第2話 若かりし頃の思い出-中編-
ヴァスタやその友人たちと過ごすうち、キリクの中にあった焦燥感のようなものはいつしか消えていた。
追い立てられるように走り回っていた気持ちも、静かに落ち着いていった。
自分より格上の魔獣を相手にして興奮し、血が滾る思いもしたが、終わればスッと冷えていた。
ルカスを失った時の苦しみも心に引っかかりはするけれど、小さくなっていると気付いたのは出奔してから一年ほど経った頃だ。
ヴァスタたちとフェデラル国のあちこちを渡り歩き、ちょうど王都リアへ入った時のことだ。
ギルドの噂でオスカリウスの地が大変な目に遭っていると耳にした。
以前のキリクなら詳細を知ろうとはしなかった。イライラとした気持ちが邪魔をして見ないフリをしただろう。けれど、今のキリクは冷静だった。冷静に噂話を聞き出し、そして絶句した。
キリクの顔が真っ青だったのだろう。
ヴァスタやその仲間は心配し、どうしたのかと親身になって気遣った。
その時ストンと、憑き物が落ちたように感じた。
キリクは洗いざらい、生い立ちから逃げてきた理由までを話した。
一緒にいた仲間たちはキリクの素性に驚いていたけれど、ヴァスタだけは「そうか」としか言わず、最後まで静かに話を聞いてくれた。
そして、こう言った。
「そこまで衝撃を受けるのは、まだ心を残してきているから、だな」
「心を、残す?」
「そうだ。お前さんは、全部を置いてきたわけじゃなかった。心の一部を残してきたから、新たな人生を始めようとする心が引きずられていた。……心は分けるものじゃない」
「ヴァスタ――」
「お前さんの心を取り戻すために急いでオスカリウス領へ向かおうと思うが、キリクよ、どうする?」
何故か、涙が溢れ出た。
両親と乳兄弟を失った時でさえ、泣かなかったのに。
ルカスを亡くした時も。
なのに何故今なのか。
分からないまま涙が滂沱として落ちていった。
二度と乗るまいと決めた飛竜に乗った時、キリクは自分でもおかしな気持ちになった。
あれだけこだわっていたのは何だったのか。
自分は、自分が思う以上に子供だったのだと思い知った。
飛竜に乗ってもキリクは何も変わることはなかったし、ルカスに悪いという後悔も訪れはしなかった。
もっと冷静な気持ちがキリクを襲っていたからかもしれない。
オスカリウス領は黒の森から溢れ出た魔獣スタンピードの脅威と、同時期に出現した大型の地下迷宮のせいで崩壊寸前にまで追い込まれていた。
年老いた領主では、この二つを同時に抑え込めなかったのだ。
また国からは軍が派遣されていたが、黒の森が広がらないよう処理するだけで手一杯だった。
キリクは、難民と化した領民たちが領都や他領へ向かう姿を飛竜の上から見た。
「なんてこった」
仲間の誰かが一言漏らして、それからは皆が無言となった。
ヴァスタの仲間だから皆が一流で、修羅場を何度も潜ってきた冒険者だ。そんな男が絶句するほどだと思うと、キリクは胸の奥が冷えるのを感じた。
いつだって熱かったあの場所が、ひゅっと冷たくなったのだ。
自分が捨ててきたものが、ここにある。
この領民たちは何故必死になって逃げているのか。
自分が捨てたからではないか。
もやもやとした形容し難い思いで顔を顰めていると、ヴァスタが頭を乱暴に撫でてきた。
「不安に思うな。大丈夫だ、俺たちがいる」
「……不安?」
これが不安なのかと驚いた。
不安というのはこんなにも気持ちの悪いのか。
「なに、人間なんて、なんとでもなるものだ。大丈夫。お前さんの、やれることをやっていればそれでいい」
「ヴァスタ。俺は、最低なことをしたんだ――」
「それは俺じゃなくて爺さんに言え。爺さんに、謝ってやれ。ちょっとの家出ぐらい許してくれるだろうさ」
そう言って微笑むヴァスタに、他の面々もようやく普段の姿に戻った。
「ちょっと、じゃねえだろ。キリク、お前ゲンコツどころじゃねえぞ」
「そうだそうだ。若様のくせによう。長い家出をやったもんだぜ」
はははと笑っているのは、彼等が笑うことで平静を取り戻そうとしていたからだ。
それに気付いたのは後々になってだ。キリクは本当に何も見えていなかった。
祖父は久しぶりに見る孫の姿に怒るでなく、顔をぐしゃっと歪めてキリクを抱き締めた。泣いているのは湿った肩の様子で分かった。
厳格で怖い存在でしかなかった祖父の姿に、キリクは殴られるよりもずっと痛い思いをした。
屋敷には我が物顔で居座っていた親族もいたが、全て蹴散らした。
