その6

 “ゾンビ”、“歩く死人ウォーキング・デッド”、“喰屍鬼グール”。

 彼らを描いた物語は数多有り。

 だが、今、ジョカンたちの目の前にいる存在は、空想の産物ではない。


 99,9%の感染力。

 99,9%の致死性。

 一時期の人類の存亡を脅かした、恐怖の伝染病である。


 感染した人間は、数時間もせずに心停止。

 その後凶暴化し、噛みつきなどの手段で仲間を増やそうとする。

 研究によると、”ゾンビ”は基礎代謝が異常に低く、向こう数十年は食物の摂取なしで活動を続けることができるらしい。


 彼らがこの世界に登場したのは、およそ二十年前。

 最初の発症者は、渋谷にある交差点のど真ん中に現れた。

 誰もがそれを、酔っ払ったサラリーマンだと思っていたという。

 とことこ歩いて、近くにいたおじさんをガブリ。

 二人を引き離そうとした勇気ある若者もガブリ。


 アウトブレイクの始まりだ。


 それから世界中、あちこちの都市で感染者が現れた。


 奴らが世界を侵食し始めてからの一年間を、”盲人の時代”と呼ぶ。

 混乱の最中、数多くの情報が氾濫・錯綜し、それまであった“見通しの良い歴史”が完全に失われた一年であったためだ。


 それ故、“ゾンビ病(Zombie Plague)”と単純に名付けられたその病が、いつ、どこで、どのように生まれたのか、詳しいことは誰も知らない。

 昔は“人類を滅ぼすために、神が創った”とか言う人もいたらしいが、それなら、ずいぶんと半端な仕事をする神様もいたものだ。


――増えるのは早かった。


 それは、一見おどろおどろしい外見をしていて、力も強かったからだ。


――ただ、減るのも早かった。


 一体一体の動きが、腰の曲がったお年寄りのように鈍く、少し痛めつけてやれば、簡単に動かなくなることがわかったためである。


――“ゾンビ”はもはや、人類の脅威ではない。


 それは、現代における共通認識であった。

 今時の人類は、”ゾンビ”の他にも多くの”天敵”を抱えている。

 その他の脅威に比べれば、あの、足元も覚束ない死人どもは、可愛いものだったのだ。



 だが。

 それでも、なお。

 “映画部”の作業は難航していた。

 映画を観たことがある人なら、ご存じかもしれない。

 “ゾンビ”というやつは、いくら殺しても、エキストラを雇う賃金が尽きない限りは永遠に発生し続けるのである。


『あの子のためなら、――』

「うあー、おー」(ドンドンという壁を叩く音)

「カットカーットッ!」


『地獄に、――』

「あうあうあー」(窓に、真っ赤な手形がつく)

「カットカットカーット!」


『もし仮に、――』

「おー、おー」「おぉー」(“ゾンビ”同士がぶつかり、間抜けにスッ転ぶ姿が映り込む)

