第五話




「なるほど、それは随分と災難だったみたいね」



氷魔法により良く冷えたエールを呷り、一息ついたところで事情を聞いたアメルダが笑いながら話し始める。


ここはギルドに併設された酒場であり、現在は最も盛況であろう夜の時間帯。暗くなって依頼が遂行できなくなった者や、逆に一仕事終えてきた者達で溢れかえっており、彼女らの周りは明るい喧騒で包まれていた。


勿論アメルダ達は後者であり、依頼を達成した報奨金で現在夕飯兼打ち上げを開いている所だ。その中には当然というべきかナナシの姿もあり、先程殴打された頰は未だ腫れているものの、食欲は失われておらず有り難く彼女達の相伴に預かったという訳である。


あっけらかんとしたアメルダの様子に、事情を説明していたグリムロは思わずカップを机へと叩きつけてしまう。机の上の料理とカップの中の酒が僅かに飛び上がった。因みに机に突っ伏して寝ていたベルも振動で飛び上がったが、それで覚醒する事は無かった。



「事はそんなに単純じゃ無いんだよ! フェルトの胸が揉まれるなんて、これまで同性相手以外に一度もなかったじゃないか!」


「まあ、確かにそうだけれども今回は状況が悪かったのよ。話のまま勝負が進んでいれば、まず間違いなくナナシが勝っていたでしょうに」


「う、それにはボクも同意するけど……」


「うう、二人とも酷いですわ。仲間である私の勝利を信用してくれないなんて……」



ヨヨヨと泣き崩れるフェルト。勿論演技である。そもそも彼女自身、あの状況から自身が勝てたなどとは毛頭思っていない。ベルの術式が効力を発揮していた為運良く難を逃れたが、あの一手が到達していれば今頃怪我をしていたのは彼女の方であった。


そも、卑怯な手を使われていたのならば胸を触られた時点で蹴り飛ばしている。それをしなかったというのは、彼女がナナシに負けを認めたという一つの証拠だ。



「これは初めてを捧げてしまった殿方に責任を取っていただかなくては……不束者ですが、どうぞ宜しくお願いします」


「何故そうなる」



……いや、ただ単純にナナシをからかいたいだけなのかもしれない。


シスターである彼女にとって、男の存在というのはある種特別な意味を持つ。それも当然、シスターというのは神に身を捧げる者だからだ。その為、基本的に生活する上で男性と関わりを持つ事はない。


俗世でアメルダのパーティーメンバーとして活動する際も、最低限の会話こそすれ、話に花を咲かせるということは無い。彼女の高い実力も相まって、その傾向はより顕著な物となっていた。


そんな所に現れた、高い能力を持つ不思議な少年。言葉少なだが反応は良く、見目も悪くない。そんな存在に興味を示すようになるのも時間の問題だったのだろう。



「ま、この通りフェルトも怒ってないみたいだし、ここは水に流したらどう? 一応彼も謝ったんでしょう?」


「う……それはそうだけどさ」


「それに、壊してしまった貴女のバスターソード代も働いて返してくれるって言ってるのよ? 結局盗賊の仲間では無かったんだし、私達の勘違いを含めてそのくらいでトントンの条件だと思うけれど」



盗賊達にナナシの顔を見せた所、皆一様に首を傾げていた為、盗賊らと共謀していたという彼の疑いは見事に晴れた。まあ、彼自身にも協力したような記憶はないのだから当たり前だが。


