第四話
――とある地方都市、ハメル。王国の首都から程近い、適度に栄えた長閑な街。その街中に、アメルダらの馬車は到着していた。
「んー、ようやく着いたね! ずっと座ってたから体がガチガチだよー」
凝り固まった体を思い切り伸ばし、グリムロは開放感溢れる表情を浮かべる。服の端からチラリと健康的な腹回りが覗いているが、それに興味を示すような人物はここに居なかった。
馬車から降ろされる数々の盗賊達。情報を受け取って事前に準備していた街の警備隊が彼等を次々と連行していくが、何故かナナシはそこに含まれていない。グリムロと共に降ろされたまま、何故か未だに彼女の隣で佇んでいる。
自分はいいのか、という意思を込めてアメルダを見やると、それに気付いた彼女はナナシに向けて肩を竦めて見せた。
「まあ貴方は一応の参考人だし、そこまで証拠として重要視している訳では無いわ。それに、本格的に貴方が暴れたら私達以外に止められると思わないもの」
確かに、ナナシの実力と気絶間際に発現した力が合わされば、この街の警備隊程度で対応出来るはずも無い。猛獣として扱われているようでナナシとしては不本意だが、仕方の無い措置だろう。
そんな彼の胸中を知ってか知らずか、バシバシと何故か彼の背中を叩くグリムロ。正直鬱陶しい。
「アメルダさん、引き渡し完了しました……あら? そちらの方は宜しいのですか?」
「ええ。ま、記憶喪失らしいし彼からは大した情報を引き出せないでしょう。一先ずは行動を共にしてもらう事にしたわ」
と、声を掛けてきたのは引き渡し作業を終えたフェルトだ。隣にはベルの姿もある。最も、相変わらずの眠たげな様ではあったが。
アメルダの言葉を聞き、フェルトはやや考え込む。見知らぬ男への警戒だろうか? 仕方のない事かも知れないが、それをやられている側からしてみれば溜まったものではない。思わずナナシは口を開いた。
「……気に入らないなら断ってもいいんだぜ。こっちとしても、お前らといつまでも一緒に居たい訳じゃないからな」
「あら、少し誤解させてしまったようですわね。別に私、貴方が気に入らない訳では御座いませんよ?」
「何?」
「これでも聖職者の端くれですもの。『汝、汝の隣人を愛せ』ーー信ずる神の御言葉ですわ」
人好きのいい笑みを浮かべるフェルト。だが、ナナシはその笑顔にどうにも嫌な感情を持たずにはいられなかった。
「私が気になっているのはーー貴方が本当にアメルダさんとグリムロさんを圧倒したのか、という点です」
「……」
「フェルト、それは紛れも無い事実よ。他でも無い私達が言っているんだから間違い無いでしょう?」
「そーだそーだ!」
「ええ、アメルダ達を疑っている訳では有りません。ただ私、自分の目で確かめなければ信じられない体質でして」
嫌な予感がする。肌がチリつくような、ピリピリとした何かを感じる。これは殺気か、何かの気配か。
「ですからーー少し
次の瞬間、空気の流れが一瞬にして変わったのをナナシは感じ取った。咄嗟に身を躱すと、その鼻先をキラリと反射する何かが通り過ぎて行く。
鋼糸。フェルトの得意武器であり、殺傷能力の高い暗器の一つだ。その奇襲同然の初撃を回避出来たのは、彼にとって非常に幸運な事であった。
「……何のつもりだ」
「ふふふ、深い意味はありません。ただ先程の言葉の通りで御座います」
「幾ら何でも茶番が過ぎるだろう。おい、話にならないからコイツを止めてくれ」
「あー……フェルトがこの表情してたらもう暫くは止まらないんだよね。ゴメン! ちょっと相手してあげて?」
「私は手続きを済ませてくるから、その間に終わらせてねー」
「なっ……」
せめてと期待したアメルダ達には、よくわからない理由でにべもなく裏切られてしまった。せめて仲間の管理くらいキチンとしろ、と心の中でナナシが毒付いてしまったのも仕方のない事である。
ちなみにベルは論外。既に馬の背中でスヤスヤと眠りについている。よくもまあそんな場所で寝れる物だ。心無しか馬も困惑している。
「そういう訳ですので、少々お付き合い下さいな」
「チーー!!」
愚痴を言っても彼女の攻撃は止まらない。流石にこの様な街中で人を殺す事はしないだろうが、かといって手加減をしてくれる事も無いだろう。
あちこちから仕掛けられる鋼の糸を、ほぼ感覚だけで避けていくナナシ。だが、両腕が拘束されている上、攻撃が全く見えないとなれば完璧に避け切れるわけが無い。
所々掠めていく銀閃が、彼の肌に傷を付けていく。せめて、この両腕の拘束さえ取れればーー
(なら、奴の攻撃を利用する!)