「カットカットカットカァーット!」


 同じことが、十数回ほど繰り返されて。

 その場に居た誰もが、うすうす想定していた通りの出来事が起こった。


「うっがああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」


 カントクが、キレたのである。


「クソが、あのクソ袋どもが! 鏖しだ! 一匹! 残らず! この蒼く美しい地球から! 根絶やしに! してやるッ!」


 邪悪の権化のようなことをのたまいながら、カントクは小道具の日本刀を引っ掴む。


「ちょ、おまっ」


 ホンが制止しようとするが、カントクは取り合わない。


「ハラワタをブチマケて、綺麗に地面に並べてやる! 心臓を取り出して、少しずつ鼓動が弱まっていくところを、耳元で聴かせてやるッ!」


 誰も彼女を止められなかった。

 カントクはドアをぶち破る勢いで飛び出し、あっという間に視界の外へと消えていく。


「ありゃりゃりゃりゃ……」


 ホンが苦く笑った。


「こりゃ、マズいデスねぇ」


 家の外からは、ズバッ、ズバッと、哀れな”ゾンビ”たちが滅多切りにされている音が聞こえる。


「あのバカ、役者の日本刀こどうぐだけ持って、肝心の“おもちゃ箱トイ・ボックス”を忘れたみたいデス」

「……まさか、《圧縮銃》も?」


 ホンが肩をすくめた。肯定のジェスチャーだ。


「そりゃマズいな」


 今、ジョカンたちが撮っている映画の主人公には、刀の達人、という設定がある。

 それ故、この現場にも小道具として日本刀を持ってきていた。だが、あくまで演技に使うためのなまくら刀だ。それでもなんとか、数匹の”ゾンビ”くらいなら対処できないこともない。が、数をこなせばすぐに使いものにならなくなるだろう。

