メトロポリスからの脱出

中村 繚

01 Meets

 目覚まし時計が息をしていなかった。

 否、普通に考えたら自分で息の根を止めたのだろう。レトロなアンティーク調の時計が午前8時を知らせて、けたたましくベルを鳴らしたその瞬間に手刀を入れた記憶がぼんやりとある。その時に内部の機械が破壊され、しっかりと午前8時で動かなくなっている。

 目覚まし時計を片手にスマートフォンを確認すると、時間は午後10時14分となっていた。


「……寝過ぎた」


『逃がし屋』竜宮タツミヤ藤次郎トウジロウ、起床。

 寝過ごしたものはしょうがない、幸いにも本日は仕事の予定が入っていないので「遅刻遅刻~!」と騒ぐ必要もないのだ。

 のっそりとパイプ式のベッドから起き上がると、先ず初めにトイレに向かう。それから、洗面所で顔を洗って無精髭を剃って歯を磨く。朝食の味が変になるので、歯磨き粉は付けない。

 朝食は何にしようかとボーっとした頭で考えながら炊飯器の蓋を開けるが、中身は空っぽ……そうだ、と昨日は米を炊いていなかった事を思い出した。ストックの冷凍ご飯もないから本日のブランチはパンにしようと、冷蔵庫から八枚切りの食パンを二枚取り出す。

 今朝は魚の気分なので、比較的食パンと仲良くできる鮭フレークに働いてもらおう。食パンの上に鮭フレークを乗せて、その上にマヨネーズをかける。刻んでストックしていた万能ネギと刻み海苔を振りかければ、色合いも良くなる。この状態でオーブントースターに放り込んだ。このラインナップでは野菜的な栄養価が心配なので、冷蔵庫から果汁なしの野菜ジュースを出して先に胃に入れておく。

 コーヒーマシンに豆のカプセルをセットして朝の一杯をブラックで淹れれば、鮭トーストがこんがりと焼けた。皿に乗せて淹れたてのコーヒーと一緒にテーブルに置き、ソファーに座り込んで「いただきます」の言葉の後に噛り付く。

 パン屑がパラパラと皿に落ちる中で、タブレット端末を起動させて今朝のニュースにざっくりと目を通すと言う、実に行儀の悪い事をしているがこの自宅兼事務所には自分1人しかいないから別に注意をする人間はいない。

 どこかの河川敷で死体が発見されたとか、某有名俳優が芸能界からの引退を発表したとか、どこかの国で大規模なテロがあったとかのニュースに一通り目を通す。天気予報は見なくても良い、この都市に天気は関係ないから。

 一枚目の鮭トーストを食べ終わり、二枚目に齧り付いたら仕事用のメールボックスに新着メールが来ているのに気付いた。ちゃんとした仕事の依頼ならば実に1カ月ぶりだ。半月前など、報酬も払えないのに泣き付いて来た人間がいた。こちらの仕事も善意でやっている訳ではない、ちゃんとしたビジネスだと言うのに。

『拝啓 竜宮藤次郎様』で始まるメールに目を通すと、メールでは詳しい事は説明できないので直接この事務所に伺うと言う旨が書かれている。その日と言うのが、今日。


「今日の……午前11時っ!?」


 タブレットの時間を確認、ただいま午前10時49分。そして、実に絶妙なタイミングで来客をお知らせするインターフォンが鳴ったのである。


「はーい! ちょっと待って! 今、出ますから!」


 鮭トーストをコーヒーで流し込み、皿とマグカップを台所の流しに放置してテーブルの上のパン屑をゴミ箱へ。パジャマ替わりのスウェットを脱ぎ捨てて急いでパンツを穿き、シャツを羽織ってボタンを留めると、再びチャイムが鳴った玄関へ駆け出した。


「はーい、お待たせしまし……た?」


 玄関の扉を開けると、そこに人はいなかった。と言うより、目線の高さに顔がなく、視線を少し下に移動させたら色素の薄い髪の毛と綺麗な旋毛が見えた。もっと下に視線を移すと、そこにいたのはタブレット端末を抱えた少女がいたのだ。

