その2
――セックスと、ドラッグと、ロックンロール。
”外の世界”には、あらゆる邪悪なものがひしめき合っている。
”中央”では、そんな噂も耳にしたが。
完太郎は、校舎内を当てもなくブラつきながら、のんびり考える。
聞くところによると、二十年前に放棄された女子校を再利用しているというこの”学園”は、建物こそ古いが、掃除が行き届いていて、校舎全体にアンティークな味わいが感じられた。
そこには、放置されたコンドームも、使い捨ての注射器も、生き物の尊厳について書かれた看板もない。
人気のない廊下を歩いていると、由緒ある建物を見学しているかのような気持ちになっていた。
気構えていた自分が拍子抜けするほどに、落ち着いた空間だと思う。
ただ、――一点だけ。
明らかに異常だとわかるものが、少し顔を外に向けただけで目に入った。
『おぉぉぉぉぉ……おぉぉぉぉぉ……』
風に乗って聴こえてくる、かすかな唸り声。
およそ三十匹あまりの“ゾンビ”たち。
「……多いな」
ぼそりと独り言ちる。都市部では考えられない光景だ。
もし”中央”で”ゾンビ”など見かけようものなら、ギャーギャーとヒステリックに騒ぎ立てる大人が押し寄せて、即刻射殺されてしまうのが通例だが。
田舎ならではののどかさで、とでも言うべきだろうか。
グラウンドにいる生徒達は、誰一人として、“ゾンビ”の存在を気にとめていない。
――これが”外の世界”というやつか。
”人類の天敵”と隣り合わせに生きることを選んだものの住まう場所。
今、完太郎がいる”学園”も、その一つだ。
――それが、こんなにも牧歌的とはな。
物思いに耽りながら、教室の前を通りかかった辺りだろうか。
「スピー…………スピー、…………Zzzz……Zzzz…………むにゃふ」
中から、誰かの寝息が聴こえてきた。
眉をひそめて、室内を覗き込む。
そこに居たのはあの、”カントク”と呼ばれていた少女だ。
腰まで伸ばした黒髪に、腫れぼったいデザインの黒縁眼鏡。
“幼児体型”という言葉がぴったり当てはまる身体。
最初に彼女を見た時、”仔猫のよう”だと思ったが、その印象をさらに強くする。
そこに”血塗れの制服“という剣呑なトッピングさえなければ、くしゃくしゃと頭をなでてやりたい衝動に駆られていたことだろう。
深いため息が漏れる。
――まあ、このまま放っておくのも可哀想か。
ここで机に突っ伏したまま寝ているくらいなら、部屋に帰してやった方がいいだろう。
「そろそろ起きたほうがいいんじゃないか。……えっと、識名さん?」
「むぐう……」
「もう夕方だぞ。寝るなら部屋に戻ってからの方が……」
その時だった。
ぱちり、と。
電源スイッチが入ったみたいに、少女が目を開く。
「夕方……?」
むくりと起き上がった少女は、はっとした表情で時計を見た。
「寝過ぎた」
それが、彼女の第一声である。
「うおごごごごごごご! まままま、まずいっ! やらかしたぁ!」
完太郎は、ぽかんとした表情でそれを見守るしかない。
「あたしはっ! なんというっ! ことを!」
絶望的に言いながら、少女は机に頭を打ち付ける。
その様子はまるで、世界の終わりを垣間見たかのようだ。
――いけない。どうやらこの娘、少々イカレているらしい。
そう思った完太郎は、とりあえず踵を返そうとするが、
「ねえ君。ちょっと手伝って欲しいことがあるんだけど」
あっさり捕まってしまう。
「まあ、暇してたとこだし、少しくらいなら」
苦い表情をしつつも、そう応えずにはいられない。
「グッドね。君の名前は……ええと。いちじょー、かんたろーくんだっけ?」
「む。どうして俺の名前を?」
「自己紹介してたじゃない」
「寝ていたように見えたが」
「”映画が好き”とかなんとか、そう言ってたでしょ。その瞬間だけ目を覚ましたのよ」
「へえ……」
胡乱に応える。
これから、厄介ごとが始まるのだという実感だけがあった。
