06 Promise

 英数字の羅列で形成されたテンペストのメモリー――記憶の中で、最も古い日付のものは今から12年も昔のもの。創造主であるメロウの父親がふかふかしていた小さな頭を撫でてくれたところから始まっている。

 彼は元々、メロウの遊び相手として開発された。簡単な受け答えと会話と、少しの手足の稼働ができるだけの人工知能が搭載された、小さな少女の腕にすっぽり抱える事のできる犬のぬいぐるみをボディとしてコノ世に生まれ落ちたのだ。

 生み出されて最初に課せられた使命は、嵐に怯えるメロウの傍にいる事だった。立派な屋敷の壁さえも大きく揺らす強風に激しい大粒の雨、轟音劈く雷鳴の恐怖に泣きじゃくるメロウを守って彼女を笑顔にするために、彼は生み出されたのだ。だから、「テンペスト」を名付けられた……“嵐”は恐くない、友達になれるから。その日から、メロウは強風も豪雨も轟雷もへっちゃらになった。恐くても、テンペストがいてくれたから。

 それから、テンペストはずっとメロウと一緒にいた。特に、当時の愛神家の屋敷の庭を2人で隅々まで遊び尽くした。庭師によって手入れされた芝生の草原を走り回り、数多の種類のバラが咲くアーチを潜り、大木の太い枝に造られたブランコを一緒に漕いだ。その中でもより一層テンペストのメモリーを消費して色濃く残っている記憶は、メロウと共に彼女の母を鬼としたかくれんぼをしていた時の事だった。

 子供の低い視線でなければ発見できない位置にある大木の洞の中と言う隠れ場所が良かったのだろう、母親はテンペストを抱き締めて洞の中で小さく潜んでいたメロウの事を見付けらなかったのだ。この場所を見付けたメロウも、絶対に見付からないと言う自信があったらしい。母親が彼女の名前を呼ぶ声が聞こえる度にドキドキしたけれど、その声が遠ざかって行くと柔らかい両頬紅潮させて、凄く得意げな表情をしていた。

 その内、「お母さん、もう降参する~」と言う母親の声が聞こえて来たので此処にいるよと声を出して居場所を知らせようとしたメロウの口に、ふかふかしたテンペストの腕が触れたのだ。


「お嬢様、声を出してはなりません」


 この時の母親の声は、わざとらしい抑揚と作られた高音、間延びした語尾とAIの耳にも明らかにおかしい声だったのである。恐らく、降参と言ったのは嘘だ。降参したように見せかけて、メロウが出て来くればきっと「捕まえた」と言って笑顔で確保されてしまうだろう。

 メロウがかくれんぼに勝つ事を最優先に考えていたこの頃のテンペストは、彼女が自分から出て行く事に反対したのである。


「お嬢様、音は、重要です。お母様の声は、不自然な音をしています。恐らく、罠です。まだ、隠れていましょう。私が絶対に、お嬢様を鬼から逃がして差し上げます」


 犬のぬいぐるみの助言に小さく頷いたメロウは、テンペストをギュっと抱き締めて母親の気配がなくなるまでじっと息を潜めて隠れ続けていた。そして、彼のお陰でかくれんぼはメロウの勝利となったのだが、見事に何時間も隠れてしまった事が災いして警察を巻き込んだ大騒動になってしまったのである。

 庭から出て迷子になったか、事故に巻き込まれたか。それとも不審者に誘拐されてしまったか……両親と警察による大規模な捜索によって、大木の洞の中で幸せそうに眠っていたメロウが発見され騒動は事なきを得た。そして同時に、メロウは半泣きの母親に叱られた。その横では、テンペストが父親に叱られた。

 この事件から、テンペストのAIには自己学習機能が搭載された。メロウと共に学び、成長し、彼女の生涯の友になれるようにと。




06 Promise




「……メモリーのバックアップ、完了。起床、しました」


 AIが搭載されたアンドロイドに睡眠が必要ないが、記憶媒体に蓄積されたメモリーデータを整理・バックアップするためのスリープモードが必要である。

 人間が睡眠時に夢を見るのは、1日に蓄積した記憶を脳内で整理しているからだと言う。テンペストに搭載されている自己学習機能付きのAIも、同じような段階を踏んで学習し、成長するのだ。

