第二十話 サクラ・・・散る①

縁ちゃん視点です****************************


「家中雨漏りでッ!

 お風呂からで出たら着替えも何も、押し入れの中の布団もびっしょりだしッ

 ここがまだ明かりがついていたから、毛布だけでも借りようかなって。

 そしたら雨守クンがッ!」


 ほぼ全身びしょ濡れ状態の渡瀬(てんてき)さんは、ほとんど息継ぎもなく濡れた髪から雫を飛び散らせながら叫んだ。お芝居じゃないにしても、ちょっと眉間に皺寄せちゃう。


『こんなとこまで偵察に来たんですか?』


「ええ。それはもう終わったんだけど。」


『お、終わった?』


 あっさり認めるなんてどういうこと?

 もう次の段階に移ったとでも言うの?

 渡瀬(てんてき)さんは顔を上げて先生をまっすぐ見つめる。一度、ごくりと唾を飲むのがわかった。


「ちょうど良かったわ。雨守クンに会ってもらいたい人がいるの。」


 なんで急に改まった口調に?


『会ってもらいたい人ッ?』


 全然思いもしなかった言葉に驚いてると、すぐ渡瀬さんの後ろに、やっぱりびしょ濡れの男性が現れたから、さらにびっくりしちゃった。


「ああ、ここにいたんですか。ちょうど今戻ったところで……。」


 言いかけてすぐ、髪が白い、人の好さそうなその男性は先生にとても嬉しそうな目を向けた。


「雨守君、ですね。あなたのことは常々。私は……」


『そんなッ。

 いきなりお父さん連れて来るなんて、なんのご挨拶ですか?!

 先生の気持ちも確かめないで、なんでそんなに勝手に進めちゃうんですか?!』


 鳩が豆鉄砲でも喰らったような目をして渡瀬さんは私を見る。すると驚いたことに、お父さんまで私に顔を向けていた。


「失礼ですが、こちらの娘さんは?」


 後ろ手にドアを閉める余裕まであるッ。やっぱり幽霊が見える人だ!

 親子だから遺伝……あれ? 渡瀬さんが『見える人』になったのは私のせいだったはず……。


「あなたは後代が見えるんですね? 

 この子は私の相棒で、後代縁って子です。

 そんなことより渡瀬さん、会わせたいって人は他にもいるんだよね?

 とんでもない霊力が近づいてくる。

 速い!!」


 私のこと紹介した後にそんなことよりって、先生?!

 あんまり…って言おうとした、その時!

 いきなりまた激しく風が吹き込んできたッ。ドアはもう閉まっているのに!

 でも先生は冷静なままだった。


「あなたは?!」


『なんですかッ? 今度はご先祖様まで来たんですかっ?!』


 私一人だけ見えないし声も聞こえないなんて不安ですよぉ。すると不意におでこのあたりにふわっと、先生の手が伸びてきた時と同じ、穏やかな波紋が広がる感じがした。


『きゃあああッ!!』


 いきなり目の前に髭もじゃで先生よりも背の高い男の人が立っているッ!

 私のこと一回睨んだッ!

 この人、ゆ、幽霊だ!!


『儂は幻宗と申す。

 渡瀬殿の先祖ではない。

 儂は迷える魂を成仏させ、悪しき霊どもを退治してきた者じゃ。』


 この人、幽霊の私に幽霊の自分を見せることができるなんて。

 それに背中に長い……棒じゃなくて刀だッ?!

 いつの人なの?普通の人じゃないよッ。

 え? 

 もしかして渡瀬さん、私が邪魔だから……。


『ちっ、力ずくで私を成仏させるつもりですかッ?』


 わけがわからなくて混乱しちゃってますッ。そんな私をかばうように、先生は間に立ってくれた。思わずその背中に隠れて幻宗って人を見上げる。


『怖がらずともよい。さようなことはせぬ。

 いや……そうか。

 お主、自ら背負うておるのか……それもよかろう。』 


 あれ? 今のは先生に言ったのかな。相変わらず、幻宗って人は悠然と先生と私を見下ろしている。


「あなたが退治するというのは、あの……死霊達ですね?」


 先生は幻宗って人に尋ねた。すると即座に三人が同時に頷いた。皆、死霊のことを知っている!

 その話をしに来たの? かっ、勘違いしてたの私だけだったッ!


『そうであろうと踏んではいたが、既にお主も気づいておれば話は早い。

 あの山 


「へっくしゅんッ!!」


 うわ! びっくりしちゃった。

 幻宗さんが話し始めた途端、渡瀬さんったら盛大なくしゃみをするんだもの。


『あの、鼻が……。』


「やだ。ごめんなさい。」


 ずずっと長く垂れた鼻水を吸う渡瀬さん。美人なのに、かわいそう。


「冷えちゃったんだ。とにかく、上がってください。」


*************************


 やだぁ! なんかやだぁ!!

 ダボダボでも先生のシャツ着て、ズボン穿いて。

 あああん!

 渡瀬(てんてき)さん、うらやましいよぉッ!


 悶絶しそうなのを我慢して向かい側に座った私の顔を、渡瀬さんが覗き込む。


「お、怒らないでね、縁ちゃん。」


『怒ってませんよおおおううう。仕方ないですううう。』


 先生は三棟ある教員住宅のうち、雨漏りしてない残りの一棟に古谷さん、幻宗さんと一緒に移っていた。

(定住予定の先生が三棟分のカギを預かってたから。古谷さんと幻宗さんはこの天気の中を野宿する気だったみたい。昔に比べれば遥かにましだとか言って)。


 お互いが認識してることを擦り合わせるんだって。


 でも雨守先生、濡れた服の渡瀬さんからずっと目をそらせていたもん。きっと目のやり場に困って恥ずかしくてそうしたんだと思う。ブラウス透けてたし。私に「俺の服を適当に貸してやってくれ」なんて言って。ちょっと複雑ですッ。


 ああ、でも唐突に女二人になっちゃった。困ったなぁ。それは渡瀬さんも同じなんだろうけど……。

 あれ? 

 服の上から腕をさすってる。寒いのかな?


『あの、どうぞ。

 お布団、一つしかないので使ってください。

 毛布かぶってないと、春と言ってもきっとまだ寒いですよ?』


「あなたはいい……の?」


『私は基本、永眠してるので。 

 それに冬に死んだせいか、少し寒いくらいがよくて。』


 言いながらあの学校で、冬にストーブを点ける時、先生がわざわざ私に断ってたことを思い出していた。

 可笑しいの。そんなの生きてる子達を優先すればいいだけのことなのに、なんでもないようなことだったけど、先生って優しいんだよ。

 ほんとに。


「縁ちゃんって、雨守クンのこと考えてる時、とても優しい顔するのね。」


『そんなことな……うえええッ!

 どうして先生のこと考えてたって?!』


 びっくりしちゃって大声あげちゃった。

 毛布を肩にかけた渡瀬さんは、正座してる私の隣に並ぶようにしゃがむと、笑ってるのに横目で軽く睨むように言う。


「顔に書いてあるもの。それに……。」


 少しの間のあと、渡瀬さんは体育座りした膝に顎をのせると……遠くを見るような目で、想像したとおりの言葉を小さくつぶやいた。


「私だって同じだから。」


『やっぱり雨守先生のこと。』


「うん、好き。

 おかしいわよねぇ、最初は何この変な人って感じてたのにね。

 でもすぐ惹かれていった。ほっとけないなって。

 ……でもね。」


 急に渡瀬(てんてき)さんは私に顔を向けると口を尖らせた。


「縁ちゃんがいけないのよッ?

 私の体を使ってキスなんてするから!」


 はああああああああッ ばれてたッ!!


『ごっ、ごめんなさいッ!! つい!!』


 土下座状態で平謝りに謝ってると、ぷっと吹きだす声がした。


「やっぱりね。」


『ふえええッ! ひっかけたんですかッ?』


 悲鳴と同時に顔をあげた私に、渡瀬さんは優しく微笑んでいた。


「それはもういいのよ。そんなことより。

 ……自分の実体を持てなくなるって、きっと寂しいことでしょうからね。」


 私のこと、そんなふうに考えてくれてたんだ……。なぜか私も、もうとっくに渡瀬さんには素直になれてる気がしていた。


『そうですね。

 ちょっと滑稽かもしれないけど、

 先生に触れたいなって、思っちゃいますから。』


「叶わない恋なのかなぁ。私達。」


『えッ? でも、てんて……』


「?」


『わっ渡瀬さんは、生きてるじゃないですか。

 生きてれば。

 だって。

 ねえ……。』


 私と違って、普通に……。

 男の人と、女の人のお付き合いだって、きっと……。

 するとまた渡瀬さんは膝小僧に頬を乗せた。


「雨守クンは私のこと、全然見ていないもの。」


『それは私だって同じですヨ。』


 先生は《あの人》のこと、まだ思ってるはずだもの。


「あなたは、どうしたいの?」


 いきなり渡瀬さんの声は、またいつものように明るくなっていた。私も努めてそう答えた。


『私は……私の気がすむまで、先生の隣にいます!』


「そう。じゃあ、縁ちゃんが満足したらでいいわ。私は。」


『そうなんですか?』


「でも、おばあちゃんになるまで待てないわよ?」


『私だって簡単に成仏しませんよ?』


 二人で同時に吹き出して、声を上げて笑った。笑いすぎたのか、少し涙目になりながら渡瀬さんはつぶやいた。


「私は縁ちゃんがうらやましいわ。」


『何言ってるんですか。

 渡瀬さん、大人だし、美人だし、胸だっておっきいし。』


「や、やめてよね? 人を牛みたいにッ!」


 また二人で笑いあった。雨と風が一段と強くなっていたけど、昨日から抱えてた不安も少しだけ忘れていられた。


 ……その時だけは。


**************************


 朝、激しく叩かれるドアの音に、渡瀬さんは飛び出した。夕べとは違う服だけど、びしょ濡れの古谷さんがそこにいた。


「あの桜の木が倒れましたッ!」


「なんですって?! まさか、夕べからのこの雨で?!」


 少し、勢いは弱まったけど、雨はまだ降り続いていた。


「ええ、やはり寿命がッ。曲がった幹が折れて、それで……。」


「じゃあ、死霊達がッ?!」


「夕べここに来る前に兄者と私は『結界』を張りました。

 しかし、もって今日一日だろうと……。

 兄者と雨守君は先に出ました。

 我々も急ぎましょう!」

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