07 Bye-Bye
片桐さんは胃が痛い。
いつも大抵、特に率いている部下がお馬鹿な発言・行動等をしでかした時にキリキリと痛み出すが、腹部をナイフで突き刺すほど熱くジクジクとした痛みは、前職を辞める直前に感じたものに似ていた。
片桐は元警察官だ。西方の県警の交番勤務からコツコツと年月を積み重ね、一時期は機動隊にも所属していた叩き上げだったが、地位と年齢を重ねれば重ねるほど見えて来る上層部の腐敗臭が胃痛の原因だった。大勢の人間と面子と権力を守るためならば、少数の無辜の民と些細な冤罪の犠牲は仕方がないと言う考え方が蔓延った組織が片桐を蝕み、一時期は入退院を繰り返した事もあった。
今の会社――日神関連の警備会社からのスカウトを機に退職して、在職中に学んだノウハウが今の仕事に活かされてはいるが部下は以前より扱い難かった。まるで小学校の低学年を相手にしているように感じる事もあるが、小学校の低学年のように素直なのが幸いしてキリキリと胃は痛むが辛くはなかった。
しかし、今は警察組織に身を置いていた頃のように胃に激痛が走り、鈍い金色のラインが走るヘルメットの下には脂汗が滲んでいる。原因は……彼の隣に立つ、この男だ。
「駄目です、タクシーを乗り捨てた以降の足取りが全く掴めません。監視カメラの死角を縫って行ったようです」
「タクシーを奪われたと言う運転手から話を聞いていますが、有力な情報は得られません」
「外れの倉庫群も、一つ残らず中を確認しましたが、姿を確認できませんでした」
「……もう良い。お前らは家に帰れ」
「っ! う、
「黙れ」
「は、い……」
片桐よりも頭二つは背の高い男の声が胃の痛みを加速させる。ただでさえ、大型バイクのエンジン音に似た腹に響く低い声をしているのだ……この男・浮羽は。
片桐はこの男と何度か顔を合わせた事があるが、未だにその奇妙さと得体の知れない恐怖に慣れない。犬の口輪としか言いようのない黒い拘束具を口に嵌め、濃いカーキー色のモッズコートのフードがすっぽりと頭を覆っているのはいつもの浮羽の姿だ。フードの奥に見える、大物を見付けて狙いを定めた狩猟愛好家のギラギラした目に似た視線も、この男がかつての現場に乗り込んで来た時と同じだった。
彼を始めて目にした時、片桐の一番下の息子が好きなカードゲームのキャラクターに似ていると感じたが、あながち間違いではない。そのキャラクターと言うのは狼男なのだが、彼は警備員やノアの裏側を知る者たちの間で「日神の猟犬」と呼ばれている。
「センパイ、あの人誰ですか?」
「お前知らないのか? 浮羽さん……日神オーナー直属の部下だよ。あんな感じだから、猟犬とか飼い犬とか呼ばれているけど、実際トンデモない人だ。噂じゃどこかの国の外人部隊の出身で、紛争地帯を渡り歩いて来たとか……っ!?」
「センパイ!?」
黄金隊の中の一番の新入りに隣にいた隊員が小声でひそひそと浮羽の事を教えていたが、何か癇に障る言葉を滑らせてしまったようだ。音も気配もなく接近して来た浮羽に気付かず、無防備な腹筋に拳を突き立てられたのである。
そのまま、先輩隊員の膝が崩れ落ちて地面に蹲りそうになったがそうはさせてもらえなかった。浮羽が片手で首を掴み、重装備の成人男性を軽々と持ち上げられると先輩隊員の口からは、腹の痛みによる呻き声か窒息寸前の息苦しさなのか判別付け難い声が漏れる。いや、どっちも正解だろう、このままじゃ本当に死ぬ。
「浮羽さん! 申し訳ありません! うちの隊員が……こんな奴でも、ローラー操作の手足にはなります。なので、下ろしてやって、くれませんか……?」
「申し訳ありませんでした!」
「……」
120度ぐらいの角度で頭を下げた片桐と、彼に習って同じく頭を下げた後輩隊員を痛いほど鋭い視線で見下ろすと、浮羽は手を放して先輩隊員を乱暴に落とした。救護班に相当する隊員が即座に彼に駆け寄って、他の隊員に担架の用意を指示するが、彼らもまた生きた心地がしなかった。
浮羽と言う男は、「日神の猟犬」と言われている。揶揄ではない、本当に忠実な猟犬なのだ……主人の下へ、仕留めた獲物を確実に届けるから。
浮羽が“出動”する事態になれば、十中八九九分九厘酷い事になる。獲物は死亡、一般への被害多数と言うのは最早お約束になってしまっているのだ。
