第11章 切手のない文通

 翌日から、二人の“切手のない文通”が始まった。健司が手紙を届け、ポストを開けて貴美子からの手紙を受け取っていく。

 これまでも、夜ごとのバイク便を自分なりに楽しんでいた健司だったが、目的地に貴美子の返事が待っているかと思うと、さらに配達が楽しみになった。

 竹中一家に、経過報告すると、ひと月以上にわたって配達を続けている執念を呆れつつも、返事をもらい、文通までこぎつけられた幸運を祝福してくれた。

 健司の幸せそうな様子を見て、健太や美春、恵子は、感情表現が普通の人間らしくなってきた、と口を揃えて言った。孝志だけは、変人に拍車がかかっただけだとうそぶいていたが。

 最初に“好きな人ができた”と話した時の、“これで普通の人になれるかもしれない”という恵子の予想が、現実のものになりつつあった。


* * *


 毎夜受け取る貴美子の手紙は嬉しかったが、どれを読んでも、言葉の端々からその苦悩が伝わってきた。共同研究で、女ったらしの悪ふざけの餌食にされたと思った時も辛かっただろうが、今の状況の方が、さらに貴美子を苦しめ追い詰めているように思えた。

「12月2日 町田貴美子様

 お手紙拝見しました。俺が勝手に始めたことが、思っていた以上に、あなたにとって重圧になっていると知って、申し訳なく思っています。

 どうするのが一番いいか、自分なりに考えました。あなたを苦しめてまで、通う必要があるのかと。自己満足でしてきた行動に迷いが出ました。

 悩んだ結果、俺としてはこれまで通り文通を続けたいと思います。

 結論に至った経緯を書きます。

 失礼な言い方かもしれませんが、人に心を開くのが怖いというあなたと、人を好きになったことがなかった俺は、似た者同士と言えるかもしれません。

 俺が告白した時、あなたは「自分の容姿が好きじゃない、だから見かけに一目惚れしたと言われても、悪い冗談としか思えない」と言いました。  

 同じように、俺は、お父さんやペトラの皆さんたちが俺のことを褒めていた、というくだりで、どうしても自分のこととは思えませんでした。

 町田さんに出会う半年ほど前、学生時代から抱えていた精神的な問題がようやく解決しました。それまでの俺はさながらジキルとハイドでした。金魚研究者の裏の顔は、女性とみれば声をかけ、男には欝屈した思いを暴力でぶつける人間でした。

 最近はスイッチが入ったり、キレて暴れたりというようなことはありませんが、俺の中に人を人とも思わない冷酷さが存在するのは確かです。“心が歪んでいる”のは、あなたじゃない。俺の方です。

 でも、大切な人に対して壊れたことは、今まで一度もありません。これからもそれは変わらないと思います。

 叔父一家に言わせれば、初めて人を好きになって、やっと俺は普通の男になれたのだそうです。喜怒哀楽の”喜、楽”が表情や行動に出るようになってきたと言われました。町田さんのおかげです。あなたに出会えて良かった。今まで神なんて信じたことなかったけど、あなたが残酷だという神様に、俺は心から感謝しています。

 毎晩の配達が、重圧になっていることはお詫びします。でも、ここで文通を止めてしまうのは、二人にとっていい結果を生まないと思う。俺は自分の本気が伝わったことを確信できないまま、あなたは自分に自信が持てないまま、お互い傷を抱えて生きていく。そんな気がする。

 手紙の配達は、本気だと信じてもらうため、また俺自身が自分の変化を嬉しく思えているから続けています。もう一つ、本音を言わせていただくと、やはり俺が世界中の誰よりも美しいと思う女性が、自信が持てないからと下を向いているのは悔しいのです。

 町田さんは、外見も内面も含めて、愛され賞賛されるにふさわしい女性です。そのことを、あなた自身に認めてもらいたい。

 あなたに自信が持てたら、顔を上げて俺を見て、もううつむかないと言ってくれたら、文通は止めます。その時は、誰かを好きになる準備もできているはずです(その誰かが俺であることを願ってはいますが、そうでない場合は、あなたの幸せを祈りつつ一切を諦めます)。

 いつかきっとその日が来ます。それまで、友人としてお手伝いをさせてもらえませんか。

 長くなってしまいました。今日は到着が遅くなりそうです。文通を打ち切ったと思われないように、急いで向かいます。  山本健司」


* * *


 貴美子からは、感謝と詫びの言葉、文通続行の承諾の返事があった。文通については、健司の健康と身の安全を最優先に考えてもらいたい、とあった。

 はじめは詫びと健司へのねぎらいの言葉ばかりだった貴美子の手紙も、やりとりを重ねるにつれて、個人的な内容が少しずつ加わってきた。

「今さらですが、私について少々訂正をさせていただきます。私の専門は環境工学で、主に水質の研究をしています。9月の共同研究も、水質改善薬の開発ということで、私に声がかかったようです。もちろん生体にも関わりますが、観賞魚(金魚)というよりは、沼や川の生き物が対象であることが多いです。

