第三話 浮遊霊、後代 縁(ごだい ゆかり)。

『おはようございます。先生、もうお昼ですよ?』


 ベッドに横たわる雨守先生は、まるで死んだように眠っている。仕方ないなぁ。ちょっと恥ずかしいけれど、今度は先生の下の名前で耳元に呼びかけてみる。


『終輔(しゅうすけ)さん、起きてください。』


「うわぁッ。」


 効果覿面!

 叫びながら先生はベッドから転げ落ちた。その目はまん丸くなって私を見つめている。


「頼むから、毎度そんな起こし方しないでくれ。今に俺、死ぬ。」


 荒い呼吸のまま、先生の瞳は小刻みに揺れている。

 でも「死ぬ」だなんて酷いわ。

 もう二週間になるのに、雨守先生ったら私が起こすと毎朝(あ、毎昼だった)こんな感じ。賃貸アパートの安普請だから、あまり派手に落ちたらそのうち床が抜けちゃうんじゃないかしら。

 死んでから「眠る」ってことがなくなった私だけど、ただ毎日早く先生とお話ししたいなって、起こしてるだけなのに。


 でも先生は起きた後も、家にいる時はあまり話もせず、絵を描いたり読書してばかり。それもそうね。一人で暮らしていた時に、ずっとしゃべってるはず、ないもの。


 だけど私に気を遣ってか、そのあとよく散歩に連れ出してくれる。

 先生はすれ違う人がいぶかしがるのも気にもせず、私に話しかけてくれる。きっと近所の方からは、私のせいで変人だと思われちゃってるかも。ずっと独り言を言ってるようにしか見えないもの。それを心配したら「元から変人だから、気にするな。」と笑ってくれた。


 そんな散歩をしながらわかったこと。

 先生はちょっとしたおかしなモノを見つけるのがうまい。

 そっちには道がない方向を向いている信号とか。

 ゴジラに見える植木とか。


 部屋に帰ると、私が見たことのない美術雑誌や図録を、説明しながらページをめくって見せてくれたり。BDを見せてくれたり。

 雨守先生、とっても優しいの。


 学校にいた時には、わからなかった先生がここにいるんだもの。

 自分のことをあまり話さないのは今も変わらないけれど、一緒に散歩して気づいたり、部屋にあるものから伺えたりする先生らしさ、というのかな? 

 そんな発見ばかりで嬉しいんだもの!

 (その最たるものが先生の下の名前だったというのは衝撃だったけどッ。)


 それに先生には可愛いとこがいっぱいあった。

 寝顔とか。近所の保育所の前を通るとき、子ども達に手を振って応えながら見せる笑顔とか。野良猫の仕草をじっと見てる横顔とか。

 あとあと……私だって恥ずかしいからそういう時は遠慮してるのに、着替えやお風呂に入るのに、恥ずかしがって私に目をつぶってろと言うとことか。

 そんなことしても、その気になれば私には見えちゃうのに。だって先生、彫像モデルのように引き締まったいい体……わぁ~私ったらなにを!

 やだ、もう恥ずかしい!


 落ち着こうよ。


 でも、こんな発見は幽霊になっていなければできなかったこと。

 死んで初めて、とても楽しいって感じている。


 本当なら先生にご飯作ってあげたいんだけど、私、奥原さんに憑いているっていう女の子みたいに、物を持つってこと、できないもの。

 それはちょっと悔しい。


 それに先生、自炊はもちろんお部屋の掃除も(だいたい物があまりない部屋だけど)なんでも自分でやっちゃうからなぁ。

 一人は気楽だからって言ってたけど、迷惑がられてはないから、私、ここにいてもいいんだよね?

 せめて邪魔にならないようにしなきゃ。


 そんなことを考えて、先生の横顔をぼーっとしながら見ていたら、ふと、視線を感じたような気がして振り向いた。


 この部屋で唯一気になってるモノがある。そこについ目を向けてしまう。

 部屋の隅に、白い布で覆われた古いキャンバス。

 布越しでも私に見えてしまったそれは、知らない女性の肖像画だ。


 やっぱり詳しくは教えてもらっていないその絵。

 ただ、燃やそうとしたこともあるけど出来ずじまいでいるって。

 でもそれはきっと、先生の嘘じゃないのかな?

 本当は先生、その絵を燃やしたくないんじゃ、ないかな。


 とても綺麗で、どこか儚げで、その手をつかんでいなかったら、消えてしまいそうな女(ひと)。

 いったいどんな人だったんだろう。もしかして、先生の彼女?

 まさか……そんなはず、ないよね。なんだろ、なんだかもやもやする。


 先生は飲みかけのコーヒーを置くと、かかってきた電話に出た。ああ、言葉少なに表情も変えない横顔。いつも教室の隅から眺めていた、授業の時の顔と同じだ。いいなぁ。スケッチしたいな。

 でも、見てるだけで満足なの。私だけの特権。


 うん。一つだけはっきりわかったことがある。

 私、きっと雨守先生が好きなんだ。


 生きてた時には、こんな風に誰かに惹かれるなんてこと、なかった。だから自分でそんな気持ちに驚いている。

 だって美術室にいた時は、「尊敬」って感情だったもの。


 でも、今は違う。……私が先生を守っていきたい。ずっと。


「後代、俺の話、聞いてたか?」


『はいッ?』


 不意に先生に声をかけられ焦ってしまった。


『え、いや、その、ちょっと聞いてなかったです。すみません。』


 やっちゃった~。めげるよぉ。

 それにちょっと残念なのは、先生は私のことを『後代』って呼ぶこと。また名前で呼んでくれないかな。黙って軽トラに乗ってた時みたいに、いきなり驚かせば呼んでくれるのかな?

 あ、でもまた死んじゃうとか言うかな? それは困るよぉ。


「大丈夫か?

 ここに来てからお前、ぼーっとしてること多いぞ?

 具合が悪くなるってことはないんだろうけど。」


 先生のことずっと考えてたなんて言えませんよッ。心臓が動いていればドキドキしてるはずだろうけど、血の気ってものもなくなってるから、私の気持ち、きっとばれていないよね?

 焦りながら「大丈夫です。」とぶんぶん頷く。


「そうか?

 ほら。年末に聞こえてきていた『声』だけどな。」


『はい?!』


 お仕事ですね!


「やっぱり、そこの学校からの依頼だよ。」


 私にとっても初めてのお仕事だわ!

 頑張ってお手伝いしなきゃ!!


「それが妙なんだ。

 普通なら書類だけ郵送されてくるんだが、

 わざわざ斡旋した県教委の人が来るそうだ。」


 すごいすごいッ。仕事の打ち合わせですね!

 大人になった感じ!!


 先生は寝室に移るとその戸を閉めて着替えながら私に話す。はい、明後日の方、向きまーす(その気になれば、見えちゃうもん)。


「明日の昼過ぎ、一時だってさ。」


『じゃあ、明日はすぐ起きてくださいねッ♪』


********************************


 そして翌日、約束の時間に呼び鈴がなった。


「失礼します。お電話した県教委の渡瀬です。」


 とても澄んだ声だ。


「どうぞ。」


 雨守先生が部屋に招き入れたその人は、シックなスーツ、スタイルのいいラインをあらわすタイトスカートに身を包んだ……とても綺麗な女性だった。


 その女(ひと)が微笑みながら先生のこと……雨守先生の顔を、大きな瞳で、ずっと見つめている?!


 なに?

 なになになに?

 私にはないはずの血の気が、かーっと昂まったりさーっと失せたり。


『まさか……天敵!』


 動物でもないのに、その言葉が私の中を電気のように走り抜けてった。

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