第二十一話 サクラ・・・散る②
縁ちゃん視点です****************************
急ぎ、超低空飛行で学校へ向かう。
登校坂の桜の花も、そのほとんどが散ってしまっていた。道一面、泥で汚れた花びらに覆われている。
あの十字路に差し掛かった。お巡りさんが、その先を通行止めにしようとロープを張っているのが見える。でも怖くて左側は見ることなんてできないよ。
だって、あの桜に憑いていた霊達の泣き声が、まるで地響きのように聞こえてくるんだもん(桜に喰われたのではなく、桜が慰めていたんだって渡瀬さんが教えてくれたけど)。
だから右側ばかり見ながら私は飛んでいた。
あれ? 通学路の少し向こうに小川があったのは知っていたけど、あんなに水、多かったかな? 濁った水が溢れんばかりに流れてる。夕べあれだけ雨が降ったからなんだ、きっと。
とにかく急がなきゃ。
「雨守クン、美術準備室にいるって!」
スマホで連絡を取ってくれた渡瀬さんが叫ぶ。でもダボダボの先生の服だからかな? 走りにくいのか、時々ペースが遅くなる。
『渡瀬さん、大丈夫ですか? 急ぎましょう!』
「ええ。大丈夫。縁ちゃんは先に行って!」
『はいッ!』
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「初日なんで新入生はオリエンテーションで一日ホームルーム。
二、三年生は実力テスト。
俺にとっては授業がないのが、せめてもの救いか。
もっと春休みが長ければ、こんなに人を巻き込まずに済んだのにな……。」
準備室の真ん中で、幻宗さんと向かい合うように座った先生は悔しそうに呟いた。ホントなら先生は来なくてもいい日だったのだろうけれど、授業の準備をするって建前で、一昨日宮前先生には断ってあった。
『森羅万象、人間の都合になど合わせてくれぬものよ。
唯一の救いは、あの桜が折れたのが、明け方であったことか。』
相変わらず幻宗さんは悠然としている。
『明け方で良かったって……。
死霊達って、すぐにやってくるんじゃないんですか?』
幻宗さんは私をじろりと見下ろした。優しい目だとは思うんだけど、まだちょっとビビっちゃいます。ごめんなさいッ。
『いや。
あ奴らのうちの何匹かが「結界」を破ろうとして焼けたからのう。
しばらくは大人しくしておるが、暗くなるのを待つつもりじゃ。
それがあ奴らの天下であるからのう。』
ちょうどそこに遅れて渡瀬さん、古谷さんが直接外から入ってきた(美術室がそういう構造になってる学校って多いけど、ここもそう)。
学校には今日の二人のことは内緒だものね。渡瀬さんは部屋の隅の椅子に腰かけた。
『結界ってどんなものなんですか?』と小声で尋ねた私に、古谷さんは丁寧に教えてくれた(だって幻宗さんにはちょっと聞きにくいというか。きっと集中してるはずだし)。古谷さんが『印』というものを象るように組んだ木の枝に、幻宗さんが念を込めてあるんだって。人が見ただけでは全然気がつかないであろうそれを、何か所も何か所も、印と印を結んだ線が学校を囲むように設置したんだって。
今、死霊たちは数にして数百体はいるんだとか……。幻宗さんの夕べのタッチで、私にも死霊まで見えるようになっちゃってるらしいけど。ううう、見たくないよう。
「知らぬが仏とも言うけど、
相手が見えないというのも、怖いものよね。」
壁に寄りかかりながら渡瀬さんはそうつぶやいた。そうか、いきなり隣にいても気がつかないっていうのも……。
ぶるるるるるるッ
震えながら先生の顔を覗き込む私。
『暗くなるまでって言われても、今日も雨降ってるし。
そんなに明るくもないですよぉ?』
「うん。油断はできないな。
それでも午前中で今日の日課は終わる。
せめて生徒が帰るまでしのげればな。」
「死霊が来るから帰りましょうって言っても、
誰にも信じてもらえっこないでしょうからね。」
渡瀬さん、おでこに手を当てて苦々しく呟く。
『ところで、雨守よ。』
うわ、幻宗さん、先生のことは呼び捨てなんだッ。
『今度(こたび)こそ、あ奴らはすべて始末せねばならぬ。
無銘なれど、儂にはこの刀があるが……。
お主には、いったい何があるのじゃ?』
皆の目が一斉に先生に集まった。
先生は幻宗さんから目をそらし、なんだかつらそうに答えた。
「ないこともないんですがね。言葉では、どうも。」
先生、そんなのあったんですか?
