おまけ サンタクロースの代理人(後編)

 クリスマス当日。

 母親は、仕事が立て込んでいて一日家を抜けられないというので、昼を過ぎたころ、健司は一人で孝志たちが住むアパートに出向いた。それほど広くもない部屋の中に、天井に届きそうなツリーが飾ってある。ものすごい圧迫感だ。

 1年間のうち数日出して飾るだけのものに、なぜここまでこだわるんだろう。健司は思ったが、また孝志に合理性の鬼とか、冷め切ってるなどと言われるに決まっているので、黙って床に腰を下ろした。

「けんにい」

 美春の声に振り返ると、顔の前に何か突き出された。×印が目に飛び込む。

「サンタさんがくれたの」

 大きなうさぎのぬいぐるみを大事そうに抱えている。×印はうさぎの口元だった。よかったな、と言ってやったらにっこり笑った。

「健太は? 頼んだプレゼント、ちゃんともらえたのか?」

 聞いてみたら、健太は嬉しそうにうなずいた。

「それがさ、どこにも見あたらねえんだよ」

 なぜか孝志が言った。

 昨日の晩、健司の母親が、サンタさんから預かったと言って健太に直接プレゼントを渡しに来たのだという。ただその手には、ハンドバッグ以外、何も持っていなかったらしい。

「だから相当小さいもんだと思うんだ」

「え、まだ分かんないままなの?」

 意外だった。秘密って、クリスマス前夜までのことじゃなかったのか。もらったものを嬉々として見せびらかしにくるだろう、くらいに思っていたのだが。

 孝志は悔しそうだ。

「健太、ほんとにもらったのか?」

 ちゃんと開けてみた? 中身入ってたか? としつこく聞いている。

「うん、だいじょうぶだよ」

「何もらったのか、いい加減教えろよ」

「だめ。ぼくとサンタさんとおばちゃんだけのひみつなんだから」

 得意そうに言う息子に対して父親は、

「なんだよ、も~」

 とじたばたしている。図体のでかい子どもがもう一人いるようなものだ。

「こうなったら、くすぐり倒して白状させっかなー」

 健太に向かってにやにやしながら、指を蠢かせ始めた。それを見た健太は脱兎のごとく逃げ出し、恵子を盾に身を隠した。

「孝志、いい加減にしなさいよ」

 恵子が呆れたように言った。

「健太が喜んでるんだから、それでいいじゃない」

 ねえ、と息子に微笑みかけると、健太は父親に向かって警戒心を露にしたまま、うなずいた。


* * *


 皆で大量の料理をたいらげた後、今回片付け当番だった健司は、健太と一緒に皿洗いをした。健太が料理を作れるようになったら、食後の皿洗いはじゃんけんで決めることにするらしい。気が早いなと思ったが、もう簡単な調理はさせているというから、それほど遠い話でもないのかもしれない。

