02 Run

 朝を連れて来たのは、照り差す太陽でも鶏の鳴き声でも目覚まし時計のアラームでもなく、炊き立てのお米の匂いだった。

 香ばしさの中に甘さを孕んだ匂いがメロウの鼻をくすぐるれば、ちょっと音がするパイプベッドから起き上がって、小さく伸びをする。藤次郎が貸してくれた彼のベッドは、決して極上の寝心地と言う訳ではない。パイプの上に敷かれているマットも敷き布団も、寝られれば良いと言う感じの安物であったが、このベッドの上でメロウは何日かぶりにぐっすり眠る事ができた。


「おはようございます、お嬢様。予定より、7分3秒早いお目覚めです。顔色・良好。体温・平熱。脈拍・正常。とても、質の良い睡眠が取れたようですね」

『おはようテンペスト』


 ベッドの傍に控えていたテンペストが甲斐甲斐しく布団をめくり、メロウのメンタルチェックをして軽く寝癖を直し、メロウは枕元に置いた端末で朝の挨拶を交わす。洗面所を借りて身支度を整え、端末の充電を確認してから事務所への扉を開けると、お米の匂いだけではなく味噌と出汁の匂いも合流して空腹を刺激した。


『おはようございます』

「おはよう。眠れたか」

『はい。とてもよく眠れました』

「そりゃ良かった。朝飯は食べる派か? おにぎりと味噌汁だけど」


 ラップに包まったおにぎりを握る藤次郎へ小さく頷くと、小さなおにぎりが三個乗った皿と熱い味噌汁を注いだお椀がテーブルに置かれた。おにぎりはメロウから見て右側から、鮭、昆布、梅である。味噌汁の具は豆腐と油揚げとネギ、大豆製品の集合が何故こんなにも美味いのか。

 端末に「いただきます」と書いたメロウは、両手を合わせてからおにぎりを手にして一口齧る。具は出て来なかったが、お米の甘味と食塩のしょっぱさだけでも十分に美味しい。小動物のように片頬を膨らませながら、「美味しい」の意味を込めて首を上下に振る彼女を見ていると、作った藤次郎もちょっと照れ臭かった。


「じゃあ、食べながらで良いから昨日の打ち合わせのおさらいをしよう」




02 Run




「ご存じの通り、ノアに入ったり出たりする際は中央にある入場ゲートで手続きをしなければならない。これは入国審査並みのチェックだ。ノアへ観光・仕事・その他の用事で来訪した人間は、滞在日数も宿泊場所も申請してしっかりと身分確認をされてからやっと娯楽都市で遊べる事ができる。その時、滞在証明書代わりにICカードが渡されノアを出て行く時に返還する。ちなみにICカードはクレジットカード機能付きなので、急な買い物にとても便利です。まあこれは、こんな感じと言うだけ覚えておいてくれ。俺たちみたいに、ノアに居を下ろそうとしている奴らにはICカードこそないが事前の書類を揃えて、それ相応の手続きが求められる。入るのは良い、問題は出る時だ」


 滞在の延長や宿泊場所の変更を事前に申請しなければ、不法滞在と同じ扱いになる。

 そして、入場ゲートで配布されるこのカードもまた厄介だ。クレジットカード機能だけではなくGPS機能も搭載された発信機でもあり、ホテルのチェックアウト情報や娯楽施設の使用履歴、ノアで使用・獲得した金銭の明細データのみならず、電話・メールの発信履歴までICカードに記録されてしまう。来訪者は、一枚のカードによって個人情報を丸裸にされてしまうのだ。

 勿論、カジノで負けて目をひん剥くような負債を背負い込んだ場合もしっかり記録される。カードを破棄して逃亡しようとしてもまず無理なので、その際は藤次郎のような『逃がし屋』やその他裏稼業の人間に泣き付くしかないのだ。報酬も結構な額になるけれど。