 真夜中の一定時間、一時的に機能を停止させて本体をスリープモードにすると、小学生が毎日の出来事を日記に描くように1日で見聞きして体験した記録を再生して学ぶべき点と反省すべき点を拾い上げて、それらを保存するために記録を記憶する。

 そのスリープモードの最中に、時々、自己学習機能を搭載される切っ掛けになったメロウのかくれんぼ事件の記憶を再生――思い出したりしていた。あの頃とは違う、あの頃の犬のぬいぐるみは高性能のアンドロイドに成長していた。12年に渡る自己学習によってAIは人間と変わらぬ程度まで成長し、人間とほとんど変わりのない外観のボディには武装が備えられ、勿論戦闘の心得も学習している。

 メロウを守る事ができる。嵐だけではない、どんな厄災も人災も自分が傍にいれば彼女を恐がらせる事ないのだ。

 いつものメロウの起床時間まであと12秒。彼女を起こそうと、弾正姉妹が貸したベッドへと近付けば、タオル生地の肌掛けに包まって静かな寝息を立てている。膝を抱え込むように丸くなっているメロウの顔を覗き込んで見ると、目元に若干の腫れがあった……悪夢でも見たのか?恐ろしい夜に、泣いてしまったのだろうか?

 彼女が起きたら冷たいタオルを用意しなければならない。そう考えたテンペストの体内時計、文字通りの本当の時計が起床の時を刻むと、小さく丸くなるメロウの身体をゆっくりと揺さ振った。


「おはようございます、お嬢様」




***




 朝食係は、当たり前のように藤次郎であった。

 焼き立てのパンと新鮮野菜のサラダは、Café de Aragniéeと同じフロアにある早朝営業のデリに注文しているので藤次郎は目玉焼きとベーコンを焼いて、豆をトマトソースで煮込んだぐらいだった。しかし、早弓は固焼きで早薙は半熟で、サラダのドレッシングは三種類用意しておけとか、ベーコンはカリカリに焼けだのと色々と注文が多くて辟易した。しかし、匿ってもらっている身分のため文句は言えないのである。

 だけど、1日だけでも隠れ場所を提供してもらい時間を稼いだのが功を成した。アッキーに依頼していた情報が手に入ったのもそうだが、ノアから脱出するための足となる搬出入のトラック運転手とも連絡が付いたのだ。


「アッキーに注文していた品も夕方には手に入る。例の手抜き警備員は、病欠の代打で明日の夜~早朝のシフトに入ると解った……脱出の目途が付いたぞ。決行は、明日の夜だ」

『解りました』


 問題があるとすれば、アンテナを張っている黄金隊の目をどうやって欺くかだ。

 連中も馬鹿ではない。ノリが良くてSNSの情報を鵜呑みにしやすい若手の現代っ子を中心としているメンバーだが、実体は選りすぐりの精鋭部隊である。その少数精鋭を、藤次郎たち裏稼業の者たちも一目置く片桐が率いているのだ。本気で動き始めた黄金隊を舐めてかかったら、痛い目を見るどころではない。もう二度と、早弓のハッキングによる情報操作の罠にはかかってくれないだろう。

 それともう一つ。昨日の佐竹と愉快な部下どものような、懸賞金目立ての奴らもついでに相手にしなくてはならないのである。


「もう一度、モーリー……運転手との合流ルートを練り直すか。テン、手伝ってくれ」

「承知した」

『私も何か、お手伝いできる事はありますか?』

「大丈夫だ。メロウは無事に脱出する事だけを考えていろ」

『ありがとうご』


 端末にそこまで書いたメロウがペンを止めると、一旦全ての発言を消して再び書き直した。「ありがとう、藤次郎」。

 敬語ではなくなったその言葉に満足げに頷いた藤次郎だったが、後頭部に突き刺さるテンペストの視線が痛い。何お前、いつの間にお嬢様との距離を縮めているんだこの野郎(意訳)と、言っているような気がした。口には出していないけど。

 一方、昨夜の藤次郎とのやり取りから色々吹っ切れたのか、敬語を止めたメロウの表情は、ふとした瞬間に見せる憂いが取り払われ、随分と清々しく見えた。

 今日の彼女のカジュアルな服装もその要因かもしれない。早薙から渡されたと言う服は、キャラメル色のロングパーカーだ。ファスナーを首元まで閉めてワンピースのように着こなすそれは、背中に白くて丸い翼がプリントされているのが可愛い、と早薙が言っていた。ロングパーカーの下に穿いている厚めのレギンズに、蜘蛛の巣のような銀糸が刺繍されているのは早弓の趣味だろう。ちゃっかりピッタリサイズのスニーカーまで用意して、双子好みの服装にチェンジされている。

 膝下丈のワンピースとパステルカラーのボレロが似合うお嬢様から一転、動きやすく少女らしい可愛らしくとも活発な姿となったメロウは、今までとは違うちょっとやんちゃそうな顔で小さく微笑んだ。


「藤次郎、まずい事になった」

「どうした早薙」

「他から連絡があったんだけど、全部の店に黄金隊が抜き打ちで調査に入っているって」

「っ!?」

「うちに来るのも時間の問題だよ。今の内に逃げるか?」

「そうするしかないだろう」

「他に潜める場所は?」

「いざと言う時のための隠れ家はある。明日まで、そこに引き籠っておく」

「それが良い。メロウちゃんを、絶対に奴らに引き渡すなよ」


 機械式立体駐車場に収めたままになっていた中古のBMWが見付かってしまったため、芋蔓式に藤次郎たちの足取りが掴まれてしまった。

 情報操作のみならず、監視カメラも操作されている事に気付いたのだろう。片桐の指示によって足並み乱さずに動く黄金隊は、もう自分たちの目で見たものしか信じないと言わんばかりに、商業ビルに入っている店舗を一軒一軒虱潰しに捜査して、指名手配犯となっている藤次郎と彼の依頼人であるメロウを探している。

 アサイーボウルが名物のカフェでモーニングを終えた女性グループと、アサルトスーツで武装した黄金隊がすれ違うのは妙な光景だった。


「1班、異常ありません」

「2班も同じく」

「イーストエリアに向かった3及び4班も同じようです」

「了解。次はウエストエリアに入ります。1班は75~90ブロックを、2班は91~100ブロックを」

「はい!」

「げ、1班の担当の中に蜘蛛カフェがある!」

「俺、蜘蛛駄目なんだよな……此処だけは代わって欲しい」

「文句言うな」

「そうだ、朝の蜘蛛は縁起物ってばっちゃんが言っていたぞ」

「早く行きなさい!!」

「イエッサー!」


 蜘蛛嫌いの隊員の尻を叩いて、別行動の3及び4班へも指示を入れた片桐は自身がいるビルの西側と北側の境目からウエストエリアを見渡した。まだ朝の時間帯では、ウエストエリアに集中するカフェの自慢のモーニングを食べに来る客が多いのだろう。朝早くから浮足立って楽しそうにカフェのメニューを覗いているが、黄金隊とすれ違うと眉を顰める者も少なくなかった。

 客の他にも、開店準備に追われる従業員やビルの清掃員等が早足に往来する中で、たくさんのダンボールが積まれた台車を押す2人の清掃員が片桐の横を通った。もし、台車に積まれているダンボールが、人間が隠れられる大きさの物であったら清掃員を呼び止めて中を改めただろう……生憎、台車の上に積まれているのは人間の頭を隠せるぐらいの大きさの物しかない。

 普通ならば気にも留めないはずなのに、この時の片桐の耳に直観に近い何かが囁いて台車を押した清掃員たちを呼び止めていたのだ。


「そこの台車、調べさせて頂いても?」

「……」

「日神セキュリティガーディアンズの片桐と申します。ご協力をお願いできませんでしょうか? そのダンボールの中身、全て調べさせて下さい」

「……逃げるぞ、テン!」

「承知、した!」

「っ! いたぞ!!」


 清掃員のツナギと帽子を脱ぎ捨てて台車を引っ繰り返し、ダンボールをぶちまけたのは片桐たちが追っている竜宮藤次郎本人と、ヘリを墜落させたアンドロイドで間違いなかった。しかも、中に入っていたクッション材と共にダンボールの中から出て来たのは、無傷で保護しろと指令が出ている少女ではないか……あの小さなダンボールの中に隠れていたのか?

