その5
次に気がついた時には、保健室と思しき部屋で横になっていた。
「…………はっ!」
目を覚ますと同時に、飛び起きる。
「な……何が」
全身を確認する。怪我はない。
「どういう……?」
混乱していると、
「ほらね、傷ひとつない」
にっこりと微笑む蓮子が現れた。
「どうやって……」
言いかけて、口をつぐむ。
「何かの、――“みらい道具”を使ったのか?」
あの状況で助かる見込みがあるとすれば、それ以外にない。
「うふふふふ。ひ・み・つ」
一瞬だけ、彼女の尻を引っぱたきたい欲求に駆られる。
「まあ、なんでもいいが……」
現実として、今、自分は無傷なのだ。大切なのはそこであって、過程は問題ではない。
「それで結局、撮影は成功したのか?」
訊ねると、蓮子は親指を立てた。
「もちろんっ! ――まさか、あの状況で台詞を読み上げるなんてね。演技がまずかったら、声だけ後録りにしようと思ってたけど、悪くなかったわ」
一瞬、何の話をしているのかわからなかったが、どうやら、「うぎゃあ」とだけ台詞が書かれていた、あの台本のことを言っているらしい。
「すごくいい演技だった。お決まりの悲鳴じゃなくて、訳のわからん言葉な感じが、妙にリアリティがあってグッドよ」
「……そりゃどうも」
もっともあれは、ほとんど素のままの感情を口にしただけで、台詞を読み上げたつもりは毛の先ほどもなかったのだが。
「気に入ったわ。ウチにきて妹をファックしてもいい」
カントクは有名な映画の台詞を言った後、
「ま、あたし、妹いないけど」
と、付け加える。
「じゃあ、次の撮影に移りましょうか、ジョカン」
少年は首を傾げた。
「誰が、何だって?」
「だから、ジョカン。一
完太郎、――いや、ジョカンは、今後“学園”関係者のほとんど全員からそのあだ名で呼ばれるとも知らずに、苦く笑う。
「転校早々、妙なあだ名がついたモンだ」
「あたしのことも、これからはカントクと呼ぶといいわ」
カントクが、えへんと胸を張って言った。
「それで? これからどうするんだ」
「あたしの映画が見たいんでしょう? さっき見せたのは、まだほんの一部。大変なのは、まだまだこれからよ」
「ああ……」
そこまで広い意味で言ったつもりはなかったのだが。
「わかった。――付き合うよ、カントク」
後々思い返しても、まったく不可解な感情の動きであった。
ジョカンには、それに抗う気持ちがこれっぽっちも沸いてこなかったのだ。
▼
カントクとは、その日以来の仲である。
――いや。
その日からずっと、彼女に引っ張り回されている、と表現すべきか。
彼女がジョカンに目をつけた理由は、三つ。
一つ。ジョカンが、“学園”内では数少ない、そこそこ“話せる”映画ファンであったこと。
二つ。断片的ではあるものの、助監督という仕事についておおよその知識を持っていたこと(といっても、ソースはDVDについていた特典映像で得た程度のものだが)。
三つ。ちょうど荷物持ちになる男手を必要としていたこと。
結局のところ。
一条完太郎が、“学園”への転校を決心した、その時。
彼が“映画部”に入ることは、運命づけられていたと言えるだろう。
音楽家が楽器を求めるように。
絵描きが絵筆を求めるように。
映画監督もまた、それを補佐する助監督(アシスタント)を必要としていたのだ。
▼
そして、現在。
“学園”から車で三時間の地点。
“終末”以降、ずっと棄てられていた洋館で、ジョカンはカメラを構えていた。
この館の主人は、”終末”が訪れてすぐにここを放棄したらしい。内部はずいぶん綺麗なままだった。階段は破壊されていないし、窓に板を打ち付けてさえいない。丸裸の家だ。
食卓には、「病院に行く」という古い書き置き。
気の毒に、自ら死ににいったようなものだ。
“ゾンビ”騒動初期、人が集まりやすい施設、――“警察”や”病院”などに駆け込んだ人々の末路は、決まって悲惨なものに終わっている。
『あの子のためなら、地獄に堕ちたって構わない。たとえこの世界が、……』
ジョカンの前では、“ヒロイン役”の有坂絵里が、少しオーバーな仕草で台詞を読み上げていた。
絵里の演技は、素人目にも張りがある。聞き取りやすいし、はっきりと感情がこもっていた。さすがは“演劇部”と言ったところか。
……だが。
「――カットカァーットッ!」
苛立ち気味の声。
カメラのスイッチを切ると、「うがーっ」と、カントクがわめいた。
「まあ、落ち着けよ」
「だってだってぇ!」
聞き分けのない子供のように、少女は駄々をこねる。
「映り込んじゃってるんだもん! あの、――腐れ脳ミソ共が!」
映画の設定上、ここは二十一世紀初頭の一軒家である。
まだ、人類が自由に外を出歩けていたころ。
“ゾンビ”も”怪獣”も”ミュータント”もいなかった時代だ。
そんな時代の窓際に、腐り果てた死人が映っているのはどう考えてもまずい。
「“ゾンビ”さんデスよ。カントク」
そう言ってカントクを諌めたのは、金髪碧眼の娘だ。
お人形さんのように始終微笑みを浮かべている少女の名は、マキナ・ドゥームズデイと言う。もっとも”学園”では、”ホン”というアダ名の方が有名だ。
その由来は単純で、“映画部”で主に、脚本(ホン)を担当しているためである。
――カントク、ホン、ジョカン。
この三人が、“映画部”の正規部員であった。
「ところでジョカンくん、ゾンビ映画は観マス?」
ホンが、ふと思い出したように尋ねる。
「観たのは、ロメロ三部作と『バイオハザード』シリーズくらいだな」
「ほほう」
白人娘は、関心したように言った。
「クッソぬるいオタクのくせに、ロメロは観ている訳デスか」
「まあな。面白かったけど、俺の性には合わなかったよ」
「そりゃまた、なぜ?」
「グロすぎる」
すると、ホンが『不思議の国のアリス』に登場するチェシャ猫のように、ニヤリと笑う。
「現実的じゃないデスか」
「それが嫌なんだよ」
ジョカンのシャツは、すでに返り血で黒く汚れていた。
今日一日で、すでにずいぶんたくさんの”ゾンビ”を始末している。
”中央”の学校だったら、表彰されていてもおかしくないくらいだ。
「映画の中でくらい、嫌な現実を忘れたいもんだ」
ため息混じりに言いながら、もう一度カメラを構える。
厄介なことに、”ゾンビ”はいくら片付けても、次から次へと湧いてくる。ゴキブリよりひどい。
どん、どん、と。
今も、生者の匂いをかぎつけた“ゾンビ”たちが窓を叩いていた。
「ジョカン。……やっつけて」
害虫駆除でも頼むように、カントクが言う。
――コレで何度目だ。
そう思いながら、《空気圧縮銃》をホルスターから抜く。
“ゾンビ”は、等間隔で窓をノックしていた。生前はきっちりとした職に就いていたのだろう。ボロ布になりかけているスーツが、彼の境遇のみじめさを引き立てていた。
タイミングを見計らって、丁寧に窓を開けるジョカン。
「うー、あー……っ」
“ゾンビ”は、力なく唸るだけだ。
「すまん」
ジョカンは、ぼそりと一言だけ謝って、“ゾンビ”に銃口を押し当てた。
ドバッ!
強力なエネルギーで圧縮された空気が、その胸元に風穴を開ける。
「おぉおおお……」
哀しげな断末魔の声を上げて、元サラリーマンの某さんは永遠に動かなくなった。
――彼の魂に安らぎあれ。
形だけ祈りを捧げてみる。気持ちの問題だ。
「じゃ、続けよっか」
カントクは、気を取り直すように言った。
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