第一話『蔓延するゾンビ病への対応策』

その1

・“ゾンビ”の正しい対処法

 その一。支給品の《空気圧縮銃》を構える。

 その二。照準が「オート」に設定されていることを確認。

 その三。おおよその狙いをつけて、引き金を引く。

 以上


 “ゾンビ”は人類が相対した驚異の中でも、もっとも温厚、脆弱で、動きものろく、対処しやすい存在だと言われている。

 “終末”が世界に訪れて以降、その数は減少の一途を辿っており、駆逐よりも保護を優先すべきだという考えも出てきている昨今。その一方で、山奥に数多くの個体が確認され、ゆっくりとであるが、その数を増殖させている、との報告もある。


――“ゾンビ”さんも生き物です。あまり無闇に殺してしまわないこと!

 “園長先生”より




「えーっと。……その。はじめまして。“中央”の学校から転校してきました。趣味は、うーん。……映画が好きなんで、映画を観ることです。名前は、一条完太郎です。……まあ、よろしく」


 冴えない挨拶。

 微笑む担任の教師。

 集まる同級生の視線。

 春の日差しがまぶしい、昼下がり。

 彼女の存在だけが異質だった。


「ぐーっ………むーっ…………ぐーっ…………ふー……。ふにゅむにゃ…………」


 最前列の席。教壇に立つ、完太郎の目の前で。

 一人の女生徒が、熟睡していたのだ。仔猫のように。

 奇妙だと思った。異常だとも思った。

 ぐーすか眠りこけていることが、ではない。


 どす黒い赤色。

 こびりついた歪な模様。

 少女のセーラー服が、血にまみれていることに気づいたためだ。

 怪我をしているように見えない。


――返り血か。


 そう考え至って、初対面を取り繕うための笑みが引きつる。


「そんじゃー、……一条くんはー、えーと、識名の隣でー」


 妙に間延びする口調の担任教師が指し示したのは、そんな少女の隣席だった。

 近づくと、その制服の汚れが一朝一夕で身についたものではないとわかる。

 血を浴びて、それを洗濯して、また血を浴びて、それを洗濯して、――そんなことを幾度と無く繰り返しているのだろう。

 血の色はもはや、少女の制服を染めて、完全に一体化しているようだった。


――怖。


 それが第一印象。

 席につくと、後ろのクラスメイトが小さく声をかけてくる。


「あの娘のこと、気になるかい?」

「ああ……いや、別に」


 ごまかそうとするが、彼は取り合わない。

 そして、したり顔を浮かべながら、こう言うのだった。


「なぁに、すぐにわかるようになるさ。――“カントク”のことはね」



 “学園”の寮室は、もともと教室だったところを強引に改造して作られた七畳間で、ここに二名の生徒が寝泊まりするという。

 ずっと一軒家で一人暮らしをしてきた身からすると少し窮屈に感じられたが、むしろそれくらいがちょうど良い気もしていた。


――手淫はお互いの気配りによって行われるらしい。


 先ほど、聞いてもいないのに教えられた情報である。

 そういう微妙なさじ加減を必要とする人間関係にも、これからは慣れていかなければならないだろう。


――もちろんすべて、覚悟の上だ。


 部屋にはすでに、先客の私物が散乱していた。

 携帯型のゲーム機に、焼け焦げた”終末”以前の漫画本と、チョコレート菓子が多数。それに、金色に輝く甲虫が飾られた古い標本と、真空保存された“ゾンビ”の眼球。きっと白人のものだろう。

 金の甲虫や白人の碧い目は、所有者の死を間逃れるという。数年前に流行ったお守りの一種だ。未だに持ってる奴がいるとは。

 嘆息混じりに、荷をほどく。

 取り出したのは、数枚のメモであった。持ってきた荷物の目録が書かれている。


・普段着 三着 (卸したて。色は全部黒。パンツは赤、黄、青)

・革の手袋  一組(22年、北アメリカ産、トカゲ型“怪獣”の革。ホンモノ)

・コート 一着(冬用。黒。保存場所に注意)

 ※普段着とは別に、寝間着と制服は支給される、とのこと。

・筆箱 一箱 (万年筆、ボールペン他)

