その2
「――撮影?」
ジョカンが目を丸くする。
窓を見ると、外はペンキで塗りつぶしたみたいな暗黒が広がっていた。
「嘘だろ……」
「これから予定でも?」
「いや。それはないけど」
たくさんゲームをして、ぐっすり眠る。それ以外に今日の予定はない。
だが、今から暗闇へ向かって飛び出していく気持ちでもなかった。
なんとか否定的な意見を口にしようとしたが、
「俺、まだ風呂にも入ってないぞ」
大したことは思いつかない。
「ごめん、我慢して」
カントクはしょぼんとして、言った。
「撮り忘れがあったのよ」
「撮り忘れ?」
「一昨日の撮影でね」
カントクが言うと、ジョカンはうなずいた。
「ああ……あの日か」
たしか、街の風景素材を撮影した日である。
カントクは、わりと時間に余裕を持って撮影に挑むタイプであったが、その日ばかりは運がなかった。突如降り出した雨の影響で、進行がかなり遅れたのだ。
「一番大切なシーンを忘れてたの」
「なに?」
「夕焼けに染まる街のシーン」
「よりによって、ラストか」
替えの効かないカットであることは明らかだった。
「日程を確認したんだけど、撮れそうなのは今日くらいしかなさそう」
いま、ジョカンたちが撮っている映画の締め切りとなる日は、今からおよそ三週間後の学園祭、――通称、“春祭”と呼ばれる行事である。
現状、撮り終えている画は八割弱。
残りの二割の撮影は今週中に行う予定で、これは役者の予定の兼ね合いもあるため、スケジュールを動かすことはできない。
その上、この映画はいくつかのCG合成処理を外部に委託している。遅くとも来週にはPCによる編集作業に入らなければならないのだ。
「ごめん、あたしのミスだわ」
カントクは、むしろこちらが意外に思えるほど、素直に自分の非を認めた。
とてもではないが、授業中、堂々たる態度でぐーすか眠りこけている少女と同一人物とは思えない。
「そう言うな。こういうのは連帯責任だ」
仏心を出して、そう言ってやる。
確かに、この映画の全体像を把握しているのは彼女だけだ。撮り忘れがあった場合、ジョカンとホンでは気がつきにくい。だが、全く気づけない訳でもない。
「そう言ってくれると助かるわ」
その頃には、ジョカンも深夜の強行軍に賛同する気分になっていた。
「しかし、どうやって撮る? 必要なのは“夕焼けに染まる街”だろ?」
今から出かけたとして、撮れる画ではないような気がするが。
すると、カントクは少しだけいつもの元気を取り戻して、言った。
「一つ案があるわ。――少しカメラを調整して、朝焼けを撮影するの」
「朝焼け?」
「うまく撮れば、朝焼けを夕焼けに見せることができると思う。映画のマジックね」
言って、にひひと笑う。
この日、彼女がしおらしい態度を取っていたのは、その瞬間が最後であったことに気付くのは、ほんの少しだけ後のことであった。
▼
二人が玄関口にある靴箱に着いたあたりだろうか。
「――待ちや、“映画部”」
早足に歩く二人を呼び止める声。
振り向くと、モデル体型の美人がこちらを睨み付けていた。
「……あらあら、あらら。ご機嫌麗しゅう、生徒会長」
丁寧な言葉使いとは裏腹に、カントクの表情は苦虫を噛みつぶしたようだ。
ジョカンも、生徒会長の顔は知っている。だが、面と向かって話したのはこれが始めてだった。
漆で塗ったように艶のある黒髪と、男子に引けをとらない長身。切れ長の目と、なんとなく仕事できそうなオーラ。
普段の服装からしてだらしがないカントクと並ぶと、二人はまるで対照的に見える。
「キミら、どこ行くつもり?」
生徒会長の発音は、絵に描いたような“中央”弁だ。小さい頃は、“中央府”の第二種保護区域で、ゴキブリと一緒に育てられたという。
「どこって。……外に決まってるじゃない」
「あかん。就寝時間やろ」
「部活動よ」
短い問答で、カントクは自身の正当性を主張した。
“映画部”には、規則に囚われることなく、自由に外出できる権利があるはずだ。必要な画を撮影するためには、時として昼夜を問わずカメラを回す必要があるためである。
生徒会長は腕組みをして、自分の胸ほども身長のない少女を見下ろした。
「部活にかこつけて、不純な遊びでもしとるんちゃうの」
「フジュン?」
カントクがぽかんと口を開けて、首を傾げる。
「具体的には?」
「皆まで言わすなや。不純異性交遊的なやっちゃ」
「イセイ? コウユウ?」
なおも首を傾げ続けるカントクに、
「セックスや、セックス! 隠れてセックスしとらんか勘繰っとるん!」
真夜中の校舎に、「セックス」という言葉がこだました。たまたま通りがかった”年少組”男子数名が、びっくりした表情でこちらを見ている。
「セックスって、誰と誰が?」
「俺とカントクが、だろ……」
さすがにいたたまれなくなって、ジョカンが口をはさんだ。
「なっ。難癖にもほどがあるわっ!」
カントクが苦々しく顔をしかめる。
「ふん。何にせよ、カップルでの外出は認められへん」
「ホン、……じゃなくてマキナが、表で車を回しているわ。少なくとも、カップルではないけれど」
「フム……さよか。ならええけども」
どうやら納得はしてくれそうだ。
「でもな。一度難癖つけたからには、こっちも何か手を打たなアカン。他に示しがつかへんからの」
生徒の自主性を重んずる”学園”において、生徒会長の権限は大きい。
それはまるで、一昔前の学園マンガのようだという。
「どうしろって言うのよ」
「ケチつけたんはウチや。あんたらの部活、付添ったる。ちょうどキミんとこは、年一でやる視察もまだやったしな。それで、どや?」
「……別にいいけど」
カントクは、無表情で首肯する。
「でも、自分の身は、自分で守りなさいよ」
「アホウ。文化系のキミらと一緒にすな。キミらこそ、ウチの足、引っ張らんよぉにな」
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