だから、片桐さんは胃が痛い。この都市の暗部を知らずに、ただただ楽と言う感情を求めてやって来る一般の人々への被害を最小限に抑えるのを最善としている彼は、この男は迷惑そのものであり恐怖の対象でもあるからだ。
先輩隊員を落とした浮羽が、何も告げず黄金隊から離れてどこかへ向かうまで片桐は頭を上げる事ができなかった。そんな自分がまるで、領主へ嘆願する村長のように思えたのは最後の非番の日に観た時代劇の再放送が、そのような内容だったからだろう。酷く惨めに感じて、自身の現状を心の中で呪いもしたし愚痴りもした。だけど現在進行形で絶賛逃亡中である藤次郎に対しては、怒りの一つも湧かない。
内容も立場も違えども、片桐も藤次郎も自身の“仕事”を全うしているのは同じだからだ。
「……あの人、何で俺たちの会話が聞こえたんでしょう? 隊列の最後尾で、ほんとうに小さな声で話していたのに」
「浮羽さんは地獄耳らしい。ついでに、鼻も犬並みに効くそうだ」
片桐の胃に、再び激痛が走った。
07 Bye-Bye
藤次郎たちが身を潜めている建物の鍵を、無理やりこじ開けて黄金隊が入って来た時は驚いた。彼らの足跡を丁寧に追ってビジネス街での外れまで捜査の手を伸ばしたのは、流石片桐だと感心しながら建物の入り口に設置されてあるカメラ(これも前の持ち主が設置した)の映像に隊員が映ると息を潜め、物音を立てないようにじっとして気配を消した。
オフィスが入っている建物もただの倉庫として使われている建物も、空き家となって何年も放置されている建物も虱潰しに捜査に入り、忽然と足跡が途絶えた藤次郎らを捜していたが防火扉の向こうにある隠し部屋は見付けられなかったらしい。
建物内を1~3階まで一通り捜索し終わると、此処は無人だと判断した黄金隊隊員が出て行って……メロウが安堵の溜息を吐いた。
早く諦めてこの一帯から、できればビジネス街から出て行ってもらいたい。あちらも粘られたらこちらが身動きできなくなる。
メロウとテンペストをノアから脱出させるためプランはこうだ。物資の搬出入のためのゲートの中で、随分長く勤めている割には随分と手抜きのチェックをする警備員のシフトが入っている北のゲートから脱出する。その警備員が、病欠の代打で明日の午後10時~午前6時までのシフトに入る事になったのはアッキーから得た情報で解っていた。そこで、以前から藤次郎の仕事に手を貸しているトラック運転手――以前から名前は出ていた、モーリーと言う彼のトラックの荷台に潜り込んで脱出する手筈になっている。
モーリーは、明日の早朝に外部からの物資をノアに運んで来て午後11時に別の物資を搬出しながらノアを出て行く予定だ。彼もまた、藤次郎と同じく今まで何人もの人間をノアから脱出させているのでメロウたちをトラックに押し込んだ後の事も安心して任せられる。彼女たちをトラックに詰め込んでからの藤次郎の仕事は、プランが狂ったとき時ためバックアップといざと言う時のための搖動だ。
「あと12時間以上もあるが、それまで粘るぞ」
「……」
「……人体反応、接近中。来る」
「っ?!」
黄金隊の姿がモニターからフェードアウトし、気配も何もかもが消えて数分経ってから藤次郎も彼の隣のメロウも安心して肩の力を抜いた。しかし、彼らが張り詰めていた神経を緩めて無防備になっていたこの瞬間、テンペストが外部の存在を察知した。そして、藤次郎とメロウも嫌でもその存在に気付いて心臓を痛いほど跳ねさせられた。
鉄製の棚が置かれている壁が大きく振動し始めたのだ。その衝撃で棚に収められていたダンボールが次々と落下し始め、中に入っていたミネラルウォーターやカップラーメンが床に転がり、仕舞には棚も倒れて衝撃が与え続けられている壁にはヒビが入って来た。
何だこれは?誰かが重機でも持ち出して、建物の壁にしつこいタックルでも決めているのか?何が起きているのか理解する暇もなく、壁のヒビが穴に変貌して行く。真っ先に動いたテンペストが壁の穴から侵入して来た腕を掴むと、そのまま何馬力搭載されているのか解らない馬鹿力で殴り返したのである。これにて、壁に開いていた小さな穴は人間が通れるほどの大きな穴にメタモルフォーゼを果たし、テンペストが外に出て侵入者(未遂)を相手にし始める。
