おまけ サンタクロースの代理人(前編)

「元気ないな、今日」

 自分のすぐ隣で絵を描いて遊んでいる従弟に、健司は声をかけた。

 いつもの健太だったら、早く遊ぼうよ! と健司の背中に飛びついてくるところだ。さっきから黙りっぱなしなのが気になって声をかけたのだが、6歳の従弟は色鉛筆の先を見たまま、なんでもない、と小さく返事をしただけだった。

「なんだよ、勉強する間、待たせてたから怒ってるのか?」

 なるべく優しく言うと、

「ちがうよ」

 と画用紙から顔を上げた。

「もう終わったから一緒に遊べるぞ」

「うん」

 どうもおかしい。今日、家に預けられた時からいつもと様子が違うとは思っていた。

「お腹痛いとか頭痛いとか。何かあるならちゃんと言うんだぞ」

「どっこもいたくないよ」

 だったらいいか。普段なら、わめき声のボリュームを下げさせるだけでもひと苦労だから、こういうのもたまにはいいかもしれない。

 健太の後ろのソファでは、健太の妹で3歳になる美春が眠っている。今日は兄妹揃って静かにしていてもらおう。

 勝手に自分の中で納得した健司は、勉強道具を片付け始めた。

「あのね」

 健太がぽつりと言った。

「おとうさんがね。サンタさんに何たのむかきめとけよ、って」

 そういえばあと1か月でクリスマスだ。ただ、楽しみなプレゼントの話題のはずなのに、なぜか本人は思い詰めたような表情をしている。

「健太は、何を頼むつもりなんだ?」

 尋ねると、うーん、と言ってうつむいてしまった。

「欲しいものあるけど言えないのか」

 今度は大きくうなずいた。

「だって、おとうさんやおかあさんが、サンタさんとお話して、プレゼントきめるんでしょ」

「え?」

 健太によると“クリスマスプレゼントが届くまで”にはプロセスがあった。

 欲しいものを決めたらまず親に言う。親はサンタクロースと協議をし、その子にふさわしいプレゼントか、金額が高すぎないか、などを検討する。  

 結果、問題なければ希望のプレゼントをサンタが準備して届けてくれる。6歳の語彙で語られた内容を、15歳の健司なりに推測した結果が当たっていれば、そういうことになる。

 たか兄らしいや。健司は思った。サンタに全権預けるのではなく、親も予算面から話に加わるなど、話に多少の現実味がある。だから、子どもにとってより信じやすい話になっている気がする。いかにも叔父の孝志が考えそうな設定だ。

「でもぼく、いいたくないんだよ」

 おとうさんにも、おかあさんにも、と言う。

 親に言うなり手紙に書いて渡すなりしなければサンタからプレゼントはもらえない。だから困っているわけだ。健太には悪いが、なんだか微笑ましく思ってしまった。

「サンタと話すの、親じゃないとだめなのか」

「?」

 健太はきょとんとしたあとで、言った。

「そうだとおもう、よ」

「でも、俺みたいに父親が死んじゃってるとか、両方ともいない子だっているだろ」

「うん」

 叔父が考えたオリジナル設定なら、多少アレンジしても問題ないだろう。

「だったら、親戚でもかまわないんじゃないかな」

「どういうこと?」

「よかったら、俺が代わりに聞いて、サンタに話してみるけど」

 と言っても、結局はそれが本当のサンタ(親)の耳に入るわけだが。

「ほんと? けん兄すごいや」

 健太が目を見開いた。

「ちゅうがくせいになったら、サンタさんとお話できるの?」

 澄んだ瞳を向けられて、戸惑った。

「たぶんね。まだやったことないけど」 

 恥ずかしさもあって、急いで聞く。

「で、健太は何が欲しいんだ?」

「えっとね」

 健太は言いかけたが、

「やっぱりやめた」

 と、下を向いてしまった。

「なんだよ、俺にも言えないの?」

「うん。ごめんね」

 これは正直意外だった。叔父からしょっちゅう押し付けられるため、健司は従弟妹たちが赤ん坊の時から面倒を見ているが、健太は自分のことを実の兄のように慕ってくれている、と思っていた。

