その3
「……なるほど。そういうことデ」
言いながら、ホンが軽くハンドルを切る。
強化ゴム製の大径タイヤが、ぐにゃりとした“何か”を轢いた。尻の下で何とも言えない嫌な感触がして、ぴしゃっ、と、フロントガラスに赤黒い何かが跳ねる。
「ありゃ、汚い」
恐らく、寝転がっている”ゾンビ”を潰したのだろう。
「ちょ、ちょ、ちょ、オマエ! もっと丁寧に運転せんかいッ」
生徒会長が叫んだ。
「そう言われマシテモ。こう、暗くっちゃあ……」
同時に、ぼんやり立ちすくんでいた“ゾンビ”を正面から跳ね飛ばす。
腐り果てた顔面がフロントガラスに張り付き、虚ろな目玉が、車内の人間を睨んだ。
「ひええッ」
先ほどまでと打って変わって、生徒会長はふにゃりと気力をなくしている。無意識的に、隣に座るジョカンの腕を掴んでいた。
「う、うううう……」
「どうしたんですか?」
“学園”から貸し出されている車は、“ゾンビ病”の発生後に作られた、軍隊使用のモンスター・マシンだ。ガラスが防弾になっているのはもちろん、蝶番からネジ一本に到るまで、徹底的に装甲仕様になっている。少しばかり”ゾンビ”を轢いたところで、びくともしない。――と、そんなことは周知の事実であるはずだった。
「おやおやおや? その手はなんですか、生徒会長? ひょっとして、フジュンイセーコーユーってやつ?」
助手席のカントクに指摘されて、生徒会長は慌てて身体を離す。
「ちゃう、――ちゃうわい」
「じゃあ、さっきから何にビビッてるのよ」
「……君ら、いっつもこんな運転で、よぉ平気やな」
恐らく、ホンの運転について言っているのだろう。
確かに、彼女のハンドルさばきは荒かった。だが、平均的に言って、ホンのような運転をする者は少なくない。国から運転免許が発行されていた時代とは違うのだ。今時、運転技術はほとんど我流で身につけるのである。
「ウチ、あんまり他人に運転任せへんのよ」
「それじゃ、代わりマショウか?」
ホンの申し出に、
「ダメよ!」
カントクが叫んだ。
「それじゃあ、夜明けになっても着かないわ。信じられる? この女、わざわざウインカー点灯させて道を曲がるのよ? 自分以外の車なんて、周りのどこ見たって走ってないのに!」
「車は、決まりに従って動かすモンやろが」
「はっ!」
カントクは肩をすくめた。
「この頭の堅さよ。ちょっと考えられないわねー」
“中央”で暮らしてきたジョカンには、どちらの言い分も理解できる。
人が多い都市部と、“学園”周辺の過疎地では、車の運転作法も変わってくる。そういうことだろう。
と、その時。
「うわあッ!」
突然、カントクが驚きの声を上げた。
「どうし……?」
た、と、訊ね終える前に、急ブレーキがかかる。
車体が猛烈に横滑りしつつ、――止まった。
「な、な、な、な……なんやッちゅうねん!?」
カントクは応えず、前方を凝視している。
「なんだ……これ?」
後部座席から立ち上がり、ジョカンもそれを見た。
舗装された、道幅の広い山道。
そこに横たわるようにして、一本の倒木のようなものが道を塞いでいたのだ。
それは、ところどころにヒビが入っていて、一見、岩のように見えなくもない。だが、岩でないことは確かだった。こんな形状の岩が、自然にできるはずがない。
「……これ、木か?」
第一印象を、そのまま口にする。
「アホいいなや。こんなぶっとい木、そうそうあるかいな」
生徒会長の言う通りだった。
「前、この道を通った時は、こんなのありませんデシタが」
運転手のホンも困惑している。
「なんにせよ、退かさないと先には進めないわね」
言いながら、カントクが“
「どれで行きマス?」
「《ビーム発生装置》で焼きましょう」
カントクが、右手の人さし指と中指に、指輪状の機器を取り付け、全方位ライトを点灯した。“ゾンビ”もそうだが、夜目のきく害敵は多い。明かり一つで多くの事故を防ぐことができる。
「じゃ、行くわ」
安全を確認して、カントクが車のドアを開けた、次の瞬間。
「うむッ?」「げッ!」「お、おげろっぷッ!」「ふぁ、ふぁっ!?」