思い切り体を捻り、民家の壁へ向かって跳ぶナナシ。当然糸は彼を追い掛け回すが、それこそが彼の狙いだ。
壁を利用し、今度は反対側の壁へと急転換。制限されているとは思えない機敏な動きに、鋼糸の操作も僅かに遅れる。
そして瞬間、フェルトへと一気に飛びかかるナナシ。腕は使えなくとも、足があれば彼女を昏倒させるには十分だ。
だがーーその程度フェルトも織り込み済みだ。
「甘いですわ」
クイ、と指先を僅かに動かす。その一動作だけで、あちこちに張り巡らされた糸が凶器となってナナシに襲いくる。
地面を激しく削りながら、音を立てて迫り来る鋼糸。だが驚くべきことにーーナナシはそれに対して避けるでもなく、反対に
一歩間違えれば体が細切れになってもおかしくない行為。だが、彼は違える事なくその腕輪の部分だけをその鋼糸に思い切り押し付ける。
まるでバターのように容易く断ち切られる腕輪。一歩間違えていれば体のどこかがこの様に断ち切られていたかと想像し、ナナシは心の中で冷や汗を掻く。
だが、不幸中の幸いと言うべきか抵抗の意思を示した訳ではない為『隷属』の効果は発動しない。両手が自由となった今、ようやく満足に動き回ることが出来る。
「やりますわね、ですが!」
彼の絶技を見たフェルトは思わず称賛の声を上げるも、なおその手を緩めない。二本、三本、四本。いや、遥かに十本以上の鋼糸を同時に操り、続々ナナシへと襲い掛からせる。
だが、完全に自由となったナナシがその攻撃を避けられない道理もない。石畳を踏み抜く程の勢いで空間を自在に飛び回り、その悉くを回避。事態を静観していたグリムロの元まで一足跳びに接近する。
「これ、借りるぞ」
「あ、ちょっと!?」
すっかり油断しきっていたグリムロからするりと抜き取ったのは、背中に掛けていたバスターソード。地面と接触させた切っ先から火花を散らしつつ、一気にフェルトの元へと掛けていく。
そうはさせじと周囲の鋼糸を前面に集まるフェルト。接近を許さない為に次々と不可視の斬撃が空を割る。
だが、慣性に任せ振るわれた大剣の一撃がその全てを打ち払う。流石にグリムロほど自在に操る事は出来ないが、鋼糸の一撃に対する盾となり、接近する時間が稼げるのならそれで十分だ。
「ーー届いた」
「くっ!?」
トドメとばかりに、手に持った大剣を全力で投げつけるナナシ。この一撃を喰らうわけにはいかないとフェルトは残った鋼糸を防御に回す。
鋼の糸と鋼の剣。両者の間で激しい火花が散り、互いの身を削り合う。フェルトは直に伝わる衝撃を食いしばって耐えながら、糸の盾を右に傾ける。
辛うじて受け流された大剣が、彼女の後方へと流れていく。盾を解除し、目の前に迫り来るナナシを撃退するーー
「っ、居ない!?」
が、既に彼の姿は忽然と消えていた。慌てて左右からの攻撃を警戒して鋼糸を張り巡らせるが、それにナナシが引っ掛かる事はない。
「しまった、上!?」
「遅い」
既に彼は上方。それに気付かなかったフェルトが対応するには、あまりに近すぎる距離。一気に接近したナナシは、その手を鉤爪の如く振りかざす。
だが、ナナシは一つ失念していた。自身の体には『隷属』の術式が効力を及ぼしていると言うことを。
「っ!!」
体に激痛が走り、一気に全身の力が抜ける。まるで糸の切れた人形の如く、ナナシの膝が落ちた。
しかし、跳んだ事による落下エネルギーまでは消失しない。彼の体はそのままフェルトへ向かって一直線。
そしてーー
「……あっ」
「…あら、あらあらあら♪」
「な、ななななん……」
彼の手は鉤爪状態のまま、フェルトの胸を鷲掴みに。彼の顔は、フェルトの胸の谷間に。これでもかと密着した二人を中心に、世界は固まった。
そう、所謂ラッキースケベという奴である。ナナシも、フェルトも、そしてグリムロすらも、急な出来事でろくに反応が出来ていない。
目の前が真っ暗になっていたナナシは、思わず手を二、三度動かして辺りを探ろうとする。ふにん、という擬音が最も相応しいような感触が、彼の掌を通して脳髄まで響き渡った。
「ん、あんっ」
耳に届いた艶かしい喘ぎ声に、漸く自身が何を掴んでいるのか把握したナナシ。だが、理解した所で残念ながら時既に遅し。
「ーーは、早く離れろー!!!!」
グリムロによる助走をつけた全力の一撃。力も抜け、抵抗すら出来なくなっていたナナシは、自分に飛び掛かってくるその拳を呆然と眺める。
ーー戦闘中にこれは無いだろ
民家の壁に叩きつけられ消え入る意識の隅で、ナナシはそんな恨み言を呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます