第5話 遺言-後編-
ヴァスタはずっと、リネが逃亡ばかりの人生を送ったから、「常識」を知らないのだと思っていた。
けれど、それはおかしな話だ。
何故なら、この世界で生まれた者には、魂が生まれ変わることは「分かっている」はずだから。
魂に刻まれている、とも言われていた。
記憶を持って転生しても、それを隠そうと思う必要はない。
リネがあれほど、信じてほしいと言ったのが、ヴァスタには不思議だった。
リネの最後の「こんな世界、夢だったら良かった」という言葉も、考えればおかしかった。「魔獣を殺したくなかった」というのも。そう言えば、彼女は直接手にかけて殺す方法は取ったことがない。剥ぎ取りも、ヴァスタが行っていた。
冒険者なら、できて当たり前のことだ。いや、冒険者でなくとも、魔獣は殺すべき存在だ。
だが、それを思い出して「おかしい」と考えるようになったのは、冒険者を引退してからのことだった。
ヴァスタは、万が一を想定していなかった自身を憎むことで、頭がいっぱいだったのだ。
妻であり仲間でもあったリネを、死なせてしまったことを後悔した。
あの森での依頼が、ハイエルフの男の仕組んだことだと分かってからは、復讐しようとも考えた。彼等のことを調べていくうちに、知り合った者も多い。その彼等に諭され、やがて沢山の仲間と出会い、ヴァスタは少しずつ癒された。
それでも頭の片隅にはいつも、リネを殺した存在のことがあった。
ヴァスタは、肝心のリネについて考えることを、忘れていた。放棄していたのだ。
愛していたはずだった。
しかしヴァスタの愛は、自分の心を一番に思う、愛だった。
リネが心配したような、後追い自殺を考えるような、愛ではなかった。
そのことに気付いた時、ヴァスタは本当の意味で、リネの最後の言葉を守ると決めた。
ヴァスタが、リネのことを本当の意味で「考え」たのは、ある赤子を拾ってからだった。
子供みたいに若い夫婦が、大事に守ろうとした小さな存在。
それが、ヴァスタを変えた。
リネと同じ運命を背負った子供だと、すぐに気付いた。
父親の残した言葉が、古代語ではなくハイエルフ語に近かったからだ。耳も少し尖っていた。たぶん、先祖返りなのだろう。
後に、知人から得た情報を重ね合わせ、父親が追われていたのだと分かった。
ならば、ヴァスタが守り通さねばならない。
リネと同じ結末は見たくなかった。
その子供を育て、どんな場所でも生きていけるようにと仕込んだ。
残せるものは何でも残してやろうと、普段は質素に暮らした。
子供にはあえて、ハイエルフの血を引いているとは言わなかった。高い水晶を使って調べたところ「人間」と表示されたからだ。大丈夫、ハイエルフには知られていない。ならば、平和に暮らしていくべきだ。
そう思い、ヴァスタは慣れない育児をした。
しかし、赤子は普通とは違っていた。
深い山を下り、農婦に貰い乳を頼んだというのに、赤子はむずがって飲もうとはしなかった。お腹は空いているはずなのに、飲まない。だからといって泣くでもなかった。
赤子は、ほとんど泣くことはなく、じいっと人を見ていた。
そうかと思えば、火が付いたように泣くこともあった。
何かに怯え、震え、泣き叫ぶ姿は憐れだった。
幼い頃は親を思って泣くのかと考えていたが、育っていくにつれ、違うと分かる。
子供は、顔の火傷が痛いのだと、泣き叫んだ。
目を覚ましてすぐは、ヴァスタの知らない言葉で叫ぶ。
夢を見ては泣いたし、寝言はおかしな言葉ばかり。
起きている時にも同じなら、そうした症状の子だと思っただろう。
しかし、ヴァスタの見る限り、子供は頭の良い子だった。
ヴァスタの、子供にやるにはいささか無茶すぎる教えも、黙って聞く子だった。何故それが必要なのかを、分かっているようだった。
賢く、控えめで、おとなしい。
まるでリネのようだった。
リネは、謙虚な女だった。決して我を通さず、ヴァスタを立てようとしていた。やりくりも上手だった。そして、賢かった。
仕草や、考え方、聞いたことのない言葉。
何よりも、この世界の者ならば普通に理解できる、「魔獣を殺すこと」に躊躇いがあった。
ようやく、ヴァスタは二人の繋がりに気付いた。
二人は、こことは違う世界からの、転生者だったのだ。しかも、記憶を持って生まれてきてしまった――。
昔、どこかの遺跡で発見した本に、書いてあった。
