逃避

 俺、どうしてここにいるんだっけ……

 ボンヤリと空を見上げる


 どうして生き残ったのか覚えていない。

 確か死ぬつもりでいたはずなのに。


 ジル兄とは会った気がするがどんな話をしたのかどうして一緒にいないのかも思い出せない。


 思い出そうにも心が拒否する。辛い記憶が多すぎた。





 なるべくその記憶を避けていると、次に出てくるのは家で待ってる女の子のことだった。


「キク」


 つい口から出た名前に胸が熱くなる。




 キクに会いたかった。


 キクに会いたい



 だが、満身創痍の俺を見てなんと言うだろうか。


「だからあれほど言ったんじゃ」と言われるのだろうか。


 だけどそんな風に言われたくなかった。


 俺達だって頑張ったのだ。

 決してこんな結果を望んだわけじゃないんだ。


 こんなのただの結果論だ。

 もっと上手くやれば、もしかしたら立派な結果になってたかもしれない。



 そうして今日もここにいる。ボンヤリと一日が過ぎていく。





「アトル」

 名前を呼ばれて驚く。恐る恐る振り返るとラナが立っていた。


 ヤバイ。まずい奴に見つかった。


 俺は全速力で逃げ出した。

 捕まったらキクの所に連れていかれてしまう。



 走って走ってさらに走る。

 途中でラナが諦めて追いかける足を止めた。


 よしこのまま逃げ切る


「それどころじゃないんだ!キクが」


 飛び出した名前に胸が震えた。


 ……キクがなんだ?



 足が止まる。無視して走り去ってしまうことはできなかった。

 振り返るのが怖い。嫌な予感しかしない。



「キクがいなくなっちまったんだ!」


 ラナの言葉に心臓が止まった。




「いなく……なった?」


 霞んでいた頭がクリアになってくる。


「……だって家にいたんだろ!?」

「いや、クマリンにいた」


 思わずラナに詰め寄った。


「はあ!?なんでクマリンになんか」


 あんな隙だらけのキクを街になんか連れて行ったらすぐ騙されるに決まっている。


「悪い。あたしがクマリンに呼んだんだ」

「何てことしてくれたんだよ!」

「すまない」


「家にいたら安全だったのに余計なことしやがって!」

「余計なことって……」


 申し訳なさそうにしていたラナの眼がキッと俺をにらんだ。


「アンタ、あんな寂しいところに独りぼっちにするんじゃないよ!」

「いいんだよ!キクは一人で家にいれば」

「アンタそれ、本気で言ってんのか!」

「ああ!当たり前だ!キクは家にいるのが幸せなんだ」


 ご飯作って洗濯して掃除して畑仕事してそれだけでキクは満ち足りているのだから。


「ふざけんなよ!」


 ブチ切れたラナが槍を取り出す。


「やるかあ」


 俺も剣を構えた。キクを危険な目に合わせておいてなんだコイツは!


「やってやろうじゃないの」


 気合と共にぶつかる。

 二度三度と武器が衝突する。


 槍と対峙するのは初めての経験だった。

 間合いの違いに慣れず戸惑う。


「Ⅲ群だかなんだかしらねえけど」

 驚くことにラナはかなりの槍術の使い手だった。

「お遊びとは違うんだよ」


 フランにも登録せずとも強い奴はいる。

 ラナも街の外を行き来する必要のある仕事だ。生きていく上で必要な力なのだろう。

 金がある奴は護衛を頼むがそうでない奴は自分の腕を磨くしかない。


「ラナさん!もうそれくらいにしましょう」


 何度目かの衝突の後、男がラナを止めに入った。


「止めるなジゴ!キクがどんな思いで待っていたと思ってやがる!」



「ずっと待ってたんだぞ。毎日待ちぼうけして、ずっと上の空で泣きそうな顔して」


 ジゴと呼ぶ男に抑えられなお、俺への怒りは収まらないようだった。


「あれが幸せそうにみえるか!」


 暴れるラナを、はいはいと言いながらジゴは馬車の元へと押し戻していく。


「ラナさんじゃないですけど、全く幸せそうには見えませんでしたよ?あの状態が幸せとか冗談でしょう?」


 ジゴは俺を振り返り目を細めて、それだけを言った。


 俺は呆然と立ち尽くした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る