第十九話 サクラ咲く地で④

縁ちゃん視点です****************************


 幽霊になって初めて眠っちゃったみたい!

 それも泣いたまま。腫れぼったい瞼を明けて枕もとの先生の腕時計を見る。もうお昼近くだッ。いけない!

 がばっと起きて隣を見ると、そこに先生はいなかった。


『先生? 先生ッ?! どこ行っちゃったんですかッ?!』


 部屋のどこにもいない! まさか一人で?

 慌ててはね起きた勢いのまま一気に上へと飛ぶッ。天井も屋根も突き抜け、平屋2LDKの古い教員住宅が三棟並んだ上空を、二十メートルくらいの高さからぐるっと見回した。


 住宅の周りの田んぼやその間の道にもいない。少し離れた広い通りには、今日の入学式から帰るらしい親子連れが何組か見えるだけ。

 やっぱり先生、私をおいて学校に行っちゃったのかな?

 どうしよう?!


 すると突然、真下から声が。


「ご、後代。下りて来てくれ。」


 ええッ? 足元を見ると、屋根の上に先生がッ。


『起きたら先生いないんだもんッ!!

 心配しちゃったじゃないですかッ!!』


 急降下して屋根に座った先生のもとにッ。先生はしゃがんで屋根を見つめてる。


『こんなとこで何してるんですかッ?!』


 問いただしても顔をそむけてしまう先生。

 あッ! 先生、怒ってるのかな?


『先生!         「後代!

 黙って添い寝しちゃって  〇〇〇〇〇〇〇ちゃって

 ごめんなさいッ!』    ごめんッ!」


 え?

 お互い、今、何か謝ったんだよね?

 声が被っちゃったからよくわからなかったけど。でも、怒ってるんじゃないんだ。

 良かったぁ。ちょっと安心。


 でも先生は私の顔を見ようともせず、トタン屋根にコーキング材を塗った板をあてがうと、釘を打ち付け始めた。


『起きたら先生がいないから、私、心配になっちゃって。』


「ああ、おお、うん。」


 いつもは私が先生の寝顔を見てたけど、今朝はいつもと逆なんだもん。先生だって毎朝、恥ずかしがってたんだもんね。そう思うと、私も急に恥ずかしくなってしまって。ま、まさかよだれは垂らしてなかったと思うけど、最近ちょっと自信ないし。

 でも釘を打つ金槌の音が照れ隠しにちょうど良くて、冗談みたいに笑って言えた。


『私、幽霊になってから、初めて眠っちゃって。

 あの、きっとしっかり見られちゃってますよね?

 なんだか恥ずかしいな。あはは。

 あの、変じゃなかったですか?』


「ぅぎゃっ!」


 突然ボグっという鈍い音と一緒に先生は叫び声を上げ、指を抑えてうずくまってしまった。

 うわあッ!


『大丈夫ですか? 先生!』


 先生は左の親指を抑えたまま、痛みをこらえてか、ちょっと早口に答えた。


「あ、んまぁしっか、いや。

 変じゃ、なぁ痛ってて。

 ほんとにありが、違ッ、ごめん。」


『血は出てないみたいだけど、冷やした方がいいですよ。

 すぐ降りましょう? ね?』


「う、うん。」


 金槌をベルトに挟んで先に梯子をゆっくり降りていく先生は、ずっと私から目をそらして赤い顔のままで……。

 でもその時、突然気がついたッ。


 うわあッ

 先生に見られたのは、こっちだったんじゃないのッ?!