「ノアは入るより出るのが難しい。入場ゲートで徹底的に管理される」

『どうしてそんなにも厳しく管理するのですか?』

「表向きは治安維持だが、大体の理由は外に出しちゃ駄目なモノを中に隠しておくためだ。この都市は、金さえ払えばドラッグもハーブも海賊版も盗品も何でも合法になる。ノアに留めておくだけなら何をしても良いが、内部で入手したそれらを外に持ち出すのだけはご法度だ。メロウの両親が開発しちまった兵器も、そんな感じだな」

「……」

「が、連中も万能じゃない。実際に、俺や他の連中によって何人か逃がしている。地上と地下の二つのルートがあるんだが、テン君の反対によって地下のルート、つまり下水道探索・脱出ツアーは却下されたので、必然的に地上からの脱出となります」

「当然だ。お嬢様を、不衛生な下水道から脱出させられない」

『テン君?』

「テンペストだから“テン”だ。俺はこいつをそう呼ぶ事にした」

「犬のようです。不愉快です」

『テン君。何だか可愛い』

「テンとお呼び下さい」

「言うと思ったぜ、この現金AIが。で、話の続きだ。地上からの脱出は、簡単に言えば運搬トラックへの密航だ」


 ノアに来れば何でも手に入る、何でも与えられると言う言葉がどこかからか聞こえて来る事があるが、何でもあるこの都市にも存在しないものがいくつかあった。その中に、農場と工場、廃棄物処分場がある。都市内で流通している物資は全て外部から搬入され、都市内から出たゴミは全て搬出されるのだ。

 それらは、中央の入場ゲートとは別に西南北に位置する専用のゲートを通って搬出入されるのだが、藤次郎は何人かの依頼人をトラックに乗せ、そのゲートから脱出させていた。

 ノアを出て行くトラックの中身が全てゴミでも、ゲートに常駐している警備員たちによってX線やサーモクラフィー等でチェックされ、異常なしの場合のみトラックを走らせる事ができる。だが、先ほども言ったが連中も万能ではない。三つあるゲートを何十人ものシフトで回していれば、おのずと穴もできるのだ。


「三つのゲートの内、北が少々手薄だ。此処には、随分長く務めている割には随分と手抜きのチェックをする警備員がいる。手を組んでいる運転手のトラックに乗り込み、そいつのシフトの時間に脱出すればほぼほぼ可能だ。が、昨日も言ったがその警備員の次のシフトが3日後の午後10時から翌日の6時までだ。それに、次のシフト待っている間にそいつが急にリストラされれば計画自体が破棄になる。脱出を急ぐ場合は、別のプランで行くしかない」

『昨日は言い澱みましたが、その別なプランとは?』

「あー……多分、これもテンに却下されるぞ。ノアには他に、墓場と火葬場がない」

「っ!」

「地上からの脱出で一番成功率が高いのは、霊柩車に潜り込んでの脱出だ。死体に偽装して、回収業者の手によって脱出するが……これは、切羽詰まった時じゃないと使わない。道徳的にも倫理的にもまずいからな」


 メロウが一生懸命首を左右に振った。ある意味、下水道で異臭塗れになるよりハードルが高い。

 流石に警備員も死体のチェックは緩くなるし、人によっては棺も開けないで通す事もある。その理由としては、此処で出る死体のほとんどが見られないような死に様をしているからだろう。業者によって運搬される死体は大体、内臓を抜かれたり日神に消されたりとあまり口に出したくない有様で揃いの棺に納められている。

 人間1人を脱出させるのは難しい。金や物品を脱出させるのとは違うのだ。


「だけどな、メロウ。本当にノアを脱出したいんだったら、死体と相席する覚悟もなきゃならない。昨日、お前が出した名前の中には、此処を選挙区とする政治家に警察署長、日神と繋がりのある企業の重役と、見事な四面楚歌っぷりだった。正直、こんな風にゆっくり朝飯を食っていられるのが不思議なぐらい」

「……」

「此処を脱出したら、テンと一緒にA国の大使館に逃げ込め。どこに手が回っているかは解らないから、お巡りさんにだけは助けを求めるなよ」


 メロウ・愛神と言う少女は、随分と記憶力が秀でていた。彼女の耳に入って来た両親と日神の会話の中で、兵器について関連のありそうなものと人物の名前を書き出したら、権力を持つVIPたちが次々と出て来たのだ。

 しかも、警察もグルである。ノアでは、国家権力の警察官よりも日神の手先である警備員の方が権力が上とも揶揄されているが、所轄の警察署長自らが汚染されているのならそれもあながち間違いでもない。

 メロウとテンペストが警察に頼らず、藤次郎へと依頼したのは正しい選択だったのだ。


「取りあえずは、北ゲート搬出トラック密航ルートで計画を勧めよう。日神がどんな手を打って出て来るかは解らねぇが、大丈夫だ、ちゃんと脱出させてやる」

『ありがとうございます』

「その変わり、報酬は割増で請求するぞ。必要経費別で。今は、ゆっくり朝飯を食べな。おにぎりも味噌汁もまだあるからな……これからお客さんが来るから、騒がしくなりそうだし」

「?」


 端末の画面に感謝の言葉を書いたメロウが頭を下げると、藤次郎は冗談半分本気半分でそう言いながら彼女の頭を撫でた。その手で握られたおにぎりをもくもくと咀嚼しながらふと、疑問に思ったのだが、お客さんとは誰なのだろうか?

 台所の棚を引っ繰り返して圧力釜を取り出した藤次郎は、お客さんをもてなすための仕込みにかかると言って、その圧力釜をコンロにかけたのだった。

 此処で説明しておこう。藤次郎がこっそりと『逃がし屋』を営む事務所兼自宅は、ノアの労働者たちの住居が密集する地区にあり、その居住区は俗に下町とも呼ばれていた。世界的なデザイナーや建築家によって建てられたホテルやショップが立ち並ぶ歓楽街、絶叫や歓声が絶える事のない遊園地を始めとしたアミューズメントエリアと比べたら、非常に地味な灰色の建物が規則的に佇むその光景は、一昔前の団地にも似ている。

 藤次郎はその団地の隙間にある賃貸のガレージの上に入ったテナント、そこの二、三階部分を借りていた。今月の家賃はまだ支払っていない。表向きはトイレの清掃から警護まで、何でもやります便利屋として申請しているが、実体が『逃がし屋』である事は薄々勘付かれているだろう。だから、日神に追われている少女とアンドロイドが、この事務所の500m手前までタクシーを走らせたと言う記録から直ぐにこの事務所が弾き出されてしまったのだ。

 昼間は人気のない居住区に、ノアのシンボルマークでもあるカジノのエンブレムが描かれた大型の装甲車が停車した。装甲車の後部の扉が開かれると、中から出て来たのは武装した警備員たち。しかも、暴徒鎮圧や災害時に出動する最上レベルの者たちだった。

 黒に鈍い金色のラインが入ったアサルトスーツに同じカラーリングのヘルメットとマスク、5.56mm小銃で武装した突入班は、極力足音も立てずに錆が目立つ階段を登り藤次郎の事務所の入り口で待機する。装甲車の付近で待機する者数名が事務所へ向けてサーモグラフィーを起動させると、2人分の体温を感知した。

 警備員が持つタブレット端末の場面には、赤とオレンジで色付けされた成人男性と小柄な少女の身体のシルエットが映し出される。その隣にある青い色の人型は、少女が連れているアンドロイドだろうと判断した。