冒険者として生きた一年はキリクに胆力を与えてくれたし、そうして見ると彼等は口を出すだけの煩いただのオッサンどもだったのだ。
これなら酒場でくだを巻いている男たちと同じだ。
「足を引っ張るのなら出て行け。これからは俺が対応に当たる」
オスカリウス領を切り売りして、隣り合う領へ恩を着せようと考えていたらしい親族は尻尾を巻いて逃げていった。
彼等を追い出せたのは、もちろんキリク一人の力ではない。後ろに厳つい顔の冒険者たちが立っていたからだ。
その後、黒の森のスタンピードは国軍に任せ、キリクたちは新たに誕生した地下迷宮を抑え込む方に力を注いだ。
ヴァスタやその仲間が陣頭指揮を取って立ち働いた。
何週間にも渡る対応を続け、やがて冒険者がぽつぽつとオスカリウス領へやってきた。
ヴァスタたち一流冒険者がいるのなら自分たちも参加すると名乗りを上げたのだ。
冒険者として名を上げたいと思う者もいただろう。
力試しにはちょうど良いと考えた者もいる。
冒険者たちは続々と集まり、やがて大きな力となって地下迷宮を抑え込むことに力を尽くしてくれた。
そのまま封印するのではなく、地下迷宮として運営する形まで持っていけたのはもっけの幸いだった。
オスカリウス領ではすでに別の地下迷宮が稼働していたのも良かった。運営実績がある、だからなんとかならないかとヴァスタに相談すれば、彼は舵取りを急遽変更した。
最下層まで行けたのも、地下迷宮の核を無事に確認できたのもヴァスタや仲間がいたからだ。代わりの人工核を入れ、迷宮核をじっくり鑑定した上で戻したのもヴァスタの提案だった。
「これならば大丈夫だろう。ここは良い地下迷宮になるんじゃないか」
ヴァスタの言葉に、他の面々も頷いた。
「悪意のない自然の核ですよね」
「古代帝国の疑似装置とは違うな。綺麗なもんだ」
古代遺跡発掘も行う彼等は何やら壮大な事実を知っているようだったが、キリクには詳しく聞いている暇はなかった。
半年以上もかけて地下迷宮をなんとか抑え込んだキリクは、その後、領内の治安維持に取りかかる必要があったからだ。
この機に乗じんと隣国ウルティムス国からは攻撃があり、更に難民となった領民たちを戻す采配、いつ起こるか分からない黒の森からのスタンピード。抱える問題は山のようにあって、そのどれもが最重要案件だった。
これらにも、ヴァスタたちは引き続き付き合ってくれた。
領として仕事を指名依頼したが、それに見合った金額は提示できず、彼等はほとんど手弁当だった。
親族からの暗殺行為は止まなかったが、幼馴染の友人たちがキリクと前後して成人し始めていたため、本格的に盾となり刃となって戦ってくれた。
もちろん、ヴァスタを筆頭とした冒険者仲間たちが手助けをしてくれたのが一番大きかった。
領内が少し落ち着くと、キリクは学校に戻った。
祖父が「せめて卒業だけは」と頼み込んできたからだ。まだもう少しなら頑張れると言う老いた彼に、断る術はなかった。
ヴァスタはキリクが卒業して戻ってくるまでは領内にいると約束してくれた。キリクは後ろ髪を引かれる思いで彼等と離れた。
三年時、キリクは竜騎士になるための科目を選択した。
あれからルカス以上の飛竜に出会えていないが、オスカリウス家の領主になるのなら乗れなくてはならない。
スタンピードの対応でも必要だ。
そして地下迷宮の抑え込み。
上空からの圧倒的な制圧術は、飛竜なくして有り得ない。
飛竜に無理を強いている自覚はある。
だが、それが領主の道なのだと受け入れ、飲み込むことにした。
自分が全ての責任を負う。
その覚悟がなければ跡を継いではいけない。
領民の命さえ、自分は秤にかけるだろう。
あの時、上空から見た避難民の姿は、キリクを一気に大人にさせた。
取るものも取り敢えず、着の身着のままで逃げ出していく人々。
逃げ遅れたのは老人と体の弱い者ばかり。
他人を押しのけ踏み潰して我先にと逃げていく姿は、我が身を彷彿とさせた。
一人走っていく男は、妻や子をどうしただろうか。
難民となって彼等はちゃんと元に戻れたのか。
捨てた老父と老母はどうなったのか。
別れてしまった子供たちに会えただろうか。
あれを生み出したのは自分でもある。
逃げていく姿は自分だった。
だから、肝に銘じるのだ。
全ての責任を負う。それが領主になるものの、最低限の覚悟だと思った。
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