 ダンボールと台車で片桐の不意を突いた藤次郎は、メロウを俵担ぎにするとテンペストを先頭にして逃走を図ったのだ。


「緊急連絡! ターゲットを発見した! 保護対象の少女と、その連れのアンドロイドと共にノースエリアへ逃走中! 3、4班は正面から、1、2班は私と共に追跡する! 人間には極力被害は出すな!! ……っ、ダンボールに穴を空けて、その中に隠れていたのか」


 ぶちまけられたダンボールには大きな穴が開いていた。小さな箱を積み重ね、その中にメロウを隠していたのである。これなら、外からはダンボールが積み重なっているだけにしか見えない、誰も人間が隠れられない大きさのダンボールの中身は調べようとはしないのだ。

 しかし、片桐に看破されてしまい指名手配犯たちは逃亡した。彼らを追うのは、片桐に率いられた精鋭部隊だ。


「藤次郎、逃走ルート、は?」

「非常階段に行くぞ! エレベーターは止められたら終わりだ」

「承知、した」

「……っ!」

「来たぞ来たぞ、前からも……後ろからも!」

「これより、障害を排除する!」

「殺すなよ」

「善処、する」

「コラ!」


 藤次郎に抱えられたメロウが見たのは、自分たちを追って来る片桐と黄金隊の1、2班。藤次郎とテンペストに目に入ったのは、こちらに迫って来る別働隊だった。あと数十mほど走ればエレベーターだけでなく、その横にある非常階段に辿り着けるがこのままでは挟み撃ちにされてしまう。

 藤次郎を、メロウを抱えた彼を逃がすために動いたテンペストが視線を上に向けると、ビルの中央の吹き抜けには巨大なバルーンが展示されていた。大きなテディベア型の透明なバルーンの中に七色のハート型のバルーンがいくつも詰められたそれに向かって、左腕に内蔵されているワイヤーを伸ばして絡め取り思いっ切りこちらへ引っ張ったのだ。

 バルーンを吊るしている強固なワイヤーがタコ糸のように切れて引き寄せられると、パンパンに空気が入れられて鈍器と同等の強度となったバルーンがこちらに向かって来る黄金隊に向かって突っ込んで来たのである。


「わーー?!」

「熊がーー?!」

「……お前、本当に何馬力搭載されてんの?」

「秘密、だ」

「……」


 挟み撃ちにするはずだった黄金隊がテディベアバルーンの下敷きになっている間に、藤次郎たちは左折して非常階段を下りて行く。

 今いるフロアは17階、メロウを担いだまま大して長くはない脚で一段ずつ階段を飛ばして下って行くが通常の機動力は黄金隊隊員の方が断然上だ。その証拠に、藤次郎たちが最初の踊り場に駆け降りたその時、隊員の1人が階段を下りずに手すりを乗り越えて命綱も付けずに非常階段から落ちて来たのである。


「お嬢様」

「っ!」

「テン!」

「……行け、藤次郎」


 隊員が即座に仕掛けて来たのは足払いであったが、メロウを守るために藤次郎と隊員の間に入って来たテンペストによって隊員の足は止められた。しかし、そのまま身体を捻ってから両腕を床に着いて屈伸させて身体を持ち上げると、テンペストの顔面に蹴りが入れられたのだ。だが、その蹴りもガードして、隊員のアサルトブーツを鷲掴む。

 テンペストはこのまま上から降りて来る黄金隊を食い止め、藤次郎を先に行かせるのを選択した。下の階に回り込んでいる隊員の対処は藤次郎に任せよう、伊達に『逃がし屋』をやっていないのだからそれぐらいはできなければ困るのだ、メロウを守れない。