 また、家にはたくさんの金魚がいますが、飼っているのは父です(愛好家、いわゆる在野の研究者です)。同僚が入社の動機を勘違いしたまま、山本さんにお話ししたのかもしれませんね。がっかりなさったら、ごめんなさい。

 金魚は、小さい頃は大好きで父と一緒に世話をしていました。自分がでめきんと呼ばれるようになってからは、少し距離を置いていましたが、最近、また水槽を眺めるようになりました。大きさは全然違いますが、でめこちゃんに雰囲気が似ている子が一匹います。父に内緒で名前をつけようと思っています」

 かつて自分と健司は“つり合わない”と言った貴美子だったが、手紙を通じて二人の共通点がいくつか見つかった。同い年で、誕生日がちょうど1か月違いということも分かった。他にも面白かった本、得意料理、話題は尽きなかった。


* * *


「休日で、いつもより長く書けそうなので、この機会に叔父一家をご紹介します。母以外には彼ら四人だけが、俺の親族です。隣町に住んでいます。といっても、徒歩で行き来できる距離です。

 母の弟である竹中孝志は、非常識の塊ですので、町田さんが信じられることだけ信じていただければ結構です。

 幼い頃から世話になっている叔父を、俺は“たか兄”と呼んでいます(彼と知り合った人は、知り合った直後からそう呼ばされます。例外なく)。料理や掃除など、生活上の基本的なことは、ほとんど彼から教わりました。それについては感謝しています。

 母以上に俺と顔が似ていて、そのうえ化け物級に若く見えるため、俺の兄、ひどい時は双子かと間違われることがあります。しかもわざわざ暗い表情を作って、俺の物真似だといって遊びます(実に迷惑です)。性格は俺と正反対で、いつも大騒ぎしては愉快そうに笑っています。中身がほぼ子どもという変人なので、うまが合うのか、よく近所の小学生と遊んでいます。

 職業は、車やバイクに絵を描くカスタムペインターです。絵の技術だけは素晴らしく、一度自分の目で見れば、人物でも物でも、写真のような精巧さで描きます。たか兄について、これだけは唯一素直に敬意を払える点です。

 あとは、異常なまでの甘党です。コーヒーとほぼ同量の砂糖、ミルクを入れて飲むスタイルにはげんなりしますが、菓子作りは家族一です。また、子どもたちがおかしいと思うほどの愛妻家です。

 叔父の妻は恵子といいます。子どものような夫を支える聡明な女性で、今は町の図書館で司書として働いています。

 恵子さんは、いつも穏やかな笑みを浮かべていますが、少女時代に辛い思いをされたようで、たか兄と出会う前は笑顔が少ない人だったそうです。つまり、俺にとっては、好きな人によって変われた大先輩で、そう思うと、前より彼女に親しみが持てるようになりました。

 彼らの長男、健太は高校3年生です。妹の美春は中学3年生。彼らが幼い頃から面倒を見てきたせいか、二人のことは実の弟、妹のような気がしています。

 健太は一家の中では突っ込み役と言われています。誰にでも優しく、俺が地球上で最も信頼する男です。今年の春、バイクの免許が取れて、俺の良きツーリング仲間になりました。ただ、彼の愛馬は、たか兄が塗装の練習台にするために無断で解体するので、乗れないことがよくあります。

 健太は俺の師匠でもあります。恋愛という観念がなかった俺に、誰かを好きになることが、人生をどれだけ豊かにするかを教えてくれました。普段は少し幼い感じがしますが、時に驚くほど大人っぽい表情を見せます。

 ちなみに、最初のでめきんは、生後3か月になった健太を見に行った日にすくいましたので、健太の名前から一字もらって”でめ太”と名付けました。

 美春はたぶん一家の中で、一番世論に近い感覚の持ち主だと思います。それが、最近は“お父さん流”と称して、度を超したポジティブ思考になりつつあるので、少し心配しています。しっかり者ですが、甘えん坊のところもあり、いつもたか兄と、恵子さんの取り合いをしています。

 竹中家には、“健太ブレンド”はじめ、名物がいろいろありますが、それはまた別の機会に。

 長くなってすみません。他には書くほどの友人はいない――こともないけど、研究室の吉崎と大野をさらにひどくしたような奴らですので、人物紹介はたぶんこれで最後だと思います」

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