「やっぱり、ガンガンロボのプラモにしよ」

 口振りから、それが明らかに第2希望なのがわかった。

 だが、ガンガンロボは、今年の夏ごろから健太が夢中になっていて、ずっとプラモデルを欲しがっていたのを健司は知っている。 

 うわごとのように唱えていたプラモデルよりも欲しくて、親や健司にも言えないもの。

 一体なんだろう?

 健司は思いつく限り、健太が欲しがりそうなものを挙げたが、ちがう、という返事しか返ってこない。

「もしかして、健太がほんとに欲しいものって、すごく高いのか」 

 子どもなりに金額面で遠慮しているのだろうかと思い聞いてみたら、健太は首を横に振った。なんだか、かわいそうになってきた。

「じゃあ、うちの母さんは?」

 だめもとで言ってみた。両親に言えなくて、健司にも話せないなら、健太にとって年上の家族・親戚は、もう健司の母親・葉子しか残っていない。

 健太が大きな目で健司を見上げる。

「ようこおばちゃん?」

 少し考えていたと思ったら、表情がぱっと明るくなった。一人で納得してうなずいている。

「そうだ、おばちゃんにおねがいすればいいんだ!」

 やったあ! と叫んだかと思ったら飛びついてきた。

「ありがと、けん兄!」 

 すごく嬉しそうだ。健司としては多少複雑な気持ちだったが、よかったな、と言ってやった。

 健太が大声を上げたせいか、眠っていた美春が目を覚ました。恐ろしく不満そうな顔で、ぐずりはじめる。

「あ~あ、おきちゃったよ」

 自分が起こしたにも関わらず、

「もうちょっとねてなよ。うるさいから」

 健太は妹を説得し始めた。もちろん3歳の子がそんな説得を素直に聞き入れるはずもなく、ぐずり声がだんだん大きくなってきた。

「まいったな」

 と言っても、今の美春なら日本語が通じる。赤ん坊の時よりはよっぽどましだ。トイレに行くかと聞いたら、ぶんぶん首を横に振って答えた。腹も減っていないと言う。

「けんにい、だっこ」

「……はいはい」

 抱き上げてやると、すぐに機嫌を直した。学校の友達には絶対見せたくない姿だ。

「みはる、あかちゃんみたい」

 おっかしーの、と健太が見上げて小馬鹿にするような口調で言う。かちんときたのか美春が足をぴょんと動かし、それが健太の頭に当たった。

「ってえなあ、けるなよ!」

 いつもの兄妹ゲンカが始まってしまった。

「やめろ、二人とも」

 美春は腕の中でじたばたするし、健太の美春への攻撃は結局、健司の腹や背中に当たるので、早々に美春を降ろして二人から離れた。二人で気が済むまで暴れてくれ。

「ああ、やだ」

 子守歴も長いので慣れてはいるが、やはりうるさいものはうるさい。

 孝志によると、幼い頃の健司も泣き喚いて大変だったというが、絶対嘘だ。それに20歳過ぎて3歳児ひとりの面倒を見るのと、15で6歳と3歳の子守をするのでは、負担が全然違う。テスト期間もこっちの予定もおかまいなしに置いていきやがって。

