<9>
去年の秋休みは実家に帰った。家族と過ごすは楽しく、今では貴重な時間だ。でも、今年はそうしなかった。まず学園祭の片づけがあるし、秋休みは短く、どうせ一ヶ月と少しで年末休暇、つまり冬休みが始まるからだ。
最初の二日間で学園祭の片付けを終えると、あとはすることもない。寮住まいの生徒たちは半分以上が里帰りしている。
そして改めて鈴蘭は、リシアと一ヶ月近く顔を合わせていないことに気がついた。そして気づくと少し腹が立ってきた。
課題に協力してほしいと、そのために自分の翡翠への恋に協力すると、声を掛けてきたのはそっちじゃないか。それなのに学園祭が、人混みが苦手だからという理由だけで、一ヶ月近くまともな連絡もない。首席の指輪に執着していたのは自分のくせに、と考え始めると止まらなかった。
イライラするのは好きじゃないが、かと言ってこの気持ちはひとりではどうにもならない。鈴蘭は思い切って、端末からリシアに向けてメッセージを送った。
『学園祭、翡翠が私のブースに来てくれた。けっこう一緒に過ごせたの』
返信が来たのはだいぶ経ってからだ。
『それは良かった。僕がいなくても、どんどん翡翠と仲良くなって』
そのメッセージに、鈴蘭は自分が更に苛立つのを感じた。
すごく無責任だ。自分が始めたくせに。だいたい私はリシアに声を掛けられるまで、翡翠とこんなに親しくなりたいとか、あわよくば付き合いたいなんて、思ったこともなかったのに。
『作戦会議は?』
いてもたってもいられずに、メッセージを見てからすぐに鈴蘭は返信する。今度は五分と経たずに返信が来た。
『秋休みが終わったらかな』
つまり、それまで何もしないということだ。鈴蘭は自分の苛立ちがさらに募るのを感じる。確かに秋休みの間、翡翠は実家に帰ると言っていた。いないから何もできない。メッセージを送るような口実になる用件もない。だからと言って、これっきりなんて。
鈴蘭はこの一週間、机に乗せたままだった紙袋を見た。それから端末の画面にカレンダーを表示させ、日付を見る。自分でも気づかないうちに、睨みつけるように顔が険しくなっていた。
十一月十一日。
鈴蘭は朝から迷っていた。どうしても決心がつかない。断られたらどうしよう、という気持ちが消えなかったからだ。
起きて少し勉強して、昼ごはんを作って食べて、狭い部屋の掃除をして、寄り道しながら来週のための買物を終えて、帰ってくると夕方になっていた。それでもまだ決心がつかない。でも、これより遅くなると、かえって言い出しづらくなる。
部屋の中の端末の画面を、床にひとりで座りこんだ鈴蘭はじっと眺める。
学園祭のパフォームは、やってみたくて参加してみた。けれど、期待したような満足感はなかった。今度もそうかも知れない。
でも、と、彼女は端末を取り上げて、画面に触れた。リシアのアドレスを表示させて、『今から行くから』と、メッセージを作った。
そしてどうしよどうしよ、と短い時間迷ったが、もう頭で答えを出す前に送信アイコンを押してしまった。
すぐに画面が送信済みに変わる。
はー、と肩の力が抜けた。すぐに返事が来るとは思っていない。このまま無視されてしまうかも知れない。だから鈴蘭は立ち上がった。買物から帰ってきたばかりだから、このまま出かけても不都合はない。
彼女のは机の上の紙袋を掴んで鞄の中に押し込むと、もう一度外へ出た。
日が暮れかけていて、十一月の半ばだが寒さが肌身にしみた。
同じ時刻、リシアは机に向かって参考書を広げていた。部屋の明りはつけていないが、そろそろ文字が読みづらい。一休みしようかと、身体を起こして伸びをした時だった。
部屋のブザーが鳴った。滅多に鳴らないブザーだ。誰だろう、とリシアは立ち上がってドアに近づく。もともとこんな時間に寮の部屋を尋ねて来るような友達はいないし、その上今は短い秋休みで、寮自体に人が少ない。
怪訝に思いながらもリシアはドアを開けた。
「鈴蘭」
扉の前に立っていたのは、意外ではあったけれど驚くような相手ではなかった。彼女はリシアの顔を見ると、嬉しそうに笑った。
「良かった、部屋にいてくれて」
「どうしたのさ。ここ、男子寮だよ」
「そんなのわかってるわよ。ちゃんと面会票書いたもの」
鈴蘭は不満そうな顔をして、けれどすぐに、
「これを渡しに来たの」と、言って、肘に掛けていた王冠型の鞄の中を探った。それからクラフト紙の素っ気無い小さな紙袋を手に取ると、
「リシアがこういうの、好きじゃないって知ってるけど…」と、少し困ったような表情で言いながら、その紙袋を差し出した。
リシアは扉の前に立つようにして身体で押さえると、紙袋を受け取る。
「何?」
「誕生日プレゼント。十八歳のお誕生日おめでとう」
「僕に?」