 入り口に構える警備員が、手持ちの機械を操作して内部の音を窺うと、豚の角煮の作り方を説明する男の声が聞こえ来る。コンロに置かれている高熱の物体――円柱の形状からして、恐らく寸胴型の鍋だ。それで豚バラブロックを煮込んでいるのだろう、そう判断した警備員は、入り口の扉を挟んで隣に待機している相方と目配せをして小さく頷き合うと、ドアノブに手をかけて後続に控えている他の人員と共に事務所内へ雪崩れ込んだ。


「動くな! 大人しく投降し、ろ……?」


 先頭立って突入した警備員が見たものは、もぬけの殻になった事務所だった。人っ子1人いないが、ビニールでできた人形が二体と一体のマネキンが不自然に置かれている。ビニール人形に触ると温かい、どうやら人肌に温めたお湯で膨らませたようである。しかも、成人男性の大きさのビニールには、延々と豚の角煮の作り方を説明するレコーダーが括り付けてあった。

 こんな単純な方法でサーモグラフィーを欺いたとは憎たらしさが込み上げる。もぬけの殻となった事務所に雪崩れ込んで来た警備員たちは、コンロから聞こえて来たガタガタと言う音に気付いて一斉にそちらへ顔を向けた。

 コンロの上には圧力釜、しかもガンガンと強火で炊かれている。煮込まれているのはきっと豚の角煮ではない、豚の角煮はこんな音を出さないはずだ……警備員の1人に嫌な予感がして、此処から脱出しようと声に出したその瞬間、悲劇が起きた。

 実に解りやすい爆発の音、文字の効果音として表せば“ドッカーーン!”と言う音がして、竜宮藤次郎の事務所は窓ガラスを粉々に吹っ飛ばして半壊した。それだけでも十分に焦る出来事であるが、事務所内にいた警備員たちの被害はもっと酷かった。

 爆発の原因は強火にかけられていた圧力釜であり、その中には火薬と大量のパチンコ玉が詰め込まれ、頃合いを見て爆発するように仕掛けられていたのだ。飛んで来るパチコン玉が痛いのなんの、アサルトスーツや防弾チョッキを含めた完全防備をしていなければ確実に重傷を負っていただろう。

 明らかに、武装した部隊が此処に突入する事を予期して怯ませ、尚且つ対人被害を最小限とするトラップだった。しかも材料費も安い。

 爆発の瞬間にテロップが流れ、※良い子は真似しちゃいけません、と出て来る事間違いないだろう。実際は、良い子も悪い子も真似してはいけません。


「今月の家賃、支払う前で良かった。じゃ、逃げるぞ」

『はい』

「承知、しました」


 そう言って、居住区を見渡せる場所にあるハイウェイから事務所の半壊を確認した藤次郎は、中古のBMWの後部座席にメロウとテンペストを乗せてアクセルを踏んだ。大家には悪いが、事務所内にこっそり抜け穴を作って下にある無人のガレージにもこっそり忍び込み、無断で私的に利用していたのである。

 きっとあの物件は二度と貸してもらえないな、と苦笑いしながらBMWのラジオにコードを差し込んでチューニングを合わせる。ザザザと言うノイズが収まると、くぐもった呼吸音と共に会話が流れて来た。


「この声は片桐カタギリさんだな。あの人なら、過激な手は使って来ないはずだ」

「引き続き、傍受を実行、します」

「お願いな、テン君」

「……承知、した」

「タメ口か!」


 ラジオから伸びるコードが繋がっているのは、テンペストだった。耳部分の部品が外れてそこから伸びている。

 相手の動きを先読みし、こうやって逃げ出してトラップを仕掛けられたのもテンペストが警備隊の無線を傍受していたからだ。しかし、相手も馬鹿ではない。このまま逃げ果せられると言う保障はどこにもないのだ。


