<11>


 リシアに自分の気持ちを打ち明けたことで、鈴蘭の気持ちはだいぶ軽くなっていた。そして彼が指輪にこだわる理由を知ったことで、協力したいと思ったのは嘘じゃなかった。

 けれど十二月になってしまった。リシアの課題の提出は年明けで、その前に冬休みがある。学院で翡翠と会えるのはあと三週間くらいしかない。どこまでやれるかわからないが、とにかく焦る必要があった。

 翌日の放課後に買い物に行き、誕生会に行けなかったことを謝りたい、と言って呼び出した。メッセージを送る時はさすがにドキドキしたし、断られたらどうしよう、と言う不安もあったが、翡翠からは手短ながら了解の返事が届いた。

 本当に翡翠は優しい、と鈴蘭は嬉しくなった。

 翌日には放課後の中庭、三年生の使うテラスで顔を合わせていた。

「翡翠、この間の誕生会、せっかく誘ってくれたのにごめんなさい」

「別に気にしないで、いつもの通りおれの誕生会とか関係なく、飲んで騒いでだったから、鈴蘭ちゃんはむしろそう言うの苦手でしょう、来なくてよかったかもよ」

「そうだけど、でも誘ってもらったのは嬉しかったの。だからこれ」

 と、鈴蘭は用意していた小さな紙袋を翡翠に渡した。

「遅くなっちゃったけど、これ」

 翡翠が軽く首を傾げながらそれを受け取り、袋から中身を取り出した。

「あ…」

 翡翠がそれを見て笑う。小さな星座盤のかたちの一筆餞だ。リシアにあげたら悪くないと言われたので、翡翠にあげても大丈夫だろうと、同じものを用意したのだ。

「誕生日プレゼントなの。翡翠要らないっていってたし、大したものでもないんだけど、一応、誕生会に誘ってくれたのに行かなかったから、お詫びも兼ねて」

「ありがとう鈴蘭ちゃん、でもこんなことあんまり言っちゃいけないけど」と、彼がわずかに申し訳なさそうな顔をする。

「実はおれ、同じものを持ってるんだ。このサイズと星座盤の銀の箔押しが気に入って、飾ってる」

 売ってたのあの店じゃない? と買った店まで言い当てられて、急に鈴蘭の気持ちは沈んだ。自分では気の利いた贈り物のつもりだったのだ。

「そうだったの…、ごめんなさい」

 さすがに落胆した表情になると、翡翠が慌てて言った。

「別に嬉しくないわけじゃないよ。ただ、前から星座モチーフの文房具は集めてて、あ、これは他の奴らには内緒」

 翡翠がそう言って人差し指を立てたので、鈴蘭もくすりと笑う。

「鈴蘭ちゃん趣味が良いね」

「ありがとう。でも、どうせなら翡翠が持ってなくて、もっと喜ぶものを上げたかったわ。同じものが増えてもしょうがないわよね。気に入りそうな人がいたら、誰かにあげて」

「リシアは?」

 翡翠が言った。なんとなく、そう言われると思っていた鈴蘭は首を振る。

「リシアにも誕生日にあげたの。気に入ってもらえたから、翡翠にもいいかなと思って用意したの」

「じゃあ、こっちを飾って、おれが今持ってるのは別の誰かに譲るよ」

 翡翠はそう言って、また丁寧に小さな星座盤を袋の中に戻した。顔を上げると、

「最近リシアと会ってる?」と、彼は少しだけ心配そうに訊ねる。

「うん、昨日も会って話したわ」

「課題は順調に進んでる?」

「ううーん」と、鈴蘭は思わず首を捻った。

「順調とまでは行かないけど、進んでるみたい。詳しく教えてくれないけど」

「一緒にいるところ見掛けなくなったから、どうしてるのかと思ってた」

 安心したよ、と翡翠が言う。その表情に、鈴蘭は頭を巡らす。

 せっかくリシアの話題が出たのだから、なにか別の、翡翠と過ごせる時間を作らなくちゃ、と彼女は言葉を探し、