 ふわああッ。今頃スカートを押さえてもッ。きゃあ~ッ。


*******************************


 台所の水道の水が流れる音だけが響いてる。冷やしてる親指を瞬きもせず凝視しながら、先生は奥歯を噛みしめてる。

 先ほどからぎこちない会話が続いています。


『で……修理してたん、ですか?』


「あ、朝方、校用技師さんが来て、この住宅の屋根、雨漏りするからって。

 今夜、強い雨降るって予報だからって、梯子と道具、持ってきてさ。

 後代、寝てたし。

 俺がやっときますって。

 ……そしたら。」


『で……見ちゃったんですね?』


「い……いきなりぶわって真上を飛んでくから……。

 つられて見上げたら、さ。

 ホント、ごめん。」


『恥ずかしいけど、うん、もういいですよ。

 考えてみたら、

 今まで先生の方が恥ずかしいって感じることの方が

 多かったんですもんね。』


「いや、俺のはそんな、別に。」


 嫌いな人に見られちゃったのなら、死にたいくらい悲しいだろうけど。

 でも先生はそうじゃないもん……。

 そうじゃ、ないもん。

 先生になら。


『……ほんとに、変じゃなかったですか?』


「もうよそう? その話は。」


 水道の水が流れる音だけが、変わらず響いてる。私は先生に向かって、ゆっくりと近づいていった。


『先生、お願いがあります。』


「はいッ!」


『私を描いてもらえますか?』


「……な、なんでブレザー脱ぐんだ。ちょ、ま、待て。後代!」


『先生、私、先生に描いて欲しいんです。』


「待てッ! す、スカートッ!」


『逃げないで私をちゃんと見てください。』


「どうしてそうなる?

 ネクタイ、ええ~ッ。

 ぶ、ブラウス脱ぐな!

 た、頼むから着ててッ!!」


『あの人の絵は描いたじゃないですかッ!』


 ずっとうろたえてた先生は、ぎくりとしたように硬直した。


『私じゃ、ダメですか?』


「……あいつとお前は、違うよ。」


 先生はふっと眼をそらした。わかっていたけど、先生の言葉が胸に刺さった。同時に堪えていた思いが一気に爆発しちゃった。


『先生、死霊と戦うつもりでしょ?!』


「……そうなるな。」


『あの人のことを思い出してしまうのはわかりますッ。

 でも死んでも私を守るって、それは違うと思いますッ! 

 先生が死んじゃったら、私には守ってもらう意味なんてありませんッ!』


「……そんなことはない。」


『私、先生のことが好きなんですッ!!』


 もうこの先どう思われようとかまわない。自分の気持ちを抑えきれずに叫んじゃった。

 でも、やっぱり先生は答えてくれなかった。それも、わかってたつもりだけど。


 私は両手の拳を、ぎゅっと握りしめてた。


『だからお願い!

 死んでもいいみたいなこと、言わないでッ!!』


 先生は答える代わりに、水道の水を止めた。少し経って、ようやく声をかけてくれた。いつもの穏やかな声だった。


「分かったから、もう服を着てくれ。お願いだ。

 お前のそんな泣き顔は描けないよ。」


『え?』


 顔を上げると、先生は静かに微笑んでくれていた。


「これが終わったら、モデルになってくれ。」


 ほんとに?

 ずっと胸を抑ていたようなもやもやが、少し晴れた気がした。


『約束ですよ?』


「うん。約束だ。」


 まだちょっと寂しそうに見える目が気になるけど……。

 それって、もう死んじゃうつもりはないってことで、いいですよね?


*****************************


『土砂降りになっちゃいましたね。』


 夕方あたりから天気は崩れ出しちゃって、屋根を叩く大きな雨音とガラス戸を揺さぶる風に、先生と並んで肩をすくめていた。


『雨漏りするって住宅、ほんとは隣で良かったですよね。』


「ああ。校用技師さん、勘違いしてたみたいだったよ。」


 降り出してからそんな電話があったけど、それだったら先生、親指痛い思いしなくてすんだのにね。


 でも、それだったから私、自分の気持ちをはっきり言えたんだ。うん……それで良かったって思ってる。


 先生が私のことをどう思ってるかっていうのは、まだわかんないけど。これが終わったらって言ってくれた先生の言葉を、私は信じるんだ。


「でも、降り出したのが入学式の後で良かったんだろうな。」


 先生が苦笑した時、突然玄関のドアを叩く音が。


「ん? 風じゃないよな?」


『こんな夜に、誰ですかね?』


 いぶかしがりながら玄関に向かう先生。

 ドアを開けた途端、吹き込んだ雨と一緒に先生と訪ねて来た人が叫ぶような声が。


「「なんでここに?!」」


『渡瀬さん! 何してるんですかッ?』

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