03 Wanted

 建ち並ぶ小洒落たブランドショップでは、流行りの服を着た八頭身以上の自動人形オートマータが出迎えてくれる。動くマネキンとして近年のファッション業界で重宝されている彼らは、滑らかな動きでプログラムされたポージングを決めて、それに魅せられた来客は彼らが着ている服を何十万も金を出して購入して行くのだ。

 服を購入したら、それに似合いの小物も揃えたい。ブランドショップではバッグも靴も取り揃えているし、数軒先には確かな品質を誇るジュエリーショップも店を構えているし、その隣は化粧品ブランドだ。

 買い物に疲れてしまったら、世界的なチェーン展開をしているコーヒーショップで休憩を取ると良い。季節のタルトを取り扱うパティスリーも、ネイルサロンもあればリラクゼーションサロンだってある。

 当然、アパレル系のショップだけではなく、人々の様々なニーズに完璧に答えられるだけの店舗がその区域には密集していた。たった数mだけ歩くだけで、満足が行くお買い物をできるショッピングエリアから人が消えた場面を見た事がない。かと言って、混雑する人混みの中をかき分けて歩かなくて良いのは、このエリアの規模が桁外れに広いのと、交通整理をするような誘導警備が行き届いているからだろう。

 快適の中に快感が伴う有意義なショッピングタイムを約束してくれる区域を、中古のBMWがすり抜けるように徐行しながら駐車場を案内する看板に従い、左折した。機械式立体型駐車場の前に設置されている監視カメラの前を当然のように通り過ぎ、中古のBMWごとリフトに乗り込むと扉が閉まった。

 通常ならば、リフトが動く前に中の人間が下車して車の預かり証を受け取り、正面の人間用出口から隣接しているビルに入ってショッピングでもティータイムでも楽しむのだろう。だが生憎、藤次郎たちはそんな楽しそうな休日を過ごしに来たのではないのだ。


「此処、は?」

「さっきの狙撃手たちの本拠地が入っているビルだ。ちょっと待ってろ」


 リフトの内部に設置されているタッチパネルで隠しコマンドを入力すると、通常とは違う出口が開く。裏稼業の人間しか知らない裏技だ。タッチパネルが設置されている壁が、小さなモーター音を立ててゆっくり回転すると、その壁の向こうにいたお目当ての人物が出迎えてくれたのである。


「フォローありがとう。休業していたって聞いたが、腕は鈍っていないようだな」

「こちらこそ、面白そうな仕事に誘ってくれてどうもありがとう」

「藤次郎、この女は?」

「俺と同じ、ノアの裏稼業のみなさんの内の1人だ。メールで募った協力者の中で、真っ先に乗って来た奴らの片割れ……」

「その子が藤次郎の依頼人の女の子? よっし、大当たり!」

「……って、話を遮るな」

「可愛い~! ねえ名前は? 幾つ? 清楚系のガーリーファッションが好みなの? ああ~本当に可愛い女の子だ~藤次郎の依頼人にしておくのが勿体ない!」

「……!?」

「貴様、お嬢様から離れろ」


 染めた気配がない黒髪に黒いライダースーツ、同じ色の細長いケースを背負った黒ずくめの女は、両耳を貫いている梟型のピアスが特徴的だった。あのケースの中身は、先ほどハイウェイでドローンを打ち抜いたスナイパーライフルSV-98が収納されているのだろう。約600mの距離から小さな標的を打ち抜いたその腕前は、滅多にお目に係る事のできない一流である。

 しかし、いくら一流のスナイパーでもやって良い事と悪い事がある。藤次郎の話を遮ってメロウに近付いたそのスナイパーは、可愛い仔猫を前にした少女のようにキラキラと瞳を輝かせてメロウに抱き付いたのだ。しかも頬擦りまで始めて髪を撫で回して肩に手を置いてと、同性間を良い事にセクハラし放題しているのだった。

 いや、同性間でも駄目な時は駄目だろう。

 勿論テンペストは激おこである。まだ熱の籠る銃身を、女の後頭部にゴリリと当てたが残念ながら動揺すらしていなかった。


「こんな場所でおっ始めるな。メロウも戸惑っている」

「メロウちゃんって言うんだ。いやー、この誘いを受けて大成功!」

『この方は?』

「ほらほら、立ち話もアレだしうちの店においでよ。どうせ追われているんだろ」

「だから話を聞けって」


 メロウの質問もスルーして彼女の肩を抱いたまま回転扉を通り抜けて行った梟の女を、テンペストが追う。そして藤次郎は、排出されたカード型の受取証を手にしてリフトから降りると、回転扉は何事もなかったかのように元に戻り、中古のBMWは8階の駐車場に収納された。




03 Wanted




 上機嫌でメロウをエスコートしている梟の女が案内したのは、駐車場に隣接している商業ビルの中にあるカフェ通りと呼ばれる一角だった。あの回転扉から地下へ向かうと、そこにあったのは秘密の通路。秘密の通路を抜けて上へ向かう階段を登ると、女が言う「うちの店」に続いているのだ。

 学校から帰って来た小学生のように「ただいまー」と間の抜けた言葉と共に、階段の先にあった扉を開いて中へ案内されたメロウは思わず目を見開いた。出迎えてくれた人物が、隣にいる梟の女と全く同じ顔をしていたからである。

 瓜二つとは正にこの事、山型に半円を描く眉もスっと綺麗に通った鼻筋も全く同じ顔の作りだった。違うところと言えば、出迎えた方が白いブカブカのカーディガンを着てレンズの大きな黒縁眼鏡をかけている事と、黒い蜘蛛のピアスをしている事と言う身形の違いぐらいだ。それぐらいでしか、両者を判別できないほどそっくりなのである。


「ただいまー藤次郎たち、連れて来たよ」

「お帰り~……っ! そ、その子が依頼人の女の子!?」

「そう、可愛いでしょ」

「可愛い! 可愛い! えー、藤次郎の依頼人にしておくのはもったいない! 私たちに鞍替えしない?」

「??」

「だから、メロウが混乱しているから一気に喋るのはやめろって!」

「……一卵性双生児と、思われますが」

「そうだよ。こいつらは弾正ダンジョウ姉妹、俺たちの中でも結構な有名人だ。色々な意味で。狙撃手が妹の早薙サナギ、あっちがハッカーの姉、早弓サユミだ」

「やだなあ藤次郎、ハッカーとかそんな崇高なモンじゃないって。クラッカーの自覚はあるけどさ」

「“ハッカー”って言った方が、一般人は解りやすいだろ」


 藤次郎と同じく、ノアの水面下で大っぴらには言えないお仕事を請け負う裏稼業のみなさんの内の2人、弾正姉妹……自称クラッカーの姉と狙撃手の妹。早弓と早薙。

 姉の早弓はコンピュータに精通し、依頼を受けて金を積まれればどんな情報でも入手する。企業の顧客データでも有名人の通信データでもなんでも盗むし、何でもこっそり削除もする。しかも、侵入・攻撃された方はその事に全く気付かないほど、静かに素早い。

 妹の早薙は先ほどの腕前を見たら解るだろう、ノアでも一、二を争う凄腕のスナイパーだ。だが、殺し屋ではないのでその手の依頼は決して受ける事はないと本人は語っている。

 藤次郎が知る裏稼業のお仲間の中でも、腕が確かであり決して日神側に付く事はないと断言できる2人だ。その理由は、メロウにベタベタと密着しているその攻撃を見れば察しが付くだろう。

 この姉妹は、可愛い女の子が大好きなのである。16歳の可愛い女の子とノアの支配者、どちらに味方するかと問いかけたら瞬時に前者を選択する2人だ。可愛いは正義。

 同性愛として女の子が好き。ではなく、ぬいぐるみや愛玩用動物を愛でる類の“大好き”であると思いたいが、年齢よりも幼く小さくあどけなく見えるメロウは彼女たちの好みにクリティカルヒットしたようである。早薙に続いて、早弓までもがメロウの白くてふっくらした頬へ頬擦りをしながら抱き締め初めてしまった。


「メロウちゃん、フリルは好きかね? 良いロリータ服があるんだけど、着てみない……?」

「?!?」

「有名女子校のセーラー服(レプリカ)とか興味ない?」

「犯罪臭を醸し出すな」

「藤次郎、こいつらは日神よりも危険だ」


 確かに色々な意味で危険な双子だが、今は贅沢を言っていられない状況である。


「俺の事務所が黄金隊に割れちまった、しばらくメロウだけでも匿って欲しい。此処ならそう簡単に見付からないだろ」

「大歓迎! このビルから半径1kmの監視カメラはこっちで掌握しているし、巡回も深くまで突っ込まない。ずっとうちにいてくれても良いよ」

「それは、遠慮したい。お嬢様は、ノアから脱出しなければ、ならないのです」

「ふ~ん……どうして脱出しなければならないかは、同業者のよしみで聞かないでおくよ。ようこそ、お嬢様。Café de Araignéeへ」


 弾正姉妹は、表向きはこのビルでカフェを経営して日神の傘下に収まっている。しかし、その裏ではこのようにせっせと裏稼業に精を出しているのだ。

 早薙に腕を引かれ、早弓に両肩を押されてメロウがカフェスペースに引っ張られたところで、藤次郎は失念していた重大な事実を思い出した。そうだ、双子の経営するカフェは人を選ぶ店であったのだ。しかも下手すればとんでもない恐怖を提供してしまうと言うトラウマスポットである事を、すっかり忘れていたのである。

 双子を止めようと声を出すが、時既に遅し。メロウの目の前には、とんでもない光景が広がってしまったのだ。


「待てお前ら!」

「大丈夫、今日は定休日だよ~」

「っ!!!?」


 そうじゃない、藤次郎のツッコミは悲鳴によってかき消される……事はなかった。思わず甲高い悲鳴を上げそうになったメロウは、咄嗟に口を押えて悲鳴を飲み込んで声を出さなかったのだ。声を封印する事を決めた少女の意志の強さは見事であるが、問題は悲鳴が出かけた原因である。

 シンプルな白のボックス席が並ぶ店内の中央には、いくつかの水槽が展示されている。ボックス席に隣接する壁に埋め込まれている物もあれば、店内の中央に置かれた厚みのあるパーテーションに市松模様のように正方形の物が互い違いに配置されていた。

 水槽と聞いて、その中で暮らしているのは熱帯魚?とでも思うだろう。残念、中に水は入っていない。

 カサカサと音を立ててお客様を出迎えたのは、黄色と黒に彩られた細く長い八本の脚を器用に動かしながら、何重にも白い糸が折り重なったレース編みのような巣の上で寛いでいる巨大な蜘蛛だったのだ。しかもその右斜め上には、その蜘蛛よりも脚が太く身が厚い毛むくじゃらの蜘蛛が、円らで宝石のような光沢を孕んだ黒い目を何個もこちらへ向けているではないか。

 虫に耐性のない者ならば反射的に悲鳴を上げている。特にメロウのような少女ならば、逃げ出すぐらいの行動も起こしているだろう……だが、彼女はそもそも腕も肩も双子に拘束されていて逃げ出せないのである。


「害虫を、認識しました。これより、排除します」

「害虫じゃないって! むしろ、蜘蛛は益虫だよ。特に、至高のマイダーリンであるアシダカグモのタイラー! 気付けばいるMr.Gを駆除してくれる寡黙な仕事人……! 軍曹とも呼ばれる最強の捕食者だよ。徘徊性の子たちの中で一番イケメンなんだよね~もし人間だったら、一度は抱かれたい。逆に、そこのジョロウグモの高尾太夫みたいな造網性の子たちは、巣を造る動きが優雅で淑やかで女性的なところがあるよね~」

「ごめんね~早弓って、蜘蛛たちの事になるとこうなるんだ」

「……言うのを忘れていたけどな、此処は蜘蛛カフェなんだよ」

『クモカフェ?』


 うっとりとした表情で水槽を眺める早弓の視線の先にいたのは、脚の長さを含めれば彼女の手の大きさを余裕で超える巨大なアシダカグモだった。曰く、性別はオスで名前は「タイラー」。他の蜘蛛たちにもみんな名前が付いていると言う。

 Araignéeとは「蜘蛛」を意味する言葉。そして弾正姉妹の経営する店は、早弓のような蜘蛛好きの、蜘蛛好きによる、蜘蛛好きのためのカフェである。猫カフェとかウサギカフェとかと同じだ、コーヒーや紅茶やクリームソーダを飲みながら蜘蛛を愛でるのだ。

 可愛くて小さなもふもふに触れて癒されるのではなく、グロテスクな造形の蜘蛛たちの様子をこんなにも近距離でじっと観察するのに金を払うなんて意味が解らないと感じる藤次郎だったが、意外な事に今日みたいな定休日以外はほぼ満席状態で繁盛している。しかも客層のほとんどが若い女性らしい。

 需要と言うものはどこに転がっているか解らないものである。


「メロウちゃんって虫大丈夫系なの? 何も知らないでうちに来る子は、大抵所見で悲鳴を上げるのに」

『驚きましたが堪えました』

「……ふ~ん。私はさ、梟カフェにしようって言ったのに早弓が押し切って蜘蛛カフェになっちゃって……。でも、蜘蛛カフェになったお陰でうちの店に対する監査の目が緩いんだよね。此処のエリアマネージャー、虫嫌いだから」

「そりゃ定期監査が地獄だろうな」


 メロウが言葉を発する事なく、手にした端末に文字を書いて会話をする様子を見た早薙は、何かを察したらしいが深くは追求しなかった。恐らく、メロウは障碍か何かで喋れないとでも考えたのだろう。早薙も早弓も、ベタベタとセクハラ紛いのボディタッチをして来る割には妙に紳士的なところがある。

 藤次郎は彼女たちに、メロウの“声”に関する事情を教えていない。ただ、訳ありの可愛いお嬢様とへっぽこAI搭載のアンドロイドが日神に追われているから脱出させたいと、その旨しかメールで伝えていなかった。

 よくよく考えてみれば、それだけの文面でよく誘いに乗って来たなとも思うが、双子の可愛い女の子に対する嗅覚が異常なのは今に始まった事ではない。以前、彼女たちと仕事で顔を合わせた時に、その事を嫌と言うほど目の当りにした過去を思い出してしまった藤次郎であった。


「弾正姉妹、お前らに依頼したい事はメロウの身の安全の確保だ。脱出の準備が整うまで、その子を此処で匿って欲しい」

「報酬は?」

「お好きな分だけ、請求を」

「ブラックカードか……日神関連には、手を出さないって決めた矢先だったのにな~……どうする、早弓?」

「メロウちゃんがうちのお店にいてくれるなら大賛成! 今なら、オプションで情報操作と攪乱も付けるよ。早薙はどう?」

「早弓が大賛成なら、私も賛成! 良いよ、契約しよう」

「ただし、この弾正姉妹はちょっと高く付くよ」

『早弓さん、早薙さん。よろしくおねがいします』


 依頼を受ける者と受けた者。『逃がし屋』の協力者に、蜘蛛と梟の姉妹が加わった。

 メロウが端末に言葉を映し出して小さな頭をぺこりと下げると、姉妹の表情は恍惚する。メロウがした、恥じらうようなはにかみ顔が彼女たちのツボにクリティカルヒットしたのだろう。悶えるような声を同時に上げて、今まで以上にメロウの頭を撫でて頬をぷにぷに突いてと、もみくちゃ状態にしてしまったのだった。


「……やっぱりこいつら、誘わない方が良かったかも」

「藤次郎、こいつらを、排除する」

「待て。女子に対しては変態な奴らだが、十二分に役に立つ。情報戦においても後方支援においても、こいつらは一流だ。どの道隠れられる場所は少ない、匿ってもらえるならその好意をありがたく受け取れ。それより、問題はもう1人だ」


 黄金隊を相手にハイウェイで鬼ごっこをしていたその時、藤次郎のスマートフォンには例のメールの返信が来ていた。弾正姉妹と同じ、日神に付く可能性が低いもう1人が誘いに乗って来たのである。


「テン、お前も来い。メロウはこいつらに任せておけば大丈夫だ」

「……承知、した」


 持てるカードが多い方が良いが、多すぎても使いどころを見誤る。この状況下では、選りすぐった強力なものを最低限手に入れたい。この大都市から脱出するために。




***




 機械式立体駐車場に収めた中古のBMWは、残念ながらそのまま収めっ放しにして藤次郎とテンペストはCafé de Araignéeを出て、次の協力者の下へと向かった。

 出会って3か月の藤次郎の愛車は、遅かれ早かれ黄金隊にでも見付かって回収されてしまうだろう。短い付き合いだったが、中古の割には随分と熱心に働いてくれた……もし次も乗れる機会があったら、今度は優雅にドライブでもしよう。狭い駐車場に置いて来た中古のBMWにそう念じながら向かった先は、ショッピングエリアや飲食店街から外れた下層区域だった。


「ノアの前身であるカジノを中心とした商業施設を造る際、冠水を起こしやすいこの近辺の土壌を回避するため政府は土台を造った。カジノを始めとした五ツ星ホテルや高級レストランは、その土台の上に建っている。ノア全体をドームで覆って天気なんぞ関係なくなった今でもそのままだ」

「下層区域。通称・スラム。大麻にドラッグ、危険ハーブ、海賊版商品等の違法な物品のほとんど、は、此処に集中するとデータにある」

「スラムと呼ばれていても、発展途上国のそれみたいに生活が苦しい訳じゃない。ちょっと治安が悪い下町だと思えば良い」


 鈍色のコンクリートに囲まれた狭い道路から空を見上げれば、広告CMをエンドレスで放映する飛行船が通り過ぎて行った。その向こうには、ノアを覆うドームのスクリーンに映し出されている味気ない晴天が見える。スラムとも揶揄されるこの下町は、藤次郎たち裏稼業一派の御用達の区域だ。金さえあれば後ろ冷たいものならば何でも揃うし、何でも売る事ができる。

 そのため、テンペストが列挙した違法な物品は此処で買い求める事ができるのだ。ノアでは金さえあれば合法、この都市内で消費して出る時に知らん顔をすれば何も問題はない。

 実際に、この区域をよく知る人間をガイドに付けて、お忍びで観光に来るセレブは両手の指では足りないほど存在している。勿論、違法な物品だけではなく非人道的な賭け試合等もお楽しみ頂けるので、一部の人間にとっては下町観光がノア来訪のメインにもなっているとか。

 藤次郎もこの下町にはよく出入りをする。中古のBMWと出会ったのも、この区域の中古自動車販売店だ。そして、仕事の誘いのメールに乗って来たもう1人もこの下町に店を構えている。

 狭い道路をすり抜けて比較的小奇麗な場所に出て来ると、そこは階段の下のスペースに作られた物置のような隠れ家的スペースが多く存在していた。その空間を、ほぼ勝手に占領して店を開く者が多々存在するが、特に処罰の対象となった事はない。ノアが潤えば目を瞑ってもらえるのだ。

 件の人物が営業する店、Bar Bestはそこにあった。狐耳と尻尾を生やしたセクシー美女が描かれた看板に、蛍光カラーで店名が書かれているので直ぐに解るし、藤次郎にとってはお馴染みの目印であった。


「生体反応を確認。成人男性と思われる。数は、31人」

「何だ何だ。まだBestの開店前だぞ」

「それはお前もだろう。此処で張っていれば、いつか来ると思っていたぜ竜宮ぁ~」


 1匹いたらもう30匹はいる、この言葉を最初に発明した者は誰だったろうか?正にその通りだと、この時の藤次郎は思った。

 目的地であるBar Bestの前に座り込んでいた男が立ち上がったのを合図としたのか、死角の多い鈍色のコンクリートの陰からは、スキンヘッドにモヒカンに金髪オールバックと、柄が悪い事を身体で表現している男たちがわらわらと現れたのである。

 その数は、藤次郎の知り合いと思われる男を含めて31人。テンペストが観測した通りだった。しかも、そいつらの手には金属バットに鉄パイプにナイフ、メリケンサック、手入れを怠っている自動小銃、バールのような物と、物騒で乱闘には欠かせない武器が一通り揃っているではないか。


「お前かよ、佐竹サタケ。Bestのアッキーに仕事の依頼をしに来ただけだ。そこをどけ」

「その仕事は……あれか、可愛い女の子を逃がす仕事か? とぼけるな。竜宮藤次郎、お前はもう賞金首になっているんだよ」

「仕事早すぎだろ、片桐さんよ」


 店の前に座り込んでいた、太いドレッドヘアーを束ねたレスラーのように体格が良い浅黒い肌の男――佐竹がスマートフォンの画面を見せると、そこには藤次郎写真が表示されていた。その写真の上部分には、『WANTED』……アレだ、海賊漫画とか西部劇とかでよく見る手配書だこれは。

 自身の事務所で起こした圧力釜爆弾事件とハイウェイ暴走・逃亡事件の結果、見事に藤次郎までもが指名手配されていたのである。


「お前が逃がそうとしている奴を日神に引き渡せば、望む分だけ賞金をくれるそうだぜ。こんな事滅多にねぇ! お前が日神を敵に回して、誰を逃がそうが知ったことじゃねぇが……俺たちの小遣いになってくれやあ!!」

「藤次郎、こいつらは」

「別に半殺しにしても良いが、後始末が面倒だから殺すな。ぶちのめせ」

「……承知、した」


 佐竹が自身の両手に金色のメイケンサックを装着しながらそう叫ぶと同時に、周りの男たちも雄叫びを上げながら藤次郎とテンペストへ襲い掛かって来たのだ。その様子は正に、チンピラの抗争である。

 が、その相手は、敵対するチームのチンピラでなければヤの付く自由業の派手スーツのお兄さんたちではなく、無表情なアンドロイドなのだ。右腕から自動小銃を露出させて、殺傷能力のないゴム弾を容赦なく射出した。


「何だこいつ!?」

「人間じゃねぇ!」

「落ち着け、手配されていたアンドロイドがこいつだろ! ぶち壊せ!」

「テン!」

「私の性能上、そう簡単には、壊れない」


 相手が孤軍ならば数で押せと言わんばかりに、長さのある得物を手にした男たちがテンペストに攻撃して来たが、上から降って来たバールのような物は硬くて大きな手に鷲掴みされてしまう。そしてそのまま、熱を通した千歳飴のようにへし曲がった。コンパスを連想させる、長く細い脚が払われるとチンピラどもは簡単に転倒した。人工皮膚に覆われていると言っても、テンペストの脚は本当に鉄脚なのだ。

 流れ作業に徹するように淡々とチンピラを薙ぎ払って行くテンペストであったが、襲撃されているのは彼だけではなく藤次郎も同じだった。ジャケットの下、背中に隠していた特殊警棒を伸ばすとモヒカン男が振り被って来た金属バットを受け流し、そのままそのモヒカンの背中に肘鉄を入れてやる。

 生憎、彼には無表情で無双をしているテンペストほどの馬力は搭載されていない。複数相手では明らかに不利なのだ……だから、頭を潰す。30人のチンピラどもは佐竹がかき集めて来た奴の手下だ、多少の下心や野心があっても基本的には佐竹の命令で動いている。

 何人かのチンピラを警棒で跳ね除けながら身体を転がすように佐竹との距離を詰めると、この群衆の頭は両手を合わせて金のメリケンサックがガキン!と言う音を連続して奏でた。


「竜宮! お前は殺しても良いってさ!」

「佐竹テメェ! ヘソクリをノアの外に脱出させてやった恩を忘れたのか!!」

「ハァ!? 全額脱出させられなかったへっぽこの『逃がし屋』が何言ってんだ!!」

「あの状況では最善の脱出方法だったんだよ! キャンセル料10%をまだ根に持ってやがんのかケチゴリラ!」

「誰がゴリラだあぁぁぁ!!?」


 と、ゴリラのように拳を突き出して来た佐竹の攻撃を藤次郎は警棒で防ぎ受け流すと、メリケンサックと警棒が衝突する金属音が木霊する。そう、この佐竹と言う男は以前、藤次郎の客だった。

 佐竹は、日神の傘下組織の下請けの末端……のような位置にいるちょっと権力を持ったチンピラだ。主な仕事は、庶民的な料金のゲームセンターや下町の賭博場のショバ代を徴収し、上に収める事である。しかしこのゴリラ……ではなくこの男は、ハイハイと素直に上司の命令を聞いているだけの使いっ走りではなかった。

 徴収したショバ代をピンハネして、コツコツとヘソクリをしていたのである。しかもかなりの額に膨れ上がってしまい、これがバレたら自分の身が危険だと判断して『逃がし屋』へ依頼をしたのだ。この金を、ノアから脱出させて海外の銀行へ移して欲しいと。

 結論から言えば藤次郎は佐竹のヘソクリをノアから脱出させた、全額ではなくその90%を。藤次郎はこの時、佐竹のヘソクリで世界一周をする豪華客船の乗船チケットを購入したのだ、それも何十人分の。正規のルートで団体の乗船チケットを購入して豪華客船はノアの外で次の寄港地へと出港した、その次の寄港地へ辿り着いたタイミングで購入分を全てキャンセルしたのである。キャンセル料として10%を支払わなくてはならなかったが、それでもヘソクリのほとんどをノアから脱出させる事に成功したのだった。

 だが、依頼人である佐竹は10%のキャンセル料が未だに気に入らないらしい。このようにネチネチと蒸し返され続けているのだ。


「感謝しろよ竜宮、お前なんかのために30人もかき集めて来たんだ! 流石のお前も、この包囲網からは逃げられねぇだろう!」

「ふーん……で、かき集められた30人、全員ノされているけど」

「はぁ!?」

「制圧、完了した。残りは藤次郎、お前の前にいる」


 AIは単純な流れ作業に強い、あっと言う間に30人のチンピラを悶絶程度にぶっ飛ばしてしまったのだった。そこらかしこには、曲がった金属バットや折れたナイフなど無残な残骸が転がっている。

 まさか藤次郎と同行していたテンペストが、これほどまでに戦闘に優れたアンドロイドだとは思っていなかったらしい。お生憎様、彼にはロボット三原則なんて組み込まれていない。組み込まれているのは、メロウを守ると言う命令だけである。

 苦しそうに地面に蹲り、何人かは命からがらと言った様子で逃げて行くチンピラを目にして佐竹の目に動揺が浮かんだ。藤次郎はそれを見逃さず、佐竹の厚い背中に硬い物をゴリっと押し付けると囁くような小声で交渉を始めたのだ。


「さっきも言っただろう、ヘソクリを脱出させてやった恩を忘れたのかって……お前の金で客船のチケットを買った領収書も、キャンセル手続きの書類も、キャッシュバック分を国外の銀行に振り込ませた証拠は全て俺の手の中にある」

「何……っ」

「それらを、お前の上司に熨斗付きで送ってやろうか? それとも、背中に当たっているコイツの引き金を引いた方が良いか?」

「……」


 警棒と共に隠し持っていた藤次郎の愛銃、掌より一回りほど大きな黒光りするリボルバー型――M360J、通称・SAKURAが佐竹の背中に押し当てられていた。安全装置を外す金属音が嫌に大きな音で響いて、短い銃身は痛いぐらい冷たい……装填されている銃弾は、本物だ。


