第16章 魔法をかけるよ

「ずっと迷っていましたが、書くことにしました。私には姉がいます。早くに結婚して、隣町で義兄と美容院を経営しています。

 2歳違いの姉は、学校のミスコンテストに選ばれるくらい整った顔立ちをしていて、明るい性格です。でも学校の成績がふるわないのが悩みで、高校受験の勉強も私が手伝いました。妹の私はその反対。学校の勉強は得意だったけど、見かけを恥じて引っ込み思案になりました。

 姉に言わせれば、父が名前を付け違えたのがいけないのだそうです。姉が聡子で私が貴美子。皮肉ですよね。

 私たち姉妹は、それぞれ自分にないものを持つ相手が妬ましかったのだと思います。顔を合わせては相手を傷つけるようなことばかり言っていました。もう、いつからなのか分からないほどずっと前から、仲違いしたままです。

 これは私がずっと見て見ぬふりをしてきた、存在しないものとして扱いたかった問題です。だから今まで手紙に書くことができませんでした。せっかく取りに来てくださった手紙が、こんな嫌な話題でごめんなさい。でも、姉との問題は、私がドアを開けるための、最後の鍵になる気がしています。

 健司さんにはご兄弟がいらっしゃらないというお話でしたね。でも健太君や美春ちゃんについてのエピソードを拝見すると、本当の弟さん妹さんのようですね。いつか二人にも会えるかな。楽しみにしています」


 いつものようにヘッドライトの灯りで手紙を読む。

 貴美子の手紙で健司が気になっていたのは、このことだった。以前、貴美子が父親のことを書いてきた時に“義兄が家に来た時”“自分に似てしまった次女”という言葉があった。それで、その手紙の返事に、姉がいるのかと書いたのだが、それについてはコメントが返ってこなかった。その後も、姉については一度も記載がなかった。

 貴美子が封印しておきたかったことを、手紙で打ち明けてくれたことを嬉しく思いつつ、書いた時の貴美子の心情を考えると、腹の中が重苦しくなった。

 その時だった。

「ちょっと、いいかな」 

 突然の大声に振り返る。自分と同世代の女が立っていた。

 見返すと、女は何度かまばたきした後、体をぐらりとふらつかせたが、持っていたゴルフのアイアンで体を支えた。

「貴美子の姉です」

 この人が? 名前は聡子さんだったか。確かに似ていないな、と思いながら一礼し、エンジンを切った。ライトが消え、一気に静かになった。

「あんたさ」

 聡子が斜に構えた。

「もう、こんなことやめなよ」


* * *


 最低だよ。金魚の学者からいくらもらってるか、知らないけどさ。

 聡子は、深夜のバイク乗りが、国生研の研究者に頼まれた代役だと思ったらしかった。

 学者野郎に伝えて。貴美子は騙せない、って。

 弁明するより早いと免許証や研究所の身分証を見せた健司だったが、“学者野郎”が健司本人だと分かった時の、聡子の驚きようといったら。大騒ぎしたあげくの台詞があれだ。

 本人なら話が早いわ。妹をからかうのはやめて。

 その日、たまたま実家を訪れた聡子は、母親から文通のことを聞いたのだという。人の好い両親まで巻き込んで、どういうつもりだと気色ばまれた。

 この件で説明するのは、身内まで含めれば5回目だ。

 貴美子には信じてもらうためならどれだけでも時間を使うつもりだったから、何日かかっても構わなかった。結果、ひと月半かかったが、信じてもらえた。

 貴美子の父親が予想していたよりもすんなり自分の話を受け入れてくれたのは、父親が金魚愛好家であったために、でめきんが世界一美しいと思う感覚を他の人よりは理解してもらいやすかったからだ。金枝教授が国生研に在籍する筋金入りの金魚好きについて話しておいてくれたことも大きかったと思う。これまでの経験から、自分の話し相手として、年配の男性と相性がいいことは分かっていた。

 その逆が、今回みたいなケースだ。すべての女性がそうだとは言わないが、特に相手が聡子のような女だと、話をすんなり通すのは難しい。さすがに嫌気が差した。

 貴美子の姉とは言え、喧嘩腰のもの言いに、黙って立ち去ろうかとも思ったが、考え直した。さっき読んだ手紙から察するに、貴美子の心に、コンプレックスに、大きく関わっているのが姉だと思ったからだ。

