第十二話 守護霊②

『彼、自殺しようとしてるんですか? すぐ止めないとッ!』


「まあ、そうなんだけどな。」


 そうなんだけどなって、先生、そんな暢気に構えてられないじゃないですかッ!


「ちょっと挨拶に行くか。」


 先生はグラウンドの向こう側で野球部の子達が練習している更にその先、バックネット裏の二階建ての大きなプレハブを眺めている。


『挨拶なんてしてる場合ですかッ?!』


「後代、挨拶は大事だよ?」


 先生は何食わぬ顔でそう言うと、グラウンドの端に張り巡らされたネット裏を通り、プレハブに向かって歩き出した。もう何を考えてるのか全然わかんないけど、きっと意味はあるんですよね、先生?

 う~ッ!! もやもやするけど、ここはとにかくついていこうッ。


 野球部の子達が練習(自主練習?)してるその横を、先生は飄々と歩く。プレハブの事務所みたいなところに近づいた時、中から大きな笑い声が聞こえた。


「だめだめ、あの台は出ないですよぉ、大野監督~ぅ。」


 引き戸に嵌められたガラスから見える部屋の中には、戸口近くに今の大きな声の人(40歳くらいかな)。その奥のソファーで新聞を読む、ユニフォーム姿の年配の人。他にも四、五人の男の人が談笑してるのが見えた。


 ためらいもなく入り口の戸をノックして雨守先生は中に入った。するとすぐ目の前で、さっきの大きな声の先生が、まるで変なものでも見るような目つきで先生を眺めまわす。

 やだ、くわえタバコしてるぅ~。普通、校地内って禁煙でしょッ?

 先生はその人に丁寧に挨拶をした。


「こんにちは。

 私、四月からお世話になる非常勤講師の雨守です。」


「え? あんた先生なの? おーい、下谷くーん! 相手してやってよ。」


 その先生は事務所の奥の広い部屋(屋内練習場かな?)に向かって声を張り上げた。


『先生が挨拶してるのにこの人なんなんですか? 

 名乗りもしないでこの態度ッ!』


 先生のこと、「あんた」呼ばわりよ? 

 むっとして、でっかいこの先生の背中を睨んでいたら先生は目で「黙ってろ」って。ううう~。

 するとすぐに爽やか系の若い先生(雨守先生より少し若いかな)が部屋に入ってきた。


「すみません、野球部部長をしてます体育科の下谷です。

 雨守先生ですね?

 学校長から伺ってます。 

 こちらに来られるとは思ってなかったものですから。」


 言いながらだけど、なんとなく雨守先生を外に押し出すように下谷って先生は進んできた。雨守先生は回れ右して来た道を戻る形になっちゃったのに、憮然とするどころか笑顔で答える。


「いえ。私のデスクも書類も、勤務日は職員室って聞いてますから。

 でもせっかくですから、

 同じ教科の先生方のお顔とお名前だけでもと思いましてね。」


 え~ッ? 失礼かもだけど、先生、こんなに社交的じゃなかったはず!

 下谷って先生は雨守先生と並んで歩きながら苦笑する。


「ここは野球部関係の人間だけですから。

 今いる体育科の教員は私と大野先生だけなんです。

 他の体育科の先生もそれぞれクラブ指導で遠征に出ちゃってて、

 春休み中はなかなか集まらないんですよね。」


 すると突然、さっき雨守先生が横を通った時、気づいていながら何も言わなかった部員達だったのに、一人の部員が下谷って先生を見るや否や、直立不動の姿勢になって叫ぶように挨拶をしてきた。


「こっ〇□ッ!  □×▽△っす!!」


 すると連鎖反応のようにそこかしこから何言ってるのかわからない挨拶の矢がッ。こんにちは……お疲れ様です……かな? でも、こ、怖いよッ。

 下谷って先生は一人一人に手を上げて答えてるけど、雨守先生はほとんどそれには無反応で聞きたいことだけ下谷先生に聞き始める。

 あ、挨拶って大事って言ってたのに……あれ?

 そもそも皆のこれって挨拶って、言える?


「先ほどの方は?」


「ああ、あの方はここの野球部のOBです。教員じゃないですよ。」


 ええ~ッ? あの人、先生じゃなかったの?! 

 ああ、うん、でも確かに言われてみれば。


「ああ、そうなんですか。

 過去に強豪校、なんて言われるとありがちですね。」


「ええ、まあ。今もああして部員の指導に来てるんですよ。」


 下谷って先生はなんだか苦々しく答えたけど、指導って言ったって部員は勝手にやってるだけだし、自分達はだべってるだけだったし。あれで指導なんて言えるのかしら?