 その点、《空気圧縮銃》は無限に使用することができるし、自動的に照準を合わせてくれる機能もあるから、誤射の危険性も低い。


「……そんじゃ、助けに行くか」


 ジョカンがため息交じりに言うと、


「そデスね」


 ホンも応えた。

 二人は、それぞれ自分の“おもちゃ箱”を掴む。


「あ、あああ、あの。スイマセン、私は……?」


 “ヒロイン役”の有坂絵里が、控えめに訊ねた。


「衣装を着たまま活劇されるおつもりデスか?」

「あ、あわわ……。ご、ごごご、ごめんなさい」


 絵里はしゅんとなって、うつむく。

 カメラが回っていない時の彼女は、まるで別人のようだ。

 さすがに少し可哀想になって、ジョカンは付け加える。


「何度もリテイクくらって、疲れてるだろ? 雑用は俺たちに任せて、有坂さんは休んでてくれ」


 すると、絵里はあっという間に耳まで赤くなって、


「あう、あう。……わ、わかりました」


 ようやく、それだけ言った。

 絵里と出会った日、“演劇部”の後輩を”ゾンビ”と勘違いして射殺しかけた上、彼女を気絶させてしまった経緯を思い出す。


「じゃ、行ってくるよ」


 《空気圧縮銃》を手に、ジョカンとホンは撮影現場を後にした。

 家屋の周囲を見回す。カントクの姿はどこにもない。ただ、力任せにぶった切られた”ゾンビ”の死骸が、点々と置き去りにされていた。後を追うのは簡単そうだ。


「ねえ、ジョカンくん」


 何気なく、ホンが声をかける。


「絵里ちゃんって、ひょっとしてアナタに気があるんじゃないデスか?」

「俺には嫌われているようにしか見えんぞ」


 自嘲気味に言うと、


「朴念仁め」


 ホンがケラケラと笑った。

 これが、彼女特有の皮肉だということははっきりしている。


「あの娘、牛みたいな乳してるじゃないデスか。男の子って、みんな牛みたいな乳が大好きじゃないデスか。チャレンジしてみたらどうデス?」

「からかうのはよしてくれ」

「ひょっとしてアナタ、貧乳派デスか? カントクみたいのがお好み?」

「……おっぱいに貴賤はない」

「そう言わずに。何カップが好みかくらい、あるんデショウ?」

「しつこいやつだな」

「副部長としては、部員の好みは把握しておかなくちゃ。そのうち、素敵なお相手、見つけてあげマスからね。ぐひひ」


 まるで、セクハラをする中年のオッサンのような口ぶりだ。


「それじゃ、――そうだな。君くらいのサイズがちょうどいい」


 皮肉には皮肉を。

 ジョカンはそう言ってやる。

 すると少女は、一点の曇りもない笑みを浮かべて、


「うわびっくりした。反吐がでそうデス」


 そう吐き捨てた。

 心のどこかでデレを期待していただけに、少しだけ傷つく。

 この、――ホンと呼ばれている少女のことは、未だによくわかっていない。

 なかなか読ませる脚本を書くということは知っているが、どういう経緯で”学園”にいるのかは謎だ。


「それより、さっさとカントクを追おうぜ」


 話題を替えながら、十メートルほど先をふらふら歩いていた“ゾンビ”に銃口を向け、引き金を引く。

 ぱん、と、その頭が破裂し、血の霧と化した。


「……ま、それもそうデスね」


 引き金を引く。

 胴体を爆裂させて、派手に内臓をぶちまけながら、――“ゾンビ”が死ぬ。

 引き金を引く。

 下半身が消滅し、コマのようにくるくると宙を舞いながら、――“ゾンビ”が死ぬ。

 カントクが仕留めた斬殺体を辿りつつ、二人が小高い丘を越えたあたりだろうか。


「これは……」「ありゃまー」


 同時に驚きの声を上げる。

 目の前に広がっているのは、ゴルフ場の跡地と思しき、見渡せるほどに広い草原だ。

 その場所自体は、通りがかりに見かけた覚えがあった。

 だが。

 いつの間にかそこに、四百匹は下らない”ゾンビ”の群れが集まっていたのである。


「こんなにたくさんの”ゾンビ”さん、教科書でしか見たことがないぞ」


――“ゾンビ”に対する、初期の反攻作戦。


 子供だけで組織された武装勢力、“つよいこどもたちの会”の一斉攻撃。

 自分がまだ生まれてもいない頃、今から十九年も前にあった”歴史上の出来事”である。


「暖かくなってきたから、ぽかぽかした広場でピクニック、とか?」


 ホンが曖昧に答えを出した。


「確かに、今日はいい天気だな……」

「ごろんと横になりたくなる陽気デスね」

「そこら中、死体だらけだが」


 太陽に手をかざして、ジョカンは呟く。


「戻ったら昼飯にしようか」

「そデスね」


 周囲を見回すと、多数の“ゾンビ”に囲まれているカントクの姿が見えた。

 怪物に囲まれてなお、少女は笑っている。


「おりゃおりゃぁああああああああッ! まだまだぁあああああああああああッ!」


 果敢に日本刀を振り回しているカントクの姿を眺めつつ、


「……でもなんか、助けを必要としている感じじゃないな」

「あれじゃあ効率が悪いデスよ」

「たしかに。さっさと終わらせるか」


 ジョカンは、持ってきた“おもちゃ箱(トイ・ボックス)”を開いた。

 ”いのちをまもるために”の冊子をよけて、中身を吟味する。


「これにするか」


 選んだのは、片側の先端が尖った、二十センチほどの筒。


「《サジタリウスの矢》デスか」


 無言でうなずき、尖っている方の先端部を地面に突き刺す。

 ”ゾンビ”退治の定番でもある”みらい道具”だ。2016年に活躍した“英雄”の一人、――”救世主メシア”と呼ばれた少年も、この《サジタリウスの矢》を愛用したという。


「それ、けっこー好きデス。綺麗だし」

「お気に召したようで幸いだな……」


 呟いて、《サジタリウスの矢》のスイッチを入れた。

 数歩、そこから離れる。

 何匹かの“ゾンビ”が、のんびりした足取りでこちらに近づきつつあった。

 ホンが、ポケットからハンカチを取り出し、彼らに向けてぱたぱたと振る。


「みなさん、さよーならっ」


 同時に、

 しゅーっ、ぽーん!

 という、いささか間の抜けた音が、円筒状の棒から発された。


 《サジタリウスの矢》の空へと向いている部分から、金色の閃光が上がる。

 光は、遙か上空まで打ち上がり、蒼い空へと溶けていった。

 そのまま、しばしの沈黙。

 打ち上げたのは、球状の機械である。

 センサーの内蔵されたそれが、“ゾンビ”と人間を見分けているのだ。

 次の瞬間。

 幾百に分かたれた光がドーム状に広がり、地上目指して落ちてくる。


「たーまやーっ」


 ホンが高らかに声を上げた。

 確かにそれは、花火と似てないこともない。

 閃光の一つが、目の前をトコトコ歩いていた“ゾンビ”に突き刺さる。

 すると、その”ゾンビ”は、眠るようにぱたりと身体を横たえた。

 直径数ミリの球体が、”ゾンビ”の頭部を正確に射貫いたのである。

 “ゾンビ”を仕留めた球体は、地中へと埋まり、根を張り、屍肉を養分に一本の樹となるだろう。

 《サジタリウスの矢》は、自然に優しい兵器なのだ。

 同じように、光に貫かれた数百匹の“ゾンビ”がバタバタと斃れていく。


「あっ。……これ、見て下さい」


 ホンが、空から落ちてきた、小さなパラシュートつきの紙を、空中で受け取った。


「なに?」


 ジョカンがそれを見ると、「アタリ」と書かれている。


「なんだ、これ?」


 《サジタリウスの矢》を使うのは始めてではないが、こんな紙は見たことがない。


「アタリデスね」

「読めばわかる」

「アタリが出た場合は、木の代わりに、花の種が入ってるんデスよ」

「へえ」

「数年後には、ここらへん一体、大きな花畑になってるんデショウねぇ」


 ホンは、しみじみと言いながら、うっとりと目を瞑る。


――そう言えば、彼女は物書きだったな。


 あるいは、彼女の眼前には、視界いっぱいの花畑が広がっているのかもしれない。


「今、俺の目に見えるのは、死体の山だけだがな」

「朴念仁の方は、お黙り遊ばせ」


 遠く、頭から返り血を浴びた少女が、ぶんぶんと手を振っているのが見えた。


「あっはっははははは! みんな、ご苦労さまッ!」


 邪魔者を一掃したからか、少女はご機嫌だ。

 思わず、苦笑が漏れる。


――洗っても血が落ちないわけだ。


「それじゃー、そろそろお昼にしましょーか!」


 異論はなかった。


「お、お、おおーい。み、みなさぁん……」


 ふと、有坂絵里の声が聞こえる。


「おひるごはん、も、も、持ってきましたぁっ!」


 彼女の手には、弁当箱。


「ナイスタイミングよっ、絵里ちゃん!」


 カントクが笑う。

 ホンは、そっとジョカンに顔を寄せて、


「今日は、絵里ちゃんの手作りなんデスよ。ちなみに、普段はないことデス」


 そう、耳打ちした。


「……そうか」

「彼女、人気者なので。告白するなら早急に一発キメちまうのがオススメ」


 ジョカンは、少しだけ困った顔をして、


「ま、気が向いたらな」


――女の子って生き物は、どうしてそういう話題が好きなんだろう。


 ぼんやり、そんな風に思った。



「ではでは、改めまして。――少女が独白するシーンから……」


 カメラのスイッチが入る。


「――よぉい、スタートッ!」


 “ヒロイン役”、有坂絵里が、台詞をしゃべり始めた。


『あの子のためなら、地獄に堕ちたって構わない。たとえ、……』


 ここで、絵里のセリフに、数秒ほどタメが入る。

 そう、……彼女は今日、この場所で、世界を滅ぼす決意をするのだ。

 愛する者のために、全てを捨てて戦う覚悟というのは、いかなる心境であろうか。

 絵里の目には、少し、涙が滲んでいる。

 息を呑むような名演だった。


――あるいは。ひょっとすると。


 髪まで血まみれでメガホンを握っているカントクが、怖かっただけかもしれないが。

 少なくとも画面には、強烈な説得力が感じられた。


『――この世界が終わってしまうとしても……っ!』


 絵里は、その場でうつむき、小道具の日本刀を抱く。

 窓からは、昼下がりの心地よい風が吹いていた。

 カントクが選びに選び抜いたロケーション。

 室内は、豪華絢爛としながら、どこか荒涼としていて。

 “世界の終わり”を暗示させるのだった。


「……はい、カットォッ! よーし。ナイスだ、いいわねっ」


 カントクのOKサインが出る。


「それじゃ、次のシーン。行ってみましょーッ!」



第一話 了

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