 サラサラと流れるロングヘアーと、清楚な印象を与えるワンピースとボレロがよく似合う、「ちょこん」と言う効果音が付きそうな小柄でまだ幼さを残す少女が『逃がし屋』の事務所のチャイムを押したのである。


「……え? 依頼のメールをくれた人?」

「……」

「ちょっと待て、どうしてこんな子供が……っ!?」


 その質問に少女が小さく「こくん」と頷くと、ドアノブに手をかけたままだった外開きの玄関の扉が突如、剛腕から発揮されるほどの力で押し返された。扉の向こうに誰かいたのか?少女以外に依頼をした人間がいたのか、それとも依頼自体が囮で『逃がし屋』を攻撃しに来たのか……後者の方が、色々と心当たりがありすぎて可能性が高い。

 このままでは扉と玄関の壁の間に挟まるが、そこまで鈍臭くはないと自覚しているので抵抗した。扉の隙間をすり抜けて外へ出ると、扉の向こうに隠れていた人影に手を伸ばして胸倉を掴みかかり、バタン!と大きな音を立てて閉じられた玄関の扉に、背中を叩き付けたのである。


「ご丁寧に気配まで消して、喧嘩の押し売りか?んなモン買う余裕はねぇよ。むしろ高級布団でも売り来い」

「……」

「っ」


 扉の後ろに潜んでいたのは、ブラックスーツを来てサングラスをかけた背の高い男だった。ネクタイとシャツを掴んで動きを封じたはずなのに、その手から体温も息遣いも動揺する気配も感じない。

 不気味な感覚が湧き上がる。胸倉を掴まれた男は抵抗をせずにゆっくりと右腕を上げて掌を『逃がし屋』の米神に押し付けたのだが、その時、防犯ブザーのような高音のアラームが鳴り響いた。


『テンペスト!止めて』

「……しかし、お嬢様。腕利きの逃がし屋と聞きましたが、このような、服のボタンを掛け違えているようなだらしのない人間、信用できません。人間性も、仕事も」

「ボタンを掛け違えているのは、ちょっと急いでいたからだ! いつもはちゃんとして出迎えるんだからな!」

『でも、テンペストの攻撃に気付いて反撃しました。この方は、優秀な方です』

「……承知、しました」


 あのアラームは少女が出した音のようだ。手にした端末にペン型のタブレットを走らせると、小振りで丸みを帯びた字が背の高い男を黙らせた。彼女が書いた言葉によると、「テンペスト」と言うのがこの男の名前だろう。アラームを静止の音とし、文字を言葉として綴るこの少女は声が出せないのか?


『大変失礼いたしました』

「あー…はい。で、依頼して来たって事は“ココ”から脱出したいって事か?」

『はい。逃がし屋の竜宮藤次郎さん。私たちを、ノアから脱出させて下さい』




01 Meets




 世界最大の娯楽都市・ノア――

 それが、この都市の名前だ。

 最初の成り立ちは、この国に観光客を誘致するために設立された国家経営のカジノだった。それから徐々にスポーツやエンターテイメント、食、ホテル、ファッションと様々な企業や人種が集まり都市となった。やがてカジノが民営化され、とある実業家がオーナーとなると都市は一気に膨張を果たした。

 カジノを中心として周囲一帯を貪るように都市は大きくなり続ける。世界中のセレブが絶えず訪れて幾日も続くホリデーを楽しみ、夜は極彩色のネオンとギラギラ光るスポットライトに照らされ眠る事はない。オールウェザーで楽しんで欲しいと言う事で、都市はすっぽりとドームに覆われ雨でも雪でも台風でも何の影響を受けずに毎日快晴を保ち、徹底した身分確認のセキュリティによって犯罪件数は驚くほど少ない。

