第13話 森の魔女
女神教の武装神官が一人で教会に戻ってきたのは、翌々日の昼頃であった。慌てた様子の教会員が武装解除に手を貸す。戦闘用のヘルムの中から現れたのは、燃えるような赤髪を持つ男。
「……森の魔女は、取り逃がした」
侍従が身を清めるのに任せながら、彼はつぶやく。
「傭兵が二名、内一人は光の魔術を使っていた。黒髪黒目、おそらくヒュムネだ」
「ひ、光って……!?」
それを聞いた侍従の動きが止まる。
「偽りの物だ、なにせ、光の勇者はまだ降り立っては居ないのだからな」
鎧を脱ぎ去り、泥に塗れた衣類を交換しながら彼は断言する。
「私はすぐに大教会へと向かう。この事を報告せねば」
邪悪なエルムにそそのかされた、光の勇者を騙る者。その存在を放置すれば教会の存続にもつながる問題となる。
-------------------------------------------------------
事態は予測できたことであり、最悪を極めるものだった。
「ジン、エル、生きてるか!?」
「……当然」
「大丈夫だ、多分」
立ちはだかろうとした村人を突き倒し、断末魔のあがきを無視して、グルスが道を切り拓く。
その後ろで魔術による支援をしながら陣を担ぐのは、エル。
女神教の武装神官と扇動された人々を撃退した後、ヴィデルが私軍を率いて攻撃を仕掛けてきた。陣達が疲弊するのを待っていたかのような……いや、待っていたのだろう。最大の邪魔者が最大の足手まといになっている状況で追撃をする、何一つ間違っていないだけに腹が立つ。
貴族気取りの年寄りとその子供がかさにかかって下碑た笑いを上げながら魔術を放ってくるのが判る。
「味方」である徴集された平民が巻き込まれるのもお構いなし。寧ろ彼らにとってそれは
「ふはははははは!!進め進め!女神教の異端審問官さえできなかった、森の魔女の排除を我らの手で成し遂げるのだーーーーーー!」
「傭兵と黒髪は殺しても良いけど、森の魔女は殺すなよ!?尋問が済んだらたっぷり楽しませてもらわないとだからな!」
神殿から送り込まれた異端審問官……武装神官がなんの成果も上げられないどころか、尻尾を巻いて逃げ帰ったのを自分が解決したとなれば、上位の貴族たちの覚えもよくなり、今度こそ男爵とは言わずとも、準男爵位までは登ることが出来るかもしれない。
狩り立てる、駆り立てる。自分の栄誉と繁栄は、そのまま自分の領地の発展につながる。そのためにエルムの女を性奴に落とし、傭兵を殺すことなど。領民を狩り立て、傷つけ、殺す事などただの手段にすぎず。やむを得ないの一言で済むことだ。
彼らの目には己の素晴らしい栄光と、幸福な未来しか見えていない。果たしてそれが幸福か不幸かは誰にもわからない。
-------------------------------------------------------
たとえ戦場で出遭った憎むべき敵であっても、戦場を離れれば誰かの善き父であり夫であり、友人であり恋人である。そんな言葉がなんの意味もなさないむなしい戯言と響くのが戦場だ。
「ぐ……ごめん、エル、グルス……最悪俺は捨てていいから、二人だけでも……」
「アホいうな、ダチこの場に放っていけるかよ」
元々魔術を使うのは苦手な身で、魔術を連発するのはやはりまずかった。陣の体はその負荷に耐え切れない状況であり、単独での行動には大きな支障がある。
本来陣の魔術は、自分自身の高すぎる魔術への抵抗をそれを上回る出力でブチ抜いて発動するもの。当然、体にかかる負荷は並みの魔術の比ではない。魔術への抵抗が高い分、並みの魔術師の魔術なら支援魔術の必要もなく弾いて見せたりもするが。発動するときにはそれが仇になる、いうなれば戦車の内部から装甲をぶち抜いて弾丸を撃とうとするようなもので、普通なら良くて自爆という話だ。
それをやってのけるのだから陣のイメージする光のマナがどれだけ彼にとって扱いやすいかと言う指標でもあったりする。
「いずれにしても……数の差は如何ともしがたい」
吸った者に幻覚を見せる毒を微量に孕んだ霧を辺り一帯に立ち込めさせて、エルが呟く。常時歩き続けられるわけでは無く、休憩は必要だ。
戦う力の弱い人間を無慮多数に利用する手段に対しては、常套手段でありやや悪手、と言えなくも無いが他に手が無い。
惑わせ、疲弊させる。うまい具合に走り回って終わってくれればいいが、マナのこもった霧というどう考えても人工物なそれは、その中心に誰かがいる、と宣言して回っているようなものだ。