 藤次郎の肩に大人しくしがみ付いているメロウを守るために、上からの追手は自分が迎え撃つ。


「ヘリを落としたアンドロイドか。昨日のお前のせいで、3人が病院通いになったんだぞ!」

「非常事態に付き、申し訳ありませんでした。現在も、非常事態となっております」


 踊り場に落ちて来た隊員がテンペストと距離を取ったのを合図に、階段の上から銃弾の雨が降り注いだ。相手がアンドロイドであるために遠慮はしない事にしたのだろう、一斉射撃で降って来たのはフルメタルジャケットの実弾だった。だが、そんな柔な人工皮膚ではないので当たっても跳ね返るだけである。逆にこちらからゴム弾を撃ったが流石精鋭部隊、壁や手すりの陰に隠れてやり過ごし攻撃を続けたのだ。

 敵はそれだけではない、踊り場の隊員が低い姿勢から腰に両手を添えると、ベルトに隠していた仕込みナイフを抜いてテンペストに斬りかかって来た。


「電磁ナイフ」

「フルメタルジャケットは駄目でも、これなら効くのか。どけ!」

「その命令は、聞く価値がありません」


 両腕でガードしたが、人工皮膚を切り裂いて傷の下からは深緑色の基盤が見える。普通のナイフでは掠り傷どころか蚯蚓腫れもできないテンペストの人工皮膚であるが、最新鋭の技術を利用した電磁ナイフ――電流と磁力によって、1秒の間に何百回もの振動を可能にした特殊なナイフまでは対処できなかったようだ。

 両手の電磁ナイフを手にテンペストに向かって来た隊員の攻撃を避けて階段を飛び降り、それを追って黄金隊の隊員が次々と非常階段に侵入して来る。誰もメロウに追い付かせない。電磁ナイフの傷などお構いなしに、テンペストは戦闘モードに入った。

 一方の藤次郎であるが、途中の階で侵入して来る黄金隊をあしらいながらメロウを担いで階段を駆け下り、ビルの出口を目指した。このままこの建物を脱出して、自身が所有しているいざと言う時のための隠れ家に向かう手筈だ。隠れ家の場所はテンペストにも事前に教えていたので、そこで合流する事になっている。しかし、そう簡単に脱出を許してくれないだろう。このビルには駐車場の入口含めて十カ所の出入り口があるが、既に封鎖されているはずだ。

 体力が続く限りの速度で階段を下り、あと1階のみとなったところで再び周り込まれてしまった。


「待て! 逃がし屋……」

「邪魔だーー!」

「ぐぇっ?!」

「メロウ、ギュっとしがみ付け! ついでに、耳塞げ!」

「っ!」


 もう面倒臭くなったので、助走を付けて階段から飛び降りると1階から周り込んだ隊員の腹に蹴りを入れてやった。潰れたカエルのような悲鳴を上げて引っくり返ったが、黄金隊ならばきっと大丈夫だと勝手に判断してその隊員を踏み付けて逃亡してやったのだ。

 が、まだいる。鈍い金色のラインが入った揃いのアサルトスーツが、こちらに迫って来ているではないか。

 むざむざ捕まる訳には行かない、メロウを奴らに引き渡す訳にも行かない……メロウが両耳をしっかり塞いだのを確認すると、ホルスターに仕舞い込んでいたSAKURAを手に取って銃口を天井に向けると、藤次郎は引き金を引いたのだ。

 乾いた銃声が響いたと同時に甲高い悲鳴が劈き、黄金隊の間には一瞬の動揺――隙が、生まれた。


「あいつ発砲したぞ!」

「来客を守れ!」

「待ちなさい。竜宮の銃は、一発目は必ず空砲だ! 今の射撃では被害は出ない」

「だったらよう、二発目からは実弾だって事になるぜ片桐さん! 引き金を引かせないでくれよ!」


 藤次郎のSAKURAは、一発目は必ず空砲だから怯む事はない。だが二発目は実弾だ。行く手を塞ぐのならば無差別の発砲も辞さないと言う態度を取って、銃口は天井から正面へと移動する。片桐たちは一般人を優先して最小限の被害で動こうとするが、こちらは違う。こちらは、仕事の達成のためならばなりふり構わず引き金を引けるのだ。

 しかし、実はこの銃に装填されているのはテンペストの物と同じ殺傷能力のないゴム弾である。何発も撃ち込まれれば気絶もするが、撃って一発当たっても最悪ヒビぐらいしか入らない物だ。だけど、あくまでフルメタルジャケットの実弾が装填されているように装わなければならない……ハッタリで誤魔化さなければならない。そのハッタリに一瞬でも誤魔化されてくれれば、数秒の隙が稼げるのだ。

 SAKURAを黄金隊へ向けたまま、メロウを担いだ藤次郎が向かったのは非常階段付近にある出入口。自動ドアがロックされてシャッターも下りているそちらへ走る標的を追って黄金隊も再度動き出した。が、そんな彼らの足元へ藤次郎が手にしていたペットボトルの中身をぶちまけると、黄金隊の隊員たちはツルっと滑って転倒して、ついでに壁にぶつかったりしていた。


「気を付けろ! 油を撒かれたぞ!」

「しかもこれゴマ油だ、良い匂いがする!」

「原始的な手ぇ使いやがって!」

「だが、出入口を封鎖した以上、逃げる事は……っ!?」


 そう、しっかりと全部の出入り口も駐車場も封鎖したはずだった。ビルの警備室のコンピュータで全てにロックをかけてシャッターも下ろしたのに、藤次郎たちが向かう出入口のシャッターがゆっくりと上がって自動ドアも左右に開いているではないか。隊員たちは焦った。が、焦れば焦るほど床のゴマ油で滑って転び、警備室に連絡を入れてもコンピュータが勝手に開けたとビルの警備員に泣き付かれる。

 藤次郎とメロウはシャッターを開けたのが誰であるか勘付いた。半分ほど開いたシャッターの下からスライディングしてビルからの脱出を成功させたその時に、「Good Luck」と言うメールと共に蜘蛛のアスキーアートを送信した人物が、警備システムをクラッキングして出入口を開けた犯人であると。


「はい、お客様どちらま……でっ!?」

「はい、ごめんね。カージャックとかじゃないから、急いで此処に向かってくれ」

「はいい!!」

『お願いします』


 スライディングで脱出したビルの真正面がタクシープールなのは事前に確認済みだ。乗客を感知した後部座席のドアを自動的に開くとそのままメロウを放り込んで乗り込むが、運転手は藤次郎の手にあるSAKURAの存在に跳ね上がりそうなほど動揺した。しかし、カージャックではないと言いつつSAKURAを後頭部に突き付けながら行き先のメモを渡すと、タクシーの運転手は焦ってアクセルを踏み込み急発進したのであった。

 後はテンペストが合流できれば……頭の片隅で彼の身を案じながらSUKURAをホルスターへ仕舞うと、80km/hほどでぶっ飛ばしていたタクシーが急停車してしまい、その引力で座席に倒れ込んでしまったのだ。


「って、どうした運転手!?」

「……お前、指名手配犯だろ。賞金の上限ナシの! ツキが回って来た! こんなタクシーの運転手なんてしなくても、お前を日神に付き出せば何度でもやり直せるっ?!!」

「どうもありがとう」

「……っ」


 どうやらタクシー運転手に顔を知られていたらしい。

 賞金目当てで藤次郎を突き出そうとした運転手だったが、運転席から身体を乗り出したその瞬間にビリビリと電流が迸ってそのまま蹲ってしまった。先ほどの急停車で後部座席の下に転がってしまったメロウが、運転手に向けてスタンガンを発射したのである。

 こうなってしまっては仕方がないので、このままカージャックする事にしよう。運転手を引き摺り出して路上に放置し、千円札を握らせてそのままタクシーを拝借したのだった。


「お釣りは取っとけ~」

「ま、待てー! 足りねぇぞ馬鹿野郎ーー!!」


 こうして、タクシーを強奪して逃げ果せた彼らが向かったのはビジネス街の外れだった。高層ビルばかりが建ち並ぶエリアの中では異彩を放つその周囲には、倉庫のような外観の2~3階建ての建物が並んでいる。少し前に、こう言ったシンプルな建物に企業が入り個々にアレンジして独自のオフィスを造ると言うのが流行した一帯だ。

