第13章 今年こそ我が家の扉が開かれんことを

 その晩、健司あての封筒はいつもより厚かった。

「健司さんへ

 最近は、夜ラジオを聴くことが多くなりました。交通情報が気になって。

 お願いがあります。バイク便の文通を、郵便に変えませんか。

 お気持ちをうかがって、お手紙をいただくようになってから45日が経ちました。

あなたが毎晩私に手紙を届けると言った時は、まさか本当に実行するとは思いませんでした。もし始めたとしても、すぐに止めてしまうだろうと。

 でも、あなたはそれから1日も休まず手紙を届けてくれました。寒い中、バイクで往復何時間もかけて。

 最初は、不安で怖くて、無視するような形になりました。溜まっていく手紙の封を切ったのも、10通目が届いたころでした。

 10通のお手紙を手に、涙が止まらなかった時から、あなたの想いが本物であることは分かっていたのかもしれません。でも、私は根強い劣等感から、人も自分自身も信じることができなくなっていました。そのうちお手紙から、あなたの人柄を知り、ご家族や心の傷のこともうかがって、ようやく、あなたを信じられるようになりました。

 ただ、残念ながら、あなたを信じることはできても、私は、まだ自分自身を信じることができません。

 顔の見えない文通は、私にとって“夢の世界”です。だから、内面のつながりなら心を開けても、実際にお会いする勇気が出ないのです。きっと、お会いした途端に自分の醜さを実感して、卑屈になってしまうでしょう。好きだと言ってくれる男性が素敵過ぎるから会えないなんて、理不尽ですよね。でも怖いんです。すべて終わってしまいそうで。本当に申し訳ありません。

 文通は、私に自信が持てるまでということですのでこのまま続けますが、それなら郵便で充分です。もう12月も半分過ぎました。このままバイク通いを続けていたら、きっとお体に障ります。

 こんな手紙が書けるようになるまで、長い間お待たせしてしまいました。心からお詫びします。本当にありがとうございました。  貴美子」


 これまでにも、配達の頻度や手段については何度か話が出ていた。貴美子の心情は理解できたし、心遣いに感謝した。それに、毎晩の配達を、貴美子がいまだ重荷に感じているのも分かっていた。

 だが、郵便での文通に変えてしまったら、いつ貴美子は“夢の世界”から踏み出すのか。

 今、二人を隔てているのは、玄関のドア1枚だ。それを開ける勇気が出せず苦しんでいるのに、離れた町から送る手紙に、貴美子を動かす力があるだろうか。

“あなたを信じられるようになりました”

 今夜の手紙にはそうあった。つまり、健司の当初の目的は果たせたことになる。嬉しかった。ただ、最初に返事をもらった時の喜びとは、ずいぶん違っていた。バック転をする気にはなれない。

 信じる、という言葉に嘘はないだろう。だが、顔を合わせた途端、崩れ去ってしまう関係って何だ? 

 文通を続けるうち、強い恋情に穏やかで深い愛情が加わったような気がしていた。一目惚れだったということもずいぶん前に忘れていた。でめきん似かどうかなんて、もうどうでもいい。いや、良くはないけど、見かけだけじゃなくて、彼女が丸ごと好きなんだ。

 突然、猛烈に顔が見たくなった。だが、前に見た、岩で防御するかのような貴美子の頑な表情を思い出した。無理強いはしたくない。

 あとは彼女次第だ。ここまできたらもう少し待とう。一歩踏み出すところをこの目で見届けたい。顔を上げて俺を見て、微笑んでくれたらそれでいい。本音を言えば散歩をしたいし、食事もしたい。でも、それはまあいい。

 配達については、疲れたら勝手に休むから、自分の気の済むまでやらせてほしい、と返事に書いた。


「来て下さるというのなら、もうお止めしません。本当に気をつけて下さいね。

 父はあれから何回か公園であなたとお話をしたそうですね。寒い中、お引き留めして申し訳ありません。

 父は、今ではすっかりあなたのファンになったようです。普通の男親らしくないとお思いでしょうが、義兄が初めて家にやってきた時は、しばらく口をきかなかったくらいですから、容貌が自分に似てしまった次女を気にかけてくださる健司さんは、特別なのでしょう。

