第三話『ミュータントが行う破壊行為と、それに伴う障害』
その1
・“ミュータント”の正しい対処法
その一。可能な限り“ミュータント”との交戦は避ける。
その二。どうしても交戦が不可避の場合は、下手に刺激するような真似はせず、速やかに手持ちの装備による自殺を敢行すること。
以上
“ミュータント”とは、西暦2025年における核ミサイル誤射・誤爆事件以来、世界各国の都市部を中心にその存在が確認されている、ヒトの突然変異種である。
遺伝学的にはヒトに近い生命体であると言われてはいるものの、その危険性・凶暴性は、人類のそれを遙かに上回っており、彼らに理性が備わっているかどうかも、はっきりとはわかっていない。“ミュータント”には、例外なく超常現象を引き起こす能力が確認されており、その知覚範囲において、百秒以上の生命活動を続けることは、基本的に不可能だとされている。
――こわーい“ミュータント”さんとも、ニコニコ手をつないで一緒に暮らせる社会を築きましょうね!
“園長先生”より
▼
――東京。
”死都”と呼ばれる街。
地球上で始めて”ゾンビ”が確認された都市にして、十年前、計三十二発の核ミサイルによる“誤爆”を受けた、かつての首都。
現代においては、湾岸部を中心にその大半が消失し、海中へと没している。
その地中深くには、かろうじて起爆をキャンセルされた核弾頭が、現代に於いても残されたままだという。
もはやこの街は、人の住む場所ではない。
かつてあった人類の繁栄に思いを馳せながら、ジョカンは深呼吸をする。
不思議と、悪くない気分だった。
いつか“人類の天敵”とされる生命体が残らずいなくなったら、――こういう、廃墟となった世界をのんびり探索してみたいものだ。
そんな風に考えていると。
「ジョカンっ。ぼんやりしないで!」
少女の叱責が飛んできた。
静かにため息を漏らしつつ、カメラに意識を集中する。
「了解」
カントクはいま、瓦礫でできた高台に昇って、風向きを確認しているところだ。
「……風の音、どう?」
「入ってマセン」
「”ゾンビ”さんは?」
「とっくに片付けた」
「役者は?」
「いつでもいけるぜ」
「おっけー、グッドね」
高台から、ぴょんと身軽に飛び降り、
「じゃ、立花くんが瓦礫から”猫”を探すシーン。――よーい、スタート!」
カントクが叫んだ。
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『……弱ったなぁ……』
ぼやきつつ、瓦礫を探る男がいる。
服装を見るに、どうやら“財団”の構成員らしい。
その顔には見覚えがあった。これまで、何度か脇役的に登場していた若者である。
胸の社員証を見ると「タチバナ」という名が、かろうじて読み取れた。
『……うう……。このままじゃ、まぁた上に怒られちゃうよ……』
言いながら、タチバナは携帯端末を取り出す。
『んん? この反応は……』
周囲に、ピー! ピー! と、明らかに警告音とわかる音が鳴り響いた。
ふと、視線が自身の足下へと移る。
――と。
『おわあ! な、な、なななな、なんだこれぇ?』
そこでタチバナは、“何か”に気づいたらしい。瓦礫の上で、派手にすっ転んだ。
“何か”の正体は、逆光のため、カメラに映らない。
タチバナのアップ。カメラは彼の背面に回り込み、彼が今し方発見した、“何か”へとフォーカスしていく。
その正体は、――
『き、君はまさかッ!』
はっきりとわからないまま、カメラがパン。
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「――はい、カットぉ! よーし、ナイスね!」
ジョカンは少し驚いていた。
他でもない。これまで寝食を共にしてきた友人の、隠れた才覚に、である。
「はっはっはーっ。今の演技、どうよ?」
立花京平が、何ごともなかったように立ち上がった。一瞬前まで、絵に描いたような間抜け面を晒していたとは思えない。
「やるじゃないか。見直したよ」
素直に褒めると、友人は苦々しい表情を作った。
「なんだぁ、おまえっ。フツーか!」
おどけ癖のある友人は、率直な賞賛には不慣れらしい。
実を言うと、京平の容姿には密かに注目していた。
この男、浅黒い肌に太い眉をしていて、少し濃いめの男前、といった顔立ちをしている。使うなら、ちょっとした二枚目役だろうと思っていた。
意表を突かれたのは、その役どころである。
京平は主に、“三枚目”あるいは“道化役”とでも称されるべき役ばかりを担当しているという。
――真面目な役は尻が痒くなる。人から笑われていた方が心地いい。
とは、本人の弁。
その方が、より自然体で演技ができるらしい。
