第十三話 守護霊③

「か、かあちゃん。それに下谷……先生。」


 軽トラのヘッドライトが照らした稲田君の家の玄関先に、汗まみれの下谷先生と不安に満ちたお母さんが立っていた。

 稲田君に気づくと、お母さんはわき目もふらずに駆けてきた。


「心配ばかりさせてこの子はッ!」


 そう叫ぶと稲田君に両手をかけたまま、その場に崩れ落ち、膝をついて彼を見上げた。


「下谷先生、街中ほうぼう探し回ってくれてたんだよッ?」


「ごめん。ごめん、かあちゃん。」


 下谷先生は安心したような、穏やかな目を稲田君に向けてる。でも、まだちょっと息が切れてるかな。そんな声で稲田君に話しかける。


「お母さんからさっき聞いたんだ。

 君と栗田さんが、とても仲が良かったって。

 そんなことも全然知らなくて……。

 君の気持ちをもっと良く聞くべきだった。

 本当にすまない。」


「う……。下谷先生、俺、下谷先生のこと


「稲田君。」


 稲田君の言葉を遮り、先生は彼の耳元に囁いた。


「やらなかったことはいい。

 それより栗田さんに応えてやれ。

 きちんとお母さんに話すんだ。

 自分がどんだけ甘ちゃんだったかってな。」


 稲田君はまっすぐ先生を見つめながら、深く頷いた。


「はい。」


*******************************


稲田君の家の前に残った私達。下谷先生が雨守先生に頭を下げた。


「雨守先生、ありがとうございました。

 稲田君が立ち寄りそうな場所、誰に聞いてもわからなかったのに。

 栗田さん……なんですね?」


「うん。」 


「死んでも彼を守っていたなんて。

 本当に仲が良かったんですね……。

 生徒の人間関係や、その気持ちも全然把握できなくて、

 教師のくせに、私は……。」


 下谷先生は、雨守先生の『力』を疑うこともなく受け入れたみたい。先生は言葉に詰まった下谷先生を待たず、話し始めた。


「誰だって他人の本当の気持ちなんてわからないさ。

 それに野球部って、部内恋愛禁止だったんだろ?

 だから栗田さん、稲田君にも本当の気持ちは伝えていなかったんだ。」


「そうなんですか? でも、やはり……。」


「やはりって、下谷先生。

 もう自分がすべきこと、わかってるんだよね?

 いや、そうか……もうしてきてはいたのか。

 大野ね……ベテランも過去にすがると、質の悪い老害だな。」


「え? 私はまだ何も……もしかして、私にも?」


 先生はずっと、下谷先生の肩越しに後ろを見つめていた。


「ああ、憑いてるよ、守護霊がね。

 君に言うなって言ってるから、どんな人物かは教えないけど。」


「そうだったんですか……感謝しなきゃな。

 迷った時、背中を押してくれる誰かがいるって小さい頃から感じてたんです。

 でも、ここでは……。」


「真正面から、かくあるべきだってのもいいけどさ。

 大野に言ったって何も改まりはしないよ。

 奴自身がとっくに腐ってるんだから。」


 すると、下谷先生は真剣な目で訴えた。


「雨守先生、私は去年赴任した時から感じていたんです。

 変えたいんです。あの野球部を。

 いや、あの学校はあんな体質のクラブばかりなんです。」


「下谷先生、一つ確かめておきたいんだけどさ。

 あんた覚悟ってできる?

 誰が自分と同じ気持ちでいるのかわからない。

 わかったとしてもそいつと話もできない、そんな孤独に耐えられる?」


 孤独……!

 私……「この人を守りたい」って同じ気持ちだった栗田さんと、同じ幽霊なのに触れ合えもせず、言葉もうまく交わせず、もう姿を見ることもできない。

 孤独って、そういうことなのかな、先生。それを知ってるんですね、先生は。


 一人、先生の言葉を噛みしめてると、下谷先生は力強く答えた。


「私が不甲斐ないばかりに、

 生徒一人の死を、無駄にしているままなんです。

 生きてる私が、何もしないでいるわけにはいきません。」


「そうか。

 じゃあ、あんたに出来ることを言おう。

 『内部告発』するんだよ。

 あんたがこれは変だって感じてきたすべてのこと、

 校長の頭ごしに県教委に訴えるんだ。」


「内部告発……校長の、頭越しにですか?」


「誰が味方かわからんからな。

 実際、学校なんて狭く閉じられた社会だ。

 どんなに正しいことをしても、

 仲間を売ったと、あんたを叩く奴は出てくるだろう。

 職場で孤立し、それこそ生き地獄だと感じるかも知れん。

 ……それでも、やるか?」


 下谷先生は力強く答えた。


「やります!」


*********************************


 軽トラでの帰り道。


『先生、生きてる人には本当に容赦ないですね。』


「そうかな?

 死ぬってことの意味を分かってない奴には、そうかもな。」


 死ぬってことの意味……か。


『先生、言ってましたよね?

