その4
会長が、彼女らしい丁寧な仕事でウ●コを焼き払ったあたりで、――ことは起こった。
ズゥ……ン……という振動が、山道全体を揺らしたのである。
それが、二度、三度。続けざまに山が揺れた。
「ん?」
カントクが首を傾げる。
「だれか、ものすっごいおならとか、した?」
「こんな地響きするような屁、誰がこくっつうねん」
「すぐ近くにくさぁい匂いが染み付いてる人がいるものだから。勘違いしちゃった」
「こ、この……っ!」
幼犬の噛み合いにも似たやりとりが繰り広げられていた。
「この暗闇で怪獣と出くわすのはうまくないな。急襲される恐れがある」
嘆息混じりにジョカンが言うと、
「ところでみんな、最初に観た怪獣映画って何だった?」
助手席のカントクが、呑気に尋ねる。
「――『パシフィック・リム』だな」
こういう状況だが、律儀に応えた。好きなジャンルの話題なのだ。
「父さんがデル・トロ監督のファンで、データディスクが家にあったんだ。あの映画、エンドロールの後に、“レイ・ハリーハウゼンと本多猪四郎に捧ぐ”って謝辞があるだろ。そっから、色んな怪獣映画を観始めたんだよな」
「へえ。そんな過去が」
カントクがにこにこ微笑みながら、言う。
「ホンは?」
話を振られて、運転席の少女が応えた。
「よく覚えてないデスけど。……うーん、たぶん、『グエムル』だった記憶がありマス。深夜のテレビ放送かなんかで、たまたま観た覚えが」
「……ああ。あの『パトレイバー』の廃棄物13号とデザイン一緒のやつだろ?」
「くそウゼえ解説、どうもアリガトウ。その辺の是非はともかく、当時は普通に愉しんで観た思い出がありマスね。ちょっと米軍を悪く描きすぎてる感じはしましたケド」
「ナルホドナルホド」
カントクは、うん、うん、と、しきりに頷く。
「この手の映画が全盛だった時代じゃないから、みんな、観た映画はまちまちね。ちなみにあたしは、『クローバー・フィールド』だったなぁ。ドキュメンタリー風に撮ったやつ。一度、ああいうのもやってみたいわねー」
「いいデスね。次回作は是非」
「考えとく」
「……お、お前ら……」
生徒会長が、眉間に手を当てながら、呟く。
「どこに怪獣がおるかもわからんのに、何をのんびり映画談義しとるっ!」
彼女が盛大にツッコミを入れたのと、ほとんど同タイミングであった。
「――グルッ……グルルルルルッ!」
という、地の底から聞こえてくるような唸り声が、周囲に響き渡ったのは。
全員が、ほとんど同時に、声がした方向に振り向く。
「……むっ」「わあぁ!」「アリャマア」「ひ、ひええ!」
山ほどに巨大なトカゲの顔が、すぐそこにあった。
「『ジュラシック・パーク』でこういうカット、観たことある!」
カントクが、ほとんど場違いな歓声を上げる。
「いや。映画のT・レックスよりも、ずいぶんと、……」
――デカい。
目玉の大きさは、それだけでジョカンの身長ほどはあるだろうか。暗闇に沈んでいて、その全体像を確認することはできない。だが、目の前のそれが、常軌を逸した生命体の眷属であることは間違いなかった。
――ここまで接近していたのに気が付かないなんて。
反射的に周囲の山に視線を走らせ、納得する。
これまでずっと、小山だと思っていたものの影が一つ、綺麗さっぱりなくなっていた。暗くて判別ができなかったが、あれは山ではなく、眠りについていた怪獣だったらしい。
怪獣は、典型的なトカゲ型で、前屈み気味の二足歩行。三本指の手は未発達であり、その堂々たる体躯に比べてれば小さい。カントクの言うとおり、巨大なティラノサウルスのイメージに近いが、その目には意志の光のようなものが宿っていた。
この生き物は、恐竜ではない。
あくまで“怪獣”なのである。
連中が最初に現れたのは、“ゾンビ”大発生から数週間後のこと。
当時国防を担っていた”自衛隊”と呼ばれる大人中心の防衛組織により、多くの犠牲を出した末、ようやく退治されたと聞いたが。
「例の“怪獣”騒ぎで公開中止になっちゃったけど、『ジュラシック・ワールド』、観てみたかったなぁ」
「もうあの手の映画は永遠に公開されないかもしれマセンね」
「時代の流れね……」
「だから! 何をそんな、のんきに……ッ」
生徒会長が怒鳴り終える頃には、ジョカンは準備を完了させていた。
転がるように車から飛び出し、《ビーム発生装置》を構える。
だが。
「――むっ!?」
目の前にいたはずの“怪獣”の姿がない。
どうやら逃げられたらしい。
これは少し、不可解な行動だった。山のように巨大な”怪獣”が、ちっぽけな人間に対して背を向けるなど、創作の世界でもあまり聞かない話だ。
「なっ……、ど、どうなってるわけ……?」
ここでようやく、カントクの口調に危機感が混じり始める。
ジョカンはいったん後部座席に戻って、
「よくわからんが……。あいつ、知恵があるのかも知れん」
「知恵?」
「どうもあの”怪獣”、俺たちが子供だと気が付いたから、逃げだした様に思える」
「…………ウソでしょ」
カントクの表情から、さっと血の気が引いた瞬間だった。
▼
”みらい道具“について、人類が理解できていることは少ない。
その扱いに特別な訓練を必要とせず、安定性も抜群。自動的に損傷を修復する機能もあり、制限なく使用することもできる。
その出処を知りたいならば、”おもちゃ箱”に付属している、”いのちをまもるために”と書かれた冊子を読めばいい。
そこに書かれている情報を鵜呑みにするならば、――こうだ。
今から、二十年前。
世界各地に住まう八人の少年少女の前に、正体不明の人物が現れる。
その人物は、自らを“永遠人”と称した。
男だったとも、女だったとも、子供だったとも、老人だったとも、ぴかぴかと眩しい後光が差していたとも、みすぼらしいボロ布をまとっていたとも言われる”永遠人”は、“みらい道具”一式を差し出し、こう言った。
「ま、いろいろ大変だと思うけど、頑張れよ」と。
それだけだ。
妙な話だと思う。ひどく胡散臭いとも思う。
謎の人物よりもたらされた、謎のアイテム。
だが、絶滅の危機に瀕していた当時の人類に、他に頼れる手段がなかったのも事実だ。
“地獄の釜が開いた日”。
“運命の日”。
“終末”。
その日以来、ヒトは、様々な敵性生命体の脅威に曝されてきた。
現在、この国の秩序は、こうした“みらい道具”に依存しているといっても過言ではない。
でもまあ。
とはいえ。
――人類が危機的状況にあることには変わりないのだが。
ここよりもっと北の方では、”みらい道具”すら通用しない凶悪な怪物が存在しているという。
“終末”後も、一部の国とは外交関係が続いているが、完全に連絡が途絶えてしまった国も多い。強大な害敵に対して、人類一丸となれているかと問われれば、そのようなこともなく。
国土の九割を”人類の天敵”に占拠されていることを鑑みれば、我々は未だ、二十年前の栄光を取り戻す第一歩さえ踏み出せていないのかもしれない。
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