「あたし、識名蓮子。みんなからは“カントク”って呼ばれてる。ヨロシクね」
▼
「カントク、おはよ」
「はろー、カントク」
「カントク!」
「ども、カントクさん……」
様々な部活が立ち並ぶ一画。
“クラブ区”と呼ばれているその空間は、想像していた以上の活気で溢れていた。
第一印象は、――魑魅魍魎の巣。
目玉が百個くらいある亀の剥製とか、ロールプレイングゲームに登場するスライムのような生き物が蠢く水槽とか、頭蓋骨に擬態する蟹の殻とか。
先ほどまでいた教室前廊下と打って変わって、ここはずいぶん物にあふれていた。そうすることが許されている場所なのだろう。
そこですれ違う生徒たちもまた、正気と狂気の境界線上にいるような連中ばかりだ。
ホルマリン漬け“ゾンビ”の生首を抱えた”ミステリー研究会”の少女。
”怪獣”の革を使った着ぐるみを着ているのは、”手芸部”の部員。
「もぢぃ、もぢぃ」と独特な鳴き声を発する巨大なネズミとすれ違ったりもした。
”料理研究会”の試食(ゴキブリがぷかぷか浮いているスープ)を丁重にお断りしたあたりで、足早に先を行く少女に声をかける。
「……ずいぶん人気者じゃないか」
蓮子と名乗った少女は、さきほどからほとんどひっきりなしに声をかけられている。その交友関係の広さに、舌を巻く思いだ。
「そう? ここじゃ、フツーこんなもんよ。都会と違って人が少ないから、お互いに人材と技術をシェアしあってるの。それで、自然とみんな仲良くなるってわけ」
「そんなもんか……」
完太郎はしみじみと言う。
――と。
「あっ、あっ、あっ、ああああの、……」
ふいに声をかけられた。
振り向くと、怯えた仔犬のような表情の少女と目が合う。
俯きがちだが、綺麗な娘だ。おっぱいも大きい。
彼女の顔とおっぱいには覚えがあった。先ほど、教室で見かけたばかりだ。
名前は、――……思い出せない。
ぼそぼそした声で自己紹介するものだから、聞き取れなかったのである。
「なに? 絵里ちゃん」
「ま、まま、前に話した、い、衣装の件、ですけど……」
その時だった。
死角になっていた絵里の背後から、二人の、――いや、二匹の人影が飛び出したのは。
落ち窪んだ眼孔。
どす黒い血で濡れた顔。
ボロ布のような服。
――“ゾンビ”。
「危ないッ!」
そう判断した次の瞬間には、行動していた。
絵里の胸ぐらを掴んで、思い切りこちらに抱き寄せる。
「ひ、ひゃっ! な、なななな……?」
悲鳴を無視。ホルスターから《圧縮銃》を抜く。
都会育ちとは言え、このご時世である。
”ゾンビ”の対応は始めてではない。
完太郎は一切の躊躇なく、引き金に力を込めた。
「――ッ!」
カチ、カチ、カチ。
……だが。
意思に反して、《圧縮銃》が作動しない。安全装置が働いているらしかった。
「……な。あれ?」
「ちょっとちょっとちょっとぉ!」「すとっぷ、すとっぷっス!」
慌てた様子で“ゾンビ”たちが両手を上げる。
数秒の沈黙。
――”ゾンビ”は口を利かない。
そんな一般常識を思い出して。
どうやら、……やらかしてしまったらしい。
改めて見てみると、“ゾンビ”はただの仮装に過ぎなかった。
完太郎は、気まずい感じで《圧縮銃》をホルスターにしまう。
「ええと、その。すまん」
一拍遅れて、絵里と呼ばれた少女にも頭を下げる。
「ホントごめん。大丈夫だった?」
絵里は、思いっきり胸元を掴まれたせいか、服がはだけていた。
ちょっとエロい感じに。
「あの。……絵里、さん?」
念のため、名を呼んでみる。
「…………きゅう」
気を失っているらしかった。
一部始終を見守っていた蓮子が、笑いを堪えつつ、
「衣装は問題なさそうね。――そうは思わない? 一条完太郎くん」
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