「またどこかに翡翠とリシアと行きたいわ。天文館とても楽しかったし、冬休みが終わったら、試験期間でそれどころじゃなくなっちゃうだろうから」

 と、言った。鈴蘭としてはかなり精一杯の言葉だった。

「天文館、気に入ってくれて嬉しいよ」と、翡翠は笑ったが、その後に少し困ったような顔をして首を捻る。

「おれも最近リシアと話してないから、そうしたいのはやまやまなんだけど、今月は土日、ちょっと厳しいんだよね。ルチルのホッケーの応援に行かなきゃいけないから」

「ルチル? 三年なのに?」

「学院とは別にクラブチームに入ってるんだよ。今、二次リーグの試合中だから」

「それなら」

 と、鈴蘭は思わず手を合わせて言った。

「私も行っても良い? バレリアンを誘うから。彼女はルチルが好きみたいなの」

「それは大歓迎だよ。ルチルは女の子が来れば来るだけ喜ぶから」

「でも、リシアは来ないだろうけどね」

 そう言ってふたりで顔を見合わせて笑った。

 試合は今週末だ。会場と時間は後でメッセージ送るね、と翡翠が言って別れた。

 ひとりになった鈴蘭は心の中で手を叩く。やった、リシア、上手くいったわ。これで授業のない週末も翡翠と会える。

 バレリアンは学園祭以来、すごく親しくなったわけでもないが、けれどそれ以前に比べると、二言三言話すようにはなっていた。

 少しだけ嘘をついて、翡翠がルチルの応援に行くから一緒に行かない? と誘うと、

女の子は大歓迎らしいの、とだめ押しする前に、

「行く、行く、絶対行く!」と、飛びつくようにバレリアンが頷いた。

 詳しく話を聞くと、もともと勝手に行くつもりだったらしい。けれど勝手に応援しに行くのと、翡翠たちに混じって観戦するのはまったく別だ。少なくとも、バレリアンにとっては。

 週末の郊外の試合会場には、彼女たちの他にも三年の女子が多く来ていた。翡翠とは挨拶したくらいでほとんど話せなかったけれど、三年の女子の中にも鈴蘭とバレリアンに親切にしてくれる人もいて、そして試合はそこそこ面白く、ルチルのチームが勝った。

 打ち上げにも参加して、やっぱり知らない人だらけの場所は鈴蘭は苦手だと思ったけれど、そこでは翡翠とも、そして流星とも、少し話しをして、さらに来週の試合観戦にも誘われた。

 バレリアンは隙あらばルチルに近づいて話し掛けていて、彼女を見習わなくちゃ、と鈴蘭は思った。


 紫苑とは学校では一緒に過ごしているが、もう翡翠やリシアの話はしなかった。それでも翡翠が遠くから会釈してくれたり、流星やルチルまでが、すれ違うと、

「あ、黒い服ちゃんだ」と、笑い掛けてくれたりするのを何度か見られたので、心の中で思うことはあるだろう。

 でも、少なくとも鈴蘭が口にしなければ、その話題が出ることはなかった。

 意外なのはバレリアンで、やはり彼女はかなりルチルに熱を上げているようで、次に会う時はどんな服装が良いか、周りから見て自分はどうか、などメッセージのやり取りに頻繁に付き合わされた。ルチルは翡翠と違って、しょっちゅう付き合う女の子を替えるから、バレリアンにもまったく望みがないわけではないだろうが、それはそれで大変そうだ。

 リシアとのやり取りは端末でのメッセージになっていて、二週間ほど校内でも見掛けていないし、顔も会わせていない。

 けれど指輪のことを聞いたあの日から、肩を押してくれるメッセージも心なしか本音が見えて、それだけで鈴蘭は翡翠ともっと親しくなろう、リシアのためにも自分に振り向いてもらえるように頑張ろう、という気持ちが湧いた。



「それでね、私としてはやっと楽しくなってきたところなんだけど、いつまでもこうしてるわけには行かないでしょ」

 学習室でリシアを前に鈴蘭は言った。

「どういうこと?」

「課題の終わらせるために、翡翠に気持ちを伝えなくちゃならないでしょ」

 リシアが軽く目を瞠る。

「そうか…、言われてみればそうだね」

「忘れないでよ、重要なことなのに」

 悲鳴のように鈴蘭が言った。リシアは軽く考え込む。

「なんだか最近、立場が逆転してない? 私の課題みたいになってるわよ」

「そんなことないよ。指輪は欲しいし」

「課題の提出、年明けから始まるでしょ。もちろんすぐに提出したいわよね」

「うん。授業が始まる日からだけど、夏休みの宿題と同じで、その日に出す奴はいないだろうね」

 授業は始業式の翌日からだ。

 新年会は始業式の後に始まる、ちょっとした生徒のための催しだった。

 参加は自由で、この日に学院に戻ってくる生徒も多い。何より暗黙の了解でパートナーがいないと参加できないイベントなのだ。必然的に、華やかで目立つグループの生徒の参加が多くなるし、そうでない生徒は肩身が狭い。鈴蘭は今年、興味本位で紫苑と行ってみたものの、誘ってくれる相手がいなかったので、ダンスには参加できなかった。

「でも、出せるなら出した方がいいってことよね」

「うん、学校は始まってるからね」

「リシアは本当に帰らないの?」

 彼は首を振る。

「帰らないし、少ないけど寮に残る生徒もいるから、そういう寮生に向けての他校との交流プログラムもあるんだよ」

 鈴蘭もなんとなく知っていたが、自分には関係ない話だと思って、気に留めたこともなかった。

「じゃあ、告白は終業式の日?」

 自分で言いながら、胸が早鐘を打つ。それならもう来週だ。心の準備が出来ていない。

「うーん、それだと冬休みがもったいないような…」

 リシアが気乗りしない顔をする。

「私のことも考えてよ。ふられても冬休みがあれば、家族と一緒だし慰めになるわ」

「ふられるのを前提で話さないでよ」

 リシアが苦笑する。

「そんなに焦らなくても良いよ」

「焦ってるんじゃなくて、課題の提出期間のことを考えてるのよ」

「でも、ちょっと待って。終業式にするかどうか、考えさせてほしい」

「なにを考えるの」

「それがベストなタイミングかどうか」

「どうしてそれがリシアにわかるのよ」

「だって、僕の課題だから」

 そう言われると、鈴蘭は何も言い返せなかった。自分でも進んで告白したいわけじゃなく、本当はもう少しこの状態を楽しんでいたかったからだ。



 冷え込みもぐっと増し、冬休み前の最後の日曜日も、鈴蘭はバレリアンと一緒にルチルのホッケーの試合を観に来ていた。この日は決勝だったが、いつものように翡翠と流星とその友だち、ちょっと顔見知りにすらなってしまった三年の女子の他に、雷鳴と輝銀まで姿を見せていた。雷鳴も鈴蘭の姿を見ると、

「黒い服ちゃん」と呼び、翡翠にそれを訂正されていた。

 校外活動とは言え、輝銀は自分の生徒でもあるからわからなくもないが、雷鳴がどうして、と思って訊ねると、

「まあ、翡翠と輝銀の付き添いかなあ」と、軽く笑って言っていた。

 そしてなんと観客席に着く時、鈴蘭は翡翠や輝銀からは少し離れて座っていたが、その隣に雷鳴が座った。彼は試合自体にはあまり興味がないようで、試合の間も鈴蘭に黒い服ばかり着ている理由はなんだのと話し掛けてくる。

 最初はさすがに緊張していた鈴蘭だが、彼は見かけに寄らず聞き上手で、彼女は試合そっちのけで、自分が黒い服が好きなことだけでなく、学園祭のパフォームのことや、翡翠とはリシアを通して、彼の課題を手伝うために親しくなったことなど話してしまった。

「手伝ってる課題って?」雷鳴が訊ねる。

「それが…、私も詳しく教えてもらえなくて」

「確かに、翡翠も苦い顔をしてた」

 言われてみれば翡翠もとっくに期末課題の出ている時期だ。リシアのことばかりで、気にしてなかった。自分の期末課題は演習と決まっているので、これは心配してない。

「翡翠の期末課題を、知ってるんですか?」

 そう訊ねると、雷鳴は目を細めて悪戯っぽく笑って頷いた。その表情はけっこう魅力的で、鈴蘭は思わずドキッとしてしまう。

 いけないいけない、私は翡翠が好きなのに、なにを自分とは違う専修科の、それも教員にときめいてるんだ、と彼女は手を胸に当てて、気持ちを落ち着かせようとした。

「先生はなんで」と、彼女は話題を変える。

「翡翠に『遠雷』って呼ばれてるんですか?」

「それが本名。雷鳴が通称」

 そんなまさか、と思ったが、雷鳴は薄く笑っている。

「にしても、鈴蘭ちゃんはお人好しだねえ」と、横で雷鳴が言う。

「知らない三年生の期末課題に付き合ってやるなんて」

「そうでもないです…」と、リシアの課題の内容を思い出しながら、鈴蘭は首を振る。

「来年、自分の時の参考になるかも知れないって思ったし…」

「まあ、勉強熱心」

「先生にとっては良いことでしょうに」

 笑っている雷鳴を、二列前にいた翡翠が振り返って一瞬だけ視線を向けた。



 ルチルのチームは負けてしまった。それでも二位だ。祝賀ムードと悔しい雰囲気がないまぜになったような状況で、それでも選手たちはそれなりの結果が出せた、と落ち込んではいなかった。

 打ち上げにも誘われたので、鈴蘭ははりきっているバレリアンと一緒に参加した。これで三回目だ。話す三年生もできた。男子も、特に怖いかもしれないと思っていた女子も、二年の鈴蘭とバレリアンを目障りに思う人たちばかりじゃなかった。

 試合の結果が出たおかげか、それとも輝銀や雷鳴などがいたり、今までとは顔ぶれが違うせいか、その日の打ち上げは緊張感がなく、鈴蘭は今までより楽しめた。

 終わり頃になると、翡翠とルチルが近づいてきて、試合を観に来てくれたことへのお礼を言われた。

 下心があるので、とはもちろん言えないけれど、嬉しかった。

 今週の終わりには冬休みが始まる。鈴蘭も実家に帰るし、翡翠もだ。二週間くらい会えなくなってしまうし、年明けにどうやってまた翡翠を会おう。いっそ終業式の日に呼び出して告白してしまおうか、などと考えていると、

「鈴蘭ちゃんは新年会出るの?」と、話の流れとは関係なく、唐突に翡翠が訊ねた。

「えっと…」

 唐突な言葉に鈴蘭は首を振る。

「まだ決めてないんだけど…」

「じゃあ、出なよ。新年会で会わないと、これから会う機会がなかなかないだろうし」

 うわー、と鈴蘭は自分の頭に血が上るのがわかった。

 自分を含めて年明けからは怒涛の試験期間で、三年生は特に卒業試験も控えている。

 そこで鈴蘭ははたと気づいた。

 それはリシアも同じだ。期末課題の提出が終われば、リシアにも会う機会がなくなる。

「うん、でも一緒に行く人が…」

 エスコートしてくれる男子がいないと、参加しても肩身が狭い。

「じゃあ、おれと行く?」

 何気ない様子で、翡翠が彼女の顔を覗きこむ。

「ええ、ちょっと待って、それはダメ」

 気持ちに反して、鈴蘭は声を上げて思いっきり首を振ってしまった。

「傷つくなあ」翡翠が苦笑する。

「違うの、嫌だとかじゃなくて、翡翠と一緒になんて行ったら、どれだけ他の女の子たちに妬まれるかわからないもの!」

 思わず拳を握ってそう言うと、翡翠は、

「そうかなあ」と、笑っていた。

 胸が早鐘を打っていて、まともに翡翠の顔を見られない。

「リシアとも相談して」

「うん…」

 そこへ雷鳴が近づいてきて翡翠に話掛けたので、二人の会話は途切れた。

 胸が早鐘を打っている。翡翠がどういうつもりなのかはわからない。実現するかもわからない。けれど早くこの話をリシアに話したかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る