第3話 カモフラージュ




その人と出会ったのは偶然だった。

本当に偶然。未だに私自身が信じられないくらいに。


彼は知る人ぞ知る有名人だった。

私は彼のファンだった。丁度彼を知って1年目ぐらいの時だった。

友達と待ち合わせしに、少しおしゃれして銀座に行った時だった。

その時友達が、待ち合わせに少し遅れていた。


【ちょっと出かけにバタついたから、遅れる!ごめん!】


そうメッセージを受け取った。

私はそれを読んでから、


「もう……」


そう呟いた。

その時天気は小雨。本降りじゃなかったから、まだ気分はマシで。

その時隣に立っていた人が、驚いた声をあげるまで、私は周りが見えていなかった。


「え? 何かしましたか?」


右耳をかすめた低音ボイスに、私は不思議に感じて振り向いた。

おしゃれなコートを着た男の人が立っていた。


「え?」


私は思わずそうその人に向かって言った。


「いや、さっき何か言いませんでしたか?」


その人も私に向かって訪ねてきた。

私はその前までの自分の行動を逡巡した。

それから、


「いえ。友達からのメッセージに思わず呟いてしまっていて」


思いいたってそう弁解する。というか、小さく言ったと思っていたひとり言が聞こえていたなんて……と恥ずかしく思うと同時に、この人すごく敏感な人なんだなって思った。


「そうだったんですか」


その人は安堵したのか、緊張してあげていた肩を下げた。

あまりにも素直な反応に、私は笑ってしまった。

その時、その人の顔をマジマジと見て、私は大声をあげそうになった。

彼に気がついた。

はやる鼓動を感じながら、


「もし……お間違いで無ければ、キクチさんですか?」


私はなるべく小声になるように、また早口にならないようにゆっくり目にそう伝えた。

彼もそれを聞いて、


「はい。そうです」


小さく答えた。バレちゃうもんなんですね、なんて笑いながら。

私は口元を手で覆った。

もうビックリして。


「あ……大ファンです。あの、握手していただいてもいいですか?」


そう言って私は手を差し出した。彼は快くそれに応じてくれた。

彼の暖かい手に触れた時に、かなり感動した。

憧れの人が目の前に。私はその人と今手を繋いでいる。それだけでもう感無量で、胸が一杯になっていた。

目尻に涙が溜まるのに気がついた。

感動して涙が出るなんて、いつぶりかしら?なんて考えていた。


「ファンの人に出会えるなんて。外を歩いてみるもんですね 」


彼はそう言って笑った。

雨が降っていたからか、周りの人たちは足早に歩いていて、彼と私のことには全く見向きもしなかった。

手を放してからも私は何故か離れがたかった。

何を喋っていいのかも分からなくて、この場を早く去った方がいいのだろうとは思ったけれど、離れることが出来なかった。足が地面とくっついたみたいに感じた。

そんな時、


「もしもお時間があったら、少しだけお茶をしませんか?」


憧れの人からお誘いを受けた。

私は今夢の中にいるのではないのか。

これは白昼夢なんじゃないのか?

そう何度も頭の中で、もう一人の自分が囁いていた。


「もちろん!」


彼からの誘いを断る選択肢なんて無かった。





友達には、カフェに居ることと、昔なじみに会ったから、ゆっくり来て欲しい旨を伝えた。


「お友達には連絡着きましたか?」


店員さんが飲み物を置いていったくらいで、彼がそう尋ねてくれた。


「はい。大丈夫です。よく会っている人なので」


何が大丈夫なのか、ツッコまれたら答えられないのに、私は彼に心配をかけたくない思いでそう言っていた。


「不思議ですね。実はファンの人とこうやってお話をすることは、初めてなんですよ」


彼はそう言って笑った。

いつも雑誌の中で見る彼の笑顔そのままだった。

ああ、本当に目の前に彼が居る……

私は何度も何度もそう繰り返し思った。

彼とその時、何を話したのか、実のところあまり覚えていない。

ふわふわ夢の中にいる居心地だった。

他愛もないことを話したのだと思う。

最後には連絡先も交換した。


「こんなことして事務所の人とか怒らないんですか?」


そう恐る恐る聞いたら、(たとえ怒られても連絡先は交換したと思う。)