 母は私に気兼ねしてか、まだあなたにお目にかかろうとはしません。でもいつも天気や気温、道路の状況を気にかけています。気持ちだけでと言っていただいたものの、健司さんに何か差し入れしたくて仕方がないようです。好きなものは何か聞いておくように言われました。

 叔父さん一家は皆さん楽しい方のようですね。五人の宴会で二十人分を召し上がるというの、ちょっと想像するのが難しいです。次の宴会では健司さんは何を作られるんでしょうか。おつまみ本のレシピをすべて再現されたとうかがって、びっくりしました。居酒屋さんにもなれますね。

 お尋ねのワイン、合いそうなものを少しご紹介しておきます。お口に合えばいいんですが」


* * *


 クリスマスイブ。

 今夜も寒い。貴美子は窓に息をかけて丸く曇らせ、雪だるまの絵を描いた。

すぐに消して、窓の外を眺める。メリークリスマス。今日の手紙はいつも通り、他愛もないことを書き綴った。

 本当は何かプレゼントをしたかった。毎晩、遠くからやってくる、背の高いサンタクロースに、道中の寒さを少しでもやわらげる何かを。

 ――そうじゃないでしょ。心の声がする。

 そう、違う。寒さを心配して贈り物をするくらいなら、ドアを開ければいい。ドアを開けて彼の前に立ち、私はもう大丈夫、顔を上げて歩けます、と彼の目を見て言いさえすればいい。それだけで、彼は毎夜の配達から解放される。

 サンタさん、お願いします。

 私にドアを開ける勇気、彼と顔を合わせる勇気をください。


* * *


「貴美子様

 今晩は、クリスマスにちなんだ、ちょっとした昔話をお届けします。

 健太や美春が幼い頃、俺がたか兄から強制子守をさせられていたというのはお伝えしたかと思いますが、その時あった話です。

 竹中家では、クリスマスプレゼントにほしいものを親に伝えて、それがその子にふさわしいものかを親とサンタが相談して決める、ということになっていました。

 当時6歳だった健太は、サンタに頼みたいプレゼントがあったのですが、それが何なのか両親はもちろん俺にも教えられない、と言うのです。健太がほしがりそうなおもちゃをいろいろ挙げてみましたが、どれでもないと言います。

 健太が他に仲介役を見つけない限り、プレゼントはもらえません。健太本人はもちろん、プレゼントの準備ができないので、たか兄も恵子さんも困りました(普段から自分を神様と言ってはばからない叔父がそわそわしているのは、見ものでした)。

 そこで俺が、母ならどうだろう(健太にとっては伯母ですね)と提案してみました。その時の健太の顔は、しおれていた花がぱっと咲き返ったようでした。

 仲介人に選ばれた“ようこおばちゃん”は、“サンタクロースの代理人”として、叔父や俺にまったく気づかれることなく、健太に秘密のクリスマスプレゼントを届けました。

 このプレゼント、何だったと思いますか?

 答えは明日の手紙で。 健司」

(作者注:本作の最後におまけの短編「サンタクロースの代理人」を掲載しています。答えが気になる方はご一読くださいませ)


* * *


 年が明けた。前の晩、健司はおそらく日本中で一番早い年賀状を、貴美子とその両親に届けた。  

 元日は、夕方から竹中家で新年会があるので、早めに出発し、午後3時ごろに到着した。

 貴美子からの手紙は、まだ入っていないかもしれない、と思いながら念のためにポストを開けると、健司あての年賀状が一枚入っていた。貴美子の父親からだった。

 大きな「謹賀新年」の文字の下に、“今年こそ我が家の扉が開かれんことを”とあった。

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