異世界から来た者には、この世界の
あれは、真実だった。
ヴァスタは天啓を受けたかのように気付いた。
リネは、自分が転生者であることをヴァスタには言えなかった。
言えばおかしいことだと思われる、それを恐れていたのだ。
秘密は、もうひとつの秘密も、言えなくした。
追われていることを、彼女はどうしても言えなかった。
ヴァスタが育てた子も、同じ。
この子は、言えないのだ。
そして、ヴァスタもまた、子供に隠し事をしている。
いつか、生まれを教えてもいいが、それは幼い今ではない。そう思っていた。
けれど、この子が異世界の転生者ならば、もっと混乱するだろう。
本当の親だとは、思っていないかもしれないからだ。
だから、ヴァスタは、話すのを止めた。
リネとの間に子供がいたら、どうだっただろう。
ヴァスタは死の間際に考えた。
育てた拾い子は、良い子すぎた。自分の子供だと、こうはいかないだろう。
ヴァスタが笑うと、子供、シウは泣きそうな顔で見つめてくる。
シウには、最後まで可哀想なことをした。
隠していることが、まだあるのだ。
どうか、それに気付いたとしても、許してほしい。
残していく子に、心の底から悪いと思っている。だが、ヴァスタはどうしても、言えなかった。
「大丈夫、大丈夫。シウよ、お前は立派にやっていける。心配するな」
「爺様……」
「もうちっと面倒を見てやれたら良かったんだが」
「ううん」
「お前は良い子だ。きっと、これから、楽しい人生が待っているよ」
「爺様、痛くない?」
笑っているヴァスタが不思議なのだろう。痛みは全身に広がっている。そんな病気だ。
早期発見していれば、治っていたものだ。
うっかり見逃して、全部自分が悪いのだと、ヴァスタは言い続けていた。
異変に気付かなかったのは、お酒を飲みすぎて分からなかったのだと。
「シウよ。俺は、楽しい人生だったよ。最後にお前を拾って育てたことは、本当に良かったと思ってるんだ。なあ、シウよ。もっと自由になって、生きたいように生きるんだ。もし、大変なことがあったら――」
「逃げるよ。爺様が教えてくれた逃げ足で、絶対逃げる」
「そうだ。逃げることは、悪いことじゃない。いいか、決して、勇気と無謀を間違えるんじゃないぞ。……まあ、お前ならそんなことはないか。はは」
頭を撫でて、そっと抱き締めた。
恥ずかしがり屋のシウは、もじもじしている。
リネも、そうだった。彼女に愛していると言うと、真っ赤になって俯いていた。
もしかしたら二人は、同じ世界の、もっと近い場所で生きていたのかもしれない。そうだったら良いのにと、ヴァスタは思う。
リネ。
俺は、自ら死のうとはしていない。
気付いたら、病気になっていたのだ。うっかり気付くのが遅くて、薬が間に合わなかった。
体が、この状態を本来の姿だと、認識してしまった。
これではもう、治らない。
最上級の薬は、手に入れることはできなかった。
財産は、幼いシウに譲ったからだ。
でも、それでいいだろう?
リネならきっと、この子供に残してやればいいと、思うはずだ。
だから、許してほしい。
ここまで待ったのだ。
もう、いいはずだ。
積極的に死のうとはしなかった。
だから、許してほしい。
少し早いが、シウは賢い子だ。独り立ちしても大丈夫。
隠しているのは悪いが、シウこそ、俺に隠し事をしているのだ。これで、相こだ。
だから。
魂が浄化され、次の転生へ行くのなら、ヴァスタはやっぱりリネのいる世界が良いと思った。
ヴァスタの愛は、そんな愛だった。
そして、シウのような子を持つのだ。
リネならきっと、泣き叫ぶ子を、優しく宥められるだろう。控えめで謙虚な性格だから、同じシウのことも理解できるはずだ。不器用なヴァスタよりも、ずっと上手に。
こんなにも良い子だが、シウの心の底には孤独がある。
だから、自分の子としてならば上出来すぎるが、リネならばきっと。
――いや。
やはり、シウとは巡り合わなくても良い。
この子は賢く、良い子だ。
ヴァスタと違って、失敗はしないだろう。リネの孤独を救えなかったヴァスタのような、失敗は。
どうか、今生で、幸せに生きてほしいと思う。
ヴァスタはリネと次の世界で幸せになり、二人でシウの様子を見守ることにするのだ。
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