第二十三話 サクラ・・・散る④

 一斉に大口を開けて迫る死霊達。


『ふんッ! ふんふん!!、ふんッ!!!』


 幻宗さんの振るった刀は渡瀬さんの体をも通過していた。


『渡瀬殿の体におって良かったわ!』


 ボッ! ボッ!! ボッ!!!


 瞬時にいくつもの死霊が音を上げて爆ぜていく。

 幻宗さんは更に動きを止めることなく刀を振るう。

 もう、目で追えないほどの速さだった。

 刃の光の残像だけが何百もの刀の軌跡を描いていく。


『疾く雨守のもとへ走るのじゃッ!!

 儂が道を切り開く!!』


 すでに幻宗さんは声だけになっている。


「ありがとうございます!」


『礼は無用ッ!

 雨守を生かすも殺すも、お前にかかっておる!!』


 私に? そんなことない、きっと渡瀬さんによ。

 渡瀬さんが辱めを受けてるのを見て、先生キレてまたあの【闇】を呼んだんだもの。早く渡瀬さんを先生のもとに届けなきゃ。そうすれば先生だってきっと正気になってくれるはず!

 もつれた足取りは決して速くはならないけど。でも、前に進むのッ!


 切り捨てされた死霊の上げる黒い霞の中をくぐり抜けて進む。でも後からあとから湧いて出て来るよッ!


 先生の背後にあった【闇】の渦は、今は球体のようになって頭上に移っていた。その大きさはきっと直径十メートルは超えている!

 その中心に向かって既に何体もの死霊が足掻きながら吸い込まれ始めてる。


 そして先生の体までが、もう地面から数十センチ浮き上がっていた。ずっと唸り声をあげながら、その目は大きく白目を剥いている。


「先生ッ!

 聞こえてますか?

 怒りに任せちゃだめですッ!」


 渡瀬さんの手をぐっと先生に向けて伸ばす。もう少しで先生の腕を掴める!


「先生ッ! 渡瀬さんを!!」


 ぶんッといきなり先生が腕を伸ばしてくれた!

 なんとかその手を掴む。

 やった!

 でもッ?!

 いきなり足がつったように動かなくなった。

 振り向くと這いまわっていた一体の死霊が右足首を掴んでいる!


「なによッ! こいつっ!!」


 思い切り左足を振り回したら、死霊の頭にぶち当たった。生きてる先生だって死霊には空振りしてただけだけど、今のは違う。

 これって私が確かに『蹴った』んだわ!


 死霊は頭をぶるんと振って一度ひるんだように手を離したけど、私に飛びかかり今度は渡瀬さんの髪を鷲掴みにしてきた。頭の皮が剥がされるんじゃないかってほど痛む。

 よくも女の髪を掴んだわねっ?!


「汚い手で! ふざけんじゃないわよッ!!」


 のけぞりながら勢い良く渡瀬さんの体から飛び出した。渡瀬さんの頭に喰らいつこうとしていた死霊の顔に、願ったとおりに頭突きが決まった!


 衝撃で波打った顔面を押さえ、悶えながらその死霊は頭上の【闇】の渦に吸い込まれていく。

 やった……って……あ、私もだった!!

 天地が逆さになって足から吸い込まれていく。私の周りはすでに真っ暗な【闇】が渦巻いていた。


「縁ッ!! 手を伸ばせッ!!」


 今のは確かに先生の声だった。さっきまで獣の唸り声のようだったのに。

 目の前の先生は左の腕で渡瀬さんを抱きとめて、右の腕を私に向けて伸ばしている。いつもの目で、しっかりと私を見つめている。


『先生ッ!!』


「俺に捕まれッ!!」


 先生の体は、地面からもう何メートルも浮き……違う!

 先生は渡瀬さんを抱いたまま自分から闇に飛び込んだんだ。

 そんなことしたら!

 でも、先生はぐんと私に迫ってくる。


 私も思い切り手を伸ばした。

 左手の指と先生の右手の指が、確かに絡み合った。

 私、先生と手をつなげたんだ!


 嬉しくて泣きそうになっちゃったその時、【闇】に吸い込まれまいと抗う死霊のうちの一体が私の腰にしがみついてきた。更にその死霊の足を別の死霊がッ!

 次から次へとその数はどんどん増えて渦の中心に伸びていく。激しく体が振り回される。このままじゃ、先生と渡瀬さんまで巻き込んじゃう。


 もう、いいかな……。

 先生をお願い、渡瀬さん……。

 私がこの指を解けば……。


「縁ッ! 諦めるなッ!! 目を開けッ!!!」


 先生の叫びにビクッとなった。


『はいッ!』


 またぎゅっと先生の手を握る。私の手は先生の手の中に溶け込んでいき、二人の手はほとんど一つに重なって見えた。先生は渦巻く【闇】の嵐のような勢いに逆らって地表に戻ろうとしてる。でもしがみついてきた死霊はさらに増えていく。


『醜きモノどもめッ! 滅せよッ!!』


 叫びながら幻宗さんが渦の中に飛び込んできた。閃光が走り、私に抱き着いていた死霊の頭はボッと一瞬煙をあげて流れていった。急に体が軽くなる。でも幻宗さんが渦の中心へッ!