 すると、雨守先生は石垣の階段を顎で示した。


「実はさっきあそこで部員の子から、先生方はプレハブだって聞いたんですよ。

 そう……栗田って子に。」


「えッ?!」


 下谷って先生は、ギョッとしたように立ち止まり、先生を見つめた。

 さーっと顔から血の気が引いていくのがわかる。


「あ、違った。それは死んだ子の方か。

 稲田って子でした。彼、退部したんですよね?」


 先生は他人事のように澄ました顔で続ける。

 でも先生ッ、冗談にしても、それはちょっと酷すぎませんか?

 私、心配になってきてしまいました。


「そ……それを、稲田君が話したんですか?」


「いや。ああ~でも稲田って子、自殺しちゃうかもしれませんね。」


 なにをさらっと言ってるんですかッ! 先生?!

 驚いた私と同じように下谷って先生も小さく叫んだ。


「なッ!」


 すると先生は急に怖いくらい冷めたい目つきになり、下谷って先生を見つめる。


「心当たりありそうですね、下谷先生。

 まあ、今日明日すぐ死ぬってんでもないでしょうけど、

 死んじゃったら終わりですね。」


「ま、まさか。そんな。」


「また話聞かせてください。では。」


 なにか聞きたげに先生に向かって手を伸ばし、震えながら立ち尽くしてる下谷先生を一人残して、雨守先生はグラウンドをあとにしてしまった。


『先生、いいんですかッ?

 あんなふうに無責任に彼のこと任せちゃって!』


「稲田君のことか?

 別に任せてはいないよ。揺さぶっただけだ。」


『揺さぶった?』


 澄まして答える先生は、一度プレハブを振り返った。


「うん。

 下谷先生も彼に憑いてる守護霊も、気は弱そうに見えたけどさ。

 ここの有様に納得しちゃいないみたいだから、それは彼に任せようと。」


『え? よくわかんないですッ!!』


 すると先生は今度は私に問いかける。


「率直に言って後代には、ここの子達やさっきのOB達って、

 どう目に映った?」


 どうって……。


『それは……OBと言ってもあんな横柄な人がいたり、

 相手によって挨拶したりしないような生徒が多いってこと……かな?

 挨拶と言っても、機械的で反射的で心もこもってない感じだったし。

 正直言って嫌な感じでした。』


「俺も同じだよ。

 だんだんこうなってしまったんだろうが、それは俺の問題じゃない。

 だからこれから稲田って子、捕まえに行く。」


『ええ?

 だってさっき、すごい勢いで走っていっちゃったじゃないですかッ?

 もうどこにいるか……


「後代。」


 言いかけた私の声を遮って、先生は右手の人差し指で自分の耳をとんとんと指さした。


『あッそうか! 栗田さんのほうですね?』


「行こう。ずっと泣いてるよ。」


********************************


 もうすぐ日が暮れちゃう。軽トラを運転する先生の隣にいる間、不安で不安でたまらなかった。

 自分で命を絶とうなんて、だめ!

 彼を守りたいって考えてる栗田さんが、どんな思いでいるのか。それを想うと自分のことのように辛くて、言葉が出なかった。


 先生は来たこともない街だというのに、地図も見ないで学校からかなり離れた河川敷まで軽トラを走らせた。そして車を降りると、迷いもなく一つの橋脚に向かって歩く。


 すぐに私にもわかった。

 その橋脚の陰に彼が、稲田君がいた!

 良かった! 

 まだ生きてた!!

 彼は地面に正座したまま、思いつめたように鞄を見つめてる。


「稲田君だな。」


 いきなり先生に声をかけられ、稲田君は腰が抜けたようにひっくり返った。相当驚いたのか、言葉もなくただ先生を見つめてる。

 でも突然、先生は怒鳴り始めた。


「てめえッ、その鞄の中の物騒なもの出すんじゃねえぞ。

 まッ、どうせてめえのような根性なしの糞ガキには

 本気で死ぬ、なんて真似はできっこねぇだろうがなあッ!」


 突然の先生の暴言に私は自分の耳を疑ってしまった。先生は心配して、というよりまるで稲田君をあざ笑うように見てるッ?!


 先生どうしちゃったんですか?!

 今にも死のうとしている人を、けなすなんてあんまり……。それにそんな汚い言葉ッ、先生から聞きたくなかったですッ!


 先生がほとんど事情を説明してくれないから不安になったり、ほっとしたり、そして今また、酷いショックを先生に感じたりッ。

 心臓が動いていたら張り裂けそうなほど、短い時間の中で激しく動揺してしまって……。

 だから……そうか、だからなんだわ。


 その時、私にも。

 稲田君の後ろで、泣きながら彼を引き留めようとしている栗田さんが……見えた!