 信じるかどうかは任せると断っておいて、健司は、貴美子の父にしたのとほぼ同じ話を繰り返した。

 初めての恋だと言ったら笑い飛ばされたが、恋愛感情もないまま女たちに声をかけていた過去については、あっさり信じてもらえた。叶うなら肩に乗せて歩きたいほど、でめきんが好きなのだと話した時には、苦いものを噛んだような顔をしていた。 

 聡子が繰り出す数々の質問にも答えた。貴美子に一番知られたくなかったことは、出会ったその日に同僚たちが暴露していたので、隠すことはない。聡子が納得するまで付き合った。

 貴美子のおかげで自分が変われたことに感謝していること、文通を通じて、少しずつ心を開いてくれているように思えることも伝えた。

 聡子は、態度を少しずつ軟化させた。そして寒さのせいか、何か思うところがあってか、身を震わせながら言った。

 あんたみたいな人が、いるなんてね……。

 そこからは貴美子の話になった。

 貴美子の手紙に、自分が今日まで登場しなかったと知った聡子は苦笑した。

 あたしたち、お互いに嫌い合ってるからね。

 貴美子が手紙に記していたように、妹は姉の美貌を、姉は聡明な妹を妬んでいた。妹の成績が上がり、評価されるたび、聡子は妹に侮蔑されているように感じ、妹の容姿を徹底的に嘲笑うという形で対抗した。

 聡子は、幼いころから高校を出るまで、両親や妹、教師から“頭が悪い”と言われ続けたという。だから、自分はそうなんだろうと思い込んでいた。その思い込みを今の夫に取り払ってもらうまでは。

 貴美子も同じだと思うんだ。親やあたしがずっと言い続けてきたから、不細工だ、ブスだって思い込んでる、思い込まされてるだけ。

 ほぼ同じ表現を、前に孝志が使っていたのを思い出した。

 でも、あんなになるまで、妹の自信なくしたのは、あたしなんだよね。

 聡子は、さらに語った。

 学生の時、男子にお金渡して誘わせたの。秀才でめきんを落としてみろって。

 ほんの一瞬、殺気を抑えきれなかった。傍で聡子が身を竦めるのが分かった。健司は、その日の貴美子の手紙を胸に当て、必死で自分を抑えた。

 頭のいい妹が妬ましくて、聡子としては、軽い気持ちでやったことだったが、貴美子に与えた衝撃は予想以上に大きかった。後になって、聡子が金を渡した少年に、貴美子がほのかな想いを抱いていたことが分かった。罪悪感で押し潰されそうになった聡子は、貴美子を無理に憎むことで自分の行為を正当化しようとした。ますます妹の容姿を侮辱し、でめきん女を相手にする男なんているものか、と事あるごとに言い募った。

“あなたの申し出を受けた途端、誰かがあなたに、賭金を払いに出てくるんじゃないか、そんな風に考えてしまうんです”

 告白した日、貴美子は消え入りそうになりながら、そう言った。どうしてそんな哀しい事を考えるのか、その時は理解できなかったが、今分かった。実際、過去に辛い思いをしていたのだ。聡子や実行した少年への怒りよりも、胸がつぶれてしまいそうな哀しみが先に立った。

 山本君がここまでやってくれてるのに、貴美子が出て来れないのは、あたしのせいだね。ごめんね。

 最初の剣幕はどこへやら、聡子はすっかり沈み込んでしまった。

 でめきん、って言われるのが嫌なら、どうして今まで変わらなかったのかって思わない?

 聡子に聞かれたが、健司には分からなかった。

 今まで何度か、あの子も変わろうとしたことがあったんだ。メガネ外したり、髪型変えたり。

 一歩踏み出したそのわずかな勇気を、真っ先につぶしてきたのが自分だった、と聡子は小さな声で語った。

 何やっても変わらない、無駄だって言われるのが当たり前になってたら、怖くて何もできなくなっちゃうんだよね。あたしだってその気持ち、分かってたはずなのに。資格取るの、やる前から何度も諦めてたから。

 その後、町田家まで聡子を送って行く道すがら、聡子は、貴美子に謝りたい、これまでの詫びに、自分も貴美子を幸せにする手伝いがしたい、と言った。

 貴美子が勇気を出せるように、あたしあの子に魔法をかけるよ。

 別人みたいに磨き上げてみせる、と息巻くので、でめきん風味はなるべく残してもらいたいと頼んだら、微妙な顔をされた。

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