「先ずはメロウをどこかに隠す」

「隠すとは、どこへ?」

「昨夜のメール、早速返信して来た奴らがいる……そいつらに匿わせよう。奴らなら、確実に日神じゃなくメロウ側に付くはずだ」

『メール? 奴ら?』


 メロウだけは事態が呑み込めていない。昨夜、藤次郎の裏稼業の住民の何名かにこの仕事に乗らないかとメールで誘いをかけてみたら、夜が明けない内にOKと返信して来た者たちがいた。絶対に日神側に付かないと断言できる者たちが、真っ先に食付いて来てくれたのは良いスタートだ。メロウの身柄を一旦そこに隠して、脱出作戦のための準備をしなくてはならない。

 立体型のハイウェイが向かう先は居住区に隣接するビジネス街。企業の支社ビルやイベント会社、清掃業者等のビジネスビルが密集する地域だ。この先を抜けたら飲食店やブランド品店が並ぶショッピングエリアに入る。

 この中古のBMWが何事もなく抜けられれば良いが、傍受し続けている無線を聞く限りそうは行かないようである。


「片桐さん、事務所内はもぬけの殻です!」

「我々の動きが読まれていた可能性が……」

「圧力釜爆弾なんて、危険な物を使用していやがりました!」

「此処の『逃がし屋』、もっと早くシメとけば良かったです!」

「愚痴はそれぐらいに! 3班は近隣の監視カメラの映像と、この事務所の契約者が所持している車とナンバーの確認! 2班はこの場の撤収作業。1班は目標を追いますよ。居住区から素早く逃げるためには、通常の道路ではなくショッピングエリアへ伸びるハイウェイを利用するはずです。念のために、3名は下道へ! 残りでハイウェイに乗り込みます」

「イエッサー!」


 警備員たちが声を揃えて敬礼すると、迅速に次の任務に取りかかった。

 ノアの守護兵と称され日神の飼い犬と揶揄される警備員たちの中で、最も過激で過酷な訓練に耐え切れた者だけが希望と配属を許される最上レベルの警備隊。イメージカラーが鈍いゴールドなので、黄金色に因んだ黄金隊とも呼ばれている。

 その黄金隊の隊長の片桐は、長年この職務を務め上げたプロフェッショナルだ。隊長と言っても部下を引っ張って戦地を渡り歩く猛将ではない、警備員たちの力量と現場の状況を即座に判断して指示を出し、組織の統括と運営に長けている中間管理職である。彼は元来が穏やかな気質なのか、暴漢鎮圧の場面となってもごり押しの戦法は使わずに被害の最小限化を優先にして動く事が多い。その采配のためか、部下に慕われ一般人にも好印象を与える人格者でもあった。

 が、現状の藤次郎たちにとっては、追って来る相手が過激で非人道的な手段を使って来ないと解っているなら、こちらがいくらでも下種く立ち回れると言う事である。


「っ、思った以上に素早く指示を出したな片桐さんよ。シートベルトはちゃんと締めたか?」

「問題、ない」

「舌噛むなよ!!」


 面倒臭くても後部座席のシートベルトもきちんと締めよう。いざという時、例えばハイウェイ上に敷かれたバリケードを無理矢理突破する時とかに、身の安全を守ってくれるから。

 藤次郎が思った以上に黄金隊は素早く的確に動いていた。交通関連を得意とする部隊に応援を要請して即座にバリケードを敷き、居住区から逃げ出した中古のBMWを捕まえようとハイウェイを封鎖したのだ。だけど、目の前の迫って来ているちゃちなバリケードと停車命令ぐらいでブレーキを踏む気なんて更々ないのである。

 藤次郎の右足はブレーキへ移動せず、そのままアクセルに留まり続けて思いっ切り体重をかけると速度メーターが一気に降り切れて最高速度へ到達する。停車指示を出していた警備員が逃げ出した次の瞬間、ちゃちなバリケードに乗り上げて正面突破をしたのだ。車体が大きく揺れたがエアバッグが飛び出て来ないので重大な衝撃ではない、まだ大丈夫と判断してタイヤと道路の摩擦音を立てながら右にハンドルを切った。


