第三話




『よお無能、今日も元気そうだなぁ――』



 これはいつ頃の記憶だっただろうか。にやにやと下卑た笑みを浮かべた少年たちが自分のことを取り囲み、嘲弄の言葉を投げかけてくる。


 いったい何が楽しかったのか、成長した今となってもとんと検討はつかないが、おそらく彼らにとっては何かを見下すという行為自体が最大の娯楽だったのかもしれない。



『ああ、ビビッて声も出せねぇか? まあお前何にもできねぇもんな! こっから俺たちがお前をボコボコにしようと何の抵抗もできねぇからな!』



 ああ、確かにそうだった。自分は『無能』、そして精霊に祝福を受けられなかった忌み子。彼らに対抗する手段もなければ、抵抗の意思を示すことさえ許されない。


 今も街の真ん中でこういった行為が行われているというのに、周りを通る人々は皆関わろうともしてこない。こいつらに目を付けられるのが厄介という心情もあるだろうが、やはり一番は自分への悪感情が原因だろう。


 ……ああ、あそこでチラリとこちらを見ていたのはかつての幼馴染か。まあ、自分を助けるつもりなど毛頭ないようで、そのままどこかへ行ってしまったが。



『嫌われたなぁ■■■? 昔はあいつとも遊んでたんだろ? 薄情だよなぁ』



 気付いていたのか、ニタニタと厭らしい笑みを向けてくる男。不思議なことに、自分の名前であろう部分だけはノイズがかかったかのように聞き取れない。


 あれ、そういえば――俺の名前、なんだっけ。



『まあそう心配すんなよ。あいつもじきに俺たちが遊んどいてやっから――』



 ちょっと、うるさいなこいつら。お蔭で名前が思い出せないじゃないか。


 そう考えた瞬間、体が勝手に動く。まるで蠅でも追い払うように、自分の腕は少年の頭を薙いでいた。


 パン、と奇妙な破裂音とともに、少年の頭がはじけ飛ぶ。あたりに飛び散った赤黒い液体。そして少しだけ残った真っ白な何かの残骸。


 唖然とした表情で俺を見つめる他の少年たち。そんな彼らの視線もどこか鬱陶しくなって、俺は再び腕を振る。


パン、パン、パン。連続で響く乾いた、しかしどこか濡れそぼったような破裂音。手を振るえば振るうほど、だんだん世界が赤く、紅く、朱くなる。


やがて振るう相手がいなくなる。どこか見知ったような、しかし知らない街並みが、すっかり真っ赤に染まっている。


 ああ、そうか。俺は――









 真っ暗闇からゆっくりと浮上する意識。男はぱちくりと目を見開くと、半身だけ起き上がる。


 どうやらしっかりとした手錠で拘束されているようで、後ろ手に回った手はピクリとも動かない。無為に抵抗するのも下策と考え、男はゆっくりと周囲を見渡した。



「ここは……」


「ん、ああ! 目が覚めたんだね! いやー、急に倒れちゃうからいったい何事かと思ったよ」



 辺りを窺っていた男の背後から声をかけたのは、先ほどまで激戦を繰り広げていたグリムロだ。敵対していたというのに、ここまで明るい笑顔を浮かべられるというのは一種の才能だろう。もしくは底抜けの馬鹿か。



「ここは馬車の中だよ。ボク達と戦って意識不明に陥った君を今運んでた所。なんでも盗賊たちの……ジュウヨウサンコウニン? として連れて行くんだってさ。相変わらずアメルダは難しい言葉ばっか使うんだから困っちゃうよねー」



 この場にアメルダがいればなにがしかのアクションがあっただろうが、残念ながらこの場には男とグリムロの二人のみ。彼女の言葉に反応を返せる者はいなかった。


 ただ、この言葉で彼女が概ね馬鹿というジャンルに分類されるであろうことは、初対面の男でも十分に分かることであった。



「……盗賊? 俺は盗賊なんかと関わった事は無いぞ。連れて行っても無駄だ」


「うーん、ボクも何となくそう思うんだけど『念の為』って。ボク、アメルダには逆らえないんだ。ゴメンね!」



 あっけらかんと笑いながらそう言ってのけるグリムロ。このまま大人しく連れていかれれば、やってもいない罪を掛けられてしまう。男は何とかこの場を脱出できないかと腕の拘束を破るため力を込めてみた。


 だが、その瞬間に全身を電流でも流されたかのような衝撃が襲う。思わぬ痛みに声を上げ、その場に蹲る男。



「あー、そういえばベルが抵抗されないよう『隷属』の呪文を掛けたって言ってたなぁ……大丈夫?」



 そんな大事なことは先に言え、と男は心の中で呟くが残念ながらその文句は自らの呻きで掻き消されてしまう。そんな彼の背中を気遣うように擦ってくるグリムロ。『隷属』の効果が発動したということは抵抗しようとした証だろうに、それを知ってか知らずか彼女は態度を変える事は無い。


 いったい何を考えているんだ、とグリムロを見るも、彼女はこちらをキョトンとした顔で見つめてくるばかり。おそらく何も考えていないのだろう、と彼は心の中で結論付けた。



「あら、お目覚めみたいね」



 そんな時、また別の女性の声が馬車に響く。男とグリムロが声の方向を振り向くと、そこにはアメルダが立っていた。


 彼女が男を拘束した張本人であり、連れて行くよう指示した人物。男が自然と警戒してしまうのも不思議なことではないだろう。



「あ、アメルダ。盗賊の方はいいの?」


「あのくらいの監視ならば二人で十分でしょう。それよりも、この男の方が警戒すべき人物だと思うけど」


「俺は別に盗賊の仲間じゃない。さっさとこの拘束を解いてほしいものだが」


「じゃあ聞くけれど、あなたあんな場所で何していたの? どう見ても森に用事がある、といった服装には見えないのだけど」


「それは……」



 アメルダの言葉に言いよどむ男。確かに彼の服装は動きやすそうなズボンに薄手のシャツ一枚、リュックといった荷物は一切無しと若干不自然ともいえる格好をしている。彼自身盗賊の仲間ではない物の、それを裏付けるだけの証拠がないのも確かだ。


 言いよどんだ男の様に一つ鼻を鳴らすと、アメルダはそのまま聴取を開始した。



「そういえば、貴方の名前も聞いていなかったわね。疑いを払拭したいというのなら、せめてそのくらいは協力してほしいものだけれど」


「……ナナシ」


「……それ、ふざけてるの?」


「ふざけてるわけじゃない。ただ……思い出せないんだ」


「思いだせない? それは記憶喪失、という認識でいいのかしら」



 疲れたように首を振り、自身の内情を吐露する男。


 彼には、おおよそ記憶と呼べるようなものが存在しない。過去に住んでいた土地、人名、そして自分の事。その何もかもが欠落しており、唯一満足に覚えているのは言語くらいのものである。


彼の記憶はこの森林でグリムロに襲われたタイミング、その瞬間から始まっている。その為どうしてここに居たのか、ここで何をして居たのかという問いには一切答えることができないのだ。



「『隷属』の術式にも反応は無し、どうやら嘘では無いようね。ただ、そうなると貴方が盗賊では無いという証拠も無いわけだけれど」


「……まあ、確かにそうだな」


「えー、この人盗賊じゃないと思うんだけどなぁ」


「貴女は少し黙ってなさい。というか、盗賊じゃないと思うなら何で積極的に襲いに行ったのよ」



うっ、と言葉を詰まらせるグリムロ。まさか強敵の気配を感じた相手と戦いたかっただけなどとは口が裂けても言えない。



「それに、盗賊達から無実の証言を聞いたら直ぐに解放してあげるわ。関わりがあるのであれば奴等も直ぐに自供するでしょうし、まあそれまでは我慢してなさい」



そう言い残し、アメルダは馬車の幌から外に出る。そんな彼女の背中を無言で見送り、男はため息をついた。



「……まあ、馬車が街に着くまであと少し。それまでの辛抱だよ。ほら、その間ボクが膝枕をしてあげよう」


「いや、いい」


「まあまあ、そんなこと言わずに」



男はグリムロの申し出を断るが、予想外に強い力に押され抵抗虚しくその頭部を彼女の太腿へと置いてしまう。ふにん、と案外柔らかい感触が彼の後頭部を包み込む。


そう言えば、彼女の力は人一人吹き飛ばせる程強いのだった。先程の戦いを思い出した彼は、グリムロの強引さに再度溜息をついた。

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