車内の四人が、ほとんど同時に悲鳴を上げた。
ほとんど反射的にドアを閉めると、ホンが素晴らしい手さばきで車を操作し、猛烈な勢いでバックする。
「げほげほげほげほ!」
カントクが口を押さえた。
「じょ、冗談やない!」
生徒会長の顔が蒼い。
「……あ、ああああ、あれ……ウ●コやないかぁッ!」
「アハハ、ハハハ、ハハハハハ。びっくりしマシタぁ」
あまり物事に動じないホンも、これには表情が固くなる。
「……近くに“怪獣”がいるってことか」
くらくらする頭を抑えながら、ジョカンが分析した。
「ええ、それも、かなり近いわね。できたてみたいだから……」
「どうする?」
「急ぎましょう」
カントクの決断に、生徒会長が悲鳴を上げる。
「急ぐ? 急ぐ、っつったんか、アンタ? 中止やなくて?」
「ええ。付近に“怪獣”がいるなら、なおさらね。この先に、結構大きな無人街があるの。昔の街並みを撮るには、あそこが一番なのよ」
カントクは本気だった。ジョカンとホンも同じ気持ちだ。
――はやく撮影を済ませなければ。
これまでの努力が水の泡になる。
「……ううむ」
生徒会長も、“映画部”部員たちの意志を察したらしい。
「し、しゃあない」
一人納得して、押し黙る。
「それで、――とりあえずの問題だけど。あの●ンコ、誰が退ける?」
「そりゃあ、な?」
「そうデス、ねえ?」
「……なんや?」
カントクとホンが、後部座席に片手を突き出した。
「じゃんけんで決めるわ。……ホラ、会長も」
「ウチも?」
「せやで」
「……真似すんなや」
憮然として、生徒会長が言った。
だが、公平に考えるのであれば、この場に居る全員でじゃんけんするのが道理である。
そして、生徒会長は常に、公平に物事を考えなければならない。
「うう……くそう」
渋々、会長の手が伸びる。
「じゃ、いくわよ?」
カントクが言う。
「さーいしょはグー!」
「「「「じゃんけん……ッ!」」」」
▼
「それじゃ、お願いしますね、生徒会長!」
カントクが向日葵のような笑みを浮かべる。彼女のこんな屈託のない笑顔を見たのは、これが始めてだった。
「なんでや。……なんでこーなる……」
「道路まで溶かさないように、ビームの出力は“低”にセットしてね!」
「わぁーっとる。わぁっとるがな」
生徒会長が肩を落としながら、ウン●に向かう。舗装された道路を溶かさずに、確実にウ●コだけを焼くため、ある程度接近する必要があるのだ。
「うう。はよ帰って、シャワー浴びたい……」
「ガンバッテーガンバッテー、ハリアーップ!」
ジョカンは、ホンに耳打ちした。
「なあ。カントクと会長って、なんであんなに仲が悪いんだ?」
ホンは、少しだけ迷う素振りを見せた後、応える。
「確か、カントクが“年少組”のころ、映画のコトでケンカしたことがあるんデスよ」
「映画?」
「会長って、ドキュメンタリ以外は観ない人なんデス。『ゆきゆきて神軍』とか、『華氏911』とか、『エンディングノート』とか。フィクションなんてなんの意味もないって。そういう考え方の人だから……」
「ああ……、なるほど」
映画の趣向まで、カントクと反対らしい。
「で、カントクに、ドキュメンタリ以外撮るなって。それで大喧嘩に……」
「……………………………………………ほな、いくでぇ~…………………………………」
力ない声。
次の瞬間、強烈な輝きが、会長を包んだ。《ビーム発生装置》を起動したのだろう。
ジョカンたちが見守る前で、怪獣の●ンコが燃え上がる。
「……いま、すっごい面白いこと思いついたんだけど、言って良い?」
カントクが、にやにや笑いながら、呟く。
「これがホントの、ヤケクソ。……みたいなギャグ以外であれば、ドウゾ」
「なによぉ。先に言わないでよぉ」
唇を尖らせるカントク。
「……………………焼くとひどい臭いやぁ………これ、死ぬぅ~………………………」
遠く、生徒会長の泣き言が聞こえていた。
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