「……じゃ、ここでやる撮影は終了か?」
「そうだな。次は、少し車で移動する。”学園”の方角だ」
「りょーかい。じゃ、一休みだな」
「ああ」
ジョカンは、絵コンテをめくりながら、密かに手応えを感じていた。
――この映画、そこそこ面白くなるんじゃないだろうか。
そんな風に。
手前味噌な評価かもしれない。だが、それでもいい。
“自主制作映画”というジャンルは、世間の評価的にかなり低い位置にあるとされている。
理由は単純だ。映画というものは、一般的に”観れる”レベルに達するための敷居が非常に高いためである。
第一に、役者・演技力の問題。
第二に、カメラ・演出の問題。
第三に、マイク・音響の問題。
第四に、編集・テンポの問題。
第五に、シナリオ・台詞の問題。
これら全てがある一定の基準に達していなければ、その”映画”は死ぬ。
観れる映画というのは、それだけ困難な条件をクリアして作られているのだ。
カントクは、決して完璧な人間ではない。
人並みに物忘れもするし、誰からも好かれる性格かと言われると、そんなことはない。
ただ一点、――彼女には、燃え上がるような情熱があった。
他人に「やるぞ」という気持ちを起こさせるような、そういうエネルギーがあった。
自主制作映画には、一切の報酬がない。ただ、自身が関わった作品を愉しめるという、自己満足的な喜びがあるだけだ。そういうモノづくりに他者を巻き込むには、彼女のような才覚が必要なのかもしれない。
――いつからだろう。
この映画を完成させたい。
そしてそれを、この目で観てみたい。
そういう気持ちがはっきりと心の中に芽生え始めたのは。
自分のカメラワークには、……実を言うと、あまり自信がないが。
それを補ってあまりあるほどに、役者は良い演技をしてくれていた。
「はい、それじゃー、きゅうけいっ! おひるやすみー!」
カントクが号令をかける。
昼食の弁当が配られて、ジョカンは“学園”所有の車のそばの、座り心地のよさそうな瓦礫に腰を下ろした。
弁当は、ホンが早起きして作ったものである。
内容は基本的に、具だくさんのサンドウィッチ、あるいはおにぎりの二択だ。
撮影は、主に時間との勝負になる。休憩時間は短く、エネルギーの補充は手早く。昼間に撮影されたカットは、日が照っている内に撮影を終えなければならない。日が傾き始めれば、たった数十分の時間でさえ惜しくなることもある。
ジョカンは、ぎっしりと中身の詰まった鮭おにぎりを頬張りながら、周囲の風景を眺めていた。
死した都の寒々しい風景、――と、表現するには、あまりにも人間本位にすぎる。
この場所では、未だ人類が調査しきれていない複雑な生態系が形成されていた。
夜には、周囲を昼間のように照らす、巨大な蛍を見ることもできるだろう。
他にも、雨の日は身体が百倍くらいに膨れ上がるナメクジとか、神話世界の生き物のように美しい、アルビノの鹿の群れを見かけたこともある。
嘘か本当か、中には”魔法生物”と表現する他ないような驚異の生命体も存在するらしい。歩く骸骨とか、土くれでできた巨人などだ。
”中央”では、「放射線の影響による変異」と、単純に説明されているが、それだけでは到底納得できない、摩訶不思議な世界だ。
物思いに耽りながらおにぎりを頬張っていると、
ぼんっ。
という音が、耳を叩いた。
同時に、視界の先にあった廃ビルの一部が、強い衝撃を受けて崩れる。
「――?」
今のは明らかに、自然発生的に生まれた破壊ではない。
と、なると。誰かの仕業ということになる。
理由はわからなかった。近辺の”ゾンビ”は、朝のうちにあらかた一掃してあったはずである。
漫然とした不安。
それが、現実に迫る危機として現れたのは、ほんの数秒後だった。
どさ、と。
ジョカンの目の前で、何かが落ちる。
一瞬、水に濡れた雑誌か何かと見紛う。だが、違った。
それは、人間の頭部であった。
血色は良い。
落ちた反動で、頭はごろりと転がり、――ちょうど、目が合う。
その顔は、あまりに見慣れた人のもので……。
「……カントク?」
思わず問いかける。応えはない。当然だ。通常、人間は胸から下をごっそり削り取られた状態で、あれこれしゃべったりしない。
死者の眼球に、驚愕に見開いた自分の顔が反射して、――
「あ……………っ?」
一切の感情が吹き飛んだ。
こんな世の中だ。知人の死に触れるのは初めてではない。
だが、なぜだろう。
その時に限って、ジョカンは全身が凍り付いたように動かなくなってしまった。
「おい、……ウソだろ」
頭がくらくらする。足元が崩れ落ちたような錯覚に陥る。
「“ミュータント”がッ!」
薄ぼんやりした思考の隙間で、ホンが駆けているのが見えた。