 自分が結婚するというのは全然ぴんとこないが、もし子どもができたら、健太と美春には絶対この強制子守をさせよう。従弟妹の喚き声を聞きながら、健司は固く心に誓った。

 電話が鳴った。母親からだった。

「もうすぐ帰――」

 と言いかけて、笑っている。健司の背後に響く大音声が耳に入ったらしい。

「母さんちょっと待ってて」

 息をついてから、振り返る。二人の名を叫んだ。

「おばさんから電話だぞ」

 健太がぴたりと口をつぐんだ。

「いい子にしてたら健太の話も聞くし、二人におやつ買ってきてくれるって言ってるけど、どうする?」

 二人揃って、途端に静かになった。素直なところは可愛いのだが。

「そういうわけなんで。おやつよろしく」


* * *


 それから1時間ほどして、母親が帰ってきた。

「おばちゃん、おかえりなさい」

 健太がわざわざ玄関にまで出迎えに行った。

「すごい歓迎ぶりね。どうしたの?」

 バッグを降ろした母親が嬉しそうに言った。健太と美春がケーキの包みを開けている間、健司は母親の傍に行って、小声で言った。

「健太が、母さんに大事な話があるってさ」

「健太君が、私に?」

「たか兄にも恵子さんにも、俺にも話せないことなんだって」 

 予想通り不思議そうな表情を浮かべたが、母がとても喜んでいるのが健司には分かった。

 リビングのローテーブルに肘をついて並んだ兄妹に、健司はショートケーキを取り分けてやった。皿を渡しながら健太を見ると、少し緊張したような表情をしている。早く話をさせてやった方がよさそうだ。

 母親も健太の様子に気づいたのか、言った。

「健太君」

「ん?」

「おばちゃんにお話があるって、ほんと?」

「うん」

 母親は、テーブルに組んだ腕を乗せ、顎をうずめるようにして視線を下げた。健太に向かって微笑みかける。

「ありがとう。すごく嬉しいわ」

 お話楽しみにしてるわね、という言葉に健太の顔がほころんだ。

 四人でケーキを食べ終わった後、美春を連れて自分が部屋に移ろうかと健司が提案すると、母親は自分たちが移動すると言った。

「もう書斎、暖まってると思うし。健太君、おばちゃんのお部屋でいい?」

 健太がうなずいた。


* * *


 母と健太は、20分程度で戻ってきた。

 サンタへの伝言役として、母親は適任だったらしい。健太の晴れ晴れとした様子を見て、健司は思いつきのこととはいえ、母親を推薦して良かったと思った。

 その後、すぐに叔父夫婦が健太たちを迎えにきた。

「おう、ごくろーだったな」

 さんきゅ~、と孝志がいつもどおりののんきな口調で礼を言う。

 予告なく子ども置いていくの、ほんとやめてほしいんだけど。実際口にしていれば三十数回目になる文句を健司は飲み込んだ。 

 どうせ言っても、恨むなら“強制子守”の原点である自分の両親を恨め、と言われるに決まっているし、孝志の妻・恵子がかなり気を遣って、強制子守の回数を減らす努力をしてくれているのを知っているので、恵子がいる前では正直、不満を表に出しにくい。