 高層ビルの中にオフィスを入れるよりは随分と安く済むため、起したばかりの若手企業家や個人経営の企業がこぞって買い求めていたのだが、今では地方のシャッター街のようになっていて両手で数えられる程度のオフィスが点在しているだけだった。

 ビジネス街に入って直ぐにタクシーを乗り捨て、メロウの手を引きながら監視カメラの死角を通りながら此処までやって来ると、隠れ家がある倉庫の陰にテンペストがいた。


『テンペスト』

「ちゃんと来れたみたいだな」

「追手は撒いた。お嬢様、お怪我は?」

「っ!」

「お前が怪我してんじゃねぇか」

「アンドロイドに、気遣い不要です」

「……取りあえず、建物の中に入るぞ」


 困惑した様子でテンペストの傷を撫でるメロウをそのままにしておく訳にも行かないので、建物の鍵を開けて中へ入るように促した。いざと言う時のための隠れ家は此処であるが、普通に隠れても見付かってしまう。本当の隠れ家は、2階の防火扉の向こうにあるのだ。

 藤次郎が車のリモコンキーのような楕円形の物体を取り出して防火扉の前に翳して扉の上に設置されていた非常口誘導灯が赤く点滅すると、防火扉の向こうから下に続く狭い階段が姿を現した。その階段を下がると、鉄製の棚にダンボールが収められた六畳ほどの広さの空間があったのだ。


「いざと言う時のための場所だ。日付が変わるまでは此処に隠れる」

『此処は藤次郎が造ったの?』

「いや、昔の依頼人から報酬代わりにもらったもんだ」


 家族経営の企業が多額の負債を抱えて倒産し、挙句の果てにあちらこちらからの借金が膨れて一家心中手前の状態で藤次郎に泣き付いて来たのは『逃がし屋』の仕事を始めた頃の話だ。払える報酬がないと言う事でこの隠し部屋の鍵を譲られ、いざと言う時のための隠れ家として準備していた。どうやら社長の趣味だったらしい、自分の会社なり家を持ったらこんな風な秘密基地風の隠し部屋を造りたかったと、鍵の受け渡しの際に語っていた。

 下水も電気も完備されているし、藤次郎によって飲み水と非常用の食糧等を運び込まれているのでその気になれば1カ月ぐらいは此処に立て籠もる事だってできる。

 棚に収められたダンボールの中からミネラルウォーターを取り出してがぶ飲みし、メロウにも勧めてみたら水よりもテープが欲しいと書いて――言って来たので、別のダンボールに入っている医療用テープを差し出す。どうやら、テンペストの応急処置に使うつもりらしい。


「どうだ、テンの傷は?」

「……」

「相手が、電磁ナイフを使って来ました。いくつか、攻撃を受けてしまいました。申し訳、ありません」

「……」


 ぶんぶんと頭を振るメロウは「そんな事ない」とでも言っているのだろう。電磁ナイフの攻撃をガードした際にできてしまった腕の傷をそっと撫でると、医療テープを小さく千切ってテンペストの傷に貼る。藤次郎が包帯を出して手渡すと、いくつも貼ったテープの上にそれを巻いて応急処置は終了した。


「申し訳ありません、お嬢様」

『こういう時はありがとうって言うの』

「……ありがとうございます。お嬢様」

『傷は深くないけれどしばらく腕を使わないようにして』

「……承知、しました」


 メロウが安心したように胸を撫で下ろすと、途端に彼女のお腹から可愛らしい音がして来た。時刻は12時になったばかりだが、色々あってカロリーを消費してしまったのだろう。思わず吹き出してしまった藤次郎は、携帯型のガスコンロの上にミネラルウォーターを入れたヤカンを乗せ、沸騰するまでの間にダンボールの中から食料を取り出した。

 取り出したのは、某有名食品メーカーの筒型のカップラーメン。この間は味噌ラーメンだったから、今度はベーシックに醤油にしよう。音が出ないタイプのヤカンがお湯の沸騰をお知らせしたので、容器の内側の線までお湯を注いで3分待つ。