壁に穴を開けると言う、ダイナミックな侵入を遂行しようとした誰かの登場に、藤次郎とメロウにも驚愕する暇も狼狽える暇も与えなかった。次の瞬間に、その者によってテンペストの両腕が切断されたからである。
「っ!?」
「テン!!?」
「……電磁、ナイフ」
刃渡り20cmは優に超える巨大なコンバットナイフは、テンペストの人工皮膚を切り裂く電磁ナイフだった。既に黄金隊との戦闘の情報が流れてしまっていたのだろうか……あの時のナイフの何倍も巨大な電磁ナイフが、テンペストの二の腕から下をスッパリと切断し、二本の腕とメロウが巻いた包帯が地面に落ちた。
そして、両腕を失った彼の身体の腹部に左腕が突き刺さると隣の建物の壁にめり込んだ。テンペストの衝撃で、建物の壁が崩壊して瓦礫がボロボロと落ちる。そして、彼の人工知能が状況を整理して次の行動に移るためタイムラグ、ほんの0コンマ数秒の刹那とも言える間で再び距離を詰めると、テンペストの眉間に当てられたデザートイーグルの銃口から.44マグナム弾が全て撃ち込まれたのだ。
「お嬢様を、連れて……逃げ、ろ……藤次郎」
「テン……っ」
こいつは、“何”だ?
誰だ、ではなく何だ?と、WhoではなくWhatと言う疑問が出たのは、侵入未遂をやらかした襲撃者があまりにも異質に見えたからだ。
左腕には、壁に穴を開けた際とテンペストを壁にめり込ませた際に使ったと思われる物……あれも一体何だ、創作物のパイルバンカーにしか見えない。そんな、巨大な鋼鉄製の杭が左腕に装備され、右では電磁ナイフを握って決して柔らかくはないアンドロイドの両腕を切断し、50口径のデザートイーグルを片手で発射させた化け物だ。巨大な体躯もそうであるが、暗い色のモッズコートのフードから飛び出ているソレが不気味にも見えた。
フードの下から犬の口輪が飛び出ていた。噛み癖のある大型犬の口を塞ぐための躾用の口輪が、2m近くもある巨体の人間の口を覆っている。本当に何なんだお前は、漫画の登場人物か?それともアニメか、それともソーシャルゲームか??藤次郎の疑問は彼の口から出て来なかった、口を動かすよりも逃げる事を優先したからである。
「メロウ!!」
「……五月蠅い、それに、臭う」
「っ!!?」
すっかり畏縮してしまったメロウの手を引いて立ち上がらせると、微かに肩を震わせて藤次郎にギュっとしがみ付き、彼女を連れてこの場から脱出しようとしたが逃げられなかった。襲撃者が開けた穴から藤次郎が出て来たその瞬間、先ほどのテンペストと同じく腹部にパイルバンカーが突き刺さり、藤次郎の身体が50mは吹っ飛んで道路に無様に転がったのだ。1人残されたメロウが藤次郎に近付こうとするが、未だ震える小さな肩が巨大な手で痛いぐらい強く掴まれた。
既に、犬の口輪をした襲撃者に……捕まっている。
「メロウ・愛神だな」
「……、……っ」
「日神様がお呼びだ」
「やめろ、お嬢様……」
ノイズが混じるテンペストの声など、存在しないものとして扱われた。顔面に八発もの.44マグナム弾を撃ち込まれたテンペストは、顔の人工皮膚が火薬の熱で焼き切れて頭の三分の一が吹っ飛んで、面積の半分以上から基盤が見えている。両腕は落とされその切り口からはコードやら電流やらが垂れ流されて、さっきまでは本物の人間と区別が付かなかった彼の姿は、出来損ないのロボット……もしくは、人間に化ける途中の異形の姿に変貌されていた。
メロウ1人でこの襲撃者から逃げられるのは無理だと、AIのコンピュータで計算しなくても答えが出ている。襲撃者の口から日神の名が出た、奴からの差し金で間違いない。このままでは、メロウは日神の下へ連れて行かれる。動かない身体を動かそうとするテンペストだったが、ボディがコンピュータから送られる命令を遂行できずに空振りを続けている。頭部のコンピュータにはボディ損壊率81%と表示された、この損壊率では通常動作さえもできない。それでも、メロウを連れて行かせまいと必死に人間のように足掻いて壁から脱出しようとするテンペストに、二発の銃声が響いた。
襲撃者は一発目の銃声で意識をそちらに向け、次の銃声で微かな痛みを感じた。二発目は、襲撃者の左肩に命中したのだ。藤次郎が撃った、SAKURAのゴム弾が。