・携帯ゲーム 二台 (充電器も忘れずに)


 まず一枚目のメモを確認し、ダンボールの奥から頑丈そうなケースを引っ張りだす。


・“おもちゃ箱トイ・ボックス” 一ケ (後々、先生から七ツ道具のチェック有)


 ケースを開くと、”いのちをまもるために”と書かれた一冊の古びた冊子が目についた。十歳の子供でもわかりやすい、絵付きの取扱説明書だ。

 箱の中央には、ウレタンで固定された一丁の拳銃がある。


 ・《空気圧縮銃》 一丁(常時携帯してよい、とのこと)


 メモを横目に、《空気圧縮銃》を腰のホルスターに収めた。


「あとは……」


・《無敵バッヂ》 五枚

・《サジタリウスの矢》 一本

・《携帯用小型探知装置》 一台

・《ビーム発生装置》 一組

・《蟲撃バグ・ショット》 一丁

・《透明薬》 一瓶(内容物が漏れてないか注意!)


 これらは”みらい道具”と呼ばれている、現代を生き抜くための装備一式である。

 “おもちゃ箱”の底面には、防衛省の管理番号が割り振られていた。

 これはつまり、下手に内容物を失くしでもしたら、やたら長い反省文を書かされた上に、都市部までとんぼ返りしなければならないことを意味している。

 完太郎の出身地は、“中央府”あるいは”中央”と呼ばれていた。

 かつては大阪と呼ばれていた地区である。

 ”終末”以降、早々に東京が首都機能を喪失してからというもの、この国の政治は主に、”中央”によって執り行われていた。

 “中央”には数多くのものが集まる。だが、様々な点で、僻地である”学園”のようなところの方が物資的には豊富だ。

 それは、ここが旧都市部からそう離れていない山中に存在していることと無関係ではない。” ゴミ漁りスカベンジ”と呼ばれる破棄された建物に対する略奪行為は、現在、人類の文化文明を保護するという名目のもと、法的にも肯定されているのである。

 ”学園”案内のパンフレットによると、「もし世界が滅びても、“学園”は十年保つ」そうだが。

 まったく、奇妙な皮肉である。

 物に恵まれていても、”人類の天敵”と隣り合わせの生活だ。

 ふと、クラスメイトからの質問が頭によぎった。


――どうしてわざわざ、こんなところに転校を?


 苦笑いが漏れる。

 まさしく、おっしゃる通りで。

 ”中央”の都市部に行きたがる者は多くとも、そこから望んで出ていこうとする人間は珍しい。

 運良く物資移送のバイトをしている従姉妹の手を借りることができたとは言え、ここまで来るのに、ずいぶん手間がかかった。

 そうまでして転校を決意した理由は、――なんだったか。

 ずいぶん、単純なことだった気がする。

 環境を変えたい、と。……そう思った。それだけだ。

 そこで、寮部屋の扉が開く。

 顔を出した眉の太い男は、立花京平という。これから寝食を共にする同級生だ。


「おつかれさんっ」


 部屋に入るなり、京平はボトル入りのコーラを投げた。

 完太郎は、それを空中で受け止める。


「ナイスキャッチ。おごりだ」

「……助かるよ」


 ありがたくそれを飲み干す。喉がからからだったのだ。


「いい飲みっぷりだ、相棒」

「相棒、か」


 まだ、出会って数時間も経っていないというのに。


「そういや、もう部活は決めたのか?」


 京平は、どかりと勉強机に腰掛けながら、訊ねた。


「部活?」

「ウチの生徒はな、最低でも何か一つ、部活に所属しとかにゃならん決まりがある。早いうちに決めといた方がいい」

「ちなみに立花くんは、」

「京平でいい」

「――京平は、どの部活に入ってるんだ?」

「“鬼ごっこ部”だ」

「ふーん。そう」

「おお? いまちょっと小馬鹿にしたか?」

「ソンナコトナイケド?」

「棒読みだぜ、この野郎。言っとくが、鬼ごっこは男の遊びだ。時折死人だって出る」

「そりゃ、ハードだな」

「新入部員はいつでも募集中だ。迷ったらウチに来い。な?」


 苦笑交じりに応える。


「わかった。検討しとくよ」

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