 やがて、都市は世界各国のVIPの後ろ盾を得て独立国家に近い扱いを受けるようになり、ただの娯楽都市は、民主主義を取り入れた一国のように高々とこう名乗る。

 娯楽国・ノア……藤次郎を始めとした、ノアで仕事を行う者たちは皮肉を込めてこう語る。真実を知らない限りは、最高の快楽と悦楽と歓楽と娯楽を与えてくれる独裁国家と。


「先ほどは、大変申し訳ありませんでした。こちらは、メロウ・愛神アイガミ様。私は、お嬢様に仕える、自己学習人工知能搭載型自動人形、通称・テンペストと申します」

「お前、アンドロイドだったのか。通りで気配も体温も、息遣いさえも感じない訳だ」

「お嬢様は諸事情により、喋る事ができませんので、詳しい説明は私が行います」

「喋れない?」

『生まれつきや病気ではありません。本当は普通に声を出す事ができます。色々あって喋らないだけです』


 、のではなく

 少女――メロウが端末の画面にそう書くと、彼女の左隣に座る男がサングラスと外した。成程、確かに彼は人間じゃない。人工皮膚や人工頭髪の完成度は高く一見すると気付く事はないが、人間にはあり得ない瞳孔を持つ人工的な双眸が濃い色のレンズの下に隠れていたのだ。人工的な光がギラギラと輝く、多角形の鉱物が瞳の奥に収められていた。

 自己学習人工知能搭載型自動人形。早い話が人間と同じように成長する人工知能を搭載した人形である。人間そっくりの姿をしたロボット、つまりアンドロイド。

 自動人形やアンドロイド自体はこの都市では珍しい事ではない。標準レベルの人工知能を搭載して美しい姿に造ったアンドロイドは、ホテルのフロントやレストランのウエイトレスとして働いているし、大掛かりな人形劇の女優としてショーにも出演している。しかし、自己学習の機能が搭載されたアンドロイドと言うのは数が少ない。どこかの国立研究所か、新しいもの好きの金持ちぐらいしか所有していないのだ。

 滅多にお目にかかれないアンドロイドと、まだ幼さを残す少女の組み合わせ。この2人(正確に言えば、1人と1体)がどのような理由で、このノアから脱出したいと言うのだろうか。

 竜宮藤次郎と言う男は『逃がし屋』だ。ギリギリ20代と言う若さだが、その筋の人間の間では仕事の評価は概ね高い。今まで、多くの人間や物や金をノアから脱出させて来た実績がある。

 ごく普通の一般人ならば、「どうしてこんな楽しい場所から逃げなければならないの?」と疑問に感じるかもしれない。今の時代におけるノアは、某夢の国以上のエンターテイメントシティリゾートだ。そう、表を見れば楽しい事しか存在しない場所だろう。だが、裏を知ったら此処はあまりにも現実的で世俗的な穢れに満ちた国である。


「で、お嬢さんに報酬は払えるのか? こっちもボランティアじゃない。ノアから非公式のやり方で脱出するならば、それ相応の金も時間もリスクもかかる」

「金なら、払える。いくらでも好きな額を、請求、して下さい」

「ブラックカード?!」

『本物です。ノアから脱出できるのならいくらでもお支払いします』

「……、っ。他にも、条件はあるぞ。どんな“理由”でノアを脱出したいんだ?ブラックカードを所持してアンドロイド付きのお嬢様の身に、一体何があった?」

「……」

「正直、今までの依頼人の殆どは、己の欲望のせいで身を滅ぼしかけた奴らばっかりだ。カジノにのめり込んでとんでもねぇ借金をこさえた者、都市の権力者の女にちょっかい出した者、風俗店から逃げ出したい者、カミサマに逆らっちまった者」

「っ!」

「メロウお嬢様よう……一体、どうして、お前の身に何が起きた?」


 安物のテーブルに、ブラックカードをポンと乗せられても、犬のように尻尾を振って依頼人に愛想を振りまく訳にはいかない。危険な橋を渡るのならば、それ相応の情報を頂かなければならないのだ。信頼関係、と言えば聞こえは良いが要するに言質である。お口ミッ●ィーで仕事をする気は更々ない。裏切ったら覚悟しろよと言う事でもある。

 藤次郎が歴代の依頼人の事情を羅列した中で、一つだけメロウが反応を見せた項目があった。身体を小さく振るわせて、小さな手で端末を握り締めた。


「……カミサマに、日神に逆らったか?」


 そう告げた瞬間に、テンペストの掌が藤次郎の眉間に迫った。今度はその意味がちゃんと解る。彼の掌に38口径の銃砲が埋め込まれていて、照準は脳天にしっかりと突き付けられたのだ。