「お嬢様、お怪我は?」

「……(ぶんぶん)!」

「藤次郎、運転が乱暴すぎる。お嬢様が、額に打撲を負った」

「遂に呼び捨てになったな。いい加減、その頭に詰まっている回路を柔軟にしろ。ちょっとした青痣でも作らないと、この状況を脱出できねぇぞ!」


 この状況とは、バリケードを突破してビジネス街へ入って早々、背後からとんでもないスピードを出して迫って来た装甲車に張り付かれた状況の事を言う。このハイウェイに速度制限はなく、どれだけスピードを出しても違反にはならない。しかし、こんなにも早く追い付いて来た装甲車は一体何km/h出して追って来たのだろうか?ちょっと気になる。

 傍受している無線が何も拾わないと言う事は、情報の漏洩を恐れて連絡手段を別の方法に切り替えたのだろう。あちら側も情報が流れている事に気が付いている。


『そこのBMW! 停まりなさーい!』

「片桐さん、ああ言う輩に停まりなさいと言っても馬鹿正直に停まりませんよ」

「此処は実力行使で行きましょう。発砲許可を下さい」

『無傷で確保しなさいって指令なの! 発砲は威嚇用の空砲だけです!』

「片桐さん、拡声器の電源が入ったままです!」


 片桐さんと愉快な部下たちが、装甲車の中でコント染みたやり取りをしていた。後ろから聞こえる過激な部下の発言に中間管理職は胃が痛い。しかもこの会話は、拡声器を通してしっかりばっちり聞こえてしまった。そして藤次郎はほくそ笑む。やはり警備員にはメロウを無傷で確保するように指令が出ていたのだ。

 下手に武力制圧でもしてメロウが負傷し、声が出なくなってしまったら元も子もない。だからこそ片桐が率いる部隊に任せられたのだろう。

 これではっきりした、向こうは威嚇以上の攻撃ができない。派手に手出しされないと解ればこちらにとって好都合だ。


「日神セキュリティの警備員、を確認しました。これより、殲滅します」

「待てよテン! 昨日言ったよな、実弾じゃなくゴム弾を使え! 後で面倒臭くなる!」

「……」

『テンペスト』

「お嬢様」

『死者は出さないで』

「……承知、しました。3分46秒留守にします。申し訳ございません」


 後部座席の窓を開けたテンペストが半身を外に乗り出すと、右腕に内蔵されていた小銃が火を吹いた。装甲車を狙って放たれる弾丸は鉛でできた実弾ではない、無傷鎮圧のために使われる殺傷能力のないゴム弾である。

 当たっても死にはしないが命中すれば痛みで悶絶させる事ぐらいはできる。だが、やはり装甲車相手では威力が足りないのでフロントガラスにヒビを入れる事もタイヤをパンクさせる事もできない。小銃で撃ち出しても車体を凹ませるぐらいなのだ。

 だから接近戦に持ち込んだ。テンペストが窓からハイウェイに飛び降りると迫って来る装甲車の前に立ち止まり、細く長い人工皮膚に覆われた両腕で真正面から受け止めたのである。


「片桐さん! こいつが例のアンドロイドです!」

「一体何万馬力を搭載しているんだ……全く動かないぞ!?」

「それは、秘密事項です」


 テンペストの細い両腕には、一体どれだけの部品が詰め込まれているのだろう。いくらアクセルを踏んでも前に進まず、巨大なタイヤが空回りを続けるだけだ。こうしている間に中古のBMWは遥か彼方へ逃亡し、テンペストは装甲車の前部に手をかけると表情を一切変化させずに車体を持ち上げた。

 前輪のタイヤがコンクリートの地面と離ればなれになり、後輪は半周する。車内からギャーギャーと言う悲鳴と、ドガドガと色々ぶつかる音が聞こえるがテンペストは気にしない。そのまま、装甲車の前部を上に放り投げて縦にしてしまったのだ。それから、機械的な動作で小さく頷くと両足の踝部分からブースターを出して点火し、クラウチングスタートの構えから一気に加速して中古のBMWを追いかけて行ったのである。

