第二十二話 サクラ・・・散る③

 廊下に飛び出した私の目の前に、大口を開けて私の頭目がけて死霊が飛びかかって来た。


 喰われるッ!


 迫る洞穴を見つめたまま、そう感じた次の瞬間、死霊の首は胴体から綺麗に別れ、ポーンと飛んでいった。床に落ちる寸前、それは胴体ともどもボッと黒い霞となって爆ぜた。

 霞が晴れたその向こうに幻宗さんの背中があった。


『自ら死霊の口に飛び込んでなんとする。

 はやる気持ちはわかるが、落ち着くのじゃ。』


 振り向いた幻宗さんの長い刀の刃が、妖しく光っている。


『でも、急がないとッ!』


 こんな時になぜそんなに落ち着いていられるのッ!

 すぐまた準備室を目指す。


『あ奴らは渡瀬殿をすぐに殺しはせぬ。』


 そこに廊下を走って来た雨守先生が……でも驚くくらい冷静だった。


「ええ。奴ら、既に。」


 既にって? いったい渡瀬さんに何が?!


 空中で止まったまま動けなくなってしまった私を追い越した先生は、すぐ立ち止まって、前傾した体を起こしながら振り向いた。


「縁、まだ終わってはいない。」


 先生の目は今までに見たことないくらい、とても澄んで見えた。まさか、死ぬ覚悟をしたんじゃ、ないですよね?


「俺は渡瀬さんを救いに行く。」


 そうか……先生、渡瀬さんを選んでたんだ。

 そうだよね。

 分かりきっていたのに。


『そう、ですね。

 行きましょう、先生!』


 涙をこらえて笑ってみせた。

 つまんない感傷になんて浸ってる場合じゃ、ないものッ!


「縁は戻って古谷さんと……


 言いかけた先生の声を幻宗さんは遮った。


『よい。ともに参るか? のう、娘よ。』


『はい!』


「……わかった。」


 先生が頷いてくれたのが嬉しかった。その時、後ろで古谷さんが叫んだ。


「雨守君ッ!!

 裏山に壊れた小さな社があります! そこが死霊達の巣です!!」


「わかりました!!」


「こちらのことはお任せくださいッ!

 渡瀬課長を、お願いします!!」


『おお! うぬは学舎(まなびや)に残った人間を守らねばな!!』


 幻宗さんの声に不敵に笑って答えながら、古谷さんはまた教務室に戻っていった。


『古谷さんだけで、大丈夫なんですか?』


『いや。持たせるだけじゃ。

 あ奴も新たにこの学舎の方々に『印』を結んでおる。

 少しは中に入らんとする死霊の足止めにはなろう。』


 そんな……でも、そうだった。まだ残ってる生徒や先生達も皆、死霊に狙われてるのに変わりはない。不安なままの私の目を見つめ、先生は静かに、でも力強く言った。


「俺はもう、誰も奴らの犠牲にはしない。」


『先生……。』


 雨守先生をじっと見つめていた幻宗さんの声が、低く響いた。


『雨守……参ろうか。』


「はい!!」


***********************************


 準備室の戸を先生は思い切り開ける。渡瀬さんの姿は……そこになかった。泣かないって決めたから、私は唇を噛んで堪えた。


 渡瀬さんが腰かけていた椅子やその周りには、濃い緑色がかった得体の知れないねばねばした……まるでスライムみたいなものが、べちゃべちゃとくっついている。それが筋を引きながら隣の美術室へ、そこから外へ、さらには裏の山へと点々とつながっている。


 雨は小雨へと変わっていた。少しだけ薄い灰色となった雲間から、時折日の光がすっと降りてはまた消えた。


 先生は靴を履き替える。急がなきゃいけないはずなのに、普段そんなに気にしていない紐をしっかりと結び直して。


 裏山に入る小径もあるにはあったけれど、先生はそれを無視して鬱蒼とした下草へと足を踏み入れると、前を阻む細い木の枝を体で折りながら進んだ。

 あのべちゃべちゃしたものは点々と、まっすぐ山の奥へと伸びていたから。先生の体は、すぐ全身泥にまみれたように汚れていった。


『当然のように囲まれておるのう。

 地の上にも、木の枝にも。三百……おお、もっとおるわ。』


『そんなに……ど、どうするんですか? なにか作戦でも?』


『策などない。』


 即答ッ?!


『えええええ~ッ! そんなんでいいんですか?』


「死霊ってやつは頭の回転も速い。こっちの考えることは全て見通してる。」


 だから『結界』を破ることもできたんだ。


『それに大勢おっても、あたかも一つであるかのように振る舞う。』


『そんなッ! リンクでもしてるんですか?』


 それじゃ向こうは打ち合わせもなにもなく、同じ目的で行動できるってこと?


「そういうことだ。思考回路とすればね。」


『だが嗜好は、また別じゃ。』


 吐き捨てるように言ったけど今の幻宗さんの言葉って、どゆこと? 

 しこう、シコウ……同音異義語でなにがあったっけ?


 あッ!

 いけない、考えてる間にも先生は進んでいく。とにかく、足手まといにだけはならないようにしなくちゃ!


 自由がそれほど効かない先生の歩みではあったけど、やがて前方に屋根が潰れたような、朽ちた小さな建物が見えてきた。

 まだ日は暮れていないけど、やはり山の中深く入ったから周りは暗い。

 緊張してるはずなのに、かえって間抜けなことを口走っちゃった。


『なんだかすんなり来れちゃいましたね。』


『あ奴らは日没を待つ気じゃからのう。』


『な、なにをするんで……


 幻宗さんに聞きかけながら、壊れた社全体が見えたその瞬間、私は絶句してしまった。


 傾いて地面に半分近く埋まったようになった屋根の上。そこにまるで蜘蛛の巣にかかってしまったように、あのべちゃべちゃしたものにまみれて渡瀬さんが横たわっていたから。

 目はうつろで朦朧とした様子だけど、首を振って何かに抗おうとしている。着ていた服は破られ、ふくよかな右の胸が露わになって雨に濡れていた。


 その時、突然地中から伸びた黒く皺だらけの黒い腕が、既に少し下げられていたズボンを、さらに脱がそうとしている!


『外道が。一匹ずつ犯し回そうというつもりか。

 獲物が女であれば、その体を苗床に仲間を増やすのじゃ。

 あ奴らは。』


 そんな……許せないッ!


『待たんかッ?!』


 幻宗さんが止めるのもかまわず、私はまっすぐに飛んだ!


 うぐッ!


 渡瀬さんに憑依した軽い衝撃の直後、私の視界には『私の足首』を掴もうとするさっきの死霊の腕が!


「おあああああああああああッ!」


 脚を思いきり振り回してねばねばを飛び散らかすッ。

 思いの他、あっけなく取れた!

 粘着力弱いんだ。これならいける!!

 蜘蛛の巣状のスライムを引きちぎって、渡瀬さんを逃がすのッ!!


 くッ!


 頭が……頭が割れるように痛い!

 『逃げて』っていう渡瀬さんの思念が、私を追い出そうとするッ!!


 まだまだッ!

 あの男の子の守護霊だって、戦ったのよ?!


 でも、熱をもった渡瀬さんの体が重い……脱げかかったズボンが邪魔をして脚が思うように動かない……。

 

「先生ーッ!!!」


 その時、渡瀬さんの体を借りて叫んだ私の目には、周り全てがまるでスローモーションのように見えていた。


 私を取り押えようと群がって来る数百の死霊達。

 抜刀し、突進してくる幻宗さん。


 その向こうに、仁王立ちとなり眦が裂けたような大きな目でこっちを睨みつけ獣のような咆哮をあげる雨守先生……。


 そして先生のうしろには、あの暗黒の【闇】が!

 ……だんだん大きく、激しい渦となって回転を始めていた。


 先生?


 違いますよね?

 自分もろとも、死霊たちを連れていくつもりじゃ……。

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