 恵子の挨拶には会釈を返したが、孝志のことは容赦なくにらみつけてやった。

「けん兄、おばちゃん、またねえ~」

 健太がにっこりしながら手を振る。いつもの健太に戻って良かった。


* * *


 賑やかな叔父一家が帰ってしまうと、家の中がいつも以上に静かに感じる。普段の静けさが、特別ありがたいものに感じられるから不思議だ。

「母さん」

「なに」

「健太が欲しいものって、何だったの?」

 母親が微笑んだ。

「ごめんね。健太君と約束したから、話せないわ」

「あ、そうなんだ」

 あいつ、結構用心深いな。まあ、いいか。健司が思ったところへ、

「でも、このことは知っておいてほしいな」

 母親が言った。

「健太君は、健司のことが本当に大好きなの」

 だから健司に話せなかったの、と言う。

「プレゼントが何かはそのうち分かるから、そこは分かってあげてね」

 別に聞き役に選ばれなかったからって、拗ねたつもりはないんだけどな。思ったが口には出さずに、うなずいた。

「ところで、我が家のぼっちゃんはサンタさんに何を頼むつもりなの?」

「俺? 俺は別にいいよ」

 そんな歳でもないし、と言うと、

「歳は関係ないじゃない」

 母親が寂しそうな顔をした。

「そういえば、健司はサンタさんの正体見破るの、早かったわね」

 今の健太君より小さかったかしら、と母は言った。

「そうだね」

 息子の自分がこんな風だから、今回甥からサンタへの橋渡しを頼まれた母がどんな気持ちでいるかは、よく分かる。

「本当に、欲しいものないの?」

「分かったよ。リクエストするから、そんな哀しそうな顔しないで」

 結構高いので予備を買うのがずっと後回しになっていた、水槽用の外部フィルターを買ってもらうことにした。

「型番書いて渡すよ」

「健司はいつもいい子にしてるから、きっと二つ返事でOKが出るわよ」

「ちなみに枕元まで来ることないからね。直接渡してくれればいいよ」

 母親は苦笑している。フィルター代、現金でくれてもいいんだけど。言いかけたがやめておいた。

「さて、健太君の方はこれからすぐに取りかからないと」

 嬉しそうに言うと、母親は手帳を取り出して、あちこち電話をかけ始めた。


* * *


 それから数日後、孝志から電話があった。

「姉貴から何か、聞いてねえ?」

 サンタへのお願いのことらしい。孝志が再度サンタへの依頼品について尋ねたところ、

「“もう、ようこおばちゃんにお願いしたからいい”だってよ」

 口調からすると、孝志はかなりショックを受けたようだ。いい気味だ。

「あんまり悔しかったからさ」

 その場で、健太にサンタの正体をぶちまけ――、

「まさか、言っちゃったの?」

「いや、ぎりぎり我慢した」

 どうしようもない父親だ。

「それにしても、まさか姉貴に頼むとはなあ」

 さらに、健司の母親からも“今年の健太のクリスマスプレゼントについては、夫婦共に一切手出し無用”と通達があったらしい。

「姉貴、めちゃくちゃ嬉しそうだったぞ」

 自分の息子が冷めきってっからな、と余計なコメントを付け加えてきた。

「何とでも言ってくれ」

「で、健太何を頼んだって?」

「実は俺も知らないんだよ」

 健太と母さんだけの秘密なんだって、と言うと、

「いいなあ。なんか面白そうだよなあ」

 本気で悔しそうだ。

「お前、気にならねえのかよ」

「ならないと言ったら嘘になるけど、仕方ないだろ。話してくれないんだから」

「いや、お前が珍しく“母さあん、教えてよ~”って甘えりゃさ、姉貴大喜びでしゃべるって」

 誰がそんなことするもんか。黙っていたら、

「あ~、知りてえ、気になる」

 まだ言っている。

「あのさ、そろそろいいかな」

 忘れているのか、どうでもいいのかは知らないが、念を押しておくことにした。

「俺一応、受験生だから」

 電話だし、ついでに言ってみる。

「あいかわらず強制子守やらされてるけど、3か月後には、高校入試だから」

 たたみかけるように言うと、ふてくされたような声が返ってきた。

「お前、F高楽勝だって言ってたじゃねえかよ」

「まあ、そうなんだけど」

「人並みに、受験勉強してるってか」

 進学塾に通っているクラスメイトから模擬試験だけ買って、やってみていると健司は話した。

「勝算は?」

「まあ、大丈夫だと思うよ」

「そういや、特待生の話どうなった?」

「あれはね、蹴った」

 3年間学費全額免除は魅力だったが、自分の推薦あってこそ、という担任の態度に辟易したからだ。そう孝志に話すと、

「へえ。合理的とか無駄がない、って言葉の前には、魂売る奴だと思ってたけどな」

 魂売るって……。

「それ甥っ子に言う言葉?」

 呆れて言ったら、受話器の向こうで大笑いされた。

「そういうわけだから。もう切るよ」

「お前、ほんと冷てえなあ」

 クリスマス宴会は派手にやるから、母子で来いと言われた。

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