第10話 普通の村とマレビトと異端(3)

 このあたりの小さな村や集落を束ねるヴェルデ・ヴィデルは今日も進展しない開発と納税の上納の督促に頭を抱えている。先日のハルメア男爵は適当に女を宛がわせて満足したが、下の木っ端役人まではどうしようもない。

「全く……役人連中は我々を振れば金が出てくる袋か何かとでも思っているのか……」

 大きな功績などは無いが、納税の額を1パーセントほど上乗せして見せたことで男爵の信用を得て、ちょっとした冷害でも餓死者が出るような土地をゆっくりと開拓し、ようやくどうにか町と言えるような規模にまで集落を育て上げた、そのことからもヴェルデは決して無能の類ではない……が、彼が人心を得るには、小物に過ぎた事は否めない。恐らくもしも世界滅亡に近いような危機が起こって、その解決の協力のため、彼の助力を仰ごうとしても彼は口を濁すだけで決断はしないだろう。小利を重んじ大儀には尻込みする。極めて普通の権力者と評じられて、本人も否定はできないと思っている。

「それに加えて、あの魔女だ……今は森の中で隠れ住んでいるから良いが……」

 彼を始めとして世界中で数多くの人が信仰する「女神教」の教義では、ヒュムネとエルンの混血……いわいるエルムはその魂の根からして悪に染まりやすく、それは子供のころから顕著である、と教えられている。

何よりの証拠として、特にエルムの女は淫乱であり、年若いころから娼婦として身を立てるものも多い、とも。

 無論、社会的排斥が行われている結果、そういった職にでもつかなければ彼女らは生きていけない、という事実はあるのだが、個々人の「エルムは邪悪であり、その女は特に淫乱でもある」という真実を覆すほどには浸透していない……というか、自分たちが差別をしている、とはだれも思いたくない、自分は差別などしない清廉な人間であると胸を張って言っているが差別はしたい。そういう歪んだ部分が、こんな教えを宗教の中に植え付けたのだろう。何よりも、エルムは社会的地位が低いのと反するように、能力が高いものが散見される。そんな所も、差別を受ける事に一役買っているのだろう。

「女神よ……どうぞ我らとこの町をお救いください……世界に遍く光と共に我らに慈悲をお与えください……邪悪な悪魔や、エルムの魔の手から善良な人々をお守りください……」

敬虔な女神教信者である彼の祈りはただただ宙にむなしく消える。

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 毎朝の習慣として、エルは朝起き出した後すぐに庭先でほんの少しだけマナを放出し、精霊たちと「会話」する。実際に言葉を交わすわけでは無い、マナに引かれて現れた精霊たちの数や様子から、一日の天気や森の状況を予測する。

マナと反応した精霊が微かな光を放ち、その光が、まるでエルから発せられているようにきらきらと煌く。

ふっと息を吐くと同時にマナの放出を止める、途端に精霊たちはそこここに散っていき、エルを輝かせていた光も収まる。

「おいで、フューギル、ミュギル」

 次に呼び出したのは、二羽の梟。羽音なく空を飛び、大きな目とそこからくる高い視力を持つこの鳥は、魔術師の典型的な使い魔である。二羽は呼び出されるやすぐに羽ばたき、森の中へと姿を消した。

ここが比較的安全な場所にあるとはいえ、やはり比較的に過ぎない。周辺への警戒はしておく必要があり、梟はその任に適した使い魔だった。

何か異変や異常があれば、二羽の梟からエルに情報が伝えられる。だからこそ、エルは陣を見つけることが出来たし、この危険な森の一部で生きて来ることが出来た。

「ジン……」

 名前を呟くと、少し頬が熱くなるのが自分で判る。陣と出会ってから、間違いなくエルの日常は変わった。

 いままでトレードマークの様になっていたぼさぼさの髪を毎朝梳かすようになり、やや散らかし気味の感があった着替えなども細かく片づけるようになった。無論、下着や何かを見られるのが恥ずかしい、というのもある。今度、クレメアで働いているグルスの馴染みから、化粧や、女の子らしい服を教えてもらおう。そんな事を考えながら家に入ると、丁度陣が起きていた処だった。

「おはよう、エル」

「おはよう……ジン」

 着替え途中だったのだろう、上半身裸のままで挨拶をしてくる陣の姿を見て、エルは耳の先まで真っ赤になり……それでも平静を保ってみせる。

同時に思い出すのは、先日までの自分の醜態……一日中陣にべったりとくっつき、胸や太股が当たるのもお構いなしで昼夜問わず……

「うあああああああああああああああああああああ!?」

「うわっ!?」

思わず頭抱えて叫び出すエルに、陣が心の底からビビる。

真っ赤になって走り去るエルと、それをぽかんと見守る陣。

「……男の半裸くらいで、あそこまで……」

俺の事初心とか言っておいて、本人もそうじゃないか、と的外れな事を考えながら、着替えを続ける陣であった。

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 家の外、井戸の近くまで全力疾走してきた為、ぜぇぜぇと息を切らすエルは、凄まじい勢いで凹んでいた。前は全裸を見ても何も思わなかったのに、少しの間一緒に暮らして意識し始めると途端にこのザマだ、こんな醜態、グルスあたりにバレたらどれだけ笑われるか……と落ち込む頭を強引に回す。

「……」

 陣の事を考えると、落ち着かなくなり、胸が熱くなる。これが恋だという事くらいしっているし、経験だってある。ただ、自分が混ざりものエルムだという事実が、そのときめきに影を落とす。

それともう一つ……既に自分は純潔ではない、という事。最初に、町の人間に組み敷かれ、力づくで犯された。その後も何度か経験はしたが、それが重い十字架の様にエルに圧し掛かる。

「……やっぱり、初めての子がいい……とか思うよね」

ず~ん、という効果音が後ろに響いてそうな雰囲気で、はぁ、とため息。

井戸から水をくみ上げ、ばちゃばちゃと顔を洗うと、エルは家に引き返す。

玄関先で出会ったグルスが珍妙なものを見るような目でエルを見ていた。

「エル、お前なんで寝間着で井戸の方から来るんだ?」

「……グルス、乙女は色々複雑なモノ」

最早突っ込むまい、グルスの目はそう言っていた。

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 ここ数日毎日のように来ているグルスは、今日は1本長柄武器を持ってきていた。陣はそれに見覚えがある。あのコロッセオもどきに放り込まれた時に持たされた、長柄の槍斧。

「こいつぁハルバードって槍と斧の中間の武器だ、大きめの町の衛兵なんかが大体こいつを持ってる」

陣とエルの前にハルバードを置いて、グルスが続ける。

「ジン、こいつ、使いこなせるようになれるか?」

珍しく真剣な目つきで問いかける。

「ある意味トラウマものだけど……グルスの槍みたいな使い方、できるんだろ?」

「もっと複雑な動きが出来るさ」

柄に手を添えてにやりと笑う陣に、グルスがにやりと笑みを反す。

「二人に悪いニュースがある、女神教の武装神官が近々くるそうだ、目的は、エルムの魔女の排除」

今度こそ、場の空気が凍り付いたように冷たくなった。

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