戦闘の結果折れ曲がり、吹き飛ばされたグリムロの大剣は、ナナシが弁償をすると彼自ら言い出した。やはり色々と勝手に扱った件については、彼も思うところがあるのだろう。



「むむむむむむ……まあ、ボクも言うほど怒ってるわけじゃないけどさ」


「ふぅん? じゃあ何であんなに不機嫌だったのよ。あ、もしかして……ナナシの事が好きとか?」



アメルダはいかにも面白そうにニヤリと笑う。まあつまるところ、彼女はグリムロの不可解な言動を嫉妬から来る物だと予測した訳だ。


ただ、残念ながら相手はあのグリムロである。



「ほへ? そりゃあナナシの事は気に入ってるけど、それがどうしたっていうのさ」


「……いや、いいわ。何でもない」



相変わらずのキョトンとしたアホ面で真面目に返されてしまっては、それ以上何を弄る事も出来ない。様子を一部始終伺っていたナナシもこれには肩を竦めた。


意味がわからずしきりに首を傾げているグリムロを放っておき、アメルダは話題を変えた。



「それで、ナナシはお金返すなんて言ってたけどアテはあるの? こうして私達に奢られている時点で、身銭の方は潤沢とは言えなさそうだけど」


「……まあ、正直な所厳しいというのが現状だ。ギルドここで依頼を受けようにも、俺には身元を証明する物がない」


「あー、そういえばステータスプレート無いのよね? 確かにそれは災難よねぇ」



神託の儀において、神から授かることの出来るステータスプレート。これがあれば万国共通の身元証明書になるのだが、そもそも自分の記憶すら持っていないナナシがそんな物を持っている筈も無い。正真正銘、文字通りの素寒貧である。


アメルダ達も所属しているギルドに入る事が出来れば、軍が処理しきれない町の雑事をこなす事でそれなりの金を貰うことも可能だが、身元が保証出来ない者を入れるほどギルドも甘い管理をしていない。少なくとも彼一人では門前払いでお終いだろう。


ならば残された道は力を使った土木仕事くらいか。彼としてもあまり気は進まないが、背に腹は変えられない。



「それならなんとかしてみようか? 私達の紹介っていう体なら、身元も何とか出来るはずだと思う」


「本当か?」


「ええ。勿論タダって訳には行かないけど」



アメルダの意味深な言葉に、ナナシの表情は知らず知らずのうちに曇る。大抵彼女達の甘言には、手痛い裏が存在しているという事は彼も予想出来ていた。


最も、グリムロは別だが。彼女はそこまで巡らせる知恵が無い。



「そんな警戒しなくて大丈夫。ただ、ギルドに入れたなら暫くは私達と行動を共にして欲しいだけなのよ」


「嫌な予感がする。断ってもいいか」


「だから大丈夫だって! 貴方の戦闘能力を見込んで、ちょーっとだけお手伝いしてほしい事があるだけなのよ。今日みたいな盗賊の殲滅とか、魔獣の討伐とか……」



確かに、話を聞く限りではそこまで変な内容では無い。初心者としては少々厳しい依頼かも知れないが、ナナシの実力を持ってすれば容易い事だ。


だが、彼女の言葉を聞く事で、ますますアメルダの真意がわからなくなっていく。一体何をさせるつもりなのだろうか?



「それに私達が身元を引き受ける訳だから、しばらくは私達と一緒にいないとギルドの方も納得しないと思うのよ。それなら仕事の方を手伝って貰って、貴方の評価も同時に上げる……っていうのが一番お互いにとってお得だと思うんだけど、どう?」


「……まあ、それならば是非も無い。宜しく頼む」


「オーケー、契約成立ね!」



そう言ってアメルダから手が差し伸べられる。握手を求める印だ。しかし、ナナシは何をするでもなくその手をジッと凝視していた。



「……? どうしたの?」


「……いや、この手は何だ?」


「何って、握手よ。握手しようって印。ほら」


「握、手」



確かめるように握手という二文字を口の中で転がすと、ナナシはおずおずと手を差し伸べる。これまでの態度からは想像も付かない、弱々しい勢いで。


痺れを切らしたアメルダは、差し伸べる中途にあった彼の手を無理やり引っ掴む。ナナシはやや驚愕したように目を見開くが、それでも抵抗はしない。


パシ、と小気味良い音を立てて両者の手が交わった。

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