 栗田さんはきっと、ずっと泣きながら叫んでいたんだ。声がほとんどしゃがれて、何を言っているのか私にはうまく聞き取れない。


「ソレを使って殺そうって考えてたのか? 下谷先生を。」


『ええッ? 彼、自殺しようとしてたんじゃないんですか?!』


 先生は私に頷きながらも、目はじっと稲田君を睨みつけたままだ。


「下谷先生を殺して、そのあと自分でも自殺しようってな。」


 そ、そんな?

 あの先生、そんな悪い人には見えなかったのに。


「ど、どうして、それを?」


 目を見開く稲田君に、先生はまた怒鳴りつけた。


「聞いたからだよ、栗田さんにッ!

 君の幼馴染だろうが?

 ショートヘアーで八重歯のかわいい栗田香世子ッ!

 彼女が死んだとき自分は何もしてやれなかったって、

 今更懺悔のつもりかッ?!」


「あんた一体なんなんだよッ!

 ふざけるのもいい加減にしろッ!!」


 叫びながら稲田君は鞄から取り出したものを、先生にまっすぐ向けて走り出した。彼を止めようとする栗田さんの腕は稲田君をすり抜ける。

 長い包丁の刃が、川面に反射した夕日を受けてギラリと光った。


『稲田君! だめッ!!』


 思わず叫んで先生の前に飛び出した私を見つめ、稲田君は硬直していた。

 ……今、きっと私のこと、見えてるよね?

 お願い、稲田君。やめてッ!


「縁、もういいよ。

 稲田君、こんなもの捨てて君の後ろ、振り向いてみ?」


 私の身体を突き抜けた手首を先生に掴まれ、こわばった表情のまま、ゆっくりと稲田君は振り向いていく。私の体を通り抜けて止まっていた包丁が、鈍い音を立てて地面に落ちた。


「香世子……。」


『お…ネが……ひ、ヤめ……デ…。ぉ・・ねガ・・・ィ。』


「栗田さん、ピッチングマシンのボールが首に当たって、

 それが元で亡くなったってな。

 声帯が潰れてしまったから、こんな声なのか……。

 事故と言えば事故だが、そんなふざけた事故があるものか。」


 先生は吐き捨てるようにつぶやいた。

 涙を流し続ける栗田さんに向かい合うように、稲田君もその場に泣き崩れた。その背中に先生は続ける。


「栗田さん自身、つまらない死に方したって、悔やんでんだ。

 だがそれよりも自分が死んでから君が荒れていくのを、

 すぐ隣で見ていて切なかったって。

 栗田さんを甲子園連れて行くって言ってた君が、

 自分の死で簡単に目標を見失い、

 やけくそになってく様を見てるのが辛かったってさ。」


 くわっと目を見開いて稲田君は叫んだ。


「あの日! 先輩達がすぐ病院に香世子を連れてってくれれば!!」


「先輩達って、OBのおっさん達のことだろ?」


 先生の言葉に肩を震わせながら頷くと、稲田君は途切れ途切れに話し始めた。


「あいつら皆、俺じゃない、俺のせいじゃないって。

 あの日、監督も部長の下谷も出張でいなかったし。

 下谷に、あいつらのせいだって言ったのに。

 何もしてくれないどころか……。」


 彼の言葉を先生は遮った。


「レギュラー外されたんだって?

 それが口封じされたとでも言いたいのか、お前はッ!

 そんなもん、お前自身の問題だろうが?!」


 ぎくりとしたように、稲田君は息を飲んだ。先生は立て続けに怒鳴りつける。


「都合よくすり替えるなッ!

 下谷殺して自分も死ぬつもりだった?

 一番話しやすかった人間狙うなんざ、お門違いもいいとこだ。

 一人よがってんじゃないぜ、中坊か?!

 それで目の前の栗田さんが笑うとでも思ってんのかッ!!」


 もう稲田君は地面に突っ伏して、ただ大きな声で泣き叫ぶだけだった。

 その肩を抱こうとして、また何度も何度もその手が空振りになってしまう栗田さんが……


 うううん、それは私も同じだ。同情じゃなく、とても辛かった。


 先生は稲田君の背中に静かに語りかけた。


「稲田君。

 栗田さんは今も君を見ている。

 君を守りたいと、本気で願ってる。

 俺はそんなことやめて、早いとこ成仏すべきだと思うがね。

 もし、君が今でも栗田さんのことが少しでも好きなら、

 バカな考えは捨てるんだな。」


*****************************


 助手席に泣きはらした稲田君を乗せ、先生は彼の家まで送った。その間、私と栗田さんは、荷台に。


 お互い、触れ合えないけど、手と手を重ねてた。


 お互い、ちょっと安心したせいか、だんだん、だんだん、栗田さんがまた見えなくなっちゃった。

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