日神ヒノカミユタカ。ノアのカミサマ、と言うより国王様かな……中央のタワーカジノ・バベルのオーナーで、この都市の支配者だ。日神に逆らい目を付けられたら最後、ノアから生きて出る事はできねぇ。金も身体も内臓も血も、骨もしゃぶられて利益になるもんは全て搾取される。金のない奴はノアに来るなって事だ。噂によると、各国の首脳も国の政治家も日神には頭が上がらないらしい。相当の寄付金を受け取っているってな」

「お前、何を知っている」

「何も知らない。だから訊いている。かまをかけてみただけだ。こっちも、金を払ってもらうだけじゃ仕事を受ける気になれねぇ。お前らの事情を聞いて、理解して、咀嚼して、俺ができると思ったら依頼を受ける。それが俺のやり方だ」

『テンペスト。お話しましょう』

「しかし、お嬢様」

『良いの。これは危険な脱出だから』

「……承知、しました」


 藤次郎の脳天からテンペストの掌が退かれると、メロウがサラサラと端末に文字を書く。この幼い少女が、ノアの国王に何をした?


『私たちは日神に追われています。捕まったら最後、ノア以外の世界が破滅に向かうでしょう』

「……はあ?」

『私の両親は科学者でした。日神の出資を受けて電子工学の研究をしていました。テンペストも父が創造したAIが元になっています』

「お嬢様、そこからは私が、説明します。私の創造主夫妻は、日神の依頼である兵器を造り出しました」

「兵器? 電子工学の化学者が?」

「はい。それが発動すれば、ノア以外の、世界中の電子機器が無効化されます」

「……はあ??」

「その兵器を発動させるためのキーが、お嬢様の声なのです」


 ???

 話が非現実的でよく解らない。抑揚のない機械的な声で説明されると、まるで何かの説明書を読み上げているように聞こえてしまう。


「……お嬢様、やはりこいつは駄目です。私の話を、信じていません」

「普通はそんな突拍子のない話、信じられないの!」

『確かに信じられないかもしれません。でも事実です』

「あー……取りあえず。メロウが声を出したら、兵器が発動して、ノア以外の世界が滅亡でOK?」


 メロウが小さく頷いた。取りあえず、こんな感じに状況を理解していれば大丈夫らしい。上手く消化し切れていないけれど。

 つまり、彼女たちはその兵器を発動させないためにノアから逃げようとしている訳か。電子機器の無効化、ねぇ……確かに今のご時世、電話やインターネットができなくなっただけでも大騒ぎだ。今の時代、殆どのシステムがコンピュータ制御となっているため、全ての電子機器が無効化されると言う事は電車も止まってインターネットも止まって、電気を配給する発電所やその他関連施設も落ちる。当然、非常時の発電システムだって役に立たないはずだ。全ての電気製品がただのガラクタになる事に等しいだろう。人間の文明は、一気に石器時代まで逆戻りだ。

 そう言い換えれば確かに一大事だ。今の人類から電気を奪えば、あっと言う間にパニックが起きる。


「最悪、人工衛星も制御不能となって、墜落する危険性もある。ノアだけは、ドームによって守られるだろう。あのドームも、創造主夫妻が造り出した物だ」

「って、思った以上に人類は滅亡の危機に瀕するな!」

「最初から、そう言っている」

「んな危険なもん造らせて、カミサマは何がしたいんだよ」


 いつの時代も、権力者が考える事は理解できないと言いたそうに、藤次郎は大きく溜息を吐いてからガシガシと頭を掻いた。

 どうする?金もある、事情も聞いた、それで……自分は、竜宮藤次郎はこの依頼を受けて達成する事ができるのか?

 悪天候から人間を守るドームは、中の人間を逃がさないための鳥籠。身分確認をして悪漢を招き入れないためのゲートは、入国者を見張る関所だ。これらは勿論の事、ノアに張り巡らされている全ての警戒網を突破して国王の目を盗まなければならないのだ。

 世界滅亡の鍵を握る少女を国王のお膝元から脱出させる。相手だってそう簡単に逃がす気はないだろう。藤次郎1人で王の軍勢をやり合おうってのか……普通に考えたら、無理だ。