リシアは、扉を開けたら鈴蘭が立っていた時よりずっと驚いた声を上げる。
「今、開けた方が良い? それとも後の方が良い?」
「どっちでも良いけど…」と、鈴蘭は言ったが、その表情は後回しにされたくなさそうだった。
それでリシアはその場で紙袋開ける。中からは掌に乗るほどの大きさの紙製の星座盤が現れた。彼はちょっと意表を突かれる。
「これ…」
「それ、一筆箋なの。星座盤のかたちだから、リシアが好きかな、と思って。先週、学園祭の買物に行った時に、見つけたの」
鈴蘭の嬉しそうな言葉を聞きながら、リシアはさらに透明な袋を開けて一枚取り出す。
鈴蘭も一緒に覗きこんだ。リシアは一枚持ち上げる。群青色の正方形の封筒に、楕円形の穴が開いていて、その穴を銀色の目盛りが囲んでいる。封筒を開くと、中から夏の天体が銀色で箔押しされた、丸くて黒い厚紙が出てきた。
「きみにしては趣味がいいかな」
嫌みっぽい言い方になってしまった、とリシアは一瞬後悔しかけたが、鈴蘭は気にする様子もなく笑った。
「そう? 本当に? そう思ってくれる?」
「翡翠にあげたら良かったのに」
「今日は翡翠の誕生日じゃないでしょ」
「でも、一筆箋なんて、使う機会ないよ」
そう言うと鈴蘭は「そうよね」と、困ったように目を伏せ。
「でも、これなら要らないって思われても、すぐに捨てられると思って」
「捨てないよ!」
思っていたことと裏腹なことを言われたのに気づき、リシアは少し慌てて要った。
「そこまで冷酷じゃないよ」
「だっていつも課題が課題がとしか言わないじゃない」
鈴蘭が苦笑した。封筒を持ったまま、リシアは言い返せずに黙る。
「これを渡すためにわざわざ来たの」
鈴蘭が頷く。
「お礼の気持ちよ。リシアが声を掛けてくれなかったら、翡翠とこんなにたくさん喋ったり、一緒に出かけたり、学園祭でパフォームに参加することなんて、一生なかったと思う」
「僕は自分のためにやってるだけだよ」
「言うと思った」鈴蘭はそう言って微笑む。
「でも、私は感謝してるから。だから誕生日の贈り物だけど、お礼なの」
「きみの誕生日は」
「私は六月」
答えてから、ふたりは黙った。三月になればリシアは卒業してしまい、来年の鈴蘭の誕生日には、リシアはもういないのだ。ふたり同時にそれに気づいて、話を変えたのは鈴蘭のほうだった。
「ご両親は? お誕生日に帰らないなんて。せっかく秋休みと重なるのに」
「おめでとうってメッセージは来たよ。わざわざ祝ってもらう必要もないしね」
「あ、そうよ、メッセージ。今から行くってちゃんと送ったのに、見てないでしょう」
見てない、とリシアが答える
「返信しなくたって、きみはここに来てるじゃないか。きみの方こそ、秋休みに家に帰らなかったんだね」
そう言うと鈴蘭はちょっと困ったような表情を浮かべて、
「翡翠のこととか、学園祭のこととか色々めまぐるしくて。ひとりで静かに過ごしたかったの」
「そうか」
リシアは頷いただけで、それ以上何も言わない。ふたりは向かい合ったまま、しばらく黙り込んだ。
「…学園祭がどうだったか、聞いてくれないの?」
「楽しかったんだろ? パフォームに参加して、翡翠とも会えて、良かったじゃないか」
「そうね、楽しかったはずよね、学校生活にあんなの要らないって、口では言いながら、どこかで憧れてた。それに参加できたのに」
鈴蘭は小さく溜め息を履いた。
「思ったほどでもなかったわ。やっぱり、人がたくさんいるところ、そんなに楽しめないみたい」
「僕みたいなこと言うなよ」
リシアが苦笑して、肩を竦めた。
「学校が始まったら、また頑張ってもらわなくちゃいけないんだから」
「課題のこと? 諦めてないの?」
「諦めるわけないだろ」
リシアが強い口調で言って身を乗り出す。
「そうなの…。安心したわ」
鈴蘭は頷いたが、顔が曇ってしまった。
「だから、秋休みが終わったら」
「それまでなにもしないの?」
鈴蘭が腕を組み、詰め寄るようにリシアを見上げる。
「あー、もう、わかったよ。作戦会議は大袈裟だけど、打ち合わせしよう。夕ご飯、まだなんだろ? 一緒に食べよう」
奢らないよ、とリシアが釘を刺す。鈴蘭は頷いて、彼が上着と財布を持って引き返してくるのを待った。
「人に見られるの嫌だって言ってたくせに」
リシアの寮を出て並んで歩きながら、彼が言った。
「そうだけど、今は半分くらいの生徒が帰省してるから、私たちのことなんて気にする人は誰もいないわよ」
そう言いながら鈴蘭はリシアを見上げた。久しぶりにこうして話していると、学園祭の時の不満な気持ちが消えていくようだった。
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