見たことないけど。幻宗さんは、ただ目を細めるだけだった。
『そうか。
では、いずれ見せてもらうとしようかのう……。』
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とっても落ち着かないまま、どうにか今のところ無事に放課後を迎えた。生徒も大半が下校し始めていた。
このまま皆、無事に帰ってくれれば。先生はこの後先生達も早く学校を出るように、それとなく宮前先生に伝えてみるって教務室に行った。
幻宗さんと古谷さんは、あれからずっと裏山に面した体育館裏に張り付いている。『印』に念を送り続けて結界の力を強化するんだって。
一時的とは言え、準備室に渡瀬さんと二人だけでお留守番になっちゃった。緊張してるのか、だいぶ前から渡瀬さんの言葉数はめっきり少ない。
『ごめんなさい、渡瀬さん。
私、ものを動かすのってまだうまくできなくて。
こんな時、コーヒーでも淹れられればいいんですけどね。』
淹れ方は先生の見よう見真似でなんとかわかる。まだ開けてない段ボール箱のどこにコーヒーセットが入っているかなんて、先生よりわかるんだけどな。
「いいのよ、縁ちゃん。そんなに気を遣わなくても。」
渡瀬さんはにっこり笑ってくれたけど……あれ?
渡瀬さんの顔、赤くない?
寄りかかってる壁の窓ガラスが、そこだけがやたら曇って……。
『渡瀬さん? 熱があるんじゃないんですか?』
「うん。実は朝からちょっとね。大丈夫、平気だから。」
無理に笑って言おうとしてるけど、目が泳いでるじゃないですか!
全然平気じゃないよッ!!
『待ってて下さいね! 先生に言って誰かに送って
「やめて縁ちゃん。
今、雨守クンに迷惑かけるわけには……
お互い言葉を遮りあいながら、哀願するような顔した渡瀬さんに、つい怒鳴ってしまった。
『何言ってんですかッ!』
私は壁を突き抜け飛び出した。
渡瀬さん、夕べあんなに鼻水垂らしてたんだ。遅くまで二人でだべってないでもっと早く寝てもらうんだった。朝だって、服がダボダボで走るのが遅かったんじゃないんだ。
ここに来て呟くようにしゃべってたのだって……。
隅っこに座って、大好きな雨守先生の顔を見ようともしていなかったのだって……。
なんでもっと早く気がつかなかったんだろう?
渡瀬さんッ ごめんなさいッ!
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『先生、渡瀬さんが
教務室に飛び込みそう言いかけた私は、言葉を詰まらせてしまった。受話器を手にした宮前先生が、胸を押さえて床に倒れたまさにその瞬間だったから!
「宮前先生ッ!」
雨守先生は宮前先生の心音、呼吸を即座に確かめてる。その向かいに、宮前先生の守護霊の……少年が叫んでる。
『しっかり! 頑張って!! ねえッ!!』
「大丈夫だ。だいぶ弱いが脈はある。」
先生は守護霊の少年に答えた。
「きゅ、救急車を……ああッだめだ! 登校坂は不通にッ!!」
そばにいた教頭先生は悲鳴のような声を上げている。
『な、何があったんですか?』
先生は私に振り返った。
「消防から電話があったんだ。
登校坂脇の川が溢れて坂の一部をごっそりさらってったってな。
巻き込まれた生徒はいないようだが。
宮前先生、ただでさえ疲れ切っていたからな。
くそッ。こんな時に。」
あの小川だッ!!
あの時、水量の多さに気がついていたのに……こんな大事になるなんて。なんで気がつかなかったの?!
先生は一人おろおろしている教頭先生に向かって叫ぶ。
「教頭先生ッ!
すみませんが担架を! 誰か何人か呼んでください。」
「ああ、そうだねッ! わかった!!」
教頭先生は飛び出していった。
そしてその時だった。
『先生!! 後ろッ!!』
よくも悲鳴だけでも上げられたって思う。
教務室の隅から突然ぬうっと現れたモノのあまりのおぞましさに、体が凍りついた。一体だけだったけど、それが死霊だと直感できた。
人間のような形はしてるけど、明らかに違う。
目、口、耳、鼻があるはずのところに、ただぽっかり空いた真っ暗な穴。
髪の毛もなく、黒っぽい顔も体も全て深い皺だらけ。
骨のように細い手足に妙に細長い指。
そしてあらぬ方向に曲がった関節。
そんな異形のモノが、四つん這いになった手足を不規則に動かして。
今にも宮前先生の足首を捕まえようとしていた。
「うおああああああああッ!」
叫びながら先生が腕を振るって追い払おうとするけど、すり抜けるだけ。でもその間にも、死霊は宮前先生の体をしっかりと掴み壁に向かって引きずり出した!