「あの、さ……」

『やっぱり無理ですよね』

「っ!」

『正直に言います。依頼を受けて頂けるとは思っていませんでした』

「しかし、お嬢様」

「……」

『ノアから脱出できればA国が匿ってくれる契約を既に交わしています。私にはテンペストがいます。何とか脱出してみます』

「……誰が、受けないって言った?」

「っ」

「メロウ・愛神、その依頼受けるぜ。お前らをこのノアから脱出させてやる」


 そんなに、そんなにも震えた線の文字で強がる少女を放っておけるほど、藤次郎の神経は図太くはなかった。細くて白い指でギュッと端末を握り締める手も、薄桃色の小振りな唇も文字と同じく震えているのに本人は気付いていないかもしれない。

 難易度:究極、上等。今までだって、散々カミサマに目を付けられる事をしていたんだ、今更どうになってなれ。

 藤次郎がメロウの依頼を受け入れたその瞬間、2人は逃がし屋と依頼人の関係となった。メロウは潤んだ瞳を瞠って感極まった表情で唇を噛み締め、藤次郎へ向けて深く深く頭を下げた。


『ありがとうございます。よろしくお願いします』

「……お嬢様を、無事に脱出させて下さい。私も、尽力します」

「おう」


 余裕ぶっているけれど、その内、遅れて「うわーどうしよう!」ってなるだろう。それでも藤次郎は、自分に縋って伸びて来る腕を払い除ける事はできなかったのだ。


「依頼は受けたが、今すぐノアを脱出させる事はできねぇ」

「何故だ、依頼を受けると言っただろう」

「タイミングってもんがある。今日は無理だ。事前の準備も情報も、まだ整っていない。安心しろ、恐らく一週間以内には行動できる」

『解りました』

「では、お嬢様。それまでは宿を取りましょう。この事務所の近辺では、ランクの低い場所しかご用意できませんが」

「……って、お前らそこら辺のホテルでも取る気か?」

「何か、問題でも?」

「大問題だ! いいか、モグリでもない限り、ノアの店は全部日神の傘下だ。ホテルもレストランも映画館がもキャバクラもホストクラブも、全部日神の手下なんだよ! 追われているお前らが優雅にチェックインでもしてみろ、あっという間に通報されて手が回るぞ! 小汚いラブホにも日神の手は回ってんだ!!」


 カミサマの事だ、この2人の指名手配はとっくに済んでいるのだろう。もっと自覚を持て。日神に追われていると言う時点で、メロウとテンペストはノアにおける犯罪者と同じなのだから。


「ちなみに聞くけど、お前らどうやってうちの事務所まで来た?」

「タクシーだ。お嬢様に、御足労おかけできない」

「……お前、本当にメロウを守る気があるのか?」

「愚問だ。私は、お嬢様をお守りするために、生み出された存在だ。お嬢様をお守りするための、武装も、施されている」

「これだから学習途中のAIは……」


 藤次郎は頭を抱えた。駄目だこいつら、と言うよりテンペスト、こいつには駄目だ。

 ホテルの件もそうだが、タクシーだってモグリでなければ十中八九九分九厘通報される。普通のタクシー運転手を思い出せ、指名手配犯が乗って来たら普通警察に通報するだろう、密室の中に2人きりは怖い。

 「大丈夫だ、事務所の500m手前で降りた」と、無表情なのにドヤ顔で見える表情で言われても褒めてやらない。地区が思いっ切り判明している。

 こりゃ、早ければ夕方にでも此処が突き止められてしまうだろう。藤次郎の予想以上に、切羽詰まった状況に追いやられていた。


「連中の動き方によっては今夜、遅くても明日には出立する。今日はこの事務所に泊まれ」

「駄目だ」

「どうして!」

「独身の小汚い男しかいない、そんな場所に、お嬢様を宿泊させる事は無理だ」

「お前さっきの話聞いてた? 学習しろよ! 高性能のAI付いてんだから!!」

『私は構いません』

「お嬢様」

『藤次郎さんの言う通りです。今日はもう外出しない方が良いでしょう』

「ほら、メロウの方が現状をよっぽど理解しているぜ」


 庇護対象であり主人であるメロウには逆らえない。表情は1mmも変化しなかったが、渋々嫌々と言った空気を漂わせながらテンペストは藤次郎の案を受け入れた。

 アンドロイドの中にも、人間のように喜怒哀楽を表情や声に出せる機能を搭載しているものもいるが、彼は38口径の銃やメロウを守るための武装は施されていても表情筋は搭載されていないのだろう。作り物のように精細で美しい顔、メロウの身の安全と彼女の健やかな生活を守るための学習を優先している人工知能。これらを備えていても、お嬢様の傍に仕える執事としてはまだまだ落第点である。