 家に帰って来ると、リビングでは母親がソファにもたれて目を閉じていた。前の晩からずっと翻訳の仕事にかかりきりだったから疲れているのだろう。

 声をかけてちゃんとベッドで寝るように言おうか、ひとまず毛布でも持ってこようか考えていたら、母親が目を開けた。

「あ、おかえり」

 パーティ、楽しかった? と聞いてきた。

「まあね」

 ただ、たか兄のハイテンションに付き合うのはすごく疲れる。そう言うと母親は、でしょうね、とうなずいた。

 健司が、土産にもらった手作りケーキを差し出すと、

「いただくわ」

 お腹減ったし、腰を上げた。

「うんと濃いコーヒー、淹れよう」

「だったら俺やるから。座ってろよ」

「じゃあ、お言葉に甘えようかな」

 母親はそう言ったが、別の用事を思い出したのか、結局立ち上がって書斎に入って行った。

 健司が二人分のコーヒーを淹れてリビングに戻ると、ローテーブルの上に、クリスマス用の包装紙で包んだ箱が置いてあった。

「プレゼント。遅くなってごめんね」

「わざわざ包んでくれたの?」

「まあ、中身は分かってるわけだし、無駄だって言われそうな気もしたんだけど」

 ちょっとはクリスマスっぽい雰囲気あった方がいいかなって、と微笑まれた。

「ありがと」

 素直に受け取ることにする。

「腹減ってんだったら、何か作ろうか?」

 ケーキを口に運んでいる母に言った。今日は、朝からまともな食事はとっていないはずだ。

「ありがと。でも少し休んだらまた仕事始めるからいいわ」

「母さんがここまで忙しいのって、珍しいね」

 急な依頼でもあったのかと尋ねると、母親は少し恥ずかしそうな表情を浮かべた。

「いろいろ凝り過ぎたもんだから、仕事押しちゃって。締め切り一日延ばしてもらったの」

「凝り過ぎた?」

「これ」

 母が微笑みながら赤い封筒を差し出してきた。手紙?

「健太君のプレゼント、の試作品」

「俺、見ちゃっていいの?」

 今日の宴会でも健太は頑なに秘密にしていた。健司がそう言うと、

「健司にはもう話してもいいって。健太君から昨日OKもらってあるから、大丈夫」

「ふうん」

 それにしても、あまりに小さいというか、薄い。

「これだけ? これで全部なの?」

「そうよ」

 6歳の子のリクエストだから、かさばるものだろうと思っていた。

「たか兄が、プレゼントらしいものがどこにも見当たらないって騒いでたけど、確かにこれじゃ分からないね」

 母親までが、健太のような顔をして微笑んだ。

 見ると、赤い封筒の表には、白い大きな活字で“けんたくんへ”と印刷してあった。そのすぐ上に横文字が並んでいる。

「これ英語じゃない、よね」

「グリーンランド語よ」

 サンタクロースってあちこちにいるけど、長老はその国にいるんですって、と母親は言った。

 封筒の中には、郵便はがきよりも少し小さいくらいのカードが入っていた。緑色と赤色のが数枚ずつ。

 緑色のカードを一枚取り出してみる。華やかな金色の飾り罫の中にある、大きな活字が目を引いた。

“おとうさん ひとりじめけん”

「なに? これ」

 その下に、少し小さめの字が並んでいる。

【つかいかた】

・おとうさんにわたすと、1日じゅういっしょにあそんでもらえます。

・ひとつきに1回、いつでもつかえます。

【ちゅうい】

 こういう日はつかえません。

・おしごとで、たいせつなやくそくがあるとき

・かぞくのだれかがびょうきのとき

・おしょうがつ、クリスマス、だれかのおたんじょうび

・6月さいごのにちようび

『うらへ』に従って、裏返してみる。こちらはふりがなが付いた漢字まじりの文だ。

【健太君のお父さんへ】

 ひとりじめ券は、サンタクロースからの指令です。だから健太君からこの券を渡されたら、その日一日、健太君最優先で遊ぶこと。この指令は、かならず実行してください。

 一番下に、サンタクロースのものと思しき署名、そして“代理人・山本葉子”と母の字で記してあった。

 赤いカードの方は、緑とほぼ同じ内容の“おかあさん版”だった。

「それぞれ10枚ずつよ」

「へえ」

 使えるのが1か月に1枚だから、10か月分というわけか。

「確かにかなり凝ってるね」

 印刷物だからかもしれないが、手作り感がない。健太はサンタクロースからの贈り物だと素直に信じるだろう。

「健太君に渡した方は、飾り罫も使ってる紙も、もっと豪華なの」

 以前、絵本の仕事で知り合ったデザイナーに協力してもらったのだと母は言った。

「作ってるうちに、二人でいろんなこと思いついちゃって。楽しかったなあ」

「なるほどね」

 でもこれがクリスマスプレゼントとは。正直、拍子抜けした。

「健太も欲がないね。たか兄に遊んで欲しいなら、そう言えばいいのに」

「じゃあ、健司だったら、言える?」

「……いや」

 言えない、と思う。

「健太君も同じ。我慢してるのよ」

 母親は少し腹立たしげに言った。

“おしごとだったら、しかたないんだけど”