そしてなによりも面倒なのが、惑わされるのはあくまでも「生物」という処で、放たれた矢や魔術には全く効果を表さない。
現に霧の向こうからは矢のはしる音が聞こえてきている。狩猟用の十字弓で紐のついた矢を飛ばし、それを手繰ってこちらへ来ようとしているのだろう。
長くはない時間、足りない戦力……状況を覆す手は……。
-------------------------------------------------------
「ええい!まだ魔女どもを捕らえられんのか!?」
ヒステリックな叫び声は何度目か、ヴィデルの随身に任命された私兵はこっそりとため息をつく。森は日々の糧を得られる場所であるだけでなく、このあたりの水源の一つだ。矢を打ち込んで道を作っている程度の内は良いが……。
「もういい!邪魔になる森は燃やして構わん!」
「お、おまちください!この森は周辺の水源であるだけでなく、周辺集落の者達が狩りの場とする所です!失ってしまえば生活が立ち行かなく……」
「黙れ!誰が貴様の様な下賤に意見を求めた!?」
手にしたスタッフで自分の決定に意見した随身を殴りつけ、ヴィデルは森を焼く準備を進めさせ……ほどなく、森に黒い煙が上がり始めた。
ごうごうと炎を上げて森が燃える。炎に追われた動物たちが火の手の反対側へと駆けていく。
「あいつら……っ!」
ぎりぎり動ける程度の陣をかばいながら、グルスとエルは森の外を目指す。途中、スカウトラビットの群れに紛れ込めたのは僥倖だった。
「もう、なにをやっても手に負える状況じゃ、ない……」
エルのつぶやきに、誰も答えない。
「……どうする?」
「……少なくとも、ジンはたすけたい」
エルは少し考える。事を収束させるなんて事は言わない。たとえ後の世にどう言われても、彼を助けるためには……。
「グルス」
「おう」
方法は、ある。後は自分の決意一つ。
「ジンを連れて、南へ、鉄工街へ。私は時間を稼ぐ」
「……判った」
死ぬな、とは言わない。陣に意識があったら何が何でも止めようとした処だろうが、幸か不幸か気絶している。
「ジン……ごめんね」
気絶したままの陣の顔を覗き込み、エルは寂しそうにつぶやく。
「ありがとう、出会ってくれて。ありがとう、一緒に居てくれて」
少しだけ、涙ぐんで。それでも声は震えず。
「……信じてる、待ってるから。いつか王子様が、助けに来てくれるって」
頬に口づけをして、エルは走り出す。町に向けて。
住処を追われ暴走するスカウトラビットの群れ、その中に紛れて、グルスと陣は森を後にする。
エルと陣の……これが、別れとなった。
------------------------------------------------
エルが捕らえられ数日後、彼女は一糸まとわぬまま、町の広場に設けられた処刑台へと引き出された。体中に暴行を受けた跡があり、陰部からは精液に混じって血が垂れている。立っているだけでも痛みが続いている。が、屈辱もこれで終わりだ
「この者は邪悪なエルムであり、長い間我ら善良にして罪なき民衆を誑かし、邪法によって作り出された麻薬でこの地を支配しようと企んでいた!しかし!我らがその企みを暴き!今日ここに女神の名の下正義の鉄槌を下す事は!まさに素晴らしい事だと言える!」
口角泡を飛ばす勢いでヴェルデが演説を続ける。呪文封じの鎖で繋いでいると判っているからか、強気なまま、エルを犬の様に伏せさせその頭に足を乗せ。己が勝利者であるという感動と愉悦に浸っている。
だから、エルが術を使うには十分な隙があった。
始めに立ち込めたのは霧、それに巻かれた住人たちがぱたぱたと倒れ始める。
「な、なんだ!?何が起こっているのだ!?」
いい気分で演説をしていたヴェルデも異常に気付き、エルを踏みつける足に力を入れる。
「おい!貴様何をした!?」
「……答える、義理は……ない」
霧を濃くする、精神への干渉を強くする。これに触れたものが、永遠に覚めぬ眠りに陥る様に。
「お前たちに……彼を殺させはしない」
強く、より強く。
深く、より深く。
やがて、町の広場に動くものが居なくなる。
時の流れと共に忘れ去られる事となる、眠りに捕らわれた町。
その中心で囚われの魔女は、己を助けに来る勇者の夢を見る。
やがて町は、彼ら自身が焼いた森に飲み込まれるだろう。
精霊に守られた、彼女を除いて。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます