ジゴ=キシン

 自分の名前はジゴ=キシン


 クマリンで日雇いの仕事をしていたところ、ひょんなことからラナの父親に気に入られスカウトされた。

 今はお店の経営の手伝いをさせてもらっている。





 ◆





 お店で扱う白パンはクマリンで大流行中だ。

 最近ではクマリンの外にまで広がりを見せている。


 仕入れから新店舗の立ち上げまで毎日大忙しだ。

 休む暇もなく働き通しである。

 それは嬉しい悲鳴でもあった。



 ある日、パンに虫が入っていたとの苦情が入った。

 この世の中、虫の混入程度で騒いでいたら食べるものが無くなってしまうのだが

 不愉快にさせてしまったのは事実、即座に対応して謝罪した。


 しかし話はそこで終わらなかった


 客が大勢いる中やってきて大声でここのパンには虫が入っているとのたまった。

 こんな大きな虫だったと話が誇張されていく。

 そんなはずはない。

 一つ一つ手で練っているのだそんな大きな虫なら練ってる間にさすがに気が付く。

 どうやらこの客の目的はここの評判を落とすことらしい。

 食べ物を前にそんな話をされたらいい気分ではない。この日は客の足が遠のいていった。


 この日を境にお店への嫌がらせがはじまった。


 朝きたら窓ガラスが割られていたり

 小麦粉等を保存している倉庫を荒らされたり

 仕入れの邪魔をされたりと様々なことが起きた。


 まず同業者で間違いないと思うのだが何しろ証拠がない。

 下手に摘発しても痛い目に合うのは自分達だ。


 怒りに燃える従業員たちをラナさんは「騒ぎ立てるな相手が喜ぶだけだぞ」と冷静になだめていた。

「負けを認めた証拠だろう」とニヤリと笑う様は痛快だった。


 流石商売人の娘。

 迷惑をかけてしまった客に頭を下げ、取引先にも頭を下げにいっていた。

 自分のせいではない罵りをうけて、それでもへそを曲げることなく前を見据える姿はまぶしかった。


 ウチに対抗すべく他の店でもなんとか白パンを作ろうと頑張っているようだが、未だに再現出来ているところはない。上手くいかないやっかみから生まれた嫌がらせなのだろう。


 そんなある日、おキクさんが行方不明になった。


 このときのラナさんの取り乱しようはすごかった。

 毎日お店に差し入れを持ってくるおキクさんにはファンも多く、火消し役はいなかった。


 お店をそっちのけで探してまわり、そんな必死な様子を見て同業者の奴等はほくそ笑んでいた。


「アイツらの誰かが浚ったんだ絶対」

「何のために?」

「白パンの作り方を聞き出すために決まっているだろう!」


 確かにそれはあり得る話だがやはり証拠がない。

 性質が悪いことに、奴等は違うと否定しながらも思わせぶりな事を言って煽ってくる。

 面白いように煽りに煽られたラナさんは随分とあちこちに喧嘩をうって歩いていた。

 おかげで、一気に評判ががた落ちした。


「もし、そうだとしても、おキクさんならすぐしゃべると思いますけどね」


 お菊さんは秘密にする気なんて最初からない。

 訊かれたら手とり足取りで喜んで教えると思う。

 自分はお菊さんとは短い間しか関わっていないがそういう人だった。


「もう用なしになったってこと……?」


 自分で言った恐ろしい想像に唇を震わせる。動揺した目が潤む。


「……」


 そういう可能性も否定できないが。


 ラナの父親が「ラナはしばらく店に立つな」と指示を出した。

 完全に疑心暗鬼に陥っている。


 普段のサバサバと気持ちよく仕事を捌いていく彼女の見る影もない姿にため息をついた。


 ……こんなに弱くなるものなのか。


 いや、お菊さんだから特別か。

 彼女はお菊さんにメロメロに甘えていた。


 もし相手が自分だったら、これほどまでに取り乱しはしないだろう

「騒ぎ立てるな」と一喝し冷静に対処されるはずだ。


 店に立てなくなったラナさんは仕方ないので、自分と一緒に近隣の村へ仕入れに来ている。



「……あれ」

 荷物を馬車に積み込みそろそろ出発しようとしたころラナさんが声を上げた。

 視線の先には金髪の子供がいた。

「アトルじゃないか?」

 そう聞かれても自分は会ったことがないからわからない。


 アトルらしきその人物は覚束ない足取りで俯き歩いていた。

 目が澱み明らかに心に深手を負っているとわかるほどに表情に影が差していた。


「アトル」


 ラナさんが声をかけると子供の肩がギクリとした。

 こちらに気づくなり脱兎のごとく逃げ出した。


「あっおい!」


 ラナさんと共にアトルを追う。

 まあ、少年の足の速いこと。あっちのほうが小さいはずなのにドンドン差が開いていく。


 追いつけないと悟ったラナさんは途中で足を止め追うのをあきらめた。

 そして叫ぶ。


「アトル!それどころじゃないんだ!キクが!」


 キクさんの名前を出した途端少年の足が緩み止まった。



「キクがいなくなっちまったんだ!」


 振り返った少年の顔はこれ以上ないほど蒼白になっていた。


「いなく……なった?」


 少年から発せられた、か細い声が哀れだった。

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