第6章 不細工の代名詞

「ビールじゃねえぞ、このバカ!」

 突然、頭をはたかれた。抱えていた一升瓶の口にしたたか額を打ち付け、ダブルで痛い。

「一人で何本空けてんだ」

 このバカ、と今度は脳天に手刀が落ちてきた。

「え」

 顔を上げると、健司の前に恵子が一升瓶を並べていた。

「持ってるのと合わせて、5本ね」

「すいません、全然気付かなかった」

「お前なあ」

 頭上から降ってくるのは、孝志の呆れ声だ。

「せめて酔った、って顔しろ。川に流したようなもんじゃねえか。もったいねえ」

「親父、気にするとこ違う」

 健太が目の前にしゃがみこむのが見えた。けん兄、といつもの穏やかな笑顔で呼びかけられる。

「始まってからまだ1時間経ってないよ。いくら何でもピッチ早過ぎ。そんで飲み過ぎ」

 従弟が呆れながらも心配してくれているのが分かった。

「まあまあ。いいじゃないの」

 美春の声がした。

「ねえ、今日のパーティは主役のわたしに権限あるんでしょ」

「何だよ急に」

 兄の言葉にうなずくと、美春は両手を大きく広げた。

「お誕生日会は、これでお開き!」 

 一同、あ然として美春を見た。

「どうして? まだ始まったばかりよ」

 恵子が尋ねた。

「これから、けん兄を励ます会をやります!」

 健司は美春が何を言い出すのかと思ったが、一家はそれほどおかしいとも思ってないようだ。健太が言った。

「お前の誕生日会なんだぞ。いいのか」

「だって、見てらんないよ」

 美春の声が急に小さくなった。健司を見つめて微笑む。

「ほんとは、家に来るのも大変だったんでしょ。ありがと」

「聞いたか、未熟者」

 孝志が健司を睨んだ。

「美春にまで心配かけやがって」

「心配?」 

「バレてねえとでも思ってたのか」

 孝志は普段から人の心を言い当てるようなところがあるが、家族全員が気付いているとは思わなかった。

「俺、変かな」 

「変どころか、別人」

 美春が言った。

「家に入ってきた時から、抜けがらみたいだったよ」

「だよな。燃え尽きて真っ白な灰になったって感じ」

 健太が言うと、一同うなずき、健司を取り囲んで座った。

 考えてみれば、今日は誰一人健司の初恋を話題にしなかった。主役は美春なのだから当然だと思っていたが、孝志にすら冷やかされなかったのは、落胆しきった自分を皆で気遣ってくれていたのだと、今分かった。 

 健司は誕生日会を台無しにしてしまったことを美春に詫びた。

「そのまんま、永遠にふぬけてろ」

 孝志は嬉しそうだ。

「おれ様にとっちゃ好都合だ。二枚目キャラは一人で十分だからな」

 普段なら何か言ってやるところだが、言葉が出てこない。

「ねえ、何があったか、聞いてもいい?」

 美春が優しい声で尋ねてきた。

「彼女のことなんでしょ」

 貴美子とのやりとりが頭をよぎる。全身から力が抜けそうだったが、何とか言った。

「最低、って言われた。しかも……」

「引っぱたかれたあ?」

 全員、同時に言葉を発した。 

「このド変態! 何やった!」

「何にもしてないよ。多分、何か言葉のいき違いだと思う」

 あれから、何度夢であってくれと願ったことか。健司は両手で顔を覆った。

 資料室での一件を健司が話し始めると、すぐに美春が非難めいた視線を向けてきた。

「つり合わない、って意味、ほんとに分かんなかったの?」

 健司はうなずいた。続きを話す。

「説明させた? 彼女の口から?」

 その後も、あり得ない! を連発していた美春だったが、貴美子を褒めたところで、とうとう立ち上がった。

「バッカじゃないの! 怒るの当たり前だよ!」

「ちょっと待て、落ち着けって」 

 健太が必死でなだめたが、美春は足を踏み鳴らして激昂している。さっきの対応が嘘のようだ。

「ほんっと、最低!」

 美春の怒鳴り声が貴美子の涙声とだぶった。意識が遠のくような気分でいたら、

「もうそのくらいでいいでしょ。なぜ彼女が怒ったのか、健司君分かってないのよ」

「それがあり得ないんだってば。お兄ちゃん、けん兄にどういう教育したのよ!」

「オレのせいかよ」

 健太が困ったように言った。

「好みのタイプがすっげー特殊だってことは、さすがに自覚してると思ってたけどな」

 ため息をついて座り直し、健司の方を見る。

「あのね。世間一般の“でめきん”のイメージって、けん兄が思ってるのとは違うんだ」

「え?」

「はっきり言うぜ。けん兄はその人に、とんでもねー不細工だって言ったようなもんなの」

「嘘だろ」

 目の前が真っ暗になった。

「でも彼女、でめこを見て可愛いって言ったぞ」

「金魚なら、それでいいんだけど」

 健太は諭すように言った。

「でめきんそっくりの女性を可愛いって言うのは、けん兄くらいだと思うよ」

「“でめきんそっくり”って、褒め言葉にはならないの」

 恵子が続けた。

「バカにされたと思ったでしょうね」

 ふざけないで! 確かに貴美子はそう言った。

「俺、真剣に言ったんですけど……」

「なおさら、おちょくってるとしか思えないよ!」

 美春が憤然と言った。

 そういえば、貴美子は“まずそうな女はからかって遊ぶのか”と言っていた。

 女ったらしの悪ふざけだと思っていたなら、誘いを断ったり、避けられたりして当然だ。

「あれ、そういう意味だったのか」

 そのうえ、自分にはそのつもりがなかったといえ、生まれて初めて好きになった女性を侮辱し、泣かせてしまった。

「最低だ、俺」

 頭を抱えていたら、

「なんだ、今頃気付いたのか?」

「やめとけって。マジで灰になるから」

 健太が孝志をたしなめた。孝志は無表情のまま、腕を組んで健司を見ている。

「こないだ、お前にはハンデがあるって言ったろ。覚えてるか」

 健司がうなずくと、孝志は何が健司にとって不利だと思うか尋ねてきた。

「人を好きになったことがなかったこと。それも27歳まで。あとは過去の恥ずべき行い」

 健司は思いつくまま言った。

「まだまだ。性格暗い、めんどくさ星人、合理的って連発するわりには、妙なところで凝り性」

 孝志が容赦なく並べる。

「キレたら手がつけられねえしな」

「親父、ストップ」

 これ以上へこませてどうすんの、と健太が割って入ってくれた。

「長身長足、超美形。頭脳明晰、家事万能。他人にはともかく、金魚とオレたちには優しいよ。結果的にはかなりプラスだろ」

「逆」   

 健太のフォローを一言で片付けると、孝志は妻に目を向けた。

「頼む。おれからは口が裂けても言いたくない」

 恵子は夫の言葉に微笑んで、言った。

「健太が今言ったこと、特に見かけの面ね。それが全部、マイナス要素――ハンデになるの」

「何で?」

「相手が彼女、だからよ」

「どういうことですか」

 健司が尋ねると、今度は恵子の代わりに孝志が口を開いた。

「お前ら、おれ様がいつも自分のこと、天才とか世界一とか言ってるの、あつかましいと思ってるだろ」

 健太と二人でうなずいたら、小皿が飛んできた。

「思い込みの力ってすごいんだぞ」

 おれ様の場合は事実だけどな、と得意げなコメントが加わった。

「人によっちゃ病気だって治しちまう。考え方次第で、人間どんな風にでも変われるんだ」

「お父さん流の基本だよね」

美春が言った。

「私、お母さんがキレイで若いまんまなのは、お父さんが毎日褒めまくってるからだと思うもん」

「その通り。日本一いい女を世界一にしたのは、おれの力だ」

「はいはい」

 健太が呆れたように言った。

「でもそれと、けん兄の好きな人と、何の関係があるんだよ」

 孝志はうなずくと、健司に言った。

「でめきんちゃん、いつも下向いてるだろ」

 確かに、健司が知っている貴美子は、大抵うつむいている。

「彼女、内気で誰に対しても一歩引いたようなところがあるって言ってたな」

「ああ」

「ブスの代名詞みたいなあだ名で呼ばれ続けてりゃ、誰だってそんな風になるさ」

 一瞬かっとした。貴美子をそんなつもりで呼んできた人間がいるなら、そいつらを全員殺してやる、と思った。だが、健司も――自分の場合は、愛らしい姿を讃えたかったのだが――面と向かって、でめきんと言ったのだ。 

 あの直後はショックで何も手につかなかったが、貴美子を深く傷つけてしまったと分かった今の方が何倍も辛い。孝志が続けた。

「劣等感で小さくなってるような娘に、お前みたいな男が寄ってったらどうなると思う」

“私に構わないで”

“あなたと私では、つり合わない”

 金魚の話をしようと言った時、食事に誘った時の貴美子の様子を思い出した。

「存在そのものが嫌味だよね」

 美春の言葉に孝志はうなずき、健司に言った。

「まあ、見かけもハンデになるが、最大のハンデは彼女のコンプレックスなんだよ。普通の娘と違って、ガッチガチに固まった心をとかすとこから始めなきゃなんねえんだからな」