「3分待てば、美味しいラーメンの出来上がりだ」

『これはカップラーメンですよね? テレビのCMで観た事あります。本当に3分で食べられるんですか?』

「そこが技術の凄いところだよな。テン、3分計ってくれ」

「……残り、2分14秒」


 タイマー……ではなく、テンペストが3分を知らせてからカップラーメンの蓋を剥がすと、袋麺とは違う旨味が凝縮された香ばしい匂いが立ち込める。

 既にワクワクそわそわと落ち着きがないメロウへ、プラスチックのフォークで麺を解してからゆっくり手渡すと、彼女は「いただきます」と手を合わせてからゆっくりと麺を啜った。その反応は、爆発した事務所で作った袋ラーメンを食べた時と、同じ反応だった。


『美味しいです!』

「これで、袋麺とカップラーメンは体験したか。店のラーメンとはまた違って美味いんだよな。時々、無性に食べたくなる」

『お店のラーメンとはどう違うのですか?』

「そりゃ、色々違うんだが……説明すると難しいな。実際食べてみるのが一番解りやすいが。食べてみたいか?」

「……」


 藤次郎の問いかけに、メロウはスープを少し飲んでから小さく頷いた。味噌と醤油を食べたなら、次は豚骨や塩を体験してみてはどうだろうか。脂ギドギドよりは、野菜多めでトッピングが豊富なメニューの方がメロウは気に入るかもしれない。あまり脂が多いと、彼女の隣の番犬に怒られてしまいそうだ。


「なら、全部が終わった後に食べに行こうぜ」

「っ」

「ノアにも美味い店はあるが、ノアの外にはもっと美味い店がある。全部が終わったら、オススメの店に連れて行ってやるよ」

『本当ですか?』

「ああ、約束しても良い」

『約束して下さい! みんなでラーメンを食べに行きましょう!』


 その“みんな”には、きっとテンペストも入っている。

 嬉しそうに立てられたメロウの小指に、無骨な藤次郎の小指が絡んで指切りがされた。針千本もハリセンボンも飲みたくないので、この約束は絶対に果たさなくてはならない。A国の大使館の近くに、美味いラーメン屋はあっただろうか?

 追われている身のはずなのに、こんな風に呑気にラーメンを啜っている場合ではないはずなのに……この時ばかりは、秘密の隠れ家に随分と穏やかな空気が流れていたのだった。






 To Be Continued……




***




【登場人物】

その①

竜宮藤次郎

・逃げたい人も金も物品も脱出させる『逃がし屋』

・ギリギリ20代だが、老け顔のためにオッサン呼ばわりされる事が多々ある

・趣味と実益を兼ねて料理に手を出してみたら以外と上手く行って美味い物が作れるようになった。圧力釜の扱いに長けている

・ラーメンは味噌派

・愛車は数か月前に買い替えた中古のBMW(偽装ナンバー)

・愛銃はM360J(通称・SAKURA)

・某レシピ投稿サイトには会員登録済み←NEW


その②

メロウ・愛神

・声を出してしまったら世界が終わる系女子、絶賛逃亡の身……のはず

・16歳の割には幼なく、ちょっと世間知らずなところがある箱入りのお嬢様

・声は出さないが顔に感情がよく出る。特に「美味しい」と言う感情は思いっ切り出て来る

・ラーメンを食べた事がないくらいには箱入り娘

・電撃の弾丸を発射できるデリンジャー型のスタンガンを所持

・清楚系のガーリーファッションが通常スタイル

・卵を割った事はなかったが、包丁を握った事はある……←NEW


その③

テンペスト

・自己学習人工知能搭載型自動人形、早い話が高スペックのAIのアンドロイド

・一にお嬢様、二にお嬢様、三四がお嬢様で五がお嬢様

・メロウを守るための武装とプログラムを施されているが、メロウを優先しすぎてどこかズレてる成長途中のへっぽこAIを搭載

・ボディのエネルギーはエコ設計

・何馬力あるのかは言えないが、少なくとも狸に間違われる某青いロボットよりは上

・音は重要です

・目に望遠機能は搭載されているが、透視機能はありません←NEW


その他

・濃い

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