そしてさらに抱き込むように上に乗ろうとしているッ!!
『やめてッ!!』
守護霊の少年は死霊にとびかかった!
次の瞬間、死霊の口?が顔の輪郭以上に大きく開き、少年の頭に一口で噛り付いた!!
「やめろおおおおおおおッ!」
先生の悲鳴のような叫びとともに、突然、私の目の前の空間が裂けたように見えた。そこには見たたこともない漆黒の【闇】の球体が現れていた。
その黒い闇が急速に渦のように回転していく。
これって、まさか、ブラックホールッ?!
『くッ! 間に合わなんだかッ!!』
今、ここに現れたんだろう幻宗さんの声が聞こえたけど、私の目は、少年の頭に喰らいついたままの死霊に釘付けになっていた。【闇】の渦は、ぐんぐんと少年ごと死霊を飲み込んで行く。
「いくなッ!!」
先生は少年の力なくぶら下がった手をつかもうと腕を伸ばした。でも……届く前に、暗黒の【闇】は死霊と少年を飲み込んだまま、フッと音もなく消えてしまった。
「う……ぅう……ん。」
宮前先生の声が聞こえた……あの子が、守ったんだよ、ね。
雨守先生は声を殺して泣いている。
私、今、理解できた。
先生が好きだったあの絵の女の人。
きっと同じように、先生の前から消えてしまったんだって。
泣いている先生に、幻宗さんは冷たく言い放った。
『雨守、あの【闇】はお主が招いたものだ。それは知っておろうな?』
床に手と額をこすりつけたままの先生は、嗚咽とともに答える。
「……はい。分かっています。ずっと。」
『なにゆえ【闇】が己の意のままにならぬか、わかるか?』
「……わからないんです。それが。」
こんな先生は初めてだ。ずっと先生は一人で苦しんでいたんだ。
『教えてやろう、雨守。
今もお前はただ怒りに任せているだけだ。
それでは意のままに操ることなど、到底できぬ。』
「……どうすれば?
あれはいつも、突然、現れるんです。」
『それは常に、【闇】はお前の隣にいるからだ。
お前そのものを飲み込もうとな。
お前がもしも【闇】を意のままに操らんと望むのであらば、
これだけは教えておこう。』
先生は幻宗さんを見上げた。
『お前は死を恐れぬ。
だが、そこに「生き抜くため」という強い思いがない。
この意味が分からねば、お前はいずれ、死ぬことになろう。』
全然反対のこと言ってる気がした。私の足はずっとすくんでいた。
幻宗さんの目はずっと厳しいままだ。いつの間にか、古谷さんが私の隣にいた。
「後代さんは、なぜここに?」
そうだ!
『渡瀬さん、熱があるんです! 誰かに送ってもらった方がいいと。』
いきなり幻宗さんは自分のおでこを平手でパンッと叩いて『迂闊であった!』と叫んだ。反対に古谷さんは冷静に言う。
「では宮前先生と一緒に保健室で休んで頂きましょう。
雨守君に守ってもらうしかないと思いますが。
学校の下で川が氾濫したようですが、それは死霊たちの仕業です。」
突然、先生はゆらりと立ち上がった。
「まさか奴ら、『結界』を破るためにそんな真似を……。」
古谷さんが深く頷く。
「ええ。『印』の一部が土砂とともに崩れました。
それが奴らの狙いだったのです。
『結界』に穴が開いてしまいました。
既に無防備なあの桜の霊達が襲われたことでしょう……。
もうこの校舎にも何体か忍び込み始めているはずです。」
今、まさにそうだったんだッ!
『じゃあ、まだ他にも?』
「死霊たちは心身の弱った者から、その魂を喰らおうとします。
この宮前先生も、だいぶ疲れていたようですから。」
突然、幻宗さんは何か気がついたように目を大きく見開いた。
『そうか!
ここは多くの師範達が早逝、あるいは病に倒れてきたと聞くが
死霊どもはそれを餌に増えておったか!!』
先生は私の目を見た。
「今、渡瀬さんは一人!」
『ああッ!! すみませんッ!』
叫びながらまた美術準備室に私は飛んだ!
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