「……何故死んでいない」
「幸運の女神が、助けてくれたんだよ」
幸運の女神――メロウがあの時、藤次郎にしがみ付いた時に言葉を書くためのタブレット端末が藤次郎の腹部に添えられていたため、パイルバンカーの攻撃は端末越しに突き刺さったので即死は免れたのだ。それでも、肋骨が数本折れているだろう。痛む身体を持ち上げて息切れ切れの状態でSAKURAを取り出し、空砲を含む二発を撃ったがこの時ばかりは実弾を装填しておけば良かったと後悔した。殺傷能力のないゴム弾一発で、あの化け物を止められるはずはない。
そして、藤次郎の足掻きでテンペストが動き出す……そんな、奇跡を生み出すための時間稼ぎにはならなかった。
襲撃者はメロウの肩を捕まえたまま藤次郎との距離を詰めると、負傷した腹部に蹴りを入れられて再び激痛が走る。SAKURAからは手を放さなかったが、藤次郎の口からは痛みを堪える呻き声と酸素を求めて繰り返す荒い呼吸しか出なかった。みっともなく蹲って、更に咳き込み始めた藤次郎に反撃する力は残っていなかった。襲撃者が取り出したもう一丁のデザートイーグルが眉間に押し当てられ、引き金に指をかけられる状態になってまでも何も出来なかったのだ。
このままではテンペストと同じく、処刑でもされるのか微かに理解したが……藤次郎の顔面に.44マグナム弾は撃ち込まれなかった。老け顔の顔面は、ぐちゃぐちゃになっていない。メロウが鳴らした甲高いアラームの音によって救われたのだ。
「……っ」
「どけ」
「……!」
「どけ」
「……!!」
また、メロウに救われた。
タブレットのアプリ以外にも、小さなブザーを持っていたらしい。彼女が鳴らしたアラームで襲撃者の顔が一瞬だけ痛々しく歪むと、その時に緩んだ手の拘束から抜け出したメロウが襲撃者と藤次郎の間に入って来たのだ。藤次郎を抱き締めて「どけ」と言われても、デザートイーグルを額に押し付けられても首を横に振るばかりで決して藤次郎の傍を離れなかった。
襲撃者の、襲撃者を送り込んだ日神の狙いはメロウだ。もっと言えば、兵器発動の鍵となっている彼女の肉声だ。彼女を生きて日神の前に連れて行かなければならないので、当然、邪魔だからと言う些細な理由でメロウを殺す事はできない。メロウ自身もそれを理解しているから、藤次郎を庇って出て来たのだ。
彼を殺させない、泣きべそをかきそうな顔をしながら……それでも、声は決して出さず必死に強がっていた。
「……」
「お前が大人しく日神様の下へ出頭するならば、この男の生命は助けよう。あの人形も、スクラップにはしないでおいてやる」
「……」
「待て、メロウ……行くな、メロウ……!」
襲撃者の言葉に、メロウは小さく頷いた。
彼女を呼び止めようと、口を開いて手を伸ばしたがそれと当時に身体中に走る激痛と息苦しさに藤次郎の意識がだんだん遠退き視界もブラックアウトして行く。ぼやけた藤次郎の目に映ったメロウが、あまりにも美しく哀しそうに笑って……。
それを最後に、藤次郎の意識はプッツリと切れた。
***
頭がガンガンと痛む……頭だけではなく、身体全部が痛い。
藤次郎の意識が浮上してゆっくり瞼が開き、薄暗い中華ランタンの光と意識を失う前の記憶を認識して飛び起きると、身体中を槍で突き刺されるような激痛がやって来た。槍で突き刺された経験はないが、それだけの痛みに支配されているのだ。
「メロウ……? メロウ! テン!」
「落ち着いて。麻酔、切れちゃった?」
「……乙女ママ。と言う事は、此処は泡月か?」
「正解」
上半身裸の状態でベッドに寝かされ、隣からは艶っぽい女の気怠そうな声。これだけ聞けば淫らなシチュエーションかもしれないが、ベッドに寝かされた藤次郎の上半身は包帯だらけだし腕からは点滴のチューブが伸びているし、隣で聞こえた声の主からは消毒液の臭いがして、色っぽい顔に不釣り合いな隈があった。
恐らく、重傷を負った自分は泡月に運び込まれて乙女ママの手術を受けたのだろうと藤次郎は判断する。あれから何時間が経った?メロウに救われてしまった、あの時から。顎に手を当ててみると無精髭がざらりと指に痛い、この伸び具合から見るに既に日は跨いでいる……寝過ぎた!