「大丈夫だと思います。もう良い大人ですからね。そこは、信頼してもらっています。何が悪くて何が良いのかぐらいは、自分で考えられるだろうと」


そう言って彼は、はははと笑った。

屈託なく無垢な笑顔だった。

私はその時彼に心を奪われた。




その日は彼と別れて、しばらくしてから友達に無事会った。

友達には彼と会っていたことは伏せた。

何か話したくなかった。

私自身夢だったんじゃないのか?という気持ちが強かったのと、何か彼とも思い出が汚される、すり減ってしまうそんな気持ちがしたから。


「何話したの?」


友達が聞いてきたから、


「ちょっと中学の時の友達と会っていたから。そんなたいしたこと話していないわよ」


そう軽く答えた。

友達は訝しがることもなく、そうなのねとその話題を流した。



その日から彼と私のメールのやり取りは続いた。

何通目かの時に、もう一度会いましょうとなり、私はウキウキしながら出かけた。

その日、彼から正式に交際を申し込まれた。

私は天にも昇る気持ちだった。

家に帰ってから何度も何度も頬っぺたをつねった。


「夢じゃない」


そう言って涙を流した。





彼はその後、売れっ子になっていった。

テレビでも彼の姿を見る日が増えていった。


【今日の映像も、とってもカッコ良かったです】


そう私は、彼が出演した番組があったら、感想をかかさず送った。

その度に彼は、照れたり、ありがとうと返してくれた。

なかなか二人きりで出掛けることは出来なかったけれど、だからこそ、イベント時や記念日はとても大切にしてくれた。

その年の私の誕生日は、一生忘れられないものになった。

忙しい彼が、私の誕生日は予定を空けてくれて、二人きりで祝ってくれた。


「こんなに幸せ過ぎて、いいのかな?」


まるで明日にでも死んじゃうんじゃないのか?ってぐらい、私は幸せだった。

その幸せが逆に怖かった。


「大丈夫だよ。何も悪いことじゃないんだから」


彼は微笑んでそう言ってくれた。


「誕生日おめでとう」


シャンパンが入ったグラスを交わした。

体がとろけるかと思うほどに美味しかった。

その日私は彼と体を重ねた。

夢にまで見ていた彼との一夜。

彼を知ってからこんな日を迎えれるなんて、夢にも思っていなかった。

まさに私は、幸せの絶頂に居た。




その後も何度かお忍びでカフェでお茶をしたり、私の家に来たり、時間差でホテルに行ったりと彼との逢瀬を私は愉しんだ。

何も不安も無かった。

何も怖いものも無かった。



だから、あんなことに出会うなんて思っても居なかった。

全く私は、想像もしていなかった。




彼の誕生日は、どうしようかと思っていた時だった。

私はいつも朝起きたらテレビをつける。

その日の、正確には昨日あったニュースを知る為と彼の情報を見る為だ。

エンタメのコーナーになった時だった。


≪今日の一番のニュースは、まさにこれでしょう!キクチさんご結婚です!≫


私は耳を疑った。

そしてテレビに向き直った。

カメラは新聞記事を映していた。

スポーツ新聞には、カラフルな文字で、彼の結婚と彼とお相手の女性のツーショット写真がデカデカと載っていた。


≪交際期間は、なんと半年ですか≫


≪知人の紹介とありますね≫


≪まさにスピード婚ですね!≫


テレビからは彼を祝福するアナウンサーの声が、ひっきりなしに響いていた。



――何を言っているの? この人たちは?――


私はそう思った。

手に持ったコーヒーカップを落とさないように、テーブルの上に置いた。でも、カップを持つ手は震えていた。


――半年? 私と出会った時もそのくらいだわ――


――新居での生活を満喫している?――


――結婚報告の文書が、各報道局に送られてきた?――


テレビでは、彼とお相手の女性の連名のFAXの文章を読み上げていた。

女性は今ノリに乗っている同じ芸能人だった。


何かの間違いだと思った。

これは何かの手違いだと。


小刻みに震えながら、処理しきれなくて朦朧とする意識の中、私はスマホに手を伸ばし、彼へのメールを打った。


――冗談よね?こんなの。よくある、芸能リポーターの勘違い、間違いよね?――


後から誤放送でしたと言うはずだ。

そしてアナウンサーが頭を下げるのだ。


そう思いながら彼に短いメールを送る。


スマホがすぐに音を鳴らした。

それは、エラーメールとして返って来たことを告げる音だった。


――これが答えか……



私はその場に崩れ落ちた。


私は彼に利用されたのだ。 

彼女との関係をごまかす為として。

私は二人の祝福の為に、使い捨てられただけに過ぎなかった。

二人の盾となっていたのだ。


そのことに気がついて、私はテレビを見ながら呆然とするしか出来なかった。


テレビからは、尚も彼と彼女の結婚を祝福する内容が流れ続けていた。




              ≪END≫



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