第8話 たからもの

7巻の発売記念SS

(ありがとうございます!)

リュカのお話になります




**********




 リュカの引き取りが正式に決まってシウはホッとしたものの、同時にあることが気になった。

 父親が奴隷だったとはいえ、子供であるリュカ自身は違う。ならば、私物があったかもしれない。

 それに形見となるものが残っていたら――。

 シウは奴隷商を追い詰めてくれた冒険者ギルドのスキュイに、奴隷部屋を見せてもらえるよう交渉してもらった。


 後日、事件を担当した神官も交え、リュカと共に奴隷部屋となっていた奴隷商の屋敷へ入った。

 屋敷の北側にある石造りの建物に案内されるが、表側から見ると窓がない。管理者に開けてもらうと、リュカが「こっち」とシウの手を取ってすいすいと進む。しかし、部屋の前に立つと動かなくなってしまった。

「リュカはここで待ってようか。中の荷物を全部持って帰って、あとでゆっくり見てもいいんだよ」

「ううん。入るの」

 彼はシウの手を握り、もう片方の手で扉を開けた。

 部屋は狭く、ベッドは一台だけだ。ここで身を寄せ合って寝ていたのだろう。薄い毛布が一枚だけの簡素なベッドだ。神官が目頭を押さえる。

「机もないのか……」

 スキュイは思わずといった様子で呟き、ハッとして口元を押さえた。幸いにしてリュカには聞こえなかったようだ。リュカはぼんやりと部屋の様子を眺めていた。

「部屋の荷物、全部持って帰ろうか」

「……ベッドはえらい人のなの。おとうと僕のは、あれ」

 指差したのは部屋の隅に置いてあったコップが二つ。歯磨き用の楊枝とボロボロになった布が、藁で編んだ小さな敷物の上に乗せられていた。服の替えはベッドフレームに掛けられているだけだ。分厚いコートのようなものは見当たらない。現場に着ていったものが、全てだったのだろう。

 神官もスキュイも言葉をなくしている。いくら奴隷とはいえ、ここまでひどい環境だと思っていなかったようだ。あまりにひどいと、拳を強く握って震えている。

 シウもひどいとは思ったが、前世で戦後の何もない世界を経験したからか、彼等ほどに衝撃を受けていなかった。もちろん、比較してどうだと言うのではない。ただ「何もない」ということへの耐性があっただけだ。

「コップ、お父さんの大事な持ち物だから持って帰ろうね」

「うん」

 そう答えたものの、リュカに強い執着心のようなものはなさそうだった。彼はチラチラと視線を泳がせて、ふうと小さく息を吐いている。

「他にも持って帰りたいもの、ない?」

 何かあるはずなのだ。シウはリュカが話してくれるのを待った。すると、しばらくして小さな声で教えてくれた。

「……あのね。ベッド、動かさないとダメなの」

「ベッドを動かすんだね。分かった」

 シウが話し終える前に、スキュイと神官がさっと動いてベッドを外に出してしまった。リュカは目をぱちくりさせて驚き顔だ。まさかそこまで動かすとは思っていなかったのだろう。

 シウは微笑んで、さあと手を広げた。

「ベッドを退けたよ。次はどうしようか」

「あ、あのね! えっと、ここから三つの石、コンコンして――」

 壁際の、床から三番目の石を指差した。シウはすぐさま言われたとおりに叩いた。石がぐらついている。慎重に石を摑んで引き出すと、そこに小さな空間があった。石一つ分だ。中に幾つかの小物が見える。

 手を入れ、シウがそうっと外に出す。

「僕のなの!」

 リュカが嬉しそうに笑う。それは木彫りの動物らしき置物だった。大人の親指ほどの大きさだ。それを受け取ると、リュカは頰ですりすりする。

「おとうが作ってくれたの。えへへ」

 他には布の切れ端があった。リュカにはその意味は分からないようだったけれど、シウにはすぐに分かった。フェレスが小さい時に作ってあげたことがあるからだ。

 それは涎掛けだった。何かに引っかけたのか、布が引き攣れた状態で半分だけになっている。

「端に刺繍がしてあるね。リュカの名前と、これは犬なのかな?」

「僕の?」

「見たことなかった?」

「うん。あ、おとうが手にかくしてたやつかも!」

 大事に守ってきたのだろう。これはきっと、母親の形見だ。母親が子供のために一生懸命縫ったに違いない。シウは屈んで、リュカの前で布を広げた。

「これはリュカのお母さんが遺してくれたものだと思う。お父さんが大事に守ってくれてたんだね。リュカも大事に持っていようね」

「……うん。だいじ。ちゃんと持ってるの」

 シウはリュカの頭を撫でた。部屋の扉付近ではスキュイと神官が何か言いたそうに、けれど何も言えずに黙って見ている。

「他にも、部屋にあるもの全部持って帰ろう」

「いっぱい、あるよ?」

「大丈夫。僕には大きな魔法袋があるからね」

「……いいの?」

 とは、部屋の中のものを勝手に持って帰っていいのかという意味だ。

 奴隷商は違法な行為を行っていた。きっと、私物は持たせてもらっていなかっただろう。一番厳しい犯罪奴隷ならいざしらず、ただの借金奴隷であったリュカの父親に適用されるものではない。それなのに、リュカにまでこんな顔をさせている。

「いいんだよ。これらはリュカのものなんだから」

 薄い毛布、残された少ない衣服。コップも楊枝も全て回収した。見たくないものもあるだろう。嫌な思い出があるかもしれない。それらは捨てればいい。ただ、今ではない。

 リュカが落ち着いてから決めればいいのだ。捨てるのはいつだってできる。


 落ち着いた時に気付くからだ。思い出の詰まった物が何もないことに。その空虚な悲しみは喩えようもない。せめて思いをぶつけられる物があれば良かったと、縋り付ける物があればと、思うだろうから。

「僕がちゃんと持っているね」

「うん。えっと、ありがと」

「……どういたしまして」

 リュカは恥ずかしそうに笑うと、シウの腹に頭を押しつけた。ぐりぐりと動かして子供らしい甘え方をする。シウはリュカの頭をポンポンと叩いてから部屋を見回した。

「もう、大丈夫?」

「うん!」

「じゃ、リュカの家に帰ろうか」

「……うん!」

 リュカは宝物を大事に胸に抱え、かつての部屋を飛び出た。





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