「早薙ちゃんたちが連れて来たの。一体何があったの? 肋が肺に刺さりかけていたわよ。私にもメールをくれた、女の子を逃がす仕事かしら?」
「乙女ママ……俺の他に、ボロボロになったアンドロイドがいただろう? あいつは、テンは?」
「別室で早弓ちゃんが診ているわ。私はアンドロイドは専門外だけど、起動しているって意味なら彼も“生きて”いるわ」
「そうか……良かった」
「……ねぇ、藤次郎」
白衣を思わせる真っ白なチャイナドレスを来た乙女ママが、色っぽい溜息と共にベッドからギシリと音を出して藤次郎の隣に腰を下ろす。彼女とは長い付き合い、それこそ、彼がノアに居を下ろす前からの付き合いであるが無意識な色っぽい行動には未だに慣れる気がしない。
「もう、辞めちゃったら? 逃がし屋」
「できる訳ないだろ。何度目の質問だ、それは?」
「心配しているのよ。アンタには、うちの女の子も何人か逃がしてもらっているから、強くは言えないけれど……日神を相手にしたら、生命がいくつあったって足りないわ」
「心配、してくれるのかよ。ママ」
「一応ね。やっぱり私の中では、アンタはまだ死んだ旦那の部下でしかないのよ。若くて可愛い、熱血漢な藤次郎ちゃん」
「ありがとうな。痛み止めをくれ……メロウを、取り返しに行く」
「藤次郎!」
痛みに顔を顰めて、這ってベッドから起き上がり腕から点滴を引き千切った藤次郎に乙女ママは呆れたと溜息を吐いた。中華風の椅子に掛けてあった自身のジャケットを包帯グルグル巻きの上半身を隠すように着込んで、治療室を出ようとドアノブに手をかけようとしたタイミングで弾正姉妹のどちらかが入って来た。一瞬、どちらなのか判断しかねたが耳のピアスが梟だったので早薙だと理解した。彼女もまた重傷を負っていたはずの藤次郎が起き上がっているのを目にして、酷く驚いたように呆れたように瞠目していた。
「藤次郎、お前……!」
「早薙、テンはどうだ?」
「っ、早弓が言うには、もうあのボディじゃ動けないって。今は、AIやその他の破損がないかスキャンの最中だ。それとこれ、メロウちゃんから」
「メロウから……っ」
そう言って、早薙から手渡されたのはメロウの言葉を書くためのタブレット端末と、デリンジャー型スタンガンだった。端末はパイルバンカーの一撃目の衝撃で蜘蛛の巣状のヒビが入っていて今にも折れそうになっていたが、液晶機能は生きていたらしくメロウの“言葉”が残されていたのだ。
『ありがとう』
『さようなら』
ヒビが入った液晶の上に書かれた言葉は、一文字一文字を酷く丁寧に書いたように綺麗な、可愛らしく小さくて、微かに線が震えているものであった。
「……っ、あいつ……!」
「誰だ? メロウちゃんを連れ去ったのは」
「違う、あいつは自分から付いて行ったんだ。俺とテンを……あいつに救われた」
「あんまり叫ぶなよ。肋を痛めている状態で叫ぶのは自殺行為だぞ。どんな奴だった?」
「……犬の、犬の口輪を着けた奴だった」
「っ! やっぱり、浮羽か」
「知っているのか?」
「日神直属の飼い犬だ。あいつを動かしたって事は、よっぽどメロウちゃんが大切って事なのか……お互い、浮羽を相手にしてよく生きていたな」
「まさか、お前が休業していたのって」
「うん……前の仕事で日神にちょっかい出したらさ、私も肋三本もって行かれた」
そう言って自身の胴を撫でた早薙もまた、浮羽と言うあの襲撃者から辛うじて生き延び乙女ママの手術を受けていたのだ。浮羽はノアの裏で名の通った狙撃手である彼女に休業を余儀なくさせたが、実際に浮羽を相手にして生き延びた2人の方が異質らしい。
日神が浮羽を動かす時、その標的となった人間は十中八九九分九厘、死体となって日神の下へ運ばれるからだ。
「人間じゃあり得ない遠距離から、梟のように音も立てず狙撃するお前が居場所を気付かれたのか?」
「どうやら浮羽とか言う男、どんな小さな音も聞こえる地獄耳で、オマケに遠方から臭う煙草の残り香も嗅ぎ取れるほど鼻が利くらしい。それにあの口輪だろ、だから存在を知っている奴は日神の飼い犬とか、猟犬とか言っているんだ。犬は、鼻以外にも耳が良い」
「そうか、だからか。カップラーメンのスープの匂いでも、嗅がれたのか」
通りで、普通に捜したら見付かりっこない隠し部屋の存在に気付かれたはずだ。犬並みの聴覚と嗅覚を持つ浮羽には、藤次郎たちが立てる小さな音も少し前に食べたカップラーメンの醤油臭もしっかりばっちり察知されていたのだろう。それが天然の人間技なのか、それともトリックか何かがあるのかは解らないが胆に銘じておかなければ……絶対に、メロウを奪還するにはまた相見える事になるはずだ。
今の自分は、本当に馬鹿な事を考えていると藤次郎は感じた。だって、メロウを奪還すると言っても具体的にどう言うものか解っているのか?ノアのカミサマのお膝元どころか懐の中にいる、1人の少女を支配下から脱出させようとしているのだ。
ジャケットのポケットに入れたままにしていた自身のスマートフォンを取り出すと、時刻は午前2時14分を差していた。本当に、とんでもない寝坊をしでかしてしまっていたと苛立ち紛れに頭を掻き、電話帳に登録されているアッキーの番号へ、時間帯に対しての躊躇の欠片も見せず電話をかけた。この時間なら、Bar Bestはまだ営業しているはずだ。
『もしもーし、藤次郎ちゃん? どうしたの、約束の時間の確に……』
「アッキー! 今日の昼まで、今から言う商品追加だ! 全部きっちり揃えて用意してくれ!」
『え? え? 急追加注文って何?!』
「それと、お前の店の自動人形のパーツを譲ってくれ! この際女物でも良い、両腕はしっかり揃えろ!」
『えー……あ、はい。ちゃんとお代を払ってよ!』
バーの客たちが楽しそうに酒を呑み交わす声をBGMとして聞き流しながら、アッキーに必要な物資を全て伝え終ると絶対に時間までに用意しろと念を押して通話を切り、痛む身体を引き摺りながら部屋を出て行く。向かった先は、テンペストが運び込まれた部屋だ。藤次郎がいた部屋の直ぐ隣、闇医者としての乙女ママを頼って来るための治療スペースの内の一室に、初となるアンドロイドの負傷者が運び込まれていたのだ。
身体ごと倒れ込むように入室すると、ベッドに寝かされたテンペストとその脇で二台のパソコンと睨めっこをしている早弓がいた。藤次郎の姿を目にすると、早薙と全く同じ顔と表情で瞠目したのでやはり双子だと、妙なところで納得してしまった。
そして、先ほどまでの藤次郎と同じくベッドに寝かされているテンペストは、人工皮膚が焼き切れて基盤や電子回路が剥き出しになってしまった顔にはそれを隠すだけの包帯が巻かれ、点滴のチューブではなく様々なコードが繋がっている。両腕は落とされたままなので、何本ものコードが伸びるのは耳の部品が外れた頭部や心臓がある位置だ。そしてコードが行き着く先は早弓の操作するパソコン、早薙の言っていたスキャンの真っ最中だった。
「藤次郎!」
「早弓、テンは動けるか?」
「今のところ、プログラムやAIに異常はない。擬似人格もバグった様子は見られない、けれど……このボディじゃ無理だよ」
「さっき、アッキーに自動人形用のパーツを注文した。そいつを繋げる事は?」
「できない事はないけど、外見がフランケンシュタインの怪物みたいになるよ。もしくはキメラ」