 栗田さん、成仏した方がいいって。』


「ああ。

 稲田君もいずれは大人になる。

 体も心も、なにかしら必ず変化はある。

 女の子からしたら、キモイ時だってある。

 一緒にいたら栗田さん自身、辛くなることもあるだろうからな。」


 女の子だって、周りがドン引きするくらい妄想炸裂することもあるけど……。


『例えば……彼に好きな人ができたり、とか?』


「ああ。

 それが一番辛くなるんじゃないかな。

 まあその時は、彼女が願えば成仏はできるけれどね。」


 もし、もし先生と渡瀬(てんてき)さんが……うっ。

 先生を守りたいって言っても、もし、そんな未来があったら……。

 今は、まだ……嫌だよ。


『先生は、私も成仏した方がいいって、思ってますか?』


「お前の気がすんだら、それが一番いいと思ってる。」


『気が……すむ?』


 ちょっと思ってなかった答えに、思考が一瞬とまっちゃった。


「手伝ってくれるんだろ? 後代、自分で言ったんだぞ?」


『……そうでしたね! まだやりたいこといっぱいです!!』


 そうだ!

 先のことはまだわかんないよ。今は、私がどうしたいか、ですよね、先生!!


 なんだか気の持ちようで突然嬉しくなってきて、走りだしたい気持ちになっちゃった。するとそんなこと感じてる間に、先生が何か静かに口にしてた。


「ありがとな。今日も守ってくれて。」


 え? 今の言葉、聞きそびれちゃいましたッ。


『すみません、先生、なんですか?』


 先生は笑って答えるだけだった。


「なんでもないよ。」


******************************


 一週間後、渡瀬(てんてき)さんがアパートに乗り込んできたッ!!


「ねえ、何があったの? 教えてよ!」


 鼻息の荒い渡瀬さんに、鼻から息を長く吐き出しながら先生は答える。


「別になんにもないよ。」


「嘘よ、ぜーったい嘘ッ!! どうなのよ、ねえ、縁ちゃん?!」


 ゆ、ゆかりちゃん?!


『は、はひッ?』


「縁ちゃん! ねえ、教えてったら教えてよッ!!」


 っこ、怖いですぅ~。


『いや、だって、ほら、一日しか行ってないですし~。』


「なによ!

 雨守クンが行った一日で、あの学校だって燃えちゃったじゃない?!」


 やーん! 先生のことクンだなんてぇッ。

 君じゃなくてクンぽかった。

 ど、どういう意味こめたんだろおッ? 絶対特別視してる~ッ!!


 そんな私の動揺にも気づかずに、先生は少し笑いながらボソっとつぶやいた。


「だから俺はまた失業だよ。」



 渡瀬さんの話によると、事の次第はこうだった。

 下谷先生ができる限りの証拠をそろえて県教委に告発したんだって。


 栗田さんの事故……安全確認を怠って不注意でOB達が起こしたことについて、県教委や高野連に報告しようとした下谷先生を、監督の大野先生がパワハラで抑えてたこと。

 さらに大野先生の、指導という名の生徒への体罰が日常的にあったこと。


 他の複数の運動系クラブの顧問も、大御所の大野先生にならってクラブを私物化してたこと。


 全てに共通する隠蔽体質。それが学校内でも生徒の間で『いじめ』を助長する原因にもなっていたって。


(そして、これはおまけみたいなことだけど。

 告発があったことを受けて、

 学校長は学校の立て直しに全力を挙げて邁進するって

 意気込んでいるとか。)


 とまあ、こんなわけで渡瀬さんの職場は大騒ぎになっているらしい。それなのにココに来てていいのかな?


 今度は渡瀬さんが鼻から息を長く吐きながらぼやいた。


「三月中に問題の教師達の首、全部すっ飛ばして総とっかえよ。」


「渡瀬さん、出来ればでいいんだけどさ。」


 口を挟んだ先生に、渡瀬さんはギロッと野獣のような目を向けた。


「何ッ?!」


 さすがの先生もちょっと背中を後ろに倒して恐る恐る言う。


「筋の通せる人、気骨のある人をできるだけあの学校に送ってもらえるかな?

 下谷先生、一人じゃきっと大変だろうからさ。」


『先生……。』


 口ではあんなにきつく言っていながら、下谷先生のこと気にかけてるんだ。

 するとじっと聞いていた渡瀬さんは、急に不敵に笑って見せた。


「じゃあ一つ貸しにしとくわね。

 言われるまでもなく、もちろんよ!

 腐敗は薙ぎ払って立て直していかなきゃですもんねッ!!」


「よろしく頼むよ。」


 穏やかに言う先生に、渡瀬さんは何故か急にちょっとえっちっぽい微笑を投げる。

 今、タイトスカートの足をわざと見せるように組みませんでした?! 


「ところで雨守クゥン。」


 クゥン?

 ひええッ!

 なになになに~ッ?!


「な……何だよ?」


「失業中の雨守クンにお仕事。」


「……仕事?」


「今回、体育科の先生中心に大勢動かさなきゃならなくなったから、

 余波ってものができちゃってェ。

 座学の『保健体育』を担当する非常勤講師が必要な学校が、

 いくつか出てきてるんだけどぉ。」


「俺は美術でやりたいんだけどね。」


 渡瀬さん、今度は組んだ足に肘を乗せ、頬杖つきながら前のめりにッ。

 い、いつの間にブラウスの第一ボタン外したんですか?

 むっ、胸の谷間を見せようとしてませんかッ?!

 やーん! 

 なんか、私よりすごくでかいよッ。


「雨守クンが関わったことに違いないもの、責任取りなさいよ。

 これ飲めばさっきの貸しはチャラにしてあげる。

 いい? 『保健体育』よ。

 でも『保健体育』イコール『性教育』だなんて考えて、

 セックスだけ教えればいいというものじゃあ、ないのよ?」


はっきり言ったッ!

そんなこと、そんなポーズで流し目で言わないでくださいッ!!


私と先生の叫びが重なった。


『「それセクハラッ!!」』

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