 ハイウェイのど真ん中に、どーんと縦に置かれた装甲車はそのままだった。後ろの扉が塞がっているので隊員たちが出られなくなっている。


「重機の応援要請を!」

「はい!」

「こちら片桐! 1班を行動不能にされました。至急追って下さい!」

『了解』


 無線ではなく個人所有のスマートフォンから指示を出すと、ビジネス街にあるビルのヘリポートから数機のドローンと共にヘリが一機離陸する。バラバラとプロペラの音を立てながら、片桐の指示に従ってハイウェイを走る中古のBMWを追いかけて行った。

 場所は既にビジネス街の中心部。地上の建物の5、6階の位置に相当する位置に地面と平行に伸びるハイウェイを舞台に続行してしまっている鬼ごっこは、ハイウェイ封鎖の緊急ニュースによって人々に知れ渡っていた。

 ハイウェイの下を覗き込めばオフィスが並ぶビジネス街を歩き回るスーツ姿の人々が多く、そして忙しなく動き回っている。娯楽都市・ノアに来て働く人種は、ビジネス街の住人か来訪者をおもてなしする居住者ぐらいだろう。視線を上に向ければ、アクション映画のカーチェイス並みに好き勝手逃げ回っている中古のBMWとヘリと時々ドローンの鬼ごっこが繰り広げられているが、人々は特に気にしていなかった。

 これが歓楽街の中心で起きていたならば、早速賭けの対象となる。もしくは突発的なエンターテイメントとして歓迎される。

 そんな雑踏の中で、ハイウェイを見上げて中古のBMWを首で追う人物がいた。フルフェイスのヘルメットを被っているため視線は定かではないが、停車するバイクに跨りながら首の動きは逃げる側を追っている。ライダースーツを着て長細い箱を背負い、跨るバイクはChouette――梟の意味を羅列する白いステッカーが貼られたHONDAシャドウ400……一般道路の片隅に一時停止させていたバイクにエンジンを灯し、そのままゆっくりと走行を始めた。


「っ、邪魔だなこのドローン。メロウ、テンは来ているか?」

「……っ!」


 メロウが持つ端末にインストールされているアプリをタップし、防犯ブザーのような高音のアラームを鳴らした。何があったのかと藤次郎はバックミラーから背後を確認すると、後部座席の右手側の窓にドローンが二機、貼り付いていたのだ。

 ガラスに足を付けると同時に、本体から出て来た太い針を突き立ててガラスを破ろうとしていた。何度も言っているがこのBMWは型が古い中古だ、当然窓ガラスの強度なんか高が知れている。

 ガツガツと音を立ててガラスにヒビを入れようとする二機のドローン。しかし、次の攻撃がガラスに当たらなかった。窓が開いたからである。メロウによって窓が開けられると、デンリンジャーの銃口に出迎えられたのだ。

 メロウの小さな両手が握る銀色の銃の引き金が引かれて、発砲音と共に弾丸は真っ直ぐドローンに命中して二機のドローンにビリビリと電流が迸り、窓ガラスから落下して地面にゴロゴロと転がった。


「デリンジャー型のスタンガンか。良い物持っているな!」

『父が作ってくれた特別製です』


 肩で息をしながらその言葉を端末に書いたが、バックミラー越しでは当然反転してしまいその様子に思わず笑みが零れる。

 メロウが機転を利かせてくれたのは良いが、運転席側はヘリに貼り付かれドローンはまだ残っている。メロウの持つスタンガン一丁だけで全部追い払えるはずはない。テンペストは何をやっているんだと内心毒づくが、今この状態を何とかしてくれるのはあいつだけ……早く来い!と心の中で叫ぶ藤次郎が横目で外を確認すると、再びあのドローンが、今度は運転席の窓ガラスに貼り付こうとしていたのだ。