「構わねぇ。こっちは戦力が欲しいんだ……オイ、起きろテン! メロウを取り返しに行くぞ!」
「スリープモードだからまだ起動しないよ! そうだ、藤次郎、彼のプログラムの中に妙なものがあったんだ」
「妙なもの?」
死んだように機能を停止させているテンペストの胸倉を掴んでも、ただ重いだけで微動だにしない。人形のように……ではなく、スリープ状態のテンペストは本当にただの人形だった。精巧に造られた、美しい顔と身体をした、創造主が理想とした美しい存在だが、その心を言うべき英数字の羅列の中に早弓曰く“妙”なものがあったと言う。
どこが“妙”なのか、黒い画面に規則性も何も存在しないかのように並ぶ英数字のどこが“妙”なのか、ド素人である藤次郎にはサッパリ理解できない。ので、説明はプロにお任せした。
「テンペスト君の擬似人格プログラムを構成するアルコリズムの中に……あーっと、簡単に言うと、プログラムの中に邪魔なものがある。しかも、結構の容量で」
「邪魔なものって、バグじゃないのか?」
「解らない。私の予想では、何かの書き換え・修正のためのプログラムじゃないかな? それが、彼の擬似人格の中に混ざり込んで一体化してしまっている」
「書き換えと、修正? どう言う事だ」
「……G.O.L.Tの、破壊プログラム、だ」
「っ!? テン!」
「創造主夫妻が開発した、電子機器の無効化させる兵器、通称・ゴルトを破壊するためのプログラムが、私の中にある」
とんでもない真実を口に出したテンペストが、片方しか残らなかった瞼と、ヒビが入ってしまった唇を開けて、起きた。
To Be Continued……
***
【登場人物】
その①
竜宮藤次郎
・逃げたい人も金も物品も脱出させる『逃がし屋』
・ギリギリ20代だが、老け顔のためにオッサン呼ばわりされる事が多々ある
・趣味と実益を兼ねて料理に手を出してみたら以外と上手く行って美味い物が作れるようになった。圧力釜の扱いに長けている
・ラーメンは味噌派
・愛車は数か月前に買い替えた中古のBMW(偽装ナンバー)
・愛銃はM360J(通称・SAKURA)
・某レシピ投稿サイトには会員登録済み
・ゴマ油ばら撒き逃走により、手に香ばしい匂いが残ってしまった←NEW
その②
メロウ・愛神
・声を出してしまったら世界が終わる系女子、絶賛逃亡の身……のはず
・16歳の割には幼なく、ちょっと世間知らずなところがある箱入りのお嬢様
・声は出さないが顔に感情がよく出る。特に「美味しい」と言う感情は思いっ切り出て来る
・ラーメンを食べた事がないくらいには箱入り娘
・電撃の弾丸を発射できるデリンジャー型のスタンガンを所持
・清楚系のガーリーファッションが通常スタイル
・卵を割った事はなかったが、包丁を握った事はある……
・カップラーメンを初体験しました←NEW
その③
テンペスト
・自己学習人工知能搭載型自動人形、早い話が高スペックのAIのアンドロイド
・一にお嬢様、二にお嬢様、三四がお嬢様で五がお嬢様
・メロウを守るための武装とプログラムを施されているが、メロウを優先しすぎてどこかズレてる成長途中のへっぽこAIを搭載
・ボディのエネルギーはエコ設計
・何馬力あるのかは言えないが、少なくとも狸に間違われる某青いロボットよりは上
・音は重要です
・目に望遠機能は搭載されているが、透視機能はありません
・お嬢様のためならタイマーにもなります←NEW
その他
・濃い
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