『幻宗さんッ!!』


 その直後、私と渡瀬さんを抱いた先生は地面に立った。


『先生!! 幻宗さんがッ!!』


「縁。俺にしがみついてろ。」


 先生はそう言うと、もう地面に迫る勢いで回転を増す【闇】の球体に右手を突っ込んだ。肘から先が見えない。


 次に先生が腕を引き抜いたとき、その手を幻宗さんがしっかり握っていた。幻宗さんの全身が現れた直後、【闇】の球体は一気に小さくなり、ふっとその姿を消した。

 何事もなかったかのように。


***********************************


『儂まで引き戻すとは。

 かたじけない。だが死中に活を見い出したか……悟ったな。雨守。』


「はい。ようやくわかりました。」


 幻宗さんは刀を鞘に収めると、苦笑しながら【闇】が消えた中空を見つめた。


『儂の戦であったのにのう。

 この山に巣くっておった死霊どもは、全て消え去ったわ。』


 先生は、ジャケットを脱ぐと渡瀬さんの肩にかけた。渡瀬さんはまだふらふらよろめく体を先生に預けながら、ジャケットのボタンを一つしめ、ズボンを直した。

 先生は渡瀬さんの前にしゃがむと、渡瀬さんを背中におんぶした。安心したように渡瀬さんは体を先生に預け、目を閉じた。

 山を下る道すがら、私は幻宗さんを見上げた。


『幻宗さんのおかげです。本当にありがとうございましたッ。』


『いや。むしろ儂が詫びねばなるまい。娘よ。すまなかったな。』


『はい?』


『お前の動きを死霊は読めぬと踏んで連れてきたのだが。』


『え?』


『それであ奴らに隙が出来ればと、機を伺うつもりであった。

 しかし、あまりに突飛な真似をしおって。

 肝が潰れたわい。』


『えええっ?

 じゃあ私、余計なことしちゃってたんですか?』


 慌てて二人を交互に見る私に、先生は噛み締めるように言う。


「いや。あそこで縁が渡瀬さんに憑依しなかったら、どうなってたかな。」


 すると眉を上げて幻宗さんはとぼけた。


『無論、お前の身は雨守が守るであろうと儂は思うておったがのう。

 儂は先に参るぞ。』


 ふわっと幻宗さんは校舎へと飛んでいった。

 そういえば「先生を生かすも殺すも、お前にかかってる」なんて言われたけど……。先生は渡瀬さんが好きなんだもん、それは私じゃなくて……。


『先生、あの【闇】を呼んだのは、

 襲われた渡瀬さんを見て、死霊達に怒ったからですよね?』


「それもある。それもね。」


 ずっと足元を確かめながら歩いてた先生は、呟くように答えた。


『「も」って?』


 私の質問に、少しの間先生は黙っていたけど、顔を上げると優しい目を向けてくれた。


「あいつと同じ目に遭おうとした縁までさ。

 絶対に失いたくなかったんだ。」


 え? 《あの人》を想ってたわけでは、なかったの?

 私のこと、心配してくれてたの?


「それに幻宗さんに言われた『死を恐れず生き抜く意志』ってやつの、

 俺なりの答えだったんだ。

 まだ自分の都合のいいようには【闇】なんて操れないけどね。」


 そして先生は少し、改まった口調になった。


「縁。

 気がすむまででいいんだけどさ。

 出来ればずっと、俺の隣にいてくれ。」


『……はいッ!』


 ずっと縁って呼んでくれてますね。それもとても嬉しいです!


「あ~ぁもゥ、やってらんないわねぇ、人がふーふー言ってる時に。」


 突然、雨守先生の背中で小さく呆れたように笑う声が。

 うええッ! 渡瀬さん、熱で眠ってたんじゃ?


『ごめんなさいッ! 渡瀬さん!!』


 雨守先生の肩に頬を付けたまま、渡瀬さんは半分眠ったような目で私を見る。


「縁ちゃん、相当鈍いわよ?

 雨守クンがキレて獣みたいに吠えてた時、私、怖かったのに。

 縁ちゃんをあの真っ黒な【闇】から救おうとして、

 ちゃんと正気になってたじゃない?

 縁ちゃんってきっと、雨守クンのコントローラ―ねぇ。」


「確かに、そうだな。」


 先生もふっと笑った。すると不意に、渡瀬さんはぐっと伸びあがると雨守先生のほっぺにキスをした!


「うわッ! いきなりなにすんだよ?」


 狼狽える先生に、渡瀬さんはちょっと疲れたように笑う。


「今のは私からのお礼。

 ありがと、雨守クン。

 ホントはちゃんとキスしたかったんだけどねぇ。」


 そう言って私を見ながらさらに頬ずりまでッ!


「あちいッ! 熱あんだから大人しくしてろよ!」


『じゃ私こっち!』


「うおあッ! 冷たッ!!」


 反対側に回って同じことをした。


「お前らおかしいって!」


「ちょっと、ちゃんとおんぶしてよ。落とさないでよね。」


『あははははは!』


 もしかしたら私、死んで初めて、おなかの底から笑えたかも。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る