 健太は母親に依頼する際、そう言ったという。

“ぼくのおとうさんなのに、よその子にとられちゃうのって、へんじゃないかなあ”

「まったくあのバカは。なんで自分の子ども放っといて、よその子と遊んでんのよ」

「たか兄にとっては、その子らは友達だからね」

「友達って。その前に父親でしょ」

 たぶん、叔父にその発想はないだろうと健司は思った。 

 しかも、孝志なら“おれの息子なんだから、我慢しろ”とは言わない。健太と美春がケンカをしても“兄ちゃんだから”という理由で健太を制することはない。

 その代わり“ここで我慢できるのが男だよなあ”とか“年下の子をかばってやれる奴ってかっこいいよな”というような言い方をする。

 孝志の中では“かっこいい”か否かということがすべての判断基準だ。何をもって“かっこいい”とするかは、自身の心が決めるわけだが、当然息子の健太も似たような考えを刷り込まれて育っている。“ぼくのおとうさんなんだから、ぼくとだけあそんでよ”と口にするのは、父親基準でいうところの“だっせえ男のすること”だと、健太なりに思って、我慢してきたに違いない。

「でもさ」

 健司は思いついた疑問を口にした。

「めちゃくちゃ勘の鋭いたか兄が、健太の気持ちに気付いていないとは思えないんだけど」

「もちろん、気付いてるわよ」

 だからやっかいなの、と母親は言った。

「我慢してるのをさりげなく、えらい、かっこいいって褒めるわけ」

 そうなると、なおさら甘えたい、寂しいとは言えなくなる。

「孝志は孝志で“やっぱおれの子は世界一だ”とか言って、一人で悦に入ってるんだから」

 ほんと、どうしようもないわ、と母親は顔をしかめた。

「私、健太君には我慢してほしくないの」

 健司みたいになっちゃうと困るもの、と言う。

「なんだよ、それ」

 人を失敗作みたいに。文句を言うと、

「ごめんごめん、冗談よ」

 母が笑った。

「でも良かったね。この“ひとりじめけん”があれば、健太も堂々とたか兄を独占できる」

「そう。サンタさんが“遊んであげなさい”って命令するんだから、健太君自身は何も言わなくて済むでしょ」

「すごいな。あいつ、母さんに頼んで正解だったよ」

 そう言うと、母親はふっと微笑んだ。

「私に話す時、健太君、ずっと健司のこと気にしてたわよ」

「俺のこと?」

 サンタクロースへのお願いが、父親や母親と遊んでもらうことだと健司に話せば、従兄の家に預けられるのが本当は嫌なのか、と健司が思うかもしれない。健太はそれを心配したらしかった。

“ぼく、けん兄のことだいすきだよ。ほんとはずっといっしょにいたいの。でも、たまのたまには、おとうさんともあそびたい、ってことなんだよ”

「あいつ、6歳のくせに、なんでそんなに人に気遣うんだろう」

「そういうとこ、健司に似てるかもね」

「そうかな」

 自分はそういうタイプではないと思うが。

「サンタの指令、うまくいくといいね」

「そうね」


* * *


「――って話。覚えてるか?」 

 今日は、クリスマスイブ前日。少し前から、窓の外では雪がちらついている。

 健司のマンションにやってきて机を占領しておきながら、受験勉強に飽きた、煮詰まったとごね出した健太に、健司はクリスマスにちなんだ昔話をしてやったのだった。

「6歳? 9年も前のことなんて覚えてるわけねえじゃん」

 健太は笑ったが、

「ってのは、嘘」

 と、少し恥ずかしそうに付け足した。

「あれはいろんな意味で衝撃ありまくりだったから」

 きっと一生忘れられない、と言う。

「伯母さん、ほんとすげえよ」

 健太自身の手柄のように、得意そうだ。

「あの券、けっこう考えられてんだ」

 例えば枚数。

 “ひとりじめけん”は父と母それぞれ10枚ずつ。毎月使えば、1年経つ少し前に使い切ってしまう枚数だ。

 足りないようだが、1年後のクリスマスを迎える時、小学1年生になっていた健太は、友達から“サンタの正体”を知らされていたし、遊びたいと思う相手も父母から学校の友達に変わっていた。

