第92話 拉致


 走り去ったアクイラを見失い、ニールが慌てて陣達を探しに飛ぶ。

 その影を見あげ、アクイラの去った先に向けて動くいくつかの影があった。


 「奴の情報が正しければ、あいつは決して強い相手ではない、あのお方の御命令を守る為には良い餌だ」


 建物を縫うように走る一人が言う、追従する三人が頷き、掻き消える様に分散した。



 足を止めたアクイラが小さく息を吐く。

 アクイラの目に浮かんだ涙が、この時ばかりは、彼女の視野と一緒に聡明さも奪っていた。

 索敵も全く行えておらず、自分が何処にいるかも、直ぐには理解できない。

 わずかに聞こえた足音に気が付き、足を止めた直後……



 彼女は、首筋に走る衝撃と共に意識を失った。


***


「あぁ……くそっ!完全に痕跡が途絶えてるサね」


 数時間後、ニールから状況を聞いてアクイラの探索を行っていた陣達は、その痕跡を完全に見失った。

 我を失っていたニールはレティシアに任せ、陣とマリグナ、ウルリックの三人が痕跡を追ってきたのだが、ここにきてその痕跡も途絶えてしまった。


「とりあえずここを中心に探そう、どこに何があるか判ったものじゃないからな」

「そうですね……」


 元のスラムの一角、その隅にある酒場を、当面の探索の起点として、ウルリックがニールとレティシアを呼びに戻り、陣とマリグナが探索を開始する。

 手始めとして、二人で酒場内部の探索を始めた。それなりに狭い店内を、マリグナが1階、陣が2階と分ける。

 2階の客室を開けて、陣は迂闊に扉を開いたことを若干後悔した。

 ベッド上に散乱した、何種類かの太さの棒と、破り取られたかのような、女物の服。

 手足を縛られていたかのような人の影と、重なるような人の影。

 それで、ここでどういう事が起こっていたのかある程度の予測は立てる事ができてしまう。


「あぁ……まったく……」


 考えたくもない状況に陣は軽く頭を振る。

 強引に頭の中を切り替えると、部屋の探索を開始した。

 ベッド下までくまなく調べたが、隠し扉などの痕跡は、少なくとも陣が調べた範囲では見つからず……

 別の部屋でも似たような影の存在に辟易した表情を浮かべる事になった。


***


 一方、階下のマリグナ。

 厨房を抜け、地下にある物品庫に入り込み、その壁を念入りに調べて回る。

 とある壁の一部を一定の間隔で2度叩くと、反対側から同じ合図が返ってきた。

 直ぐに、とても判り辛いくぼみに指をかけ、手を滑らせると、細い通話窓が開いた。


「首尾は?」

「うまく行った、お姫様はまだ気絶中だ」

「ふぅ……まさか、予想外がこう動くとは思ってもなかったサね」


 壁の向こうから帰ってきた声は、アクイラを捕らえた男のものだ。


「ここからはどうする?」

「最終的には、王子様にお姫様を助けてもらわなきゃならんサ、ただ、多少時間をかけたほうが真実味が増す、なんなら強姦マワしてても良いが、殺すんじゃないよ?」

「判った、ここは……第二迷宮に繋がっていたな、そこの入り口まで退こう」

「そりゃあイイ、道が長いから途中で日が暮れる、準備を整えてりゃ、猶更だ」

「……わざわざ攫って、救出させる、それに何の意味がある」

「知る必要のない事なんてごまんと在るサね、兎も角、これを通してあの方が何かを見定めようとしている、それだけ理解してればいいのサ」

「……まぁ、いい、捨て駒もその頃には程よく我慢できなくなるはずだ、お姫様が純潔を守れるかどうかは、王子様次第って所だな」


 それを最後に、壁の向こうの気配が離れる。

 マリグナはしっかりと通話窓を閉じると、改めてその辺りの探索を開始した。


***


 結局のところ、アクイラはまだ見つかっていない。

 その事に陣は言いようのない焦りを感じていた。

 今は、何よりもアクイラを探し出さないといけない。その思いが焦りとなって、陣を失敗へと導いていく。


「まず落ち着け、ジン、アクイラが心配なのも判るが、ここでお前が失敗して事態が悪くなる方が痛い」

「判っています、けど……!」


 ウルリックの言葉に、やはり焦りが浮かんだままの声で答える。


「大丈夫だ、ドラグナムは並大抵の事では死なん、人を意に介さぬ塵芥と認識するほど強大な生物がドラゴンであり、ドラグナムは半分とは言えその血を引いているんだ」

「けど、アクイラは女の子なんです、一人の」

「いやだから、そういう事じゃなくてな?勿論、犯される心配を始め、アクイラが女性であるが故の心配はある、けれど、そういう行動に対して、純粋な暴力で対抗できる、ドラグナムというのはそういう種族なんだ」

「……もし、犯人がヒュムネやエルンといった種族でなかったら?」

「それだって同じさ、この場合の人は広義のヒトだ」


 なんとか陣を落ち着かせようとするウルリックに、陣が最大の懸念を伝える。


「もし、アクイラと同じドラグナムだったら?」

「……いや、まさかそんな事は……」

「ない、とは言い切れませんよね、居るんじゃないですか?ドラグナムの中にも、排斥された者や、捨てられた者」


 それは、エイグリズドの使徒に最も多い者。

 社会から排斥され、世界から捨てられた者。


「いる、というよりも多いサね、ドラゴンは気位が高くヒトの血が混じったドラゴンを許さない、ヒトはドラゴンの血が混じったヒトを恐れる」


 いつから聞いていたのか、部屋のドアにもたれたマリグナが答えた。

 エルム、ドラグナム……ある程度の知恵を持ったものは、自らと似て違うものを排斥せずにはいられない。


「良い知らせがある、それっぽい隠し扉を見つけたサね」


 その言葉に、陣とウルリックの視線がマリグナを捉える。


「時間も時間だ、一度集まって、昼でも食いながら作戦を練るさね」


 にやりと笑って、マリグナはそう言った。

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