
「君は?」
すると、ジョカンを除いた三人が、揃って妙な表情になった。
「うふふ。誰だと思います?」
「さあ……。カントクの妹さん、とか?」
「識名さんに妹さんはいないわ」
そういえば、本人がそんなことを言っていた気がする。
「じゃ、友達とか」
「友達。――そうね。識名さんがどう思っているかは知らないけれど、私は識名さんのことを友達だと思ってるわ」
疑問符を浮かべるジョカンを無視して、生徒会長が前に進み出る。
「まだ寝とります。大方寝不足かなんかやと思いますけど……」
「そう。《|魂修復機(ソウル・レプリケーター)》を使うと、ずいぶん体力を使うというし。……また何かあったら報告してちょうだい」
「了解です。早くにお騒がせしました」
生徒会長が慇懃に挨拶して、少女を見送る。
猫の髪飾りの少女が去った後、
「あの娘は?」
訊ねてみると、ホンは病気のチンパンジーでも見守っているかような眼でジョカンを見た。
「……なんだよ」
「まあ、空気の読めないウ●コ漏らし野郎は置いておいて、デスね」
「ウン●を漏らしたことなどない」
念のため弁明するが、少女については謎のまま、話が本筋へと戻る。
「……ええっと。とりあえず、カントクはこのまま寝てもらうとして、だ。ジョカンとホンはどうする?」
京平が尋ねると、
「もちろん、誰かさんが忘れてきたカメラを取りにいきます」
そこで、生徒会長が口を挟んだ。
「アホ言いなや。だいたい、今日の授業はどうするん」
言葉に詰まる。
まさか、堂々とサボタージュ宣言をする訳にもいかない。
だが、
「ンなもん、バックレるに決まってるじゃないデスか」
顔に微笑みを貼り付けたまま、ホンがそう言い放った。
「ほーう。さよかぁ……」
あからさまに気分を害した様子で、生徒会長の視線が冷たくなる。
――この娘は何故、言葉をオブラートに包むということを知らないのだろう。
「生徒会長。今日だけは。お願いします」
ほとんどホンの代わりのつもりで、頭を下げる。
「ハイワカリマシタ、なーんて、物分かりよく言うと思っとるんか? ……せめて座学は出ぇ。午後の体育は勘弁したる」
これでも、譲歩してくれているつもりだろう。
しかし、――”学園”から“死都”まで、車で飛ばしておおよそ八時間ほど。
うまくカメラを回収できたとしても、大きなロスとなることは間違いない。
“春祭”まであと二週間。撮影はほとんど終わっているが、やるべき編集作業がかなり残っている。映像効果の大半は外注だが、それでもギリギリのスケジュールだ。
しかし、それはこちらの言い分であって、生徒会長に通じる理屈ではなかった。
次なる言葉を言い出せないでいると、
「あーっと! 生徒会長!」
突如、立花京平が素っ頓狂な声を上げる。
「……どないした?」
「俺様ってば、会長にいい忘れてたことがあったんだ!」
「なに?」
「えーっと。それは、だな……」
少し、口ごもる。とりあえず声を上げてみたはいいが、何を話すかまでは考えていない……そんな感じだ。
「が、”学園”生徒の一部で、違法賭博が横行している……という、告発がある」
「ほーう? 聞き捨てならんな、それは」
生徒会長の片眉が上がる。
「極めて反道徳的な物品、……の、取引だ。動かぬ証拠もある。今すぐ見せたい」
「……なんやそれ。後にできんのか」
「善は急げだ! さあ、行こうぜ!」
京平は生徒会長の手をしっかと握り、ほとんど引きずるようにして、引っ張る。
「あ、ちょ、あ、え……」
一瞬、生徒会長は普通の女の子のように戸惑った表情を見せて、
「おい、”映画部”! ……話は終わっとらんからな、ちょっとだけ待っとけ!」
そう言い残して、保健室を去って行った。
ぽかんとしていると、ジョカンの携帯にメールが届く。
『こっちはてきとうにごまかす
いまのうちにいけ
ひとつ かしだぞ』
妙な男だ。
だが、悪いやつではない。
「行こう」
すると、ホンは無表情でうなずいた。
▼
二人が、旧都市部に辿り着くころ。
日はすでに傾きかけていて、世界は夕焼けに染まっていた。
日没まで、あと一時間といったところだろうか。
七メートルほどもある巨大な銀の翼をもつ鷲の群れが、注意深く“ミュータント”の上空を避けながら、それぞれの獲物を巣に持ち帰っているのが見える。
手頃な廃ビルを見つけたジョカンは、昨日まで撮影現場であったはずの場所を、双眼鏡で覗きこんだ。
「まずいな」
端的に状況を伝える。隣には、ほとんど密着する形でホンが付いていた。
「具体的には?」
「こんなにたくさんの“ミュータント”は見たことがない。十匹以上はいる」
「びびっておられる?」
いったん双眼鏡から目を離し、隣に座る少女に視線を移す。
「俺は、――たとえ、君に止められても、行くつもりでいるぞ」
「……そう」
ホンは、少しだけ口元に笑みが浮かべた。
「失礼しマシタ。あなたは誇り高いお方デス」
「よしてくれ」
眉根を寄せる。
「原因は俺にある。責任を取るのは当然だ」
「うふふ」
少女の意味深な笑み。ジョカンは、彼女のそういうところが苦手だ。
「上映会まで、もう日がないしな」
誤魔化すように言って、もう一度双眼鏡を覗く。
“ミュータント”が群れるなど、あまり聞いたことのない現象であった。
連中の敵愾心の対象は、人類だけに留まらない。”ゾンビ”や“怪獣”はもちろん、時として“ミュータント”同士でも縄張り争いを行うことで知られている。
まるでその性質は、原始時代の人類そのものだ。原始人と違うのは、彼らのもたらす暴力の渦が、“みらい道具”の性能を上回るケースが存在することだろうか。
ただ、連中にも弱点がない訳ではない。
“ミュータント”の知覚範囲は広いようで狭く、おおよそ半径四、五十メートルほどであると言われている。その上、平常時の注意力はわりと散漫で、身を隠しながら進めば、もっと肉薄することも可能らしい。
ジョカンの作戦は単純だった。遠距離からホンに索敵してもらい、こちらは徒歩で接近。障害となりうる“ミュータント”を排除して、撤退する。それだけだ。
「……しかし、なんなんだ、これは」
「と、いうと?」
ジョカンの表情が険しくなる。
双眼鏡で覗いた先の光景に、少し困惑していた。
「カメラを見つけたんだが」
「そりゃ僥倖」
「“ミュータント”が使ってやがる」
「は?」
十二匹の“ミュータント”に取り囲まれている”映画部”の機材。
その中の一つ、――撮影用に使っているカメラが、空中で静止しているのだ。恐らく、“ミュータント”が何らかの力を使って浮き上がらせているのだろう。
「しかし、なんで……」
ジョカンは、あちこちに視線を走らせる。――そして、
「ウウム。これは……」
思わず、唸り声を上げた。
「どうしマシタ?」
ホンが、少し心配そうにする。
「”ごっこ遊び”ってことか」
言うと、少女の顔が間近に寄った。
「周りくどいことを言わないで、具体的に言って下サイ。さもないとつねります」
「どうやら連中、しばらく撮影を見学していたみたいだな」
慌てて言葉を継ぐ。つねられるのだけは勘弁して欲しかったのだ。
「というと?」
「俺達の真似をして遊んでいるらしい」
それは、見ようによっては滑稽な光景と言えないこともなかった。
“ミュータント”たちは、中空に浮くカメラに向かって、何というか、……極めて原始的な“演技”のような行為をしているように見える。
その動きは、立花京平の猿真似、とでも言うべきか。
無様に驚いたような仕草を見せた後、その場にずっこける。それを、何度となく繰り返す。
それを観た”ミュータント”たちは、その場でぴょんぴょんと跳ねた。
どうやら、喜んでいるらしい。
「ちょっとした見世物をやってる」
「はあはあ、なるほど」
ホンは、感慨深げに言った。
「ひょっとすると、彼らに文化が芽生えた瞬間なのカモ。……どうシマス? 連中の心に、知性と理性が生まれることを期待して、――今日は、もう帰りマショウか?」
苦笑する。
もちろん、応えは決まっていた。
「いや。さっさと殺してしまおう。映画のためだ」
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