「それ予想して、10枚にしといたと思うんだよね」

「なるほどな」

「でも、サンタの正体聞いた後も、自分だけは特別なんだって、オレけっこう後まで信じてたよ」

 店で買えるプレゼントなら、親(偽サンタ)でも用意できる。だが、自分の手にはグリーンランド語で書かれた封筒とサンタの署名入りの券がある。サンタはどこかに実在していて、伯母は本物のサンタと話をしたに違いない。

 健太にそう信じ込ませるほど、母は工夫を凝らしたというわけだ。

「後になって、ぜんぶ伯母さんが考えて作ってくれた、って分かった時」

 すっげえ嬉しかった、と健太は言った。

「全部つるつるの厚紙で、金の飾りで囲ってあったりして」

 相当、手間と制作費がかかってるはずだと言う。

「オレ一人のためにだよ。感激だよね」

 健太がここまで喜んでくれたなら、母も代理人になった甲斐があったというものだ。

「これサンタじゃねえだろ、って妙な注意書きもあったけど」

 心遣い細けえんだ、と笑う。

「6月最後の日曜日は使えない、とかさ」 

「そういえば、そんなこと書いてあったな」

 正月やクリスマスと違って、そこだけ具体的だったので、健司も変に思った記憶がある。

「親父と母ちゃん、毎年そのころ結婚記念イベントやるから」

 母なりに弟夫婦に気を遣ってやったということか。

「たか兄は?」

 最初に息子から“ひとりじめけん”を突きつけられた時、孝志はどんな反応をしたのか? それが知りたい、と健司は尋ねた。

「あんな親父見たの、今んとこ、あれが最初で最後だな」

 券を手にして内容を一読した孝志は、額を押さえてしばし固まった後、“あっちゃあ……”と発した。

 健太の記憶によれば、大失敗をしでかしたような表情だったらしい。

「オレ一瞬、何かやばいことしちまった、って気がしたもん」

 心配していたら、がばと抱き締められた。

「母ちゃんが止めなかったら、オレ絶対絞め殺されてたよ」

 その後は、本当に独り占め状態で遊んでもらえた、と言う。

「へえ、サンタの権威すごいな」

「いや、むしろ伯母さんの威力かな」

 親父の天敵だからね、と健太が笑った。

「そうだ。知ってた?」

 健太がいたずらっぽい表情で言った。

「あの券、有効期限ないんだ」

 最後の1枚、まだ持ってんだよね、と言う。

「ほんとか」

「うん。緑色のやつ」

 緑色――“おとうさん券”の方だ。

「20歳になったら出してやるんだ。親父、これで飲もうぜって」

 本来、こういう仕込みは孝志が得意とするところだが、サンタの最後の指令が、14年経ってから届くとは思ってもみないだろう。

「たか兄、その時どんな顔するかな」

 自称“神様”も、少しは当惑するだろうか。どんな反応をするのか、見てみたい。

「俺もその飲み会、混ぜてほしいな」

 健司が言うと、

「ごめん。悪いけど、それはだめ」

 こちらが申し訳なく思うほど、優しい眼差しで謝られた。

「けん兄とは、もちろんサシで飲むよ。一番楽しみにしてんだから。でもさ」

“おとうさん ひとりじめけん”だからね。

 6歳の頃と同じ顔、同じ気遣いをしながら、従弟は照れくさそうに微笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Dragon-Jack Co. 金魚博士の恋 千葉 琉 @kingyohakase

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