「そう言えば、メロウはいくつだ?」

『16歳です』

「(一回りしか違わなかった……)うちの事務所兼自宅には俺しか住んでいないが、掃除もこまめにしているし料理もそれなりだ。ベッドも使って良い」

『良いのですか?それでは藤次郎さんが眠れません』

「俺は、このソファーがあるから大丈夫だ。それより、もうランチタイムが終盤だが……腹は減ってないか?」

「ただ今、午後1時51分です」


 時間が過ぎるのも忘れて話し込んでいたらしい。ランチメニューを提供する飲食店でも、ラストオーダーに近い時間帯だ。

 藤次郎は寝坊したので、先ほど鮭トーストを(半分無理矢理)胃に収めたが、通常ならばそろそろ空腹を感じる頃である。藤次郎に指摘されて、テンペストから時間を聞いて胃が自覚したらしい。メロウが少し赤くなって端末ごと、薄い腹を押さえた。大丈夫、腹の虫の音は聞こえていない。

 成長期の少女に飯抜きなんて残酷な仕打ちはできない。それなりの料理の腕前でも振るおうか。

 ソファーから立ち上がった藤次郎は、冷蔵庫と隣のカラーボックスを漁り始め少なくなりつつある食材のチェックを始めた。


「米は、夕方に炊くか。アレルギーとか嫌いな物とかある?」

「っ、……」

「首を横に振った、って事はないって事か。テンペスト、お前はメシとか食うの?」

「私は、太陽光や空気中の水素、足元から察知する地熱によってエネルギーを生成できるので、半永久的に活動が可能です」

「ボディは無駄にハイスペックだな。昼は味噌ラーメンで良いか?袋麺しかないけど」


 某有名メーカーの袋麺を見せると、メロウは一瞬だけポカンとした表情をしてそれから小さく頷いた。

 折角だからサービスしてやろうか。八分の一サイズのキャベツと昨日半分使って残ったモヤシ、半分になったニンジン、真空パックのチャーシューを冷蔵庫から取り出して台所の棚からは乾燥木耳を出して水で戻しておく。

 コンロでお湯を沸かしている間にキャベツはざく切り、ニンジンは短冊切りにする。使い込んだフライパンに油を引いて野菜を炒め、水気を切った木耳と合流させて多少の歯応えが残る程度まで熱を通すと、軽く塩胡椒で味を付ける。

 そうしている内にお湯が沸けた。袋麺を沸騰した鍋に入れてタイマーは3分。1分ぐらい煮込んでから菜箸で麺をほぐし、スープの素をラーメン丼に入れておく。

 独身男の割には妙に手際の良いその行程を眺めていたメロウは、何だかそわそわと落ち着きのなさそうに身体を動かして鍋やフライパンを覗き見ていた。そうしている内に、ニワトリ型のタイマーが3分を知らせる。ガスを消して先に茹で汁を丼へと注ぎ、スープの素を均等に混ぜてから麺を投入。最後に、炒めた野菜と厚めに切ったチャーシューを乗せれば、ちょっと豪華なお家でできる味噌ラーメンの完成である。


「はい、お待ち」

「……」

「ラーメンは嫌いだったか?」

「お嬢様、まずはこいつに毒味をさせましょうか」

「変なモンは入れとらんわ!!」

『いいえ。ラーメンは初めて食べるので』

「え、ラーメン初めて?!」

『知識としては知っていましたが実際に食べるのは初めてです』

「そうか。じゃあほら、麺が伸びる前に食べな」

『いただきます』


 割り箸とプラスチックのレンゲを受け取ったメロウは、端末にそう書いてから手を合わせて湯気が立つラーメンへペコリと頭を下げた。摘み上げた麺に小さく息を吹きかけて、冷ましてから小さな口に入れたが彼女は麺を啜れないようである。もくもくと、何回かに分けて口に入れてから咀嚼すると……白い頬がほんのり薔薇色に染まって、メロウの表情がパァっと花が咲くように綻んだ。

 それから再び麺を食べて、上に乗って野菜は味噌味のスープと一緒にレンゲで掬って口にすると、今度はじんわりと嬉しそうに目を細めたのである。

 あ、これ絶対「美味しい」って思っている顔だ。どうやら、初体験のラーメンはお嬢様に感動を与えたようである。


「美味いか?」

「……っ(こくこくこくこく)」

「そうか」

「失礼します、お嬢様。髪を、結びます」


 小さな頭を何度も上下に動かして、ラーメンが美味しいと言う事を伝える。その表情は16歳の少女にしては幼く見えたが、さっきまでと比べたら随分と年相応だ。自分が作った食事を、そんなに嬉しそうに食べてくれたらこっちも照れてしまうではないか。

 啜れないなりに一生懸命ラーメンを食べていると、長く伸びた髪が丼に落ちてしまう様子を見たテンペストがメロウの髪を手に取り、スーツのポケットから出した水玉のシュシュで髪をポニーテールにした。

 すっかり温くなったコーヒーを口にしながら、引き続きラーメンに感動する少女と優しく髪を梳くアンドロイドを眺める。彼女たちの姿を見ていると、2人をノアから脱出させるためのプランとか必要になる道具はどれぐらいだとかを考える前に、夕飯は何を作ってやろうかと思ってしまった藤次郎であった。




***




 ノアは眠らない都市――否、眠れない都市だ。

 一応、時計が示す時間に合わせて、特殊なドームの空には透過された太陽が沈んで夜がやって来るが、濃紺のドームの下にある建物から光が消える事はない。ネオン看板の蛍光カラーと、ハイウェイを照らす電灯の白、ロマンチックな雰囲気を作り上げる虹色のイルミネーションに、中央カジノを照らすゴールド、それぞれの彩りによって真っ暗闇は存在できないのだ。

 藤次郎がタブレット端末とノートパソコで作業をしながら窓の外へ目を向けると、視線の先にある遊園地で花火が上がった。時刻は11時23分、11時から始まるショーがクライマックスを迎えたようである。きっとあそこは興奮に満ちているのだろう。ノアを楽しむ者たちは皆、疲れ知らずだ。

 だけどメロウは今日一日で随分と疲れてしまったようである。夕飯を、これまた嬉しそうに食べた後にシャワーを浴びると、そのままうとうとと船を漕ぎ始めてしまった。今は、シーツを交換した藤次郎のパイプベッドでぐっすりと眠っている。そして、その隣には番犬の如くテンペストがいる。

 ちなみに、夕飯は冷凍のギョーザを焼いて、余った野菜を加えた卵スープを作り米も炊いた。独身男の1人暮らしであるが、毎日自炊をしていればそれなりの腕前にもなる。趣味らしい趣味もないので、とりあえず料理上手になってみようと思った半年前の藤次郎は良い選択をしていた。


「アイガミ……どこかで聞いた名前かと思ったら、夫婦揃って電子工学とAI開発の第一人者じゃねぇか。愛神彦麿とシルフィ・愛神。2人の間には、娘が1人」


 その娘が、メロウだ。パソコン画面に映し出されている愛神夫人の面影がある。

 ラーメンを食べ終わってからの午後は、作戦会議とメロウが持っている情報の集約に時間を当てた。両親から兵器の事や、日神の事は何か聞いていないかと尋ねてみたら彼女は細々とした情報を文字に書き出した。

 その時のメロウの驚異的な記憶力には驚いた。不審な電話があった日の何時何分までを正確に記憶していたし、盗み聞きした両親の会話は一字一句覚えている。流石は、著名な研究者夫妻の娘と言うべきだろうか。ただの箱入りのお嬢様ではないようである。


「愛神夫妻はしばらく表舞台に顔を見せてないようだが、あの様子じゃもう……」

「創造主夫妻は、日神に殺害されました」

「っ、テンペスト」

「お嬢様も、その事は、ご存じです」


 パソコンとタブレットの画面しか光のない事務所に、テンペストが現れた。気配もなければ、モーター音の一つもなく現れるのはやはり心臓に悪い。


「創造主夫妻は、兵器の使用を反対、していました。それで、日神の反感を買ったのでしょう」

「なら、どうして兵器の研究を続けた?」

「お嬢様を、人質に取られていたからです。しかし、自分たちの身に危険が迫っていると悟り、秘密裏にお嬢様をA国へ亡命させる計画を立てていました。兵器は破壊できない、ならば、お嬢様の声、肉声をキーとしてノアから脱出させれば、兵器を発動できないと考えたのです」

「メロウを亡命させる前に、事態が早く動いちまったって事か。娘に随分と重いモンを背負わせた両親だな」

「……」

「安心しろ。依頼を受けたからには、必ずノアから脱出させてやる。だがな……俺だけじゃ、ちょっと荷が重い。追加で金を払う余裕はあるか?」

「いくらで、しょうか?」

「それはまだ解らねぇ。今、この話に乗りそうな奴らにメールで誘いをかけた。詳しい内容は教えていないが、何人かは食付いて来るだろう」

「奴ら、とは?」

「日神に言えないような仕事をしている奴らだよ」


 所謂裏稼業の奴ら、藤次郎にとってのお仲間であり時には商売敵になるような奴らがノアには潜んでいる。表向きは日神の傘下に入ったように見せかけ、カミサマの目を盗んでせっせと裏稼業に精を出しているのだ。

 しかも需要はかなりある。『逃がし屋』の藤次郎を始めとし、情報屋に武器商人、金を詰めば何でもやる何でも屋。闇医者もいれば女衒屋もいるし、呪術師なんて胡散臭い眉唾もんの奴もいる。しかし、いくら裏稼業の同業者と言っても彼らも藤次郎も一枚岩ではない。中にはアッサリとスタイリッシュに裏切って、簡単に日神側に付くような奴だっているし、そもそも日神の下請けのように動く奴らもいる。


「そこら辺の目利きは上手くやったつもりだ。信頼・信用できるかはともかく、腕は確かで日神側に付かないはずの人選だ」

「……よろしく、お願いします」


 190cmはあるボディを折り曲げて、テンペストが藤次郎へ深々と頭を下げた。ドーン、ドーンと花火を打ち上げる音が遠くから聞こえる事務所は、外のお祭り騒ぎと比べたら随分と静寂だ。その静寂の中で、ゆっくりと音もなく、綺麗に90度の礼をした彼に思わず呆気に取られてしまったではないか。


「って、どうした調子狂うな」

「私は、メロウお嬢様を守るために、創り出された。だから、お嬢様を守るために回路が詰まった頭も下げる。お嬢様が信じた者ならば、信じる。だが、もしお前がお嬢様を危険な目に合わせたのなら、私がお前を殺す」

「過激な思考回路してんなぁ」


 人工物の双眸からは殺気は感じられない。しかし、無機質故の怖さがある。見た目は人間と同じなのに脈拍も心拍も呼吸もない、そんな異質を認識してしまえば恐怖だって湧き上がって来るさ。

 髪が伸びる市松人形とか、呪いの人形とかと同じだ。あちらさんが使う武器は精々包丁ぐらいだが、こちらは38口径の銃を使って来るしそれ以上の武装だって内蔵されているはずだ。

 存在理由をメロウに求めるテンペストの姿は、お嬢様に仕える執事と言うよりも、お嬢様と共に育てられた忠犬のようである。もしくは、敵に噛み付く番犬だ。


「依頼を受けたからには、必ず達成させるのが俺のやり方だ。まあ、仲良くやろうぜ……テン、ペスト。って、お前の名前って呼び辛いな」

「創造主様が付けて下さった、名前だ。『嵐』を意味する」

「ふーん。どっちかと言うと、「テン」って感じだな。よし、お前の事は「テン」って呼ぶわ」

「……その名前、どちらかと言うとペットに付ける、名前の響きに似ている。私は、ペットではない」

「気にするな。あんまり細かい事にこだわると、思考回路がショート寸前になるぞ。よろしくな、テン」

「……承知、した」


 あと少しで日付が変わる。明日もまた、ノアは栄光の朝を迎えるだろう。その栄光の影にある真実を抱えて、カミサマのお膝元から脱出する。






 To Be Continued……


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