「……今は一旦引いてやる。が、勘違いするなよ。お前のSAKURAが怖いんじゃない、こっちが準備不足だっただけだ!」

「へいへい、御託は良いからさっさととっとと帰って頂戴な」

「夜道には気を付けろよ! 次に会った時は、お前の最期だ竜宮!」

「解ったから、こいつら片付けて行けよ」


 しっし、と観光地の猿を追い払うように手を振った藤次郎がSAKURAを引っ込めると、佐竹は巨体に似合わない機敏な動きを披露しながら撤退して行った。勿論、テンペストに吹っ飛ばされたチンピラたちを叩き起こす事も忘れていない。

 あの捨て台詞を聞くに、きっとまた現れるだろう。面倒な事になったと、藤次郎は警棒とSAKURAを背中のホルターケースにしまい込んだ。


「……終わった? あいつらを追い払ってくれたありがとうね、藤次郎ちゃん」

「アッキー。お前、あいつらを追い払うためにメールに返事をした訳じゃねぇだろうな?」

「そんな訳ないだろ~藤次郎ちゃんに返信した後に、あいつらがぞろぞろと集まって来たんだよ」

「藤次郎。次の、協力者か?」

「ああ、こいつはアッキー。闇ブローカーだ」


 Bar Bestのドアが細く開いて、顔だけ出して来た男がマスターであり藤次郎の誘いに乗って来た協力者であった。アッキー(本名非公開)と言う男――雑に染めた金髪を後ろに流し、オレンジ色のレンズの色眼鏡をかけた男は、藤次郎が説明した通り、金さえ払えば何でも仕入れてくれる闇ブローカーだ。

 さも「自分は人畜無害ですよ~」と語っているような接客スマイルを浮かべ、藤次郎とテンペストを自身の店へと招き入れる。派手な看板を掲げた外観だが店内はそれに反して、随分と落ち着いた雰囲気だ。年期の入った木目の床に樫のバーカウンター、背の高いテーブルと椅子が4Dテレビを取り囲んで並ぶその様子は、いかがわしいバーと言うよりは古参のスポーツバーのような空間である。


「何か飲むかい?」

「無料か?」

「有料」

「水で」

「そちらのお兄さんは?」

「私は、結構」

「ん、まさかお兄さんが藤次郎ちゃんのメールにあったアンドロイドなの? へぇ、良い作りだね。本物の人間みたいだ」

「畏れ入ります」

「うちの店にも、ウエイトレスの自動人形がいるんだ。今は勤務時間外だから充電中だけどね……はいどうぞ、お冷。ついでにお茶請けの蕎麦ボーロはいかが? 有料」

「何で蕎麦ボーロなんだよ」

「鮭トバの方が良かった?」

「だから、何でその二択なんだよ。有料ならいねぇって」

「残念、美味いのに。で、藤次郎ちゃんが誘って来た仕事の件、もうちょっと詳しく聞かせてもらえないかな?」


 何だか妙なやり取りを経て、アッキーが細く裂いた鮭トバを咥えるとやっと本題に入った。本当は、単独で食べるより熱燗と一緒にやった方が美味いのだ。

 彼にも事の次第を詳しく告げていない。日神に追われている少女とアンドロイドをノアから逃がす仕事に手を貸さないかと、弾正姉妹と同じように誘いをかけただけである。

 自分のペースに巻き込んで、相手の判断力を鈍らせるのがアッキーと言う男の常套手段だ。こんな風に、一見ふざけた会話の中で色々なものを手に入れ色々なものを売り捌く。物も情報も、時には人手も。


「依頼人の個人情報だ。可愛い女の子とこのアンドロイドが、日神に追われている、だから逃げたい。これしか言えねぇ」

「何だ、残念。じゃあ、僕が藤次郎ちゃんを密告って賞金をもらおうとしても文句は言えないな……」

「いや、日神嫌いのアンタはそんな事はしない。日神の部下と少女、その2人が目の前にいてどっちに付くかと問われたら、少女だと即答するのがアンタだ。どっかの有名な泥棒みたいに」

「あら~おじさんの事、よく解っているね。老け顔なのに」

「老け顔は関係ねぇだろ! お前こそ、俺より10歳は上なのに若々しい外見しやがって……!」

「……藤次郎、お前はもしかして、中年ではないのか?」

「これでもギリ二十代だよ!! 悪かったな老け顔で!」

「苦労しているから顔に皺が多いんじゃない?」


 けらけらと嘲笑うようにオーバーリアクションを取るアッキーだったが、オレンジのレンズの向こうにある目は笑っていない。

 藤次郎が彼に誘いをかけた理由は、安全に物資を調達できる伝手を確保したかったのもあるが、やはり日神側に付く可能性が著しく低いからだった。弾正姉妹は可愛い女の子が好きだが、アッキーはさっきも言ったように「日神嫌い」なのだ。何があったか知らないが、軽薄に見える表情の下に得体の知れない憎悪にも近い感情を抱いていると気付いていた。