「この、蜘蛛みたいに動きやがって!っ!?」

「っ!!」


 直接叩き落としてやろうかと思ったが、その必要はなかった。藤次郎が直接手を下す前にドローンが空中分解して墜落したのである。否、ただの空中分解ではない……かと言って、自爆と言う訳でもない。ドローンは狙撃されたのだ。

 音もなく放たれた弾丸によって貫かれ、ヘリの周辺を滑空しているドローンが次々と落とされて行く。地獄に仏とは正にこの事である。


「いや、地獄に梟って事か。早速出しゃばってきやがったな」

『何が起きているのですか?』

「安心しろ。“早速返信して来た奴ら”の片割れだ」

「ドローンが次々と墜落! 何者かによって狙撃を受けている模様です!」

「狙撃って、一体どこからだ? それらしいスナイパーは見当たらない、ぞ……?!」


 ヘリの搭乗員たちが焦って周囲を見渡すが、その時に背後から爆走して来るアンドロイドを視界に入れてしまった。脚部に搭載されているブースターをフル稼働させて追って来たテンペストが大きく飛翔してヘリのフロントガラスに飛び乗ると、拳を振り下ろして強化ガラスに穴を空けたのである。

 搭乗員たちの目の前が真っ白になった。粉々になったガラスに蜘蛛の巣状のヒビが入って、視界が塞がれてしまったのである。しかし、テンペストはそれだけでは飽き足らず、顔のパーツが一切動かない無表情でヘリのテールローターをへし折って行ったのだ。


「追跡不能! 緊急着陸します!!」

「テン!!」

「申し訳ありません、お嬢様。3分46秒を、12秒オーバー、してしまいました」

『許す!』


 搭乗員たちが焦る声を聞き流し、テンペストが中古のBMWの屋根に着地するとそのままハイウェイの出口へ急転換させて脱出した。この鬼ごっこ、一旦は逃亡者側の勝利となったのである。


「11時の方角から、狙撃を確認。距離はおよそ、600m」

「知り合いだ。これから、色々とお世話になる相手だよ」


 ドローンたちが次々に狙撃・墜落させられた地点から約600mの距離にあるビルの屋上に、スナイパーライフルを構えた狙撃主がいた。スコープを覗き込めば、無機質な視線を向けているテンペストの姿が見えた。どうやら、弾道から位置を割り出されたようである……AIって言うのも侮れないなと感じながら、愛銃のSV-98を下ろしたのだった。

 藤次郎がメールを出した裏稼業の住人たちの内、“早速返信して来た奴ら”の1人。弾正姉妹の片割れが『逃がし屋』と接触を図ろうとした。






 To Be Continued……




***




【登場人物】

その①

竜宮藤次郎

・逃げたい人も金も物品も脱出させる『逃がし屋』

・ギリギリ20代だが、老け顔のためにオッサン呼ばわりされる事が多々ある

・趣味と実益を兼ねて料理に手を出してみたら以外と上手く行って美味い物が作れるようになった。圧力釜の扱いに長けている

・ラーメンは味噌派


その②

メロウ・愛神

・声を出してしまったら世界が終わる系女子、絶賛逃亡の身……のはず

・16歳の割には幼なく、ちょっと世間知らずなところがある箱入りのお嬢様

・声は出さないが顔に感情がよく出る。特に「美味しい」と言う感情は思いっ切り出て来る

・ラーメンを食べた事がないくらいには箱入り娘


その③

テンペスト

・自己学習人工知能搭載型自動人形、早い話が高スペックのAIのアンドロイド

・一にお嬢様、二にお嬢様、三四がお嬢様で五がお嬢様

・メロウを守るための武装とプログラムを施されているが、メロウを優先しすぎてどこかズレてる成長途中のへっぽこAIを搭載

・ボディのエネルギーはエコ設計

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