 ショック連続の上に、さらに重い荷物を背負わされた気がした。

「どうすれば、いいんだ」

 独り言のつもりだったが、

「整形しろ。それが一番いい」

「もう、オレ突っ込まねえぞ」

 健太はつぶやくように言うと、健司に優しく呼びかけた。

「時間はかかるかもしれないけどさ、バカにしたんじゃないって、彼女もきっと分かってくれるよ」

「お兄ちゃん、甘い。甘過ぎ」

 お父さんのコーヒーより甘ったるいよ! と美春が指差し付きで叫んだ。

「わたしなら、二度と口きかない」

 きっぱり言われて、健太はバツが悪そうな表情を浮かべた。

「お前、けん兄のこと励ますんじゃなかったのかよ」

「そうだけどさ。変な慰め方してもしょうがないじゃん」

「その通り。状況は最悪だ」

 孝志がうなずいた。

「ま、これ以上は、沈みようがねえとも言える。後は勝手に浮かんでこい」

 孝志らしい言葉だ。確かにこれ以上は悪くなりようがない気もする。ほんの少しだが、気が楽になった。

「あ、ちょっと、元気になったね」

 美春が笑顔を近づけてきた。

「美春?」

 改めて見ると、美春の雰囲気がいつもとどこか違う。

「なあに?」

「そうか、髪型が違うのか」

 健司が言うと、美春は口を尖らせた。

「今、気づいたの?」

「ああ」

「もう。けん兄はそういうとこ、もっと修行しないと」

 美春が頬の辺りの髪をつまんだ。

「せっかくQさんにカットしてもらったのに」

 Qというのは今世間で大人気の美容師らしい。美春の誕生日祝いにと、恵子が数か月前から予約しておいたのだという。

「よく似合ってる」

「遅いよ」

 美春は健司を睨んだが、すぐに笑って言った。

「それにけん兄に褒められても嬉しくない。なんか金魚になったみたいで」

 そう言うと、くるりと向きを変えて健司に背中を向けた。パーカーの背に天使がペイントしてある。

「かっこいいでしょ。お父さんが描いてくれたの」

 それからまた向き直ると、ポケットからサングラスを取り出してかけた。

「これはお兄ちゃんから」

 小さめのフレームが小顔によく似合う。健司も愛用しているブランドのものだ。

「お前は?」

 孝志が尋ねてきた。

「え?」

「美春のプレゼントだよ」

「ああ」

 持ってきた、と言いかけたが、自分が何を贈るつもりだったのか、思い出せなかった。かなり前から用意しておいたはずなのだが。

「ショックで忘れちまったってか」

 孝志が言った。

「そういや、お前、今日手ぶらで入ってきたよな」

「いいよ。けん兄、今それどころじゃないんだから」

 美春が微笑んだ。

「美春、ほんとにごめんな」

 手を合わせて従妹に詫びると、

「じゃあさ、今リクエストしてもいい?」

 明るい声が返ってきた。

「ああ。もちろん」

 すると美春は親指をガレージの方向に向けた。

「けん兄のハーレー、また二人乗りにして」

 以前から美春には、後ろに乗せてくれとせがまれていた。

「分かった。シート替えるよ」

「マジで?」

 健太が驚いたように言った。

「今ついてるやつ、すげーいいのに」

 完璧カスタムがぶちこわしだよ、と自分の単車でもないのに嘆いている。

「そんなに大変なことなの?」

 健太の様子を見て、美春が心配そうに言った。

「前に、小さいのつけて、乗せてくれたよね」

「ピリオンシート? ないない」

 健太なりのこだわりらしい。

「けん兄のカスタム崩すなって。オレの理想形なんだから」

「何よ、お兄ちゃんが乗せてくれないから、けん兄に頼んでるのに」

「当たり前だろ、妹乗せて走れるかよ」

 優しい健太が珍しくごねている。健司はおかしく思いながらも、美春に言ってやった。

「もっと楽なシートをつけるよ。ピリオンシートって、座ってるの結構辛いらしいから」

「やったあ、ありがと」

 前に買ってやったヘルメットをまだ持っているかと聞くと、従妹は嬉しそうにうなずいた。それから、思い出したように言った。

「バイク、二人乗りにしとくと、いいことあるよ、きっと」

 美春の言葉に、健太が反応した。

「そっか。もしうまくいったら、後ろに彼女が乗ることも――」

 彼女が乗る? 

 貴美子を後ろに乗せて走っている自分の姿が頭に浮かんだ。この恋が実れば、散歩だけじゃなく、でめきんとタンデムができるのだ。

「おお」

 思わず拳に力が入る。

「ったく、金魚狂の考えることは」

「オレも、けん兄の妄想はちょっとやばいと思う」

 皆笑っている。だが、

 最低――!

 貴美子の反応が再びよみがえる。あの様子では、タンデムどころか、言葉を交わすことすら叶わないだろう。

「あ、またしぼんじゃった」

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