「でも、藤次郎ちゃんが指名手配犯になっちゃったしな~……さっきみたいな事があったら、ちょっと怖いかも。そうだな、こうしよう」


 そう言うと、アッキーは黒いサイコロを取り出した。1の目だけが赤く塗られ、他の目は白に塗られた何の変哲のない黒のサイコロだ。

 右手にはサイコロ、左手には銀のシェーカーのボディ。ボディの中にサイコロを入れてくるくると回すと、甲高い音がちょっとだけ耳に痛い。


「このボディの下にあるサイコロの目。これを予想して、そちらの予想と実際の数が近かったら協力する、僕の予想の方が近かったら降りる。どうかな?」

「サイコロか」

「ただし、目を予想するのは藤次郎ちゃんじゃなく、そっちのアンドロイドのお兄さんだ」

「テンが?」

「どうする、乗る? 僕の予想は2だ」

「……」


 樫のバーカウンターに伏せられた銀色のボディの下にあるサイコロは、どの目を上にしているのか?

 確率は二分の一。アッキーに話を持ちかけられたテンペストは、一切表情を変える事なく、整った人形の顔でボディを凝視している。

 これが人間ならば、アッキーのイカサマを疑って彼の顔色を探るくらいはするだろうが、テンペストはボディを振った人間に一瞥もしなかった。無機物の鉱石でできた双眸でシェーカーを凝視するその様は、透視でもしているのかと勘繰ってしまう。

 30秒以上経っただろう、一回だけゆっくりと瞬きをしたテンペストがアッキーに向き合うと、薄い唇を開いたのだ。


「協力、して頂きます。サイコロの目は、5です」


 予想ではなく、抑揚のない声で断言した。

 呆気に取られたアッキーがゆっくりボディを取り上げると、そこにあったサイコロは黒字に白い5の目を出していたのである。


「まさか、透視機能付いていました、とか言わないよね?」

「いいえ、そのような機能、搭載されていません」

「なら、何で的中させた? 確率を計算しましたとか、か?」

「いいえ。サイコロが回転する音から計算しました。上になる目によって、微かな音の違いが、あります」

「……ははは、アンドロイドも冗談って言うんだな。って、マジ?」

「はい、マジです。音は、重要です」


 アッキーの言葉を反復して、実に真面目な声でそう返した。

 予想外の返しが帰って来た事に一瞬ポカンとしたのはアッキーも藤次郎も同じ事。肩を竦めて「お手上げ」と言わんばかりのジェスチャーの後、アッキーから了承の返事をもらえたのだ。


「参った。で、藤次郎ちゃんは何をお求めで?」

「あ、おう。火薬と実弾、ゴム弾。それと、モーリーと連絡を取って欲しい。なるべく早く」

「はいよ。お代は、報酬と一緒に請求するね。どうせ必要経費として請求するんでしょ」


 取引、成立である。そう言いたげに、色眼鏡を外したアッキーが年不相応の笑顔でニっと笑ったのだった。


「テン、お前」

「何だ?」

「やっぱり、高スペックなのかぽんこつなのか解んないAIだな」

「……音は、重要だ」


 音が……そう、メロウの声が、この事件には重要なものとなっているのである。






 To Be Continued……




***




【登場人物】

その①

竜宮藤次郎

・逃げたい人も金も物品も脱出させる『逃がし屋』

・ギリギリ20代だが、老け顔のためにオッサン呼ばわりされる事が多々ある

・趣味と実益を兼ねて料理に手を出してみたら以外と上手く行って美味い物が作れるようになった。圧力釜の扱いに長けている

・ラーメンは味噌派

・愛車は数か月前に買い替えた中古のBMW(偽装ナンバー)NEW!


その②

メロウ・愛神

・声を出してしまったら世界が終わる系女子、絶賛逃亡の身……のはず

・16歳の割には幼なく、ちょっと世間知らずなところがある箱入りのお嬢様

・声は出さないが顔に感情がよく出る。特に「美味しい」と言う感情は思いっ切り出て来る

・ラーメンを食べた事がないくらいには箱入り娘

・電撃の弾丸を発射できるデリンジャー型のスタンガンを所持 NEW!


その③

テンペスト

・自己学習人工知能搭載型自動人形、早い話が高スペックのAIのアンドロイド

・一にお嬢様、二にお嬢様、三四がお嬢様で五がお嬢様

・メロウを守るための武装とプログラムを施されているが、メロウを優先しすぎてどこかズレてる成長途中のへっぽこAIを搭載

・ボディのエネルギーはエコ設計

・何馬力あるのかは言えないが、少なくとも狸に間違われる某青いロボットよりは上 NEW!


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