その言葉の意味をゆっくりとかみ砕いて、背筋を凍らせる。
「なんだと……ッ?」
“死都”には”ゾンビ”が出る。“怪獣”も出る。多様な生態系も存在する。
だが、何より恐ろしいのは“ミュータント”と呼ばれている生き物だ。
理由は単純である。
“人類の天敵”とされる存在の中でも、飛び抜けて凶暴で、知恵が働くためだ。
もちろん、死都に“ミュータント”が出る、という情報は知っていた。
あの生物が現れたのは、今から十年前の“第三次パニック”と呼ばれる時期。
「放射線の影響による変異」で生まれた、人類のなれのはて。
それが”ミュータント”の正体だ。
――だが。
連中がいるのは、もっと海辺の、核ミサイルの爆心地に近い場所のはずだった。
「撤退を……ッ!」
そう叫ぶ声が、ぶつ切りになる。
ひゅん、と、ジョカンの耳に風を切るような音が届いた。
空間が歪む。不可視の強烈な力場が働き、ホンの身体が吹き飛ばされる。少女の四肢が人形のように揺れて、――ずたずたの血と肉塊となり、辺りへと散らばった。
ジョカンは言葉を失ったまま、それを見守っていることしかできない。
「しっかりしろ、一条完太郎ッ!」
怒鳴りつけたのは、友人の立花京平である。
瞬間、我に返る。反射的に車の影に身を隠し、《空気圧縮銃》を構えた。
「くそったれ! 虫けらみたいに二人を殺りやがったぞ!」
「……。どうする?」
「そりゃまあ、逃げるのが一番だろーな」
飄々とした友人の態度に感謝。熱くなりかけた感情が、急速に冷えていく。
「だが逃げようにも、車の鍵がない」
「おわぁーっ、マジかぁ」
少しオーバーな仕草で驚く京平。まだ“道化役”が抜け切れていないらしい。
「鍵は、……運転手のホンが管理してたはずだが」
「ホンのやつ、いま、二十分割くらいにされてるからな。探すのも二十倍大変だ」
「走って逃げるか?」
「そりゃゴメンだ。めんどい」
死都から“学園”の山奥まで歩くとなると、それだけで数日はかかるだろう。ジョカンはまだ経験したことがないが、餓死ほど辛いものはないらしい。
「
「だな」
「じゃあ、逃げずに戦おう」
「作戦は?」
ジョカンは簡単に説明した。車の両端から、二人で別々の方向に飛び出す。どちらか片方が攻撃されるので、攻撃されなかった方が“ミュータント”を殺す。
「攻撃された方は?」
「死ぬだろうな」
「嫌だなあ」
友人は、どこまでも素直に言った。
「二分の一の賭けってことか。俺様とお前、……ラッキーボーイはどちらかな?」
笑えない冗談だ。
できるなら、二人で帰りたい。心の底からそう思った。
これまで、ジョカンは車の運転をしたことがなかったためである。
「じゃあ、いくぞ。……1、2の、3っ!」
飛び出す。
“ミュータント”の姿は、すぐに見つかった。
真っ直ぐ前方、数十メートルの距離。
だが、もう少し近づいて見れば、それが大きな間違いであることがわかるだろう。
血の通わぬ白い肌。骨の浮かんだ皮。異常に発達した脳。
その顔面には、虚ろな空洞がいくつか、ぽっかりと空いている。
元々、目や、鼻、口なんかの器官が存在していた痕跡らしい。
彼ら“ミュータント”には、物を、見たり、聞いたりして判断する必要がない。空間を認識する“第六感”とでも呼ぶべき感覚が異常に発達していて、それが全ての器官の変わりを果たしているためだ。
「わぶっ」
すぐそばで、間の抜けた声がした。立花京平である。
友人の首から上が空高く舞うのを視界の隅で捉えて、――ジョカンは、《空気圧縮銃》を構えた。
引き金を引く。連続して三回。
先ず、“ミュータント”の右足が弾けた。
次に、胴体の一部が消失する。
最後に、その顔面が吹き飛んだ。
「よしっ……」
小さく言って、荒れた息を整える。
どかんっ、と。
一拍遅れて、装甲車のルーフ部を、立花京平の生首が跳ねた。
ラッキーボーイは、自分の方だったらしい。
――帰り道は、一人ぼっちか。
感傷に浸っている時間はなかった。
“ミュータント”が、仲間を呼んでいる可能性があったからである。
急ぎ足で、車のキーを探す。
運が良かった。鍵は、車のすぐ近くに落ちていたのだ。
とにかく必要なものだけをバックに詰め込み、車に乗り込む。
ホンのやり方を思い出しながら、エンジンを入れた。思ったより簡単にうまくいく。
車の運転は初めてだったが、人間、やってみればなんとかなるもので。
土埃をまき散らしながら、“学園”所有の車は走りだす。
その後、どこをどのようにして帰ったか。
自分でも良く覚えていない。
ただ、必死の思いで“学園”についた頃